アーカイブド・エッセイ

2003年8月6日〜2004年7月10日








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頑張らなあきまへんがな

<内容に即して関西弁で書きました。関西弁が嫌いな方にはお詫び申し上げます>
 ここんとこ、大阪がなんや知らんけどシネェーっとしてませんか? もうちょっと元気になってもらわんと、どもならんと思てるんですけど、読者の皆さんはどう思わはります? 私は広島で生まれて直ぐに関西へ引っ越して、そのまま26歳までずぅっと関西で暮らしました。幼稚園の頃は兵庫県の甲子園球場のすぐ近く、それも球場内のどよめきが聞こえるほど近くに住んでて、大学時分は京都にいましたけど、その他はずぅっと大阪府にいてたんです。せやし、大阪が腑抜けになってしもたら困るんですわ。何や知らんけど、自分まで腹から力が抜けたような気がするんですなぁ、これが。
 私、プロ野球には全然興味ないんですけど、近鉄バッファローズとオリックスの合併問題は気になります。しかも、合併と言えば聞こえはええんですが、実際は近鉄バッファローズがオリックスに吸収されるいうことらしいんですわ。そらアカンでしょ。バッファローズはホークスが九州に身売りされてから大阪唯一のプロ野球球団やったんですよ。それがなくなったらあきまへんがな。そうでっしゃろ? プロ野球に興味ない私がそう思うんやから、プロ野球ファンにとっては尚更のことでしょう。近鉄さん、考えなおしませんか?ほんま、頼んまっせ。
 てな具合に近鉄さんに声を掛けてもしゃぁないことなんかもしれまへんなぁ。最近のニュースを見てると、どうもこの球団合併問題は周到に仕組まれた茶番劇みたいやからですわ。最終的な目標はパ−リーグの解体、ということは、1リーグ制への移行で、その言い出しっぺを近鉄さんが引き受けたんでしょう。そうでなかったら、あんた、「球団買い取ります」て名乗り出た資産500億円以上のお金持ちと交渉もせぇへんなんてこと考えられまへんがな。しかも、球団買収の話が出た途端に、それを無意味なことやと言わんばかりに、「実はもう一つ合併話がありますのや」なんて言い出してからに。見え見えやありませんかいな。
 まぁ、実のところはそういうことらしいとは思うんですが、やっぱり言い出しっぺ役の近鉄さんには一言いうとかなあきまへんなぁ。なんでて、そら、あんた、近鉄さんが大阪にダメージ与えるんはこれで二回目になるからですわ。覚えてはりませんか? OSK日本歌劇団の解散問題のことですがな。私、プロ野球同様にレヴュー公演にも全然興味ありません。自慢やないけど、宝塚もOSKも見たことありませんねん。せやけど、80年の伝統をあっさり潰すいうのんは暴挙でっせ。そら、商売なんやから、儲からなんだら潰されても文句は言えへんいう考え方もありますやろ。けど、あんた、商売させてもろてる地元に恩返しするいうのも、大阪の商売人の心意気やないんでしょうかねぇ。幸い、OSKの場合は「存続の会」と市民協賛者が踏ん張って再出発を果たしたからよかったんですけどね。そうでなかったら、あんた、近鉄の経営陣を呪うて丑三つ時に五寸釘打ち込むOSKファンの一人や二人はいてましたで。バッファローズの場合やと・・・そやねぇ・・・五、六人は確実ちゃいますか?
 てなこと言うてたら思い付いたんやけど、バッファローズにも「存続の会」作ったらどないでっしゃろか。オーナー会議の陰謀を潰す力としては庶民の熱い情熱しか考えられませんからねぇ。そら、歌劇団よりはもっと仰山の金がかかるし難しいけど、協賛者をようけぇ集めたらええんですわ。プロ野球には広島カープいう市民球団の先例もあることですから、不可能ではないと思うんですよ、私は。それに、アイスホッケーとかでもクラブチームとして存続させた成功例があるでしょう? とは言うたものの、今の大阪人の様子を見てるとちょっとトーンが落ちてしまいますなぁ。そらそうですわ、それほど地元球団に熱を入れる人が多かったら、球場に閑古鳥が鳴いて赤字になんかなってないかもしれまへんさかいにな。「存続の会」作っても協賛者はそれほど集まらへんのとちゃうかいなて思てしまいますがな。

 実際のとこ、近鉄さんやその他のプロ野球球団のオーナー連中ばっかり責めてもしゃぁないのんかもしれません。総体としての大阪人の力が抜けてしもてることが問題なんやと思います(わざわざ但し書きでしつこうに言うときますけど、近鉄さんの立て続けの仕打ちとオーナー会議の無茶苦茶な横暴を忘れてしまう訳やないんで念のため。) いえね、みぃーんな東京に持っていかれて、大阪が空っぽになってしもとるみたいな感じがするんですわ。私の思い込みとちゃいまっせ。本拠地は大阪やのに本社は東京に持って行ったり、本社は大阪に残したぁるけど実質的な本社機能は東京支社にあって社長も東京に入り浸りなんちゅう会社ばっかりですねや。せやし、大阪証券取引所の取扱高なんて、あんさん、東京に較べたら欠片(かけら)ほどもない有様でんがな。あおりを食うのは下っ端の勤め人とか中小企業とか零細サービス業者ですわなぁ。仕事はガタ減りやし失業率は高いし、そんな状況では当たり前やけど、カネはちょっとも動かへん。八方塞っちゅうのんはこのことかいなてつくづく思います。漁夫の利いうんですか、名古屋辺りではホクホクしてるお人がいてはるらしいですけど、八つ当たりしてもしゃぁないことですしねぇ。
 それで、私思うんですけど、ケチの付き始めはアレちゃいますか? アレでんがな。府知事のワイセツ事件ですがな。昔のことで詳しゅうは覚えてまへんけど、なんや選挙運動の宣伝カーの鶯嬢かなんかやってたお嬢さんにベタベタ触ったとかどうとかでえらい騒ぎでしたわ。他に触るもんがなかったんでしょうかねぇ。私やったら、そうやねぇ、他にすることなかったら宣伝カーを自分で運転して、おもいっきりハンドル(ステアリング・ホイールのことです)弄り回しますけど・・・なんでて、そら、小(ちい)こい車の運転なんて面白(おも)ろいことありませんけど、大型車の運転やったら面白(おも)ろいからですがな。運転席は高いし、馬力はあるし、気分が宜しいでぇ(大気汚染の原因になるのは困りもんですけどね。)まぁ、当時の知事さんは趣味がちょっとばっかり私らとは違(ちご)たんでしょうなぁ。
 その話が出るとついでに思い出すんですけど、その後の女知事さん、大相撲の大阪場所の表彰式で土俵に上りたいて無理言うてからに。可哀相に、相撲協会の理事長さん大汗かいてましたがな。なんぼセクハラ事件の後やから言うても、無理な男女平等を押し付けたらあきまへん。漁船に女性を乗せへんとか、土俵に女性を上げへんというのはセクハラとちゃいます。民俗宗教の一つの“有り様(ありよう)”なんです。船魂様とか土俵の神様(名前は知りませんけど)が嫌やて言うてはるんです。ノミノスクネとタイマノケハヤかて渋い顔しまっせ。特に、ノミノスクネいうたらあの菅原道真のご先祖さんでっさかいに、祟られたら怖いことになりまっせ。やっぱ、神様のいうことは聞いといたらええんとちゃいますか?
 それに、全国には男が近づいたらアカン聖地も仰山あるんですヨ。民俗宗教では、男女差別やのうて男女区別がはっきりしてることが多いことを理解せなあきまへん。神さん拝む人を巫覡(ふげき)とか言いますけど、その昔(ちょっとやそっとやのうて上代に当たる昔です)には、女の巫(めかんなぎ)と男の覡(おかんなぎ)では天地ほども違いがあったことを考えると、土俵に上がられへんことぐらい、あんた、屁ぇみたいなもんでっせ。巫女さんは神さんが降りてきたら神さんと同じ扱いで拝まれる側になるんですけど、サニワて呼ばれる男はんは神さんのご託宣の翻訳者、早い話が使いっ走りでしかないんですからね。せやし、土俵に上がることに執着するぐらいやったら、もっとオリンピックの招致とかに拘っといたらよかったんです。先ずは雰囲気を盛り上げるのがいちばんでっさかいな。“万博の夢よもう一度”でんがな。こんなんでもちょっとは元気になれまっせ。知事さんが土俵に上がっても本人以外は誰も盛り上がりまへんで、実際のとこが。
 ええと・・・何の話でしたかいな? せやった。ケチの付き始めがエロ知事さんやったいう話でした。そら、景気が悪なったんはあの知事さんの責任やありません。せやけど、タイミングが悪過ぎたんですわ。ほんで、上でちょこっと言いましたけど、オリンピックの招致問題やとか、なんやのかんやのがどれもこれもパッとせぇへんかったし、ほんで、あのセクハラ問題がケチの付き始めみたいに思われるんでっしゃろなぁ。そら、阪神タイガースの優勝では盛り上がりましたよ。けど、道頓堀で死人はでるし、それに、阪神タイガースは兵庫県のチームです。大阪とは違うんです。せやし、盛り上がっても何や知らんけど隙間風を感じてしまうんですなぁ、これが。
 簡単に言うてしもたら、元気になる要素が一つもないっちゅうことですねや、大阪人には。そこんとこをどないかせんと、そら、二進も三進も(にっちもさっちも)行かしまへん。何でもええし、ワイワイ騒げるネタを探さなアカンし、騒いだだけの経済効果がないとアカンいうことですなぁ。そう言えば、ワイワイ騒ぐ本家本元のお笑い芸人も怪しからんことです。“東京進出”とか言うて、猫も杓子も東京へ移住してしまいますのや。大阪弁(あるいは関西弁)で稼がしてもらいながら、お江戸に住むとはどういうことですか? 大阪弁の言霊(ことだま)さんに失礼でっせ。ノミノスクネの話やないけど、それこそ罰が当たりまっせ。そら、確かに、ブロードキャストネットワークのキー局は東京にあります。せやけど、大阪からの電波を全国に流されへんいうことではないでしょ? 「儂の芸を使いたかったらカメラ持って東京から大阪まで来んかいや」なんて恰好ええ啖呵きる関西芸人が出てこんもんでっしゃろかなぁ。そんな芸人さんが出てきたら“大阪府民栄誉賞”かなんか作って贈呈させてもらいまっせ
。  そう言えば、ファイターズのMr.シンジョウ、彼なんか“北海道民栄誉賞”の受賞候補にしてもええでしょう? “北海道民栄誉賞”があるのやらないのやら知りまへんけど、表彰してもええぐらいの活躍やありませんか? いえね、最初に言うたように、プロ野球に興味ないもんで、試合での活躍がどの程度かはしりません。けど、北海道の地元ファンが盛り上がってて観客動員数も大幅に増えたんは大活躍と評してもええでしょう。せや、Mr.シンジョウみたいなプレーヤーがバッファローズに居てたらええんですわ。興行成績が上がったら合併問題なんか消し飛んでしまいますからねぇ。それに加えて、野球の世界以外のあっちゃこっちゃで大阪を盛り上げてくれるお人が出て来てくれへんもんでしょうかしらん。そういうことが“大阪腑抜け問題”の根本的な解決に不可欠なんですわ。

 えっ? 「ガタガタ評論ばっかりしとらんで、具体的なアイデア出せ」言わはるんですか? そんな、あんさん、妙案がすんなり出てくるようやったらこんなに愚痴ってまへんがな。はぁ、確かに口先だけで文句言うてるのは無責任ですけども・・・しゃぁないなぁ・・・ほな、実現できるかどうかは別問題として、一つ提案しまひょ。一般的に、アカンタレを矯正するには二つの方法を使い分けます。一つはアメで、もう一つはムチ。当たり前でんがな。大昔から言われてる通りです。問題はアメとムチを有効に使い分ける環境を作ることですのや。で、その環境作りとしては大阪を独立させることが一番やと思います。聞こえまへんか? ド・ク・リ・ツ、“独立”でんがな。
 道州制とかが取沙汰されてますけど、そんな生温いことやないんです。ほんまに東京とは縁を切って、別の国として独立するということなんです。勿論、国連へも別個に加盟します。何も48都道府県全部を別々の国にしろとまでは言いまへん。取り敢えずは、日本列島を糸魚川・静岡構造線で二つに別けてみまひょか。東日本国と西日本国でんな。東西に分けるんやったら“南北問題”は起こらへんでしょう? “南北問題”はやっかいやさかい、こればっかりは避けなあきまへん。
 ほんで、アメとしてはある程度の保護主義を採るんです。例えば、「東日本国が西日本国のお笑い芸人を雇うて仕事をした場合、東日本国は“西日本固有お笑い享受料”を西日本国に支払わなければならない」っちゅう法律を作るんですわ。東日本国がどう文句を言おうがWTOがウジャラグジャラ干渉しようが押し通すんです。東日本国が対抗策をとっても恐れることはないでしょう。関西人にとって、標準語のコントなんかちょっとも面白(おもろ)ないんやからね。中国地方や九州や沖縄の人らも関西人と全く同じ感覚やとは思いませんけど、お笑い芸人さんには中国地方や九州や沖縄出身者が多いですから困ることはないでしょう。
 商売でも同じことですわ。関税でがっちり保護政策を打ち出しまひょ。経済問題の方は東日本国に対抗策を採られると困ったことになりかねません。せやけど、そうなったらそうなったで、今度はそれがムチとしての効果として期待できるんやありまへんか? 東京経由で商売しない。西日本だけで自給自足できるように殖産興業に努めなあかんようになるということでっさかいな。嫌でも頑張って地場産業に力を入れんならんということですわ。どうです? アメとムチがしっかり一体化してるでしょ? 我ながら、こんな妙案はないと思います。懸念されることというと、今まで経験のない国際紛争、即ち地続きの外国(東日本国のことです)との紛争が起きかねないということですかなぁ。実のところ、これは大問題なんでして、地続きやと血の気の多い連中が実力行使しかねんということでっさかいな。そらそうでしょ。ちょっと歩いて行って、ポカンて殴(どつ)くなんてことが簡単にできるんやからね。拳骨での喧嘩やったらまだええけど、そのうち武器を持ち出すんですなぁ、浅はかな人間いうのは。悲しいことに、過去の歴史からその危険性を知ることができますのや。
 せやし、このアイデアを実現させるためには一つ不可欠なことがあると思うんですわ。それは、東も西も、独立しても現在の憲法第9条の精神を堅持すると約束することです。早い話が、「紛争が起こっても武力には頼りません」と宣言するいうことですな。皆さんもそう思わはるでしょう?・・・・・はぁ、「それやったら、アイデア倒れや」ですて? 「独立する前に憲法第9条がなくなりそうや」て言わはるんですな。なるほど、それは困ったことです。ほなら、大急ぎに急ぎまひょ。憲法第9条があるうちに西日本国の独立を実現しまひょうな・・・・・「そんな馬力があったらこんな問題は起こってない」やて? 確かにそうです。この堂々巡りが八方塞の原因そのものやということでんな。こらあきまへん。私は、やっぱ、アイデア出すより、ブツブツ言うてる方が似合(にお)てるようですわ。
 ということで、ここらで退散、退散。関西弁のキーボーディングも結構面倒臭いことやし、この辺でご免やっしゃ。そうなんですわ。ワープロまで標準語しか受付けよれへんのです。ほんま腹立つわぁ。先ずは、関西弁のワープロソフトの開発してもらわなどもなりまへんで・・・ブツクサ、ブツクサ・・・ブツクサ、ブツクサ・・・へぇ、さいなら。

(2004年7月10日)


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「展覧会の絵」を聞きながら

 自慢にはならないが、管弦楽のコンサートでは抗し切れない眠気に襲われることが多い。即ち、私の感性が大作曲家や演奏家たちから置いてけぼりを食ってしまうということだ。しかし、しっかりとその作品に付いて行けることもある。経験的に判断するに、どうやら作曲家に拠るようである。典型的なのはピョートル・イリイッチ・チャイコフスキーで、彼の作品は私の意識の中に入り込み、決してそれを肉体から引き離すことは無い。一方で、リヒャルト・ヴァーグナーの楽劇などにはとてもついて行けない。「トリスタンとイゾルデ」や「ニーベルンゲンの歌」といったケルトやゲルマンの伝説を基調とした物語は魅力的なのだが、それらを土台にしてワグナーが創始したという楽劇は、私にとっては、ただの催眠剤にすぎない。
 実は、この文章はCDプレーヤーで音楽を聴きながら書いている。モデスト・ペトロヴィッチ・ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」である。因みにモウリス・ラヴェルの編曲作品で、アンドレ・プロヴィン指揮によるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏である。彼もまた私が眠らない音楽の作曲家の一人なのだ。さて、音楽好きの方ならご存知のことと思うが、この組曲の冒頭と前半部分の三箇所に“プロムナード”が配置されている。実に印象的なモチーフが繰り返されていて、霧のように形の無い想像力が溢れてくるような感じがする。次の展示室へと大きな美術館の回廊を期待に満ちて進むときの感じが思い浮かぶようなのだ。
 十枚の絵の部分もそれぞれに好いのだが、私には最後の“キエフの大門”が図抜けてイマジナブルに思える。最近になって、その“キエフの大門”の中に“プロムナード”のモチーフがさり気無く盛り込まれていることに気付いた。何故だか自分が大きな門を潜り抜けて行くような気分だと思っていたのだが、どうも、それは“プロムナード”のモチーフによって無意識のうちに肉体的な移動(簡潔に表現すれば“歩行”ということになる)の感覚に浸っていたらしいのだ。さほどに“プロムナード”のモチーフの印象が強烈なのであろう。
 柄にも無くクラシック音楽の話をしてしまったが、最後までチャイコフスキーやムソルグスキーについて語るほど彼らの作品や他のクラシック音楽に精通している訳ではない。ここでの話題は、いわゆる芸術作品の楽しみ方、しかも素人の楽しみ方なのであり、「展覧会の絵」はそのマクラに使わせていただいただけである。まぁ、伝統的な和声に拘らなかったムソルグスキー氏のことだから、ど素人によるこのような不遜な態度も鷹揚にお赦しくださることであろう。

 芸術の分野を問わず、その奥深さも知らず芸術作品を論じるのは浅薄至極との意見をしばしば耳にする。尤もな意見ではある。が、それでは芸術が庶民からドンドン離れていく。それもつまらないことではあるまいか。小難しく語られることを常としている芸術にも浅学の徒が楽しむ余地を残しておいて欲しいものだと思う。文学の研究者は作家のパーソナル・ヒストリーを事細かく調べ上げ、その作家がある作品を書いた時期の心理的な背景まで抉(えぐ)り出した上で作品を論じる。研究者なのだからそれは当然のことだろう。だが、そんな態度を研究者ではないただの読者に求めてはいけない。研究者が失敗作と酷評する作品から深い感銘を受けた読者がいたとしてもちっともおかしくはない。世俗的な流行歌(はやりうた)を聞いて涙することだって人間の豊かな感情の現れなのだから。
 そもそも 芸術作品には“失敗作”などというものは有り得ないと思っている。そんなものは評論家やその道の研究者たちの職業的な論評のための論評にすぎない。文章でも絵画でも造形でも最低限の技術がなければ作品にはならないが、神の如き万能の人間がいる筈はないのだから、完璧な作品など有り得ない。少なからぬ失敗部分が見つかって当たり前なのではあるまいか。売れっ子の作家や、時には有名な大作家ですら、作品中の日本語に“?”を付けたい部分はいくらでも見つけられる。それでもなお人に語り掛けたい何かがあるからこそ、作者はそれを世に問うのだと思っている。作品を作る側の立場とはそんなものなのだ。己の程度を知り、己の至らない部分を恥じ、尚且つ、訴えたいことがある。だから、恥を忍んで作品を発表する。ただそれだけのことなのだ。
 勿論、プロの場合、市場経済の世の中ではカネにならなければ“作品”として発表はできない。だが、一度たりとも名前が売れれば、どんな駄作でもカネになる。しかし、それに甘えるほど芸術家が無恥厚顔だとは思わない。何故なら、先ずは訴えたい何かがあると信じているからなのだ。職人は素人にはない技術を売る。芸術家は技術ではなく感性を売る。その違いは大きい。職人は技術に失敗するとそれで終わりだ。客は文句を言い、次の注文は入ってこない。芸術家が作品作りに失敗しても、訴えたい何かが主張することを諦めていない限りそれに共鳴する鑑賞家は必ず存在する。次も確実に期待されているのである。
 ただ、鑑賞者が思い描く世界と作者が描こうとした世界が一致するとは限らない。全く異なる人生を歩んできた人間なのだ。同じものを同じように見たり聞いたりしてもそれによって喚起される感情が同じであることの方が不思議だ。同様に、鑑賞者が10人いれば一つの作品から10の異なる世界が導き出される。自分とは解釈が異なるから正しい鑑賞眼を持っていないと他人を謗ってはいけない。しかし、中途半端に芸術に精通した人に限って、通説となった解釈や己の解釈を他人に押し付けようとする傾向が見受けられる。そういった半端な教養人が近くにいると誰しも芸術から遠ざかってしまう。

 ラッキーにも子供の頃の私の周りには“教養人”が少なかった。それで、常識的な講釈なしで芸術作品に接することができた。私は絵が好きだった。但し、そのことを表立って公言したのは高校生になってからだった。というもの、教養は無かったが教育ママだった母親が私をインチキ臭い絵画教室に通わせたり、“出来る子”であった私の兄のように色を様々に混ぜて使えなどという当時の私には理解できないアドバイスを与えたりしたからである。実に幸いなことに、高校三年生のときに下宿し、母親とは離れて生活するようになった。お蔭で、そういった“常識的な制約”から解放されたので、自分の好きな絵に好きなように埋没できたのであった。
 その代わりと言うべきであろうか、個性的な同級生に悩まされることにもなってしまった。そんな一人であるI君も絵が好きで、将来は美大に進むと言っていた。それは「お好きにどうぞ」と返事しておけば済んだが、彼の作品を見せられる段になるとそう簡単に事は運ばなかった。ただ黙って見せればいいものを、あれやこれや奇妙な解説を聞かせられるのには閉口した。例えば、校門から望んだ校舎を真っ赤に描いたお世辞にも立派とは言えない作品が何故背景も校舎も赤が基調なのかを綿々と語るのである。見ている私には「赤く塗りたい心境だったんだね」としか反応の仕様がないのだが、彼はそれには全く気付かず、ただひたすらに私の同意を求める。当時の私とて一徹な高校生だ。同意できないことには同意しない。最終的に、私のことを芸術が理解できない野蛮人のように哀れむI君であった。
 揶揄していると思われるかもしれないが、私はI君の態度を非難するつもりはない。その姿勢は当時も今も変わりはしない。自分の感性を堂々と述べる彼の態度には共感するのだ。大事なのは常識でも通説を知っているという教養でも何でもない。自分の感じたそのままが最も肝腎なのだ。芸術作品を研究者や評論家が評するものとしてフリーズしてしまったら、その芸術作品はその時点で死んでしまう。限りないイマジネーションを与え続けてこそ芸術作品だ。固定的な観念を押し付けるものを芸術とは呼ばない。作者や作品のバックグラウンドを承知しておくことも作品の理解には重要だという意見を否定はしない。だが、それ以上に、フィルターなしの各個人の感覚の方を重視したい。
 自分自身がアマチュア作家として描いたり綴ったりするとき、単純なテーマや単一の心持を持ち続けることなど有り得ないことが実感なのである。人間は左程に単純では有り得ない。細密画を忠実に描ける大脳生理学的に見て基質的な病変を抱えた絵画作家についてはいざ知らず、そうではない作者の心理が単純な言葉で言い表せるほど単純である筈が無い。斯く言いつつも、私は他人と芸術作品について議論を交わす。それはその人の感性を否定するためではない。お互いの感性の違いを確認し、お互いに気付かなかった点を補い合うためなのだ。その点は先ほどお話した高校時代の同級生I君と些か異なる点である。
 学術的な議論と同様に、芸術の世界にあっても個人の発想には限りがある。複数の人間の議論の中で真理とされる概念と同様に美というものは試されるのである。歴史家は往々にして天才の存在を強調するが、天才が独りで偉業を成し遂げることなど有り得ない。天才と呼ばれる英才といえども人間の器量と歴史の枠を無条件に飛び越えることはできない。古今東西の識者の綿々たる業績の蓄積なくして天才の業績は有り得ないのだ。ヒトは集団的な議論の中で概念を確立しや感性を磨いてゆく。素人たりとも遠慮することはない。考えたまま、感じたままを世に表明すればいい。それを無視する世界はいずれ頽廃する。

 突然に話が飛ぶが、宮本武蔵はひらめきだけで生き抜いてきた兵法の天才だろうか。私はそうは思わない。彼は非常に理解力に優れた合理主義的常人に過ぎない。「五輪書」を読めば一目瞭然だが、彼はただの“学び得る人”に過ぎない。一戦一戦で確実に学び、命を失うことなく果し合いを連ねていったに過ぎないのだ。俗っぽく言うなら“運のいい秀才”ということになるだろう。彼は刀というものは片手で扱うべきだと主張する。現代のスポーツ剣道しか知らない者には理解を超えた意見だ。しかし、彼は実戦で学んだのだ。二本の腕は有効に使わなければならないことを。彼は、その主張の延長として、持っている道具(武器)は余さず使わなければ意味がないと言う。だから、脇差も使う。二本の腕がそれぞれ活動すれば太刀と脇差が同時に使える。斯くして生まれたのが二天一流なのである。この流派は天才のひらめきに拠るものではない。合理主義者が命の遣り取りの中で学んだことを一般的方法論に纏め上げたものなのである。
 「五輪書」は具体性に欠けるという意見があるそうだ。奇妙な評価だと思う。華道の流派によっては、中心に据えるものと脇に添えるものの長さの比率とか角度まで指定するそうだ。そんなことを決められたのでは面白くもなんともない。一般化された法則性には価値があるが、その機械的な適用には何の魅力もありはしないのだ。武蔵は、彼が学んだことの大部分を一般化できたからこそ「兵法三十五箇条」や「五輪書」を書こうと思ったに違いない。だが、「五輪書」の中には、書き切れないので“口伝”するという項目が幾つかある。勿体をつけているのではない。個別的な方法論を述べなければ理解できないことがあるということを正直に認めているのである。意地悪く表現するなら、完全には一般化できない部分もあるということなのだ。私は「五輪書」は具体性に欠けるという点においてこそ評価されるべきだと思っている。
 むしろ、具体的にしか表現できない部分は省いても、尚もあれほどに書けることを評価すべきだと思うのである。武蔵は間違いなく秀才だ。文章から教養は感じられない。自ら認めているように、彼には武芸のみならず学問の師匠もいなかったようだ。そんな無教養な彼が読むに値する書物を書き残せた理由は偏に“学び得る才能”と“纏め上げる才能”に帰する。何事についても、大事なのはいくら奥深くとも生硬に過ぎる教養ではなく、あらゆることを柔軟に受け止め得る理解力や感性なのだ。武蔵が刀で殺しあうこととは無縁な現代人に受け入れられているのは、そのことを思い出させてくれるからだと理解している。
 なぜ唐突に宮本武蔵が出て来たかご理解いただけたと思う。私は武蔵の素直な生き様に芸術を感じているのだ。勿論、本人の人となりに直接触れることなどできはしない。後世の作家の描く武蔵のイメージに捉われている部分も否定できない。だが、「兵法三十五箇条」や「五輪書」のみを評価材料とすることに徹しようという心根で評価した場合も、彼の生き様は芸術的だと感じられる。剣道をご存じない方々もイメージできると思うが、剣道の打ち込みの際は左足で蹴るように進む。打ち込みの瞬間とその前後において左右の足が通常の歩行のように交差しないのだ。だが、武蔵は足の運びは常に歩むが如くに踏みしめよと言っている。これは実戦でのみ築き上げられた理論なのだ。吉岡一門との決闘地である一乗寺下がり松近辺の地形や厳流佐々木小次郎と戦った船島の砂浜で、現代のスポーツ剣道風に打ち込みができるかどうか試すまでもないことだ。そんなことをしたら、ずるりと滑ってスッテンコロリン転んでしまうの落ちだ。
 武蔵は自分が実際に経験し納得したことのみを他人に伝えようとした。理想的な環境でのあるべき姿や、美しく見せたり奥深いと感じさせる技巧を廃し、感じ得たことのみを伝えようとしたのである。これは芸術家の基本的な態度と同じではないか。だから、私は武蔵の書から芸術を感じるのだと思っている。小難しいことはどうでもいい。私はあらゆることを柔軟に受け止め得る理解力や感性こそが人の心を打つのだと信じているのである。その見本として宮本武蔵を理解しているということなのだ。

 左様、理屈は二の次で結構。批評家や研究者は素人たる鑑賞者の邪魔をしてはいけない。素人の鑑賞眼の一助となれば幸いとの立場を崩してはならないと思う。ましてや、只の“教養人”については言うに及ばない。芸術の鑑賞に程度の差などない。無教養な私たちと異質な世界にいるかのような高慢な態度は滑稽にしか見えないことを知るべきだ。敬虔な仏教徒の中にも、哲学的な共感を以って受け入れている人もあれば、ただ頓(ひたすら)に仏の慈悲や高僧の遺徳に縋(すが)る人もいる。その何れもが仏を信じている。それで結構なことだ。信仰は教養で支えられているのではない。単純に信ずる心に過ぎない。無信心な私が信心深い仏教徒であった祖母を敬愛する理由もそこにある。芸術も然りだ。芸術は鑑賞されてこそ価値がある。批評されても価値が増すことなどありはしないのだ。
 ムソルグスキー氏の作品からとんでもない議論に発展してしまった。ムソルグスキー氏も草葉の陰で苦笑いしていることだろう。だが、この点についてはぜひともご容赦願わねばならない。何でも習わなければ気の済まない若者と、何でも文句を付け教訓を垂れなければ気の済まない大人たちが溢れている世の中で、目を白黒させている私の困惑に免じてお許し願いたいのである。兎にも角にも、各個人の感性を大事にしたいものである。それこそが萎縮した現代を伸びやかに矯正する唯一の手段だと、私は信じて疑わないからだ。

(2004年6月26日)


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カラス何故鳴くの

 5月の中旬ごろにカラスの巣を見つけた。最近では東京を始めとした大都会の市民権を得たかに見えるハシブトガラスの巣である。つい最近カントウタンポポの群生地となっている神社のことを書いたが(「タンポポ」、2004年5月7日)、まさにそのタンポポが咲き誇っていた斜面にたった一本だけ生えている杉のてっぺん辺りにあったのだ。杉の木は一本だけだが、その周りにはサクラやイチョウやニセアカシヤがあって、それらの樹木の上部の梢を簡単に見通すことは出来ない。何故そんな見通しの悪い場所にかけられたカラスの巣を見つけることができたかと言うと、親ガラスが発した警戒音のお蔭なのである。“雉も鳴かずば打たれまい”の実例をカラスが演じて見せてくれたということだった。尤も、私にはカラスに危害を加える意思は毛頭ないのだが・・・

 在来種のタンポポの発見以来その神社が気になって、早朝必ず立ち寄ることにしたのであった。その当初からカラスの鳴き声には気付いていたものの、神社の様子や周囲の状況に意識を集中させていたので、カラスに注目することはなかった。さて、その神社だが、神社の沿革を示すようなものは何もなく、ただ、石段の下に“S神社”と彫り込んだ石柱が立っているだけだ。その石柱は明らかに最近になって作られたものだが、石造りの鳥居の一部は結構年季が入っている。石の額に祭神の名は刻まれているが、“S大明神”という神社名に大明神をくっつけただけの素っ気ないものだ。ただ、鳥居に“天保二辛卯年九月吉日”と記されているので、この神社が1831年あるいはそれ以前に建てられたことだけははっきりしている。
 社自体は近年になって建て替えられたらしくて新しい。拝殿の中を覗いても由緒を窺うヒントになるようなものも見当たらない。祭壇と埃と、何故か賽銭箱しか目に入らないのだ。ただ、境内の一角に40年ほど前に立てられた石碑があって、その碑文には「此処には古い井戸があり、その水を利用する簡易水道組合があったがその地域にも本格的な上水道設備が整えられたことによりその組合が解散された」とある。碑文に続けてその組合員の名前がずらりと書いてあるが、その姓の大半は同じで、上代には蛇を表すとされた音(おん)と“井”という文字を含んでいる。“S大明神”というのは蛇身の水神ではないかと推察できる。少なくとも、典型的な原始神道の神様だと断定しても間違いはないだろう。
 周囲を見渡すと、すぐ近くには割合に大きな川が流れており、大昔にはその神社の辺りまで川が蛇行していただろうと思える地形である。川の流れが大きく変化して退いても、もとは川底であったところから水が湧いてもおかしくはない。私の中では、S大明神は水神様で決まりである。また、配置は奇妙だが、境内の一角には道祖神を祀る石があり、更に、二つの小さな祠もある。一つは、意味不明ながら、細長い二つの石が素っ気なく祀られている。原始神道によく見られる形態だ。もう一つはお稲荷さんである。奇妙な取り合わせに見えるが、上代に今来の渡来人が多く送り込まれた関東のことだから、自然石を神座(かみくら)とした在来の古い社に渡来神であるイナリが祀られていてもおかしくはないかもしれない。それに、イナリは本来ミケツカミ(食べ物の神様)の一つだ。農耕の基礎をなす水の神との相性は抜群なのだ。因みに、このミケツカミ(御食津神)を“三狐神”と当て字されたためにイナリは狐に付会されたとの説がある。
 また、私の地形に関する考察が正しければ、そこには川沿いの街道が通っていたであろう。ならば、そこに道祖神が据えられていても奇妙ではない。道、特にその分岐点は人とともに異界のものや悪鬼が往来する。昔の人々は、現代のような見世物ではない悪霊や魔物の侵入を防ぐために道祖神を本気で祀ったのだ。それらの配置や向きがおかしいのは、道路や住宅地の開発で地形が変わったことに加えて、社の手入れの際に適当に動かしたことによるのだろう。

 おっと、カラスが何処かへ飛んで行ってしまいそうだ。話しを主題に向け直そう。そんな不可思議な神社なのであれやこれや想いを巡らしていたのだが、そんな思考の隙間にあって、ふと騒がしいカラスの鳴き声が警戒音であることに気付いたということなのである。生物学を学んだ者の性というべきであろうか、近くにカラスの巣があることを知ると、その所在を突き止めたくて仕方なくなってしまった。神社の考察は後回しにして、カラスの巣の探索に取り掛かったのである。と言っても、それは極めて簡単な作業だ。自分の位置を変えてカラスが何処で警戒音を発するか見定めればいいだけのことなのだ。
 カラスと自分を結んだ複数の直線の交点が杉の木らしいとめぼしが付くと、後はその杉の木を仔細に観察すればいい。あれやこれやの木の枝が遮る狭い視界から観察してそれらしい影を見つけた。時折テレビジョンのニュースで見る東京のカラスの巣とは違って、針金ハンガーなど一つも使っていない。何処から見ても、枯れ枝だけで作られていることは明らかだった。巣を見つけたからには雛の存在も確認したいと思うのが人情だ。翌日は、その杉の木の真下あたりで身動きもせずじっとしていた。暫くすると、親鳥も警戒を緩め、雛の鳴き声が聞こえてきた。一羽ではない。少なくとも二羽、あるいは三羽かもしれないと思われた。もう、五月の末になっていた。
 雛の存在を確認してから2、3日後のことだった。親ガラスのうるさい警戒音の発し方がいつもとは違っていた。私の位置と巣の位置からでは説明できない場所に陣取って鳴いているのだ。雛が巣立ったに違いない。そう判断した私は、親ガラスの動きを丹念に観察した。その結果、直ぐ近くの電線の上に小柄なカラスを発見した。キジバトよりはかなり大きいが親に較べれば遥かに小さく且つ痩せている。首を竦(すく)めた感じでカラスに特有のあつかましい様子が全く感じられない。真下から見ると、嘴の付け根辺りがまだ黄色っぽい。泣き声もか細い。「ガーガー」ではなく「ワーワー」と聞こえるのだ。間違いなく巣立ったばかりのようだが、若鳥は一羽しかいない。残りは未だ巣立っていないようだった。
 巣立った若鳥と巣に残っている雛の両方に気を配っている所為か、親ガラスの動きが忙しない。電線の被覆をコツコツ突いたり、木の小枝を嘴でへし折っては下に落としたりする。カラスは普段でもそのような悪戯をするが、遊びでないことは明らかだった。あまりに頻繁にその行動を繰り返すのだ。子供を守るというよりは私に対する嫌がらせのように思えて、自ずと苦笑いが込み上げる。私の存在がよほど気に食わないのであろうが、私の好奇心を満たすためには暫く辛抱してもらわねばならない。「悪いね」と一声掛けたが、カラスには通じる筈もなかった。
 二日後、弱弱しい若鳥の姿が二つ増えた。やはり、雛は三羽だったようだ。先に巣立った一羽には心成しか多少キリリとした感じを覚える。野生動物の成長は早いのであろう。それに較べて、遅れをとった二羽は頼りない。特に、より小さな方は木の枝にとまっているのがやっとのようで、全く動こうとしない。助けてやれるものなら助けてやりたいというのが正直な心情ではあるが、それは自然の摂理に反する。実際、その摂理はカラスの社会にも当てはまるようで、三日すると親ガラスの姿が見えなくなった。何処へ行ったのか分からないが、やや遠方から聞こえていたカラスの声も聞こえない。そこら辺り一体の親ガラスが何処かへ行ってしまったのだ。私の観察対象は小さな三羽の子ガラスだけになってしまった。それは不気味に静かな朝だった。
 翌々日ぐらいからカラスの数が増えた。親が戻ってきたのではない。明らかに若いカラスが移動してきたのだ。神社の境内付近に七羽ほどいたのだが、私が観察を続けている三羽以外も、しっかりはしているが未だ幼鳥と呼ぶべきであった。喧嘩をするでもなく、助け合っている風もなく、ただ其処にいるといった様子である。それにしても親ガラスは何処に行ってしまったのだろう。このまま帰って来ないのだろうか。私はどう判断すべきか迷っていたし、また、心配であった。三羽の兄弟たちのうちの一羽が弱っているように見えたからだ。最初に巣立ったお兄ちゃん(お姉ちゃんかもしれないが)は活発とは言えないが其処此処を飛び回り、時折は地面に降りたりもしている。もう一羽も大人しいが未だ弱っているようには見えない。ところが、残りの一羽はどう見ても正常ではない。枝にとまってじっとしているのだが、翼がきっちり畳まれていない。その力を失っているかのように翼が乱れているのだ。
 親が居なくなって三日後に、その弱った子ガラスは死んでしまった。朝、神社に行くと、彼(或いは、彼女)がいつもとまっていた木の下に死体が落ちていたのだ。私は、その死体をそのままにしておこうと思った。野生動物の死体は自然に任せて処理した方がまさしく自然だと考えたのだ。しかし、一旦神社から引き上げたものの、直ぐにシャベルを持って神社へと引き返した。結局、その子ガラスを埋めてやったのである。自然観察者としては落第だと思うが、現役の生物学の研究者ではないことだし、少々なら情に絆(ほだ)されても許されると勝手な理屈を捏ねた挙句であった。
 このままではもう一羽も死んでしまうのではないかと案じられたのだが、案の定、翌日は地面に降りてしまって弱弱しく跳ねている。近づくと茂みへと逃げるのだが、本気で捕まえようとすればできなくもないと思えるほどに動きが鈍いし、上手に飛ぶこともできない。翌日はもっと弱っていた。潅木の枝にとまってじっとしている。手を伸ばせば届く高さだった。私はよりよく観察するためにその木に近づいた。その時だった、背後に“殺気”というと大袈裟だが明らかな気配を感じて身を低くした。視界の端にカラスの姿がチラリと見えた。私の頭上を掠めてから再び舞い上がり、近くの電柱にとまって私の方を見ている。親ガラスが帰ってきていたのだ。見回すと近くにつがいのもう一羽もいて、それも私のことを気にしている。私がそのままの位置をキープしていると、再び襲ってきた。その後も急降下攻撃を幾度か繰り返した。私は子ガラスの様子を確かめる必要がないことを悟り、その場を離れた。
そ れ以後も、親子四羽のカラスは小さな社の境内近辺で暮らしているようだ。弱っていた子ガラスも元気になった。親が餌を与えたとしか考えられないが、その現場を見た訳ではないので断言することはできない。それを敢えて確かめようとは思わなくなっていた。左様、私はもう彼らの観察をやめてしまったのだ。そのうち、親か子かあるいはその両方が新天地へと飛び立つのであろうが、それを見極めようとも思わない。散々彼らを苛々させたに違いないのだ。だから、これ以上彼らの邪魔をするのは止めようと思ったのである。

 随分前のことだが、童謡“七つの子”の出だし部分の「カラス何故鳴くの」に対して「カラスの勝手でしょ」と切って捨てるギャグで馬鹿受けしたお笑い芸人がいた。私は滑稽さよりは不快感を覚えたが、このギャグが流行った底流には“七つの子”という歌を誰もが知っているという事実が横たわっている。その中に「かわい、かわいと鳴くんだよ」という一節があるが、ここでお話した私の観察からすると、これは事実と異なるようである。カラスの鳴き声の多くは仲間に敵の存在を知らせるものや敵を威嚇するもののようであるからだ。勿論、それら以外の鳴き声もある。つがい同士や親子で鳴き交わす場面を見ない訳ではないのだ。だが、「カラスは何故鳴くのか」という問いの答として「子供を可愛いと言うからだ」とは到底言えない。
 こんな憎まれ口をたたいていると、ただでさえ変わり者の偏屈親父で通っているのに、益々人様から嫌われてしまいそうだ。私とて詩人の情感が理解できないほどの朴念仁ではないのだと声を大きくして宣伝しておかなければなるまい。ただ、昔とは状況が変わってしまったことを考えなければならないと思うのだ。カラスが山と里とを行き来する時代であれば、カラスの鳴き声も長閑(のどか)に聞くことができただろう。しかし、カラスがヒトの残飯を漁るためにヒトの領分に腰を落ち着かせてしまった今日では、カラスとヒトとの過度の接触による鳴き声ばかりが聞こえてくる。とてもではないが、その昔の詩人のような感覚でカラスを見ることはできないだろう。尤も、こういう屁理屈を捏ねているのは一方的にヒトの側なのであって、カラスは彼らの本能に従って餌を求め子を育てているに過ぎない。そんな当たり前のことを頭の中だけではなく腹の底で感じた日々であった。

 ところで、尻きれトンボになった神社の話にもケリをつけておかなければこの話を締め括ることができないであろう。カラスが棲むべき山が失われたように、神々も安住の地を失いつつあるように思える。社や鳥居にめぐらした注連縄(しめなわ)はビニール紐であり、紙垂(かみしで)も殆どが千切れ飛んでいる。謎の小石と稲荷が鎮まる祠は鋼鉄製で、その中では陶製の狐殿がオトトイの方向を向いてひっくり返っている。これでは悪鬼・夜叉の類であるはずの荼吉尼天(だきにてん)も形無しである。稲荷の大元締めの伏見稲荷を祀ったと伝えられる秦公伊呂具(はたのきみのいろく)も草葉の陰で憮然としていることだろう。
 そんな境内でつい最近植えられたらしい花を数株とはいえ目にできるのは何よりの慰めだ。老婆か幼い子供の仕業であろう。移植の技術など気にしていない。ただ、手向けの心根のみを感じる植え付けである。神々を必要とする農業や地域共同体が崩壊しつつあるが、ヒトの心に自然と馴染む純朴な心が残っている限り、神々は垂(しで)の外れたビニール紐の注連(しめ)と鋼鉄の祠の内にでも満足して鎮まっていることであろう。私は、カラスの観察を打ち切った時、その神社の探索もお仕舞いにしようと思った。由緒不明の水神と豊穣の神たるウカノミタマノカミを祀る稲荷と辻辻からやってくる災厄を防ぐ障の神(さえのかみ)たる道祖神が同居する小さな社も、人の世のうつろいに従って今後更に変化していくことだろう。だが、カラスの親子の行く末と同様に、その変化を見届けることを私には許されていないと思ったのだ。実は、ヒトの心のうつろいは見たくないというのが本音なのかもしれないと感じながらも、そんな風に結論付けたのだ。

(2004年6月13日)


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遵法精神

 民主主義を基本とした法治国家では、国民が法を守ることが何よりの基本であることは言うまでもない。基本といえば、三権分立も歴史的に確立した民主主義を守る基本の内の一つであり、遵法精神にも大きく係わっている。法を作り、その枠内で国を統治し、法そのものを司るという国家作用における大きな三つの権力を独立あるいは分散させることが、独裁的な権力の掌握を阻止する決め手となる。そのことを長い時間をかけて人類がようやく学んだ結果が三権分立という概念なのである。この三権分立の制度が確立していないと遵法精神が報われることもないと断言していい。法を擁護する権力が法を作りまたそれを施行する権力から分離されていないと、法は支配の道具としてのみ機能する。即ち、法解釈が恣意的に行われ、法を律儀に守ったつもりでも違法だと罰せられたり、逆に、違法行為で不利益を被ったと訴えても取り合ってもらえないという事態が生じる。そんなことでは、法を守っても庶民の利益にはならないということになり、誰も法を守ろうとしなくなるからである。
 私たちの日本国は民主主義を基本とする法治国家だと学校で習ったが、その割には、法を守る姿勢が希薄であるように感じられる。法に限らず私的なルールについても同様だと思う。何故だろう。法を守っても国民の利益にならないのであろうか。即ち、私たちの国が民主主義国家であり法治国家だというのは幻想にすぎないのだろうか。はたまた、遵法精神に欠けているというのが単なる私の思い過ごしなのであろうか。その辺について、国家の末端に位置する庶民として日常の出来事から考えてみたい。

 私は20年以上に亘ってアメリカ資本の巨大企業に勤めていた。その会社ではナショナル・ロウあるいはそれに準ずるレギュレーションに対するコンプライアンスは完璧であった。その当時を思い出したため英語の単語が並んでしまったが、早い話が法やその他の公の規制は悉(ことごと)く守られていたのである。社内ルールがアメリカ合衆国及び日本国の法以上に厳しかったのだから、社内ルールを守っていれば法を犯すことは絶対になかったということだ。アメリカで会社のミスによって事故や社員の不利益が発生すると、直ちに会社は社員から訴えられるし裁判になれば会社側の敗訴は確実だ。法を完全に遵守するのは、社員を守るためでもあるが、会社自身即ち株主の利益を守ることが主たる目的のようにも見える。動機はともあれ遵法精神という点では見事であった。
 会社にとどまらず、アメリカの社会では概して日本より遵法意識が高いようだ。勿論、統計データから明らかなように、国全体では、犯罪の発生率は日本より遥かに高い。それは国民の二極化が極端に進んでしまっているからだ。国民が大きく二つの階層に分化しているということである。下層はアウトローの集団と言ってもいいくらいに荒んだ社会だが、上層の純朴な市民は決してそうではない。上層の中でもほんの一握りのスーパーリッチについては知る由もないため観察対象から除外されるが、私がここで遵法意識が高いと評したのはこの上層に属する善良な人たちのことだ。当然のこと、比較の対象は日本国民の大多数を占める自ら を“中流以上”と 評価している善良なる市民としなければならないだろう。
 単純なところで、交通ルールに対する態度を見てみよう。アメリカでは州によって交通法規に多少の違いがあるが、そういう細かいことは抜きにして話を進めたい。また、先ほども指摘したが、法など完璧に無視する無法者も多くいることは承知の上で、アメリカ合衆国の良識的な人々に的を絞った観察結果だということを再度強調しておく。
 フリーウェイでは猛スピードの車を多数目にするが、普通の住宅街でスピードを出し過ぎている車を目撃したことは無い。遠く離れた小さな町々を結ぶ州道は歩道などないし、路肩は舗装すらされていない。畑や牧場の間を嫌というほど走ってやっと小さな集落を通り過ぎるのだが、そんな場合、スピード制限が集落前で頻繁に変わる。時速45マイル(時速70Kmちょっと)から時速35マイル(時速55Kmちょっと)になり、更に時速25マイル(ほぼ時速40Km)に落とされ遂には時速15マイル(時速25Km弱)になる。民家が一軒しか見当たらないようなところでも例外ではない。小さな集落では人の姿が全く見えない場合がほとんどだが、その制限時速を守っていない車を私は見たことがない。
 そんな果てしない一本道のように思える道路にも交差点はある。信号機がついているのは街と呼べる集落の中だけで、郊外では“STOP”の標識すらない交差点もある。右も左も遥か彼方まで見通せるそんな四辻で、脇道からやって来た車は必ず一旦停止する。しかも、停止時間が長い。これでもかと言う位に安全確認を行っている。また、たまには黄色いスクールバスの後ろにつくこともあるが、スクールバスが停止してもそれを追い越していく車はない。ここで降りた子供の家はいったい何処にあるのだろうと訝るようなだだっ広い牧場の脇で、バスから降りた子供の姿がしっかり確認できる場合でも、後ろについた車はスクールバスが動き出すまで我慢強く待っているのだ。
 日本ではどうだろうか。歩道の無い道路を小学生が歩いていてもスピードを落とさずに走り抜ける者も多い。“一旦停止”の標識が掲げられている見通しの悪い(日本の街中の交差点で見通しがよい処など無いといってもいいくらいだ)交差点をただのカーブであるかのように曲がっていく命知らずも決して少数ではない。スクールバスだろうが乗り合いバスだろうが、大型車が停車すると後続車は平気な顔をして追い越していく。たとえセンターラインが黄色の(追い越し禁止の)片道一斜線の道路であってもお構いなしである。
 このアメリカと日本の交通マナーの格差は何に起因しているのだろうか。私が勤めていた会社の話で出て来たようにアメリカが訴訟社会であることも一因だろう。交通事故など起こせば裁判沙汰になることは必至だし、負ければとんでもない額の損害賠償金を取られる。交差点では左右を何度も見て安全をこれでもかと確かめたくなることだろう。国土の広さも関係しているかもしれない。あの広大な大陸で一秒を惜しんで突っ走ろうとは誰も思わないが、信号だらけの島国では一つでも多くの交差点を止まらずに通り越したいと思う。そんな側面も否めはしないだろう。だが、私にはそれらだけが原因だとは思えない。
 アメリカは植民地時代に宗主国と戦争をして独立を勝ち取ったという歴史を持つ移民の国である。その引き金の一つとなったのは宗主国の身勝手にして一貫性の無い関税についての法律を押し付けられたことだ。市民の利益に反する法には武力をもって立ち向かったのである。独立後も、そのことの是非はともかく、植民者たる彼らとは異なる社会秩序を持つ先住民と戦い、銃を片手に無法地帯を開拓して生活の場を築いてきた。国民の多くの先祖は、法など無い時代には自らの実力で自らの安全を守り、そうこうするうちに自ら法を作りそれを執行することによってより安全な社会勝ち取ってきたのだ。そのような国の成り立ちが彼らの法に対する態度を形成した大きな要素だと考えられる。
 自ら法を作った者は何故その法が必要なのかを知っている。その法が必要だからこそ自分で作ったのだから、この点に疑いはない。また、自らの意志で作った法は自(おの)ずから守って当然のものと理解される。また、その法を未発達な社会において執行する上で多くの過ちを犯し、三権分立の必要性を思い知ったのである。世界中で最も三権分立の精神が生きているのがアメリカの憲法だと言われる所以(ゆえん)であろう。ところが、日本では古くから法がある。大宝律令の成立が西暦701年であり、その後まもなく養老律令に引き継がれて律令制による統治が定着している。しかも、それは専制君主たる天皇の統治を徹底させるために中国の制度を真似ようとの“お上”の意思によるものであった。庶民には何のことやらさっぱり分からぬ内に一種の“法治国家”の仲間入りをしてしまったのだ。庶民は法の目的とは無縁であり、三権を一手に掌握する絶対的な“お上”から法を守ることのみを頭ごなしに求められたのである。
 その後の歴史の推移の中でも、庶民が法の策定に関与したことはない。厳密には、日本人の多くが民主主義を知り、法は自らが作り守るものだということを学んだのは第二次世界大戦後ということになる。日本人は、1300年近くに亘って“お上”の法を一方的に押し付けられる立場に置かれ続けたのである。これでは法の作られた意義を知ろうとする態度や法を自主的に守ろうとする意識を養うのは困難だ。遵法精神は、ただ、お上による罰を恐れるが故の従順さでしかないのだ。

 更に、根本は同じかもしれないが、些か赴きの異なる側面についても考えてみたい。3年ほど前のことだが、とある中小企業の社長さんと食事をすることになった。ウェイターが「お飲み物は?」と注文を促したとき、その人以外の者は全員「車を運転しますので」とアルコール飲料は注文しなかった。だが、その社長さんは一人でビール大瓶を3本ばかり飲み干してしまった。私は当然のこととして車は置いていくか代行運転者を呼ぶものと思っていたが、なんと「自分で運転する」というではないか。私は元神経生理学の研究者として脳生理学の立場からそれがどれほど危険なことかを説明したが、その人はニコニコ笑いながら私の忠告を馬鹿にした態度で無視した。
 それ以降、私はどんなにしつこく誘われてもその人物と食事はしないことにしている。飲酒運転の現場を見たくないというだけではない。そんな人格的に劣った人物と顔を合わすこと自体が嫌なのである。遵法精神に欠けるというだけではない。交通事故を起こせば他人を巻き添えにする可能性が高いと考えるべきなのだが、その人はそんな単純にして当然のことに思いが至らないということなのだ。己を過信しているのみならず他者への配慮が全く欠如していると判定せざるを得ない。自己中心的にして高慢な匹夫と付き合うほど私は零落れてはいない。だから、絶対に誘いにはのらないのである。
 これもとある中小企業の社長の話だが、そこに勤める私の知人が機械に挟まれて指を潰してしまったことがある。手術を受けて、機能的にはいざ知らず、形態的には回復する目処がたった。主治医はリハビリも入院していた方が効果的だから最低でも一ヶ月入院していろと勧めたらしい。だが、中小企業のこととて、彼は5日で退院せざるを得なかった。退院に際して、医師は「絶対にタバコを吸っている人に近づくな」と言ったそうだ。ニコチンには強烈な血管収縮作用があるのだから、この厳命は当然のことである。ペッチャンコに坐滅した指を整形したのだ。回復には損傷部位への充分な血流が必要なのである。原因がタバコであれ何であれ、抹消血流が悪くなれば、下手をすれば、せっかく整復した指が壊死してしまう。
 友人は周りの人にその旨伝えて協力を要請した。一般の労働者諸氏は彼の姿を認めると大急ぎでタバコをもみ消したそうだ。しかし、ただ一人その会社の社長という人は、「怪我の具合はどうですか?」と“労り”の言葉を投げ掛けつつ、彼の前でも平気な顔をしてタバコを吹かし続けたという。どんな人物か知らないが、まともな神経の持ち主でないことだけは確実だろう。医学的な知識がなくて知人の説明が理解できなかったのだろうか。いや、そんなことは考えられない。怪我人本人が医者の指示として説明しているのだ、医学的な知識が無ければ却ってどんな事態になるか分からず、想像もつかない悪い結果を恐れてその指示を守ろうとするのが普通の素人の反応だと思う。
 このタバコの件は違法とは言えないが、当然のこととして常識人として守るべきルールに従わず他者のことをかえりみないという点において、法を犯す態度と根っこは同じだと言える。その知人の話に拠れば、彼の会社では違法行為が罷り通っているとのことである。品質管理を筆頭として、労働安全衛生、毒物劇物、危険物、その他の雑多な法定点検、等々あらゆる面で“経費の節約”が徹底していてやるべきことが全く放置されているそうなのである。私の独断ではなく、やはり、根っこは一つだということなのだろう。
 さて、ここで二人の人格形成不良の中小企業の社長の話をした理由は既にお分かりのことと思う。この二人に共通していること、即ち、他人のことを慮(おもんばか)るという気持ちの欠如が彼らに非常識な行動を取らせているのだということを指摘したかったのだ。他人の利益や安寧を損なわないというのは社会生活の初歩である。他人と表面だけ和やかに付き合うことが社会人の常識ではない。そんな社会人のイロハを無視するということは、社会に背を向けているに等しい。斯くも社会性が欠落した出来損ないが日陰者のゴロツキならばそれなりに納得もしよう。だが、私が槍玉に挙げている連中は弱小とはいえ社会の中で法人格を与えられた会社の長なのだ。そんな輩が威張って陽の当たる場所を闊歩するのを許している日本の社会は未熟な社会と認識されなければならないだろう。
 左様、日本の社会は明らかに未成熟なのだ。1300年近くの空白の後に起きた明治維新という突拍子も無い政変で表面だけが西欧化し、太平洋戦争での敗戦でその化けの皮が引っぺがされ、「いったい世の中の基本とは何なのだろうか」という素朴な疑問が経済復興・経済発展の掛け声の下で60年に亘って棚上げにされてきた。日本の庶民が自らの社会を築こうとしたことは未だ嘗て無かったと評していいだろう。未成熟で当然なのだ。斯く言う私も社会の子であり歴史の子である。自分自身の認識が、人類が積み上げてきた認識の頂点からどれ程の位置にあるのやらさっぱり分からない。ただ、自らの所属する社会が未熟だと感じるのみなのである。

 こんな状況にあって、私はひたすら社会性を重視したいと思っている。真夜中の車一台人っ子一人いない交差点でも赤信号を守ろうではないかと呼び掛けたい。24時間営業のコンビニエンスストアが其処此処にあるご時勢である。また、夜更かしの幼児や小児が社会問題化しているご時勢なのである。真夜中でも大人に限らず子供ですら飛び出して来ないとは言い切れない。ましてや、真昼間の交通量が多く見通しの悪い交差点ではきっちり一旦停止の標識を守ろうと大声で叫びたい。他人を傷付ける可能性を極力排除するよう呼び掛けたいのである。そんな些細なことが日本人の意識を変えるきっかけに成り得ると信じたいのだ。自ら法治国家を築いた経験のない日本国の庶民にとって、法やその他の社会的なルールを理解する便(よすが)は社会性あるいは人間愛と表現される感情以外には考えられない。それを徐々に高めていって初めて法治国家の民として遵法精神に目覚めることができるのだと思うのだ。
 最近、俄かに沸き起こった議論の末、安易と思えるほどにあっさりと“裁判員制度”が制定された。上に述べた通り、法とはお上から与えられるものだという意識から抜け出すことができていない日本の庶民に俄裁判官になれというのは、私に言わせれば、“途轍もなく無謀な試み”である。裁判員に指名されたある者は“畏れ多いこと”と思い裁判官の意に沿うよう振舞うであろう。また、ある者は“自分が権力者になったかのような錯覚”に捉われて不必要に大言壮語することであろう。また、ある者は“自分には関わりの無いことに引き出されて迷惑”と不満に思いお座なりに済ませてしまうだろう。
 “裁判員制度”よりは“陪審員制度”の方が分かりよいが、何故こんな制度を突然導入したのだろうか。今、「突然」と言ったが、突然ではあるが初めてのことではない。これで二度目なのである。日本でも1923年に陪審法が施行され1943年まで生きていたのだ。1923年といえば、関東大地震の年であり、前年に結成されたばかりの日本共産党の党員を早速ながら大量検挙した年でもある。1925年には普通選挙法と抱き合わせで治安維持法が制定され、1931年には満州事変が起こっている。1933年には国際連盟を脱退し、1936年には二・二六事件が勃発し日独防共協定が結ばれた。1940年には日独伊三国軍事同盟に及び、1941年には真珠湾攻撃に突入した。1942年には東条内閣が衆議院の85%を翼賛政治体制協議会推薦候補で占めることに成功した。しかし、戦争推進派の掛け声とは裏腹に、1943年には太平洋戦争の絶望的な行方が明らかになった。ガダルカナル島やアッツ島の守備隊が“玉砕”し、学徒戦時動員体制が発表されたのである。
 さて、日本で“陪審員制度”が実施されていた上記の時期を簡単に表現すれば、“大正デモクラシーの終焉から軍閥の勃興による民意の圧殺を経て太平洋戦争での大敗までの期間”と言える。そんな時期に存在した“陪審制度”を政府は今この時期に復活させてしまった。日本の歴史的な風土には全然そぐわない制度をまたぞろ持ち出してきたのだ。憲法第九条の無力化が現実的に進行し、その完全な無力化を目指す憲法改正論が具体的に議論され始めたこの時期にである。二大政党体制が既に実現したかのように横柄な態度を取る野党第一党が、事ある毎に、奇妙な言辞を弄しているこの時期になのである(現在只今は、年金問題が影響してやや静かであるが。)そんな今、時代背景のみに拘泥して評価すれば、翼賛政治の下地造りに利用されたのではないかとの疑いすら感じる陪審員制を復活させたのだ。キナ臭い匂いを感じているのは私だけなのだろうか。
 ちょっと脇道に逸れて、上記で触れた二大政党政治について補足したい。前にも述べた通り(「心配性の妄言」、2003年8月23日)、二大政党政治は究極の民主主義的政治形態では最早ありえない。と言うより、歴史的な推移の中で、たまたま民主主義的政治体制の代表となった国々が二大政党政治だっただけであり、それらの国の民主主義も今や危機に瀕していると言うべきであろう。人類は、今、岐路に立っている。新たな民主主義の危機に陥っているのだ。民主主義の代表選手と自認する国の指導者が独裁者の如き振る舞いをしている。民主主義は確立したという大いなる錯覚の中で新しい独裁政治を生もうとしているのだ。“新しい”というのは妥当な表現ではないかもしれない。独裁者は独裁者に過ぎない。歴史的背景の違いによって異なった姿に見えるに過ぎないからだ。
 人類の歴史の中に新規性を求めるのは難しい。有史以来の歴史には繰り返しばかりが目立つ。アフガニスタンおよびパキスタンで、アメリカ軍がアルカイダの頭目であるオサマ・ビンラディンの探索に仲間の裏切りを誘っているかのような多額の賞金をかけているということが報道されている。アメリカにとってはテロリストの総帥であり大罪人だから、捕まえるのに手段は選ばないということなのだろう。そんな状況を見ていて、何処かで読んだことがあるような感じが拭い去れずにいたのだが、つい最近、何処で読んだものかを思い出した。ユリウス・カエサルが書いたと言われている「ガリア戦記」の中に似たような記事があったのだ。
 再度「ガリア戦記」を読んで確かめたが、それは第Y巻(B.C.53年)のエブロネース族の反乱を描いた部分であった。その年も、カエサルは各部隊をそれぞれの冬営地に送ったが、その内のエブロネース族の領内へ送った部隊がガリー人の反乱で壊滅的な打撃を被った。副将のクィントゥス・ティトゥリウス・サビーヌスとルーキウス・アウルンクレイウス・コッタがエブロネース族長のアンビオリクスによって殺され、部隊も壊滅状態に陥ったのだ。それと知ったカエサルは、直ちに討伐に赴き、最終的には味方の損害を避けるため、アンビオリクスとは同じケルト民族(当時の表現では“ガリー人”ということになるが)である他の部族がアンビオリクスを討つように仕向けたとある。  紀元前の出来事とは思えない。人間は今も同じことをしている。唯一の違いは“大義名分”だけであろう。“世界の覇者たるローマの威光を蛮族に示す”ことが“テロリストを一掃する”ということに変わっただけだ。だが、実際には、“自由と民主主義の旗手たる大国の正義を世界中に喧伝し、その影響力を拡大する”ことが目的のようである。しかも、影響力の結果は必ずしも“正義”とは限らない。もっと卑近な“経済”に落ち着くかもしれない。
 全てが私の思い過ごしであればいいと心から願う。だが、あらゆる現実の出来事やあらゆる歴史上の経験が、人類の更に危険な領域への進出の可能性を示唆しているように思えてならない。如何に“新規の”試みが過去の焼き直しであっても、現在まさしく生きて右往左往している私たちにとっては全てが初めての経験なのだ。歴史に学び、想像力で鍛えられた知性が最悪の選択から人類を多少はましな方向の選択へと導いてくれることを期待して止まない。
 停滞した社会では個性的な指導者が人気を博す。しかし、個性的とは、実のところは独善的である場合が多い。民主主義は単純に個性を礼賛したりしない。民意は没個性的で有り触れたものに落ち着くことが多いのである。強烈な個性より凡庸ながら落ち着いた常識が勝ることも知らなければならないだろう。例えば、景気の停滞など放っておけばその内に脱却できる。市場経済では投資家が停滞を放置しないからだ。カネが動く兆候を機敏に捉えては投資に走る。投資家は投資しなければ投資家ではないのだから、これは当然のことだ。タイミングが合えば、政治の世界とは関係なく経済の世界は動き始めるということなのだ。しかし、うっかり経済の建て直しを政治に求めると、没個性的な政治家が今まで手控えていた多くの国民には不利な施策を“個性的な政治家”が実施する口実にされてしまう。経済の復興の手段はそれしかないと自信満々に断言されると、弱気になったものたちは極めて素直にその言辞に従ってしまうのだ。

 収束点のない議論だと批判されそうだ。その前に纏めを書き連ねておこう。最も基本的なことは、人は歴史的な流れの中で培われた意識しか自らの基本にできないということである。次に、人の意識は地球上の生命体の常として緩やかな進化しか遂げられないということも知らなければならないだろう。そして、最後に、だからこそ人は人として持っている感性にそぐう理解を積み重ねることによって共通の概念を確立しなければならないのだ。
 人類というものは人類自身が考えているほど賢い存在ではない。その行動の大半は単純な反射行動の連鎖に過ぎない。知的な精神活動もまた、歴史的もしくは地域的な制約から完全に解放されることは期待できない。確かに、全ての人類は単一の生物種である。コーカソイドもモンゴロイドもネグロイドもオーストラロイドもカポイドも同じホモ・サピエンスの中のちょっと変わったグループに過ぎない。だが、歴史的な隔たりや地理的な隔たりを埋めるのは決して容易くはない。しかし、同時に、それが不可能ではないという信念が揺らぐこともないのだということも強調しておかなければならないだろう。私たちは全て同じ種族に属するのだから、必ずや相互理解は実現する。人類は予測不能な紆余曲折を経ながら然るべきゴールへと向かっているのだ。
 日本人の遵法精神もそんな大きな人類の意識の収束過程の中で理解したいものだ。自国の歴史の所産としての未成熟な部分を全く異なる文化の中で確立された概念や制度で埋めていくことも決して不可能ではない。だが、それが途轍もなく困難なことなのだということも承知しておかなければならないであろう。特に、歴史的に育まれてきた地域共同体の意識が完全に崩壊し大多数の国民から支持される社会規範を失ってしまった我が国では、新たな秩序を作り出すことは実に困難な大事業なのだということを自覚しなければならない。為政者たちがそれをどの程度認識しているのかは大いなる疑問の中にある。
 私は政治の場とは異なる場から秩序の回復が実現されるだろうと予想している。それが何であるかは未だ分かっていないが、幅広い知識と深い考察を常としている人々による運動が原動力になるだろうと思っている。その昔、生態学者は環境問題から逃げていたが今では積極的に関与している。混乱状態を利用しようとする腹黒い連中を抑えこみ、真に有徳の有識者が動き出すことを予感し、また、心から期待している。

(2004年6月2日)


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「ホエイパウダーって何だろう?」に始まって

 以前、渋々ながら通わなければならないスーパーマーケットで、暇を潰すために加工食品の成分表示などを丹念に読むことを述べた(「スーパーマーケットの暇人、暇にまかせて物申す」、2003年9月2日)。その毎週欠かさず行っている習慣(最早、習癖というべきかもしれない)の中で、最近気付いたことがある。乳加工品の原材料欄に“チーズホエイ”とか“乳清蛋白質”とか“ホエイパウダー”とかと表記されている製品が矢鱈と増えたような気がするのだ。このような乳清を原料にしているらしい乳製品など、やや覚束なくなってきた私の記憶ではあるが、つい先ごろまで見たことも聞いたこともなかったと思う。乳加工品の原料となる粉末乳製品は専ら脱脂粉乳であったように思うのだ。
 さて、その“チーズホエイ”とか“乳清蛋白質”とか“ホエイパウダー”という物だが、多分ほとんど同じものだと思っている。ホエイ(乳清)というのはチーズを作るために乳を凝乳酵素あるいは酸で処理した後の上澄み液のことだ。因みにチーズの原料となる固形物(凝乳)の方はカードと呼ぶ。従って、“チーズホエイ”を文字通りに理解すると、液体状の乳清そのものということになるが、チーズ工場以外で取り扱いの難しい液体を乳加工品の原料にしているとは考え難い。“チーズホエイ”も乳清を取り扱い易い固形あるいは粉末にしたもの、即ち、“ホエイパウダー”とほぼ同類のものだと推察するにはそういった理由があるのだ。それにしても、乳清製品を様々な表現で表示しているのは些か不可解である。
 調べてみると、日本の法律では三種類の乳清製品を“乳製品”として認めていることが分かった。“濃縮ホエイ”と“ホエイパウダー”と“蛋白質濃縮ホエイパウダー”の三つである。“濃縮ホエイ”は乳清を乳固形分が25%以上になるよう濃縮して固形物にしたものだそうだ。即ち、固形物ではあるが粉末ではない。“ホエイパウダー”は乳清の水分を固形分が95%以上になるまで除去して粉末にしたものだ。“蛋白質濃縮ホエイパウダー”は乳清から乳糖を除去した後に“ホエイパウダー”と同様に粉末化したもので、乳蛋白質が15%以上、80%以下のものをいう。
 となると、“チーズホエイ”とか“乳清蛋白質”という呼称は、日本の法律では乳製品としての乳清製品の正式名ではないということになる。強いて解釈すれば、“乳清蛋白質”は“蛋白質濃縮ホエイパウダー”のことで、“チーズホエイ”はただの“ホエイパウダー”のことだと想像できる。そこで、法律の枠から離れて更に調べてみると以下のことが分かった。“チーズホエイパウダー(CWP)”という言葉もあるにはあるが、通常取り扱われているのは“WPC(Whey Protein Concentrated)”と呼ばれているものだと判明した。しかも、業界人は乳清の粉末製品を何でも“WPC”と呼ぶ癖があるらしい。つまり、日本の法律に照らせば“蛋白質濃縮ホエイパウダー”が食品業界で専ら取り扱われている乳清製品だが、普通の“ホエイパウダー”でも“WPC”と呼び習わされているらしいのである。
 ついでに、申し上げておくが、“蛋白質濃縮ホエイパウダー”は乳清から乳糖を取り去ってから粉末にしたものと法律では定義されているが、それは完全に乳糖を除去するという意味ではない。実際、蛋白質の含有量は15%〜80%と幅広く規定されている。牛乳中の乳糖量は蛋白質量の1.5倍だから、この大きな蛋白質含量の違いをもたらすのは乳糖の除去率に他ならない。従って、“蛋白質濃縮ホエイパウダー”の中にも大量の乳糖が入っていることを承知しておかなければならないのだ。
 ところで、チーズを取った残りに蛋白質がどれほど残っているのかと訝しく思われる向きもあろうかと思うが、乳清の中にも結構な量の蛋白質が残っているのだ。それは先人たちも承知していたようで、イタリアでモッツァレラチーズを作った後の乳清からリコッタチーズを作るということが行われていたことからも理解できる。リコッタ(ricotta)とはイタリア語で“再び加熱した”という意味で、乳清を再度加熱して蛋白質を凝固させるチーズの製法から名づけられたものだという。イタリア語の“リ(ri)”は英語の“リ(re)”に同じで“再び”の意であり、園芸好きの諸氏が好むテラコッタの植木鉢の“テラコッタ”は“素焼き”即ち“土を焼いたもの”ということから分かるように、“コッタ(cotta)”というのは“加熱した”を表す“コット(cotto)”の女性形なのである。
 チーズの語源の話などどうでもいいので打ち切るとして、このWPCなるものが流行り始めた理由について考えてみたいと思う。が、その前に、粉末の乳製品が発明された理由について申し述べておく。実に単純明快である。乳は腐敗しやすい。だから、日本では乳の処理や加工については食品衛生法に加えて特別な法律が作られているのである。乳についてのこの小うるさい規制がないと、食中毒の件数は途轍もなく増えることであろう。さて、腐敗しやすいものは保存が難しい。保存し難いものは安定的に供給することも困難だ。だから、余った乳を粉末にして長期保存に耐えるようにする技術が開発されたという訳である。そのような牛乳まるごとを粉末にしたものを“全粉乳”と呼ぶ。スーパーマーケットでこの“全粉乳”を見掛けたことはないし、こんなものがあることを知らない人だっていることだろう。当然のことだ。“全粉乳”は決して安くない。同じ程度の対価を支払うなら、わざわざ粉乳を買わなくても普通の牛乳を買った方がいいに決まっている。だから、売っていないし、売っていないのだから一般の消費者に知られることもない。
 一方、“脱脂粉乳”は私が子供だった頃の(即ち、半世紀ほども前の大昔ということになってしまうが)学校給食で日本でもお馴染みとなり、今となっては知らない人はいないことだろう。現に、何処のスーパーマーケットでも売っている。価格は、脂肪分は別にして他の成分をほぼ牛乳程度の濃度の飲み物にした場合、普通の牛乳よりほんの少し安いか同じ程である。もっと安くてもおかしくはないと思うのだが、ダイエットに必要で常に需要があるからだろうか、案外に安くはないのだ。脱脂粉乳はヘビークリームを遠心分離した残りの脱脂乳を粉末にしたものである。クリームの製造に際しては牛乳を温める、従って、脱脂乳は特に傷み易い。利用するには粉末化することが必須なのである。私は、だからこそ安くてもいいと思っている。作るのにエネルギーと手間は掛かっているが、クリーム製造の副産物に過ぎないのだ。
 他方、WPCの価格はというと、脱脂粉乳よりは格段に安い。脱脂粉乳の蛋白質量は全重量の34%だが、これと同程度の蛋白質を含むWPCで、脱脂粉乳のおよそ6割程度の値段なのである。先に指摘した通り、脱脂粉乳もWPCも蛋白質以外はほとんど糖質であり、何れも脂肪は含んでいないので、乳加工品の製造にとって脱脂粉乳とWPCとに大差はないと言っても過言ではない。しからば、価格の安いWPCを用いない手は無い。そういうことでWPCが使われ始めたということなのであろう。
 勿論、WPCが乳加工品の味にどのように影響するかも問題だ。食品業界にいる友人からWPCを入手してちょいと実験してみた。脱脂粉乳と味比べをしてみたのだ。その結果、WPCには脱脂粉乳特有の嫌な臭みがないことが分かった。ただし、ミルク臭さは脱脂粉乳以上だと思った。即ち、牛乳風の飲み物を作ると、脱脂粉乳のみの場合は非常に臭い。正しく昔の給食を彷彿させるのだ。しかし、脱脂粉乳に適量のWPCを混合して水に溶かすと、その臭みが消えて非常に飲みやすくなる(と私は思った。)という訳で、味の上でもWPCの使用に問題はなさそうなのである。

 ここで、疑問が生じる。値段が安く味も悪くないのに、何故いままで使われなかったのだろうかという素朴な疑問である。だが、私は、調査するまでもなく、確信に近いこの疑問に対する回答を思い浮かべていた。それを確認するために、WPCを入手してくれた友人にその原産国を調べてもらった。答えは私の予想通りだった。日本に輸入されているWPCのほとんどはアメリカ産らしいのである。チーズで有名なフランスやイタリアやスイスではなく、また人口より家畜数の方が多い酪農王国オーストラリアでもなく、アメリカなのだ。
 私は、WPCを開発したのはアメリカでそれを大いに販売したがっているのだろうと予想したのであるが、それは図星であったようだ。アメリカ国内での消費には限度がある。生乳(生の牛乳)の供給は安定しているし、需要も安定しているからだ。乳加工品の保存原料であるWPCを大量に必要とする下地はアメリカ国内にはないのだ。しからばということで、輸出先を探すことだろう。客として先ず目を付けられるのが日本であることは極めて自然な成り行きだ。酪農はさっぱり振るわないし、乳製品は高く売れる。もの珍しいものには飛びつく性癖があるし、付和雷同しやすい。日本でのプロモーションが成功したらびっくりするほど売れるに違いないと思われても不思議ではない。それが予想の根拠である。
 事実かどうか詳しく調査した訳ではないが、私は単純に上に述べた考察は正しいと信じている。WPCの殆どがアメリカ産だという情報をくれた友人が参考にと送ってくれた資料が有力な根拠になった。The U. S. Dairy Export Council(アメリカ乳製品輸出協会)というアメリカの業界団体のニューズレターなのだが(英語版だけでなく日本語版もばら撒かれている)、このところ毎号に欠かさずWPCについての記事が大きく取り上げられている。アメリカの酪農業界がWPCの輸出に重点を置いていることは間違いなさそうなのだ。
 勿論、仕掛け人は日本の商社だということも有り得る。南の島の南瓜にアフリカの蛸に東南アジアの養殖海老に中国の野菜や松茸、みんな日本の商社や商人の陰謀とも思える戦略で導入されたものだ。アメリカの業界団体は日本の商社の尻馬に乗っただけなのかもしれない。だが、日本の一般消費者にとってはどっちでも同じことだ。知らぬうちに外国産の食材が食卓を埋めるという現象に歯止めは掛けられそうにないからだ。
 それもこれも日本の食糧自給率の低さに起因している。エネルギー量だけで考えても、国産の食料だけでは国民の半数以上が餓死することになるほど低いのである。江戸時代の人口は、250年の間ほぼ変わらず、約3,000万だったそうである。農業技術の向上を計算にいれても、1億を遥かに超える人口を国内で生産する食料だけで養うのは土台無理な話なのだ。この事実は、その昔に手近な中国大陸に植民地を求めた理由でもある。
 狩猟採集時代には人口の増加はほとんど無かった。人類がその数において膨張を始めたのは農業が定着してからである。即ち、食料の安定的な供給と備蓄が人口増加の条件だったのだ。人口が爆発的に増加すると新たな食料生産の土地を求めて一部の人々は移動を開始する。逆に、気候の変化や人口の急激な増加で食料が不足した場合にも、より豊かな土地を求めて民族規模での大移動が起こる。それが地理的な制約で出来ない場合には人口の停滞、即ち、定期的な飢餓による大量死という現象に変わる。人類の歴史に見られた長期的な人口停滞や大きな民族移動という現象には食料問題が横たわっていると断言して間違いは無い。
 その食料が、今や、尽きようとしている。誰が何と反論しようと、私はそう信じている。陸地の砂漠化を食い止めることはできない。地球の活動自体による海洋の再生産機能の働きより、汚染や生態系の混乱による海洋の死滅化のスピードの方が勝っている。人類に食料を与える地球が、陸でも海でも、その能力を失いつつあるのだ。傲慢なる人類は食料は自分たちが生産していると思い込んでいるが、実際に食料を生産しているのは太陽エネルギーと地球環境に他ならない。人はそれを利用しているに過ぎないことに気付かなければならない時期にきている。
 とある大国の上空を飛行機で飛んでいるとき、地上の様子を眺めていて、思わず拳を握り締めていることにハッとしたことがある。無数の円が見えるのだが、緑色の円の他に赤茶けた円が見えるのだ。それらが遺棄された農地だと知らなければただの色違いの幾何学模様に過ぎない。だが、円の中心の井戸から汲み上げられた地下水で何年か作物を収穫した後、塩害で地力を失い見捨てられた末に全ての表土を失った人工的な砂漠だと知っている者には、それが未来の地球のミニチュアに見えてしまう。
 畑や田圃を自分で掘ってみれば直ぐに分かることだが、作物を育てることが出来る表土部分はそれほど厚くはない。除草剤を撒いて放置しておけばものの数年で粘土と砂の混じりあった不毛の地になってしまう。減反政策で放棄された農地を見れば、私が大袈裟なことを言っているのではないことが理解していただける筈だ。その昔、人は農地を確保するために大変な労力を費やした。もともと農地に適した地域ですらそうである。ましてや、農耕に適さない土地しかない地域では信じられない労苦の末に農地を確保したのだ。
 まだ訪れたことはないが、私が憧れるヨーロッパの西の果てにある未だに妖精が人と共に暮らす地域あたりでは、荒地を石垣で仕切り、そこにある石をハンマーで砕き、その上に海から大量の海藻を運んで敷き詰め、そこで羊を飼育しながら何年も気長に待つ地域があるという。そうすると、砕かれた石が完全に風化し、海藻のミネラルと炭水化物それに羊の糞の窒素分とで農耕可能な土地が出来上がるのだそうだ。人はそこまで努力して農業を営み、食料を生産してきた。勿論のこと、そんな地域の人々は自給自足の生活を送っていた。食料自給率が50%を下回り不足分はカネで賄えばいいと思っている国の人間には想像もつかない辛い暮らしであったに相違ない。

 世界に比類ないほど豊かな土壌と水に恵まれ、同時に、四面を豊かな産物に恵まれた海に囲まれた国が、第一次産業を切り捨て、地下資源もないくせに鉱工業で生き延びようとした。幸いなことに、その目論見が大きく失敗することはなかった。しかし、国土は完全に荒れ果て、四海も死海へと変貌しようとしている。最早後戻りはできない。失われた農地は取り戻せない。海の生物が死に絶えることがなくとも、その体内には毒素が蓄積され生命連鎖の頂点に立つヒトの食料としては適さなくなりつつある。馬鹿げたチョイスだったかもしれないと思うのは私だけだろうか。
 その昔、とは言えしっかりと記憶に残り傷跡もはっきりと残っている程の昔だが、とある食品メーカーが乳児用のミルクに毒物を混入させてしまったことがあった。非常に多くの人々がその被害に苦しみ未だにその苦しみから逃れることができずにいる。事故原因から指摘される特定の危険性とは別に、この事件からは、単一あるいは少数に限定されたリソースに頼ることの一般的な危険性をも学び取らなければならない。世界的規模の分業化など危険な幻想だ。農業立国だの工業立国だのという発想は捨てなければならない。全ての地域で(国などというせせこましいことは言いたくないので敢えて“地域”と表現する)、人類に必要な最低限の資源は自前で調達できるようにしなければなならいのだ。
 理由は単純である。リスクの分散を図るということだ。先ほど述べたように、今や人類の食料は尽きようとしている。食料だけではない。地下資源、特にエネルギー資源も然りである(広義に解釈すれば、食料もエネルギー資源の一つだが。) 地球上の各地域で資源の自給自足体制を確立しておかなければ、ほんの些細な出来事、例えば気象の変化や地域的な突発事故で、全世界の人類が滅亡の危機に曝されることになりかねないのだ。地球上の人類はいずれ滅びる。だが、出来る限り長期に亘って人類は生きながらえるべきだ。一生物種としての本能的な行動と理解してもいいだろう。あるいは、宇宙における知的生命体の一つとして他の知的生命体に対する知性の継承という義務と考えてもいいだろう。理由など何でもいい。とにかく、出来る限り人類は存続し続けるべきだと考える。
 こんな馬鹿な種族はさっさと滅んだ方がいいと仰る向きもあるかもしれないが、そんな意見には同意しかねる。生物の進化は偶然の積み重ねをもって必然の方向に向かっている。どんなに馬鹿げた種族でも、また、たとえ神の悪戯と思えるような偶然の所産であっても、ここに在る以上は必然的な存在だと考えるべきだ。私たちには生き抜く義務がある。生命の尊厳に対する義務がある。
 ・・・・・勢い余って、ここまで書いてしまったが、ワイングラスを片手にして一服してみると、些かトーンが落ちてくる。人と人とが殺しあっている。あっちでもこっちでも武器を捧げて信ずるもののために自らの死と敵の撃破を誓っている。「皆で生き抜こうよ」なんて言っている自分が世界から離反しているかのような印象すら受けてしまう。そうは言ったが、ここで誤解していただきたくないのは、私は決して俗に言うところの平和主義者ではないということである。というのも、私には“平和”という概念がいまいち理解できていないからである。“平和”とは“穏やかで変わらないこと”とか“戦がないこと”らしいが、人類にそんな有難いことがあった例(ためし)はない。いつも生存の危機に曝されていたのだ。たとえ支配者が安穏としていても、そんな時には被支配者は塗炭の苦しみに喘いでいた。現在も“飽食の時代”などと評せられてはいるが、世界的な規模で見れば大勢の人々が餓死しているし、また何度も繰り返すが、地球上の食料は尽きんとしているのだ。
 “平和”というのは人類の願望の中にのみ存在し、実際には存在したことのない架空の世界の概念だ。だからこそ、私は強調したい。人と人とが殺しあうことはないと。賢く成り切れない人類は、繁栄への道だと叫びつつ自らを滅亡へと導きつつあるのだ。小さなグループ同士で殺しあっている場合ではないだろう。人類は数え切れない紛争で殺しあってきた。そんなことはもうお終いにしよう。世界中の生物種が少しでも長く生き永らえるように努力しよう。私はそう叫びたい。少なくとも私だけはそう叫ぼう。

 はて、何の話をしていたのだったかな? 左様、WPCの話が、いつもの悪い癖で、あらぬ方向へと展開してしまったのだった。これは困った。どう締め括ればいいのだろうか・・・仕方が無いので駄洒落で落ちをつけよう。「皆さんWPCでも作りましょう! 当然、Whey Protein Concentrated のことではありませんぞ。World Peace Congressのことであります」とは言ってみたが、“平和”という概念がいまいち理解できていないと白状していながらこんなことを言っても嗤われるだけであろう。まぁ、本日はこんな尻窄みでご勘弁願いたい。ワインの酔いが程よくまわってきたことでもあるので・・・

(2004年5月20日)


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タンポポ

 今年は既にその盛りの時期を終えてしまったが、遅れ馳せながらタンポポについて書こうと思う。タンポポという言葉には何故か懐かしい響きを感じる。考えてみるに、幼い頃、地面一面を覆うように包み込む植物の中で転(まろ)び遊んだ記憶は強烈で記憶にこびり付いている。一つには、そのためではないかと思う。
 今は昔の光景になってしまったが、刈り取りの終わった田圃にはレンゲの種が蒔かれ、春には田園地帯一帯が赤紫色に染められた。そのレンゲの園は子供たちの恰好の遊び場で、その中に入り込んでも農家の人たちに叱られることなどなかった。因みに、昨今あちこちを赤紫に埋めているのはカキドオシである。ハーブ愛好家はグラウンド・アイビーと呼ぶ。和名も英名も発想は同じで、その名が示すように、障害物をものともせず地面を覆っていく繁殖力の旺盛なシソ科の植物だ。
 田圃と異なり、ただの草地は、一面が黄色の世界であった。それは降って湧いたように一斉に咲き誇るタンポポの絨毯だった。そんな中にもイヌノフグリやオオイヌノフグリの小さな空色の花が遠慮がちに散在していたが、それは背景の彩りにすぎず、圧倒的に大きなタンポポの花の黄色が視界を支配する世界であった。レンゲの赤紫色より遥かにくっきりと浮き立つ鮮やかさは春の野原では何物にも勝ると思う。その脳裏に焼き付いた光景は確かに懐かしさの原点だ。
 やや成長して、タンポポが“蒲公英”という三つの漢字で書き表されるということを学んだ時には大きな驚きに襲われた。“蒲公英”はどう考えてもタンポポとは読めない。「何故、大人たちは“蒲公英”をタンポポと読めるのだろうか」と悩むほどに考えたものだった。そんな奇妙な印象もタンポポに対する懐かしさの要因かもしれないと思う。結局は、あれこれ思い浮かぶ様々なことが全体としてあの懐かしさを醸し出しているのだと分析することになる。しかし、何と言っても、雑草でありながら色、姿、形が整っていることと、そうかといって華美に過ぎないさりげない様子であることが人の心を打つ第一の要素だ。これこそ他に抜きん出たノスタルジアを生む要因なのだと思う。
 私が抱く感情と同じだとは思わないが、西洋でもタンポポは人の目を引くと見えてポピュラーなハーブの一種に数え上げられている。ハーバリストは“ダン・ディ・リオン”と呼ぶ。元はフランス語の“dent-de-lion”なのだろうが、英語でも“dandelion”という。“ライオンの歯”という意味と理解できる。葉っぱのギザギザが恰(あたか)もライオンの歯のようであることからの命名だろうが、確かに葉だけを見れば頷ける。しかし、全体としては、“ライオンの歯”といった凶暴とも理解できる印象の植物ではない。先ほど申し述べた通り、色、姿、形が整っていながら華美に過ぎない可憐な植物だと思うのだが、西洋人は全体より目立つ部分に注目する習癖があるのだろうか。
 西洋人と東洋人の情緒に大きな差があることは既に指摘されていることであるから、タンポポの捉え方に違いがあってもおかしくはないだろう。が、味覚については大差ないようで、東洋人たる私も、タンポポの若葉のサラダは好んで食べる。また、薬効についても共通の認識がある。漢方ではその根である“蒲公英(ほこうえい)”を健胃剤あるいは泌乳剤として用いているが、健胃剤としての利用はハーバリストと共通している。ハーバリストは更にタンポポの葉を利尿剤として用いる。ポタシウムを豊富に含むからだと思うが、この利尿作用は古くから知られているようで、タンポポの別名としてイギリスには“pee in the bed”、フランスには“pis en lit”というのがあるそうだ。ともに“寝小便”という意味になる。さほどに強烈な利尿作用を有するとは思わないが、ポタシウムを多く含むことは確かだから確実に利尿効果は期待できる。
 おっと、いつもの癖で話の主題が何処か遠くの方へすっ飛んで行きそうなので早めに軌道修正しよう。ここではタンポポの食用あるいは薬用における有用性を論じようとは思っていないのだ。私のタンポポ探しの話をしようと思っているのだ。タンポポなど嫌というほど生えている。今更、あちこち探し回るほどのものではないと嗤われそうだが、私が探しているのは今や古巣を失いかけている在来種のタンポポのことなのである。私が住んでいるこの北関東の地では主として“カントウタンポポ”ということになる。
 雑草のことなど気にしていない人は「何のことだ?」と訝しく思われることであろうが、その筋の者にとっては結構重大な問題なのである。その筋と言っても怪しい筋ではない。この場合、バイオロジーあるいはその一部であるエコロジーに関心を持っているということだ。最近では、目にするほとんどのタンポポが外来種すなわち帰化植物である“セイヨウタンポポ”なのだ。多分私たちが子供の頃に摘んでいたのは“カントウタンポポ”や“カンサイタンポポ”や“エゾタンポポ”といった在来種だったのではないかと思うが、今や、それらは日本の国土の片隅へと追いやられているのである。

 私は数年前に完全な浪人であった時期があった。その折、暇に任せて、自宅近辺の古い神社の沿革やタンポポの分布の調査に勤しんだことがある。骨折の後遺症で直ぐに痛みを発する私の足で歩き回れる範囲ではあるが、目にしたほとんどのタンポポは西洋タンポポであった。カントウタンポポは一株も見つけられなかったのである。しかし、僥倖に恵まれて、カントウタンポポ以上に珍しくなったシロバナタンポポを数株見つけることができた。その話は後ほどに回すとして、黄色いタンポポは全てがセイヨウタンポポだったのだ。私はがっかりして、その春以来、時間を掛けての在来種タンポポの探査を止めてしまった。
 とはいえ、たまたま目にするタンポポの種類は必ず確認する。呆れるほどにセイヨウタンポポが蔓延っている。たまさかカントウタンポポを見つけたときは却って驚いてしまうほどである。しかも、カントウタンポポがそこら辺り一面に根付いていることはまずない。人の手が入っていないような古い畦道や川原の小さな斜面で一株二株見つけるのがやっとなのだ。繁殖力に大きな差があるため、人が穿り返す土地では先ずセイヨウタンポポが芽生えてしまう。それで、在来種は人手が入らない崖と言ってもいいような荒れた斜面などでしか見つけられないのだと思う。
 そんなことは重々承知していたのだが、私の現在の職場近くにその条件に当て嵌まる場所があることに気付かずにいた。この春先になってそのことに思い当たり、手が空いたときに其処へ行ってみた。寂れた神社が小高いところにあり、参道が20段ほどの階段になっているのである。その斜面は結構急勾配で、まだ他の雑草が生い茂らない時期にはタンポポとスミレと思しき淡い紫の小さな花が多数見られる。いつも、慌しい通勤時に車で通り過ぎる場所なので調べていなかったのだ。
 其処へ行って驚いた。いつも車窓から眺めていたのは全てカントウタンポポだったのである。総苞片に特徴があるので花を裏返せば一目でそれと知れる。私は急斜面のほとんどの株を確認したが、セイヨウタンポポは一株もなかった。斜面の下の道路の反対側にはセイヨウタンポポがあったので、決してセイヨウタンポポが避けた土地というわけではないようである。神社の敷地内で掘り返されるようなことがなかったのが幸いしたのであろうが、今時珍しいことである。少年時代には多数抱えていたが大人になってからは一つとして持つ機会のなくなった“自分だけ秘密の場所”を久々に得たと思った。大袈裟なようだが、それほどにエキサイティングな発見だっということである。

 個人的な秘密の場所ではなく、公の天然記念物にでも指定してもらいたいところだが、たかが在来種のタンポポの群生場所では取り合ってもらえないだろう。琵琶湖の貴重な在来魚類ですら保護しきれずにグラックバスやブルーギルに食い荒らされている始末なのだから、タンポポではお話になりそうにない。
 それにしても、帰化生物に在来種が駆逐される話が多すぎるように思う。世界中で人や物資が頻繁に且つ大量に移動する現代では、外来生物の侵入を防ぐことは困難だろう。半世紀も前の私の子供時代ですら、セイダカアワダチソウやアメリカザリガニは既に違和感のない存在だった。セイダカアワダチソウは弓矢遊びの矢に使ったし、アメリカザリガニはスルメで釣っては仲間内でハサミの大きさを競ったものだ。しかし、もはや限度を超えているのではあるまいか。日本の空をインコの群が飛ぶなんて想像もできないことだったが、それが現実の光景になってしまっているのである。確かに、外来生物の影響だけでなく人の営みだけで野生生物が激減しているご時勢である。凶暴な北アメリカ原産の魚がいない川でもアユは勿論のことイワナやヤマメを釣るのが難しくなってきている。そのため養殖ものを放流しなければならない時代なのである。外来魚であるニジマスであっても釣れれば釣り人は喜ぶだろう。しかし、私自身がそう思うのだが、インコの群と同様に、川や湖沼でその昔にはお目に掛かったことがない魚ばかりが釣れるのはなんとなく落ち着かないのだ。
 川の河口付近ではボラやハゼなどが釣れ、下流から中流域ではコイやフナの他にウグイやハヤやオイカワがかかり、更に上流ではヤマメに出会い、険しい渓流に分け入って初めてイワナをものにすることができる。そういった図式が崩れ、コイを釣るつもりがソウギョを引っ掛けてしまい、ヤマメの代わりにニジマスが釣れる。湖沼ではもはやブラックバスとブルーギルしか掛からないほどだ。アメリカではちょっとした町にはハッチング・センターがあり、近隣の河川や湖沼にブラックバスやブルーギルを絶えず補給している。だから、最近の日本の淡水釣りはアメリカでの釣りのような感じなのだ。テレビの釣り番組でも、日本人アングラーが「フィッシュ・オン」とか「ビッグ・ワンです」などと妙な言葉を連発している。外国の釣りが好きなら当該国に出掛ければ宜しかろうと思うのだが・・・
 致し方なく入り込んできたものなら諦めもつくが、意図的に導入したものを野放図に拡散させたり、個人的な目論見で不法に放流する行為には憤りを禁じ得ない。ウシガエルや俗称ジャンボタニシは食用として養殖されるはずであったものが、養殖池からおっ放り出されて広まったものだ。ブラックバスやブルーギルは何者かが不法に放流したとしか考えられない。こういうことを平然と行う連中でも、SARSや鳥インフルエンザや鯉ヘルペスと聞けば防疫対策を取れと大騒ぎするのではあるまいか。誰しも、己に直接的な被害を与えるであろうことには神経質になるものだ。一方で、自分の目に見えない被害については極めて鈍感なのである。
 確かに、琵琶湖のニゴロブナが絶滅して鮒鮓(ふなずし)が食べられなくなっても日本人が絶滅するわけではない。そのことだけで全ての日本文化が断絶するわけでもない。しかし、世界的にも珍しいと言われるほど古い湖である琵琶湖とその環境で育まれた固有種である生物たちを損なう行為が世界的な犯罪行為であることを知らなければならない。同時に、この議論は琵琶湖のみに限られたことではないことをも知らなければならない。琵琶湖が特異な湖だから自然保護の対象として大きく取り上げられるだけで、本来の自然を出来る限り保存することはあらゆる地域で重要視されなければならないのだ。
 古代人の多くは自然を恐れそれを神格化してきた。自然界の多様な相を神格化すれば多くの神々が生じる。その意識は現代にまで引き継がれていると考えなければならない。無神論者も歴史の子としてそのような民族宗教の影響から隔絶されることは有り得ないのだ。現在は一神教を信奉している人々も同様である。ユダヤ教とその系譜を受け継ぐキリスト教やイスラム教といった一神教は、信者数はいざ知らず、むしろ少数派の宗教なのである。今やヨーロッパはキリスト教一色であるが、ヨーロッパの基底をなすギリシャ、ローマ、ケルト、ゲルマンはいずれも元来は自然神を信奉する多神教を信じていた。具体的に論ずる余裕はないが、完璧にキリスト教化されたように見えるヨーロッパでも、古代のアニミズムやシャーマニズムの要素は脈々と生き残っている。世界中の人類の基調にあるのは自然への畏敬あるいは自然との一体感だと断じてもいいのである。
 民俗学者や民間宗教の研究者から指摘されているように、古代宗教に根差す民族宗教が民族としての無意識の世界を形成しているのだとすれば、人類の大多数の個人の意識は自然によって支えられているということになる。個人であれ集団であれ、人格は意識とその対極にある無意識の無理のない融合によって形成されるものだからである。而して、その無意識を支配する自然を意識的にないがしろにするということは、即ち、意識と無意識の分裂を意味すると言える。
 意識と無意識がばらばらになるというのは人格の破壊を意味するのだ。心理学を深くは勉強していない私なので偉そうなことは言えないが、フロイト流であろうがユング流であろうが何流であろうが、人格の形成とは己の意識の回帰点たる無意識の世界を捜し求める過程だという点に異存はないと思う。自然とはヒトが自らの存在と想念を委ねる集約点だと言ってもいい。だから、自然はあるがままにしておきたいのだ。回帰すべきターゲットが大きく変遷していたのではヒトの移ろいつつも保守的な思念がそれに追いつくことができないのではないかと恐れるのである。
 これは余りに大袈裟な議論だろうか。私は空想する。ヒトのそう遠くはない未来を想像しているのだ。少数の人々が宇宙船に乗り込み地球を離れていく。彼らは人類最後の生き残りになるかもしれない。または、人類の生き残りを賭けた冒険の犠牲者にすぎないかもしれない。何れにせよ、彼らに未だ見ぬ行き先はあっても、帰るべきところはない。人類の文化の記録を全て携えていても、それを再現する環境は失ってしまうのである。運よく目的地に辿り着いたら、彼らはどのように振舞うであろうか。きっと、彼らの記憶と彼らが携えた記録にある地球を再現しようとするに違いない。彼らは高度に訓練された強靭な精神力を持つ人たちであろう。だが、その訓練で故郷たる地球を忘れることは有り得ない。そうでないと、彼らが保存した地球文化の記録そのものが色褪せてしまうからだ。彼らの個々の人格を一つに束ねる力は、故郷を再現するという意志からのみ生ずるように思う。少なくとも、現在ただいま地球上に生活している私には、そのようにしか想像できないのである。
 時間軸を、この空想と同じように、宇宙的な時間軸に合わせてみるとどうだろうか。野放図に人工的な変更を押し付けられている地球は早送りの映像のように大きく変貌していることだろう。それは、私たちの個人的な時間軸では把握できないが、最終的には全く別の天体であるかの如き変化に相違ない。その間に世代は何度も交代するだろう。しかし、人類の集団としての無意識の世界はそう簡単に変化するものではない。特別なトレーニングを受けることがない未来の一般人は自分では理解できない人格の分離に悩むことだろう。
 これは私の空想にすぎない。しかし、事実ではないと断言することもできないだろう。冒頭で「タンポポという言葉には何故か懐かしい響きを感じる」と述べた。単に年寄りが昔を懐かしんでいるだけだと片付けられたらそれまでだが、私の記憶では自分自身がもっともっと若かった時分にも同じような感慨があったように思う。上の議論の流れで表現し直せば、ヒトは自己の人格形成の過程を確認したがるのだと言えるのではあるまいか。私にはそう思える。しかも、さりげない自然の一コマがその端緒になることが多いように思う。理屈も屁理屈も抜きにしても、ヒトが自然を大きなものとして捉えていることだけは否定できない。そのように大きな存在は、理屈抜きでも、大切にしなければならないと思うのだ。

 私にとって、タンポポ探しは自分自身を捜し求める行為だったのである。さて、その過程で見つけた、後ほどお話すると言ったシロバナタンポポのことだが、悲しい結果に終わってしまったのだった。シロバナタンポポはほとんど手入れをされていない畑の道路端に10株ばかり生えていた。砂と瓦礫の混ざった荒れ土が20cmほどの高さにぶちまけられたところにやや徒長した姿で咲いていた。手で引っ張ってみると簡単に引き抜けたので、4株ばかり抜いて自宅のプランターに移植した。枯れることなく根付いたようなので、忙しさに感(かま)けてそのまま放置していた。勿論、忘れてしまったのではない。
 翌春、花茎が伸び始めていい季節になったので、様子を見ようとプランターを置いてあった筈の庭の片隅に行ってみると、なんとそのプランターがない。家人が雑草しか生えていないと思って前年の秋に処分してしまっていたのだった。私は悲しくもあり腹立たしくもありかなり長い期間不機嫌にしていた。やがて、それを見つけた場所に行ってみればまた手に入れられるかもしれないと気を取り直してその荒地に近い畑に行ってみた。すると、どうだろう。その年に限って、畑の隅から隅まで綺麗に耕されているではないか。瓦礫は取り除かれ、石灰で処理したらしい痕跡まであった。こんなことなら、全部引っこ抜いて直接我が家の雑草園に移植しておけばよかったと悔やんでも後の祭りである。
 私の淡い期待に反して、その後、その畑にも我が家の庭にもシロバナタンポポが芽吹くことはなかった。自分自身を捜し求めるための春の観察をまだまだ止めるわけにはいかないようだ。

(2004年5月7日)

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屁理屈倶楽部 倶楽部報その1=地球温暖化解消の妙案=

 屁理屈は空想の世界とは微妙に異なるが、間違いなく両者は隣り合っているように思う。だから、空想家と屁理屈好きが集まって倶楽部を作ると面白いこと請け合いだ。妙な議論が思わぬ方向に発展し、ひょっとすると、何千何万という馬鹿話の中から破滅への道を確実に歩んでいる人類を救うヒントが得られるかもしれない。というのは極めて可能性の低い淡い淡い期待ではあるが、瓢箪から駒ということも有り得ることだから、否定し去る必要もないだろう。
 過去に多くの例があるが、全うな理屈も世間から理解されないとキチガイの屁理屈だと謗られる。かの有名な数学者であるガウスは、世間には未だ自分の築いた概念を受け入れる下地が無いと判断して、自分の理論を小出しにして発表したそうだ。お蔭で、悲劇の天才たちの轍を踏まずに済んだという。また、その昔の空想家が思い浮かべた絵空事の多くが今や現実となっているではないか。火星人こそ襲来していないが、H.G.ウェルズの空想は最早空想ではなく現実のテクノロジーとして当たり前のものになっている。現代の屁理屈や空想が価値ある学説や技術だと認められる日がやって来てもおかしくはないのだ。尤も、私と私の仲間たちが作る屁理屈倶楽部でそんな高尚な話が出てくるとは思えないが・・・
 まぁ、高尚でないにせよ、暇潰しにはなるであろうから、我が倶楽部のトピックスを機会あるごとにご紹介しようと思う。さて、今回はその第一回として、副題にも掲げた通り、“地球温暖化解消の妙案”についてお話しようと思う。勿論、我が倶楽部の一員の頭の中を過ぎった妄想の類から出発した話であるから単なる無駄話と思っていただいて間違いはない。科学的にその誤りを正しく指摘できるかどうか、パズルのつもりでお聞きいただければ腹も立たないだろうと思う。なお、この話は一種のホラ話なので、“である調”ではなく、例の川柳特集のような“ざっくばらん調”にさせていただく。語り手自ら“ホラ話”と認めてしまっては身も蓋も無いが、話し終わった後のブーイングに備えての防御的発言とご理解願いたい。

<背景>
 太陽系の一惑星としての地球は、大きな宇宙の動きの中じゃぁ、間氷期にあるとされておりやすんで、はい。別の言い方をすりゃぁ、そのうち氷河期になって滅法寒くなるってことでがす。ところが、今は「地球の温暖化をなんとかせにゃならん」、「このままでは、極地の氷が解けて、海に沈む国がある」なんて危機感が高まってるんすよ。一見、宇宙の動きとは真反対の奇妙な議論のようではありやすが、よくよく考えれば妙チキリンではなく当然のことなんでがす。次の氷河期は、人類がどんな悪足掻きをしても、人類が滅亡するであろう未来よりもっともっと遠い未来に必ずやって来るんで、現代の人類が気にしても始まらない。ところが、地球温暖化の問題は、人類自らが作り出したフェイジックな問題で、しかも、今は未だ生きちゃぁいるがいつ死んでもおかしかぁない年寄りでも巻き込まれちまうってぇ切羽詰った問題なんすよ、これが。
 でもって、誰がこういう飛んでもない問題を起こしたかって言うと、お互いに「お前さんだろう?」って指差し合わにゃならんのですな。左様、誰でもない、地球上の全人類が犯人なんでやんす。ちょいと角の酒屋までビールを買いに、歩きゃぁいいものを、排気ガスを振りまきながら車で出掛けるとか、再利用されることなく燃やされるだけのゴミをわんさか出すとか、快適な居住環境やオフィス環境のために冷暖房をバンバンかけるとか、森を無闇に燃やして畑にするとか、軽々に戦争起こしてお空が真っ黒に煤けるほど油田を燃やすとか、兎に角、人間が何かをしでかすってぇと直ぐに二酸化炭素が増えちまうんですよ。それで、特定の犯人ではなく不特定の“人類”ってぇ得たいの知れない存在が犯人だってことになるんでがすな。
 「二酸化炭素が増えると何故地球が温暖化するんだ」ですって? 小難しい話をしたって分かりゃしないから、感覚的に説明しやしょう。あっしが学生の頃、ってぇこたぁ35年ほど前ってこってすが、東海道線の電車で東京に行ったことがありやす。そろそろ東京だって頃、ふと東京方面を見てびっくりしやしたねぇ。いえね、東京近辺の上空が薄暗いドームで覆われてるように見えたんです。所謂スモッグって奴でさぁ。微粒子も気体も同じでね、それを沢山排出してる場所をすっぽり覆うように澱むんですな、これが。でもって、其処がちょうど毛布で包まれたみたいにじんわりと温まるってこってすよ。
 恐ろしいじゃありやせんか。東京23区だけでも結構広いってぇのに、地球上いたるところでプカプカプカプカ布団代わりのガスを出すもんで、遂にゃぁ地球全体がドテラかカイマキを羽織ったみたになっちまった。石川五右衛門じゃぁあるまいし、そんな格好で「絶景かな・・・」なんて気取ってる場合じゃござんせんぜ(歌舞伎をご存じない方にゃぁ分からない話かもしれやせんが、イメージを膨らませていただきとうござんす。)人間一匹、ちょいとした暑さで熱中症なんてもんでぶっ倒れるんですから、地球全体が温室状態じゃぁ逃げ場もありゃしません。それで、大問題だって大騒ぎが始まったんすなぁ。

  <真面目な対策とその問題点>
 そんな大騒ぎの中で、京都議定書ってぇものが出来やした。世界中の国が協力して地球温暖化の元凶である二酸化炭素の排出量を削減しやしょうってぇ合意ですな。結構なこってがす。が、ことはそう甘かぁなかった。国際間の取り決めは各国がそれぞれの国内で批准しなきゃ実効ある取り決めにはならない。でもって、これを批准しない国があるんすよ。しかも、大国が批准しないんだから話にならない。「そんな国は村八分にしてしまえ」ですって? 馬鹿なことを言っちゃぁいけやせんぜ。お殿様や庄屋様を村八分にできますかい? 逆立ちしたってできゃしませんとも。相手が大物だと無理も通さざるを得ないんでがすよ。人類も知的生命体としてはマダマダ初歩的な段階から脱しきれていないってことでさぁね。
 京都議定書の通り、真面目な議論は「二酸化炭素の排出量を減らすためには化石燃料の使用量を削減しよう」ということに集中しているんす。分かり易く言えば、「エネルギーの無駄遣いをやめて、石油以外のエネルギー源を模索しようぜ」ってことになりやすな。ところがそんな単純なことでも足並みが揃わないってぇことなんすよ。大国が「うちはそういう訳にもいかないから、イチ抜けた」とそっぽを向いたってぇことでがすな。今まで、他国に先駆けて散々エネルギーを潤沢に使っておきながら、「まだ不足だ」ってゴネてるってことですぜ。地球を熱中症にした張本人が「暑くても我慢しろ」って無茶を言ってるといってもよござんしょう。
 現実的にはそれもそうかもしれやせん。原子力エネルギーの利用についちゃぁ、それを取り出すために大量に発生する放射性廃棄物が溜まる一方で、エネルギーを作るって言うより、危険物を製造しているって言った方が当たってるでがんしょう? いやさ、それ以前に、核エネルギーの操作自体が本当に安全なのか保障されてもいないんだから困っちまう。太陽エネルギーの利用や風力発電も思ったほど普及しないしさ。燃料電池も安全で手軽な水素ジェネレーターの開発を待たなきゃ大きな飛躍は期待できないと思うよ、ぶっちゃけたところが。
 だってさ、爆発するかもしれない水素を詰め込んだガスシリンダーを積んでる車に乗るなぁ嫌でやんしょう? 水素ガスを一杯詰め込んだタンクの上のガスステーションで「水素、レギュラー満タンね」なんて気安く言う気になれやすかい? あたしゃぁ嫌だね、まだ死にたかないもんでね。その昔、安くヘリウムガスを作ることが出来たアメリカがドイツに意地悪して分けてやらなかったもんで、ドイツの独裁者は水素ガスで飛行船を浮かべちまった。ヒンデンブルグ号ってぇ途轍もなくでっかい飛行船が爆発炎上したって話、知ってるでしょう? あれの二の舞は嫌ですからねぇ。
 その、ヒンデンブルグ号のことでやんすが、自由の国アメリカが独裁者にヘリウムガスを分けてやらなかった気持ちも分からないではないし、ドイツの独裁者が水素ガスでも飛行船を飛ばせた理由も分からないでもない。兎に角、人間ってぇものは自分が信じたことが全てなんだ。ロジックなんてもなぁ如何様にでも作れるもんで、どんなロジックでも理屈が出来上がりゃぁそれが“正義”になっちまう。当人はいいが、あっちもこっちも正しくなっちまうと、間に挟まれた者が堪らない。それで、水素が爆発して焼け死んだんじゃぁ浮かばれない。波阿弥陀仏、ナンマイダァ、南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経。何でもいいから助けたまえ清めたまえと言いたくなっちまう。どう騒いだって、誰も助けちゃくれやせんがね。
 さてと、そういうことで、袋小路に追い込まれた地球温暖化対策なのでありやすが、「押しても駄目なら退いてみな」とか「垂直思考より水平思考」とかいう訳の分からない“教え”がありやすように、考え方の基本をガラリと変えれば妙案も浮かぶものなのでがんすよ。その実例は以下の通りでやんす。

<屁理屈倶楽部ご推薦の妙案その1>
 地球温暖化の防止は、真面目な対策では一朝一夕には解決しそうにないってことでさぁ。そこでさね、発想をガラリと変えて、大胆且つ実現可能な方策を案出しなければならねぇんでがすよ、人類は。でもって、こんなのはどうだろうか思うんでやんすが、聞いてやっておくんなさいな。地球が太陽からほんの少しでも遠ざかりゃぁかなり涼しくなる筈でやんしょう? だったら、地球の軌道をちょいとばかり変えりゃぁいいやな。「地球に大きなロケット推進機を幾つか取り付けて太陽とは反対の方向に地球を押しやればいい」って考えたお方ぁ、ブッブー、NGでやんす。地球は自転してるから、ロケットエンジンを噴射させられる時間帯に大きな制約があると思いやせんか? それに、何より、そんな大掛かりなプロジェクトはカネが幾らあっても追っつかないよ。小さな小さなロケットの打ち上げに失敗して関係者が青くなっているような状況じゃぁ、とてもとても実現させるなぁ不可能ってもんでがす。
 今から発表する屁理屈倶楽部の妙案その1は決して簡単じゃぁないが、そんな大金は掛からないし、人類が心を一つにすれば実現可能なことだと思いやすよ。その方法たぁ、全世界の人が全員、大人も子供の誰も彼も、時刻を示し合わせて「一、二の三」でピョンと跳び上がるだけなんすよ。60億の人々が一斉に跳び上がるんすよ、一瞬とはいえ地球は軽くなる。そうでがしょう? 地球が軽くなりゃぁ、ああた、地球は太陽からちいっと遠い軌道に乗り換える。太陽から遠ざかりゃぁ、その分、地球の温度は低くなる。そういう理屈でさぁ。適当な気候になるまでピョンピョンするだけでOKなんすよ。問題は、地域によっちゃぁ真夜中に住民全員が起きてなくちゃいけないことと、ピョンと跳び上がる合図を送る音頭取りを探し出すことぐらいだぁね。とは言え、日本みたいに盆踊りの風習があって苦労なしで音頭取りが集められる地域はいいが、世界中に盆踊りがある訳じゃぁないし・・・・・なんて悩むこたぁないよ。こんな制約を克服するなぁ容易いこった。何たって、たったこれだけのことで、世界中の悩みが解消するんだから、誰だって協力すらぁね。心を合わせてピョンって跳ぶことだろうさ。
 おや、もう反対意見が聞こえてきやすぜ。なになに、「ピョンって跳ぶのはいいが、全員がドスンと地上に戻ったら元の木阿弥だ」ですと? そりゃぁまた素人臭い言い分じゃぁあぁりませんか。よござんすか? 跳び上がるときゃぁ音頭取りの合図がありやす。だがね、地上に落ちるのは自然の成り行きなんすよ。学校で垂直跳びなんてやりませんでしたか? どれほど高く跳べるかは人によってマチマチなんすよ。左様、地上に落ちるときゃぁ皆ばらばらなんです。ってことは、一斉に跳び上がったときみたいな劇的な効果はないってことっすよ。お分かり?
 はい、次の反論の方・・・はい、どうぞ。ふむふむ、「人間はでかい地球の付属物みたいなものだから、地球にくっ付いていようが離れていようが地球の重さに変化は無い」ってご意見ですな。では、逆にお訊ねしやすが、大きな鉄の部屋の重さを大きな秤で計ったと思ってくださいな。その箱に人間が一人入ったら、秤の針はどうなりやすかね? そうです、人間の体重分だけ針がちったぁー振れますよ。じゃぁ、その箱の中でその人がピョンって跳び上がったら秤の針はどうなります? そんなに、考えるこたぁありやせんぜ。人が箱に入ったら秤の針はその分余計に触れるんでやんすから、その人が箱から離れりゃぁ、ああた、秤の針は元に戻りまさぁね。はい、ああたの負け。
 おっと、次なぁ鋭い指摘だ。「風船に水を入れて重さを計ると、(風船の重さ+入れた水の重さ)になる。水を空気と置き換えても風船だけより空気の重さだけ重くなってる筈だ」ですと・・・なるほど、だから、大気圏内の人間の重量は地表に付いていようが離れていようが同じことだって言いたいんでやんすな。ふむ、じゃぁ、お訊ねしますが、ああたも気圧ってもんを知ってるっしょ? 大気の重量による圧力ってやつです。ああたの議論をその気圧に当て嵌めると、飛行機が飛んでる真下は其処からちょいと離れた所より気圧が高くなってなきゃいけやせんぜ。飛行機だけじゃない。子供が縄跳びしてる運動場じゃぁ、その子供の動きに合わせて気圧がヒョコタンヒョコタン変わるってことですね?それじゃぁ気象予報士も大変だぁ。「今日は体育の授業で大勢の子供が飛び跳ねている地域では高気圧に覆われたり低気圧に覆われたりして天気が不安定になるでしょう」って予報するんでやんすかい? おやまぁ、黙り込んじまっちゃぁいけやせんぜ。
 お返事を促すために、逆に、お訊ねしやすが、風船に空気が入ってると、空気が入ってないときより体積がうんと増えまさぁね。てぇこたぁ、アルキメデスの原理でその体積分の空気の重さだけ空気で膨らんだ風船は軽くなるってことですね? なら、その膨れた風船が空気中にあれば、その膨れた風船の重さは(風船の重さ+入っている空気の重さ)−(膨れた風船の体積分の空気の重さ)ってことになりまさぁ。で、(風船に入っている空気の重さ)ってなぁ(膨れた風船の体積分の空気の重さ)のことだから、結局、風船は萎んでいても膨らんでいても重さに変わりは無いってことになりやせんか?
 困っちまいますぜ、そう寡黙になられちゃぁ・・・・・助け舟ですぜ。隣のお方が「風船内の空気は圧縮されてるから、その体積の空気より重い。だから、膨らんだ風船は萎んだ風船より、やはり重い」って囁いてますよ。でもね、こち徒の言い分はそんな事にゃぁ関係ない。あっしは、その風船の中で蚤が一匹跳ね回っていたら、跳ねる度にその風船の重さを計ってる秤の針が動くんじゃあぁりませんかって言ってるんすからね。おやまぁ、隣のお人まで静かになっちまって・・・・・
 反論がなくなったところで、この計画の実行についてでやんすが、国連にたのみやすかい? それとも仕切り屋のブッシュ・ジュニア? ははぁ、やっぱり国連がいいってことですかい。まぁ、順当なご意見でやんすな。好戦的な軍隊が出張っても碌な事にゃぁなりやせん。軍隊は命令ばっかしで、音頭取りにゃぁなりやせんからねぇ。ところで、日本の自衛隊は軍隊なのにそうではないと言わざるを得ないって妙な問題が起こってますなぁ。いやさ、イラクの人質事件でさぁね。「日本人はイラクのために働いているが自衛隊は出て行け」っていうのが結論で、こりゃぁ、ああた、「自衛隊は明らかに軍隊だが戦はしていない。民間の日本人もイラク人に友好的だ。だけど、やはり自衛隊は米英に追随した軍隊だ」っていう滅茶苦茶に微妙な綱渡り状態の解釈で人質が解放されたってことですぜ。これで、全てが丸く収まったって考えちゃぁいけやせんやね。
 やっぱり、“人道支援”は民間人がやらなきゃぁ嘘でしょうに。軍隊の仕事は人殺しと相場は決まってまさぁね。それが証拠に人殺しの武器を持ってるでしょう、軍隊は? あっしゃぁつくづく思うんですよ。その昔、士農工商の時代に、武士が刀ぁ持って闊歩してたなぁ“切捨てご免”が許されてたからでさぁ。そうでもなけりゃぁ、刀を持ってる甲斐がないってもんだ。そうでがしょう? ってこたぁ、ああた、武器を持ってるってこたぁ即ち「武器を使うぞ」っていう意思表示に他ならない。「寄らば切るぞ」なんて“人道支援”があって堪るもんですかね。
 あれれ、地球温暖化の話ぁいってぇ何処へ行っちまったんでやんすかい? 皆が黙り込むから話が逸れちまったんですぜ。反対が無いってこたぁあっしの意見が正しいってことでやんすから、こりゃぁ是非とも国連に提起しなくっちゃぁいけやせん。どなたか国連関係者にお知り合いはいらっしゃいやせんか? おやおや、どなたも駄目でやんすかい。しょうがない。せめて、日本国の政界人にお知り合いは? ・・・ははぁ。「連中、選挙のときは腰を屈めるけどこっちが陳情に行くとそっくり返ってる」っておっしゃるんですね。それじゃぁ、当てにはならないってことだ。折角の妙案なのに、実現できそうにないってのは実に残念。いやはや、真にもって残念至極でがんすなぁ。

<屁理屈倶楽部ご推薦の妙案その2>
 ちょいとばかり前の話が長くなっちまったから、次なぁ簡単に済ませやしょう。単純明快な方法なんでやんす。過剰な二酸化炭素を圧縮冷却すりゃぁいい。素人さんのも分かるように言やぁ、「ドライアイスを嫌ってぇほど作る」ってこってす。固体にしちまやぁ、ああた、悪役の二酸化炭素でも地球を覆うこたぁできやせん。しかも、ドライアイスは冷たいんす。出来上がったドライアイスでもって暖かくなった地球も冷やせるんですぜ。一石二鳥たぁこのこってす。二酸化炭素は、地球を包み込んであっためなくなるだけじゃぁなくって、逆に、地球を冷たくしちゃうんだ。願ったり叶ったりだぜ、ベィビー。
 あれれ、其処に冷ややかな目付きのお方がいらっしゃいやすね? 言いたいことがあるなら、そんな目で見てないでおっしゃいな。ふむふむ、「二酸化炭素を圧縮冷却するにはかなりのエネルギーが必要だから、そのために却って二酸化炭素の放出を増やしてしまう」ってぇご意見ですかい? 流石は知識人、鋭いご意見でがんす。が、其処が考えどころなんすよ。先ず、必要なエネルギーは二酸化炭素の分離・圧縮だけでやんす。冷却にエネルギーは必要ないんでがすぜ。具合よくノズルから液化二酸化炭素を吹き出すと、蒸散熱で勝手に冷えちまう。勿論、一部は蒸散しちまうが、狙いの固体は苦も無く出来上がるって寸法でさぁ。
 でもって、ここが正念場だから、耳の穴ぁかっ穿って聞いておくんなさいよ。二酸化炭素の分離・圧縮に使うエネルギーは全部太陽エネルギーみたいなクリーンエネルギーを使うんすよ。なら、何の問題もありやせんでしょう? 絵にすりゃぁ分かりいいっすよ。お日様の絵があって、地球に降り注ぐエネルギーの動きを矢印で示してありやす。矢印の先にゃぁ太陽電池か何かの絵が描いてあってさぁ、そこから出た線がドライアイス工場に繋がってる。ドライアイス工場の上空は澄み渡った青空で、働いてる人たちゃぁ防寒具姿ですぜ。万歳三唱しておくんなさいな。
 おやまぁ、まだ納得できないって言うんですかい? ははぁ、「地球を冷やした途端にドライアイスは元の気体に戻るから、イタチゴッコだ」ってぇご意見なんすね? よござんしょう。なら、ドライアイスの半分を宇宙に捨ててしまいやしょう。それなら確実に二酸化炭素は減るでがしょう?「宇宙人がゴミの不法投棄を見逃さない」って、ああた、どんな宇宙人が地球を見張ってるってんです? まぁ、いいや。百歩譲って、宇宙美化委員会がうるさいとしても、捨てる場所に問題がなきゃぁいいんでやんしょう? あっしゃぁ無闇に放り出すつもりはありやせんぜ。捨てる場所は一箇所で、捨てたからって文句を言われる恐れの無いところでさぁ。
 そうせっつかないで、直ぐに説明しやすから。そこは、火星でやんす。つい最近、NASAの探査機が調査したら、火星にゃぁ、ああた、水があったってことですぜ。てぇこたぁ、今でも地下に凍った水、ええ氷のこってすよ、その氷がたんまりあるに違いありませんや。その水を溶かしゃぁ、水になり、水が手に入りゃぁ簡単に酸素や水素ができちまう。そうでがす、大気が作れるんですよ。大気と水さえありゃぁしめたもの。人間が住めるんすからね。ええ、そうですとも。地球人の宇宙植民地が出来上がるってことでさぁ。
 あれあれ、察しが悪いじゃござんせんか。火星に捨てたドライアイスがお日様に照らされるとガスに戻りやす。それが一杯になりゃぁ、ああた、地球じゃぁ都合の悪い温室効果を発揮してくれるんすぜ、しかも誰からも文句を言われないで。だって、火星人はいなかったんすからね。で、この温室効果で火星を暖めて地下の氷を溶かしてくれるってことですよぉ。これで、一石三鳥でやんしょう? 地球の二酸化炭素が減って、地球が冷えて、おまけに火星が暖まって居住可能な惑星に変身する。素晴らしい。実に素晴らしいことじゃぁあぁりませんか。あっしゃぁ我が倶楽部の発案ながら涙が出るほど感心しますぜ。
 えっ、「何かがおかしい」ですって? そういう態度が地球の破滅を早めるんですぜ。できることは先ずやってみる。そういう態度が必要でやんす。だから、そういう曖昧な疑問は即座に却下です。ああたも、グズグズ言ってないで、“ドライアイス作戦実行委員会”にお入んなさいな。ええ、そんな委員会は未だ出来ちゃいませんがね、直ぐにでも屁理屈倶楽部が発起人になって作りやすよ。だから、ああたも準備して待っててくださいなってことですよ。こりゃぁ、急に忙しくなった。急いで実行委員会を作る算段をしなくっちゃぁいけやせん。ってぇことで、尻切れトンボで相済みやせんが今日のところはこれで失礼しやすぜ。うんじゃぁ、また・・・・・「やっぱり、何かがおかしい」なんて・・・・・世の中おかしいことだらけでがしょう? そういったことに較べりゃぁ、ああた、ドライアイス作戦はまともな部類ですぜ。そういうことで、改めて、バイチャ!

(2004年4月22日)


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花より団子

 三週間ほど前の日曜日に、年寄りを買い物に連れて行った帰り道でのことであった。なんと反対車線が普段ではお目に掛かれない程の車列で埋まっているではないか。何事かと訝ったが、直ぐに思い当たるところがあって謎は氷解した。近くの梅林への花見客が押し寄せていたのだ。私が「そうか」と独り言ちたと同時に年寄りもそれと気付いたようだ。年寄りが何事か言おうとする気配を察した私は機先を制した。「こんなに車が押し寄せてる処へは近づかない方が無難だよ」と言ったのだ。数年前のことだが、年寄りにせがまれてその梅林に行ったことがあるのだ。広大な梅林には違いないがただの梅畑なので駐車場があるわけではない。また、農道には先客が所狭しと駐車していて車を停める場所を見つけることができなかった。それで、スゴスゴと引き返したことがあったのだ。年寄りもそれを覚えていたようで、案外にあっさりと引き下がった。
 それにしても、日本人の花見好きには脱帽する。やれ梅だ桃だ桜だと雲霞の如くに人が群れて花の名所へと集まってくる。そういえば、これを書いていて気付いたが、この季節はバラ科の木本(もくほん)に人は集まるようだ。これではまるでアリマキか毛虫だ。而して、この春先に、何故にして人はアリマキや毛虫のようにこれらの花木を目指して群れるのであろうか。それが普通だと思っている日本人自身はともかく、“花見”という文化がない外国人には真に奇妙な現象であろう。

 単に日本人が花鳥風月を好むというだけで花見が盛んなのではなさそうだ。そうなら重陽の節句や十五夜にも菊や月の名所にもっと人が群がってもおかしくはない筈だが、花見ほどの盛況ぶりはうかがえない。素人考えだが、これほどの花見好きの理由にはもっと歴史的に根の深い事柄が係わっているのだと思われる。その昔の風習を思い浮かべてみると、卯月八日(うづきようか)が花見に似ていることに気付く。村中挙って山に出掛けて飲食し、山の神の憑座(よりまし)と伝えられる花を手折って持ち帰ったという行事である。私はこれが花見の原形ではないかと想像する。
 また、この日、地方によっては田の神を向かえる神事が行われるのだそうである。いずれの行事も、同じ日に行われる釈迦像を香水攻めにする潅仏会(かんぶつえ、花祭ともいう)より遥かに古い習俗である。柳田国男の説に拠れば、山の神は即ち田の神でもあり、農耕の季節に山から田圃に下りてきて農作業が終わるとまた山に帰って行くらしい。だとすれば、卯月八日(うづきようか)の山での飲食は即ち山で行われた神を山から田圃に迎える神事の名残で、神事そのものは省略されてその後の直会(なおらい)だけが伝承されたものだと推定される。山で花見をすることのルーツは田畑で神を向かえる神事と同じだったと思うのだ。
 勿論、卯月八日(うづきようか)は旧暦での話である。従って、気候は太陽暦での五月末ごろを想定しなければならない。いくら山中だとはいっても、桜や梅を愛でていたとはとても考えられない。躑躅(つつじ)や夏椿(なつつばき)のような夏近くになって咲く花木を観賞していたと思う。しかし、この花の下での飲食の習慣が、本来の祭りとは切り離されてもっと早い時期に行われてもちっともおかしくはない。田の神を迎えるのは農繁期に入る直前である。逆に言えば、これは農閑期最後の祭りなのだ。より手近で派手な梅や桜が盛りを迎えるのは未だ農閑期のことなのだから、田の神を向かえる春祭りは決められた時期に厳粛に行うとして、それとは別に梅や桜の花の下での宴会をやらかそうではないかと相談がまとまるのは極めて自然なことだろう。
 さて、この考察そのものが当たっているかどうかは定かではないが、昔からの古い行事には必ず民族宗教による裏付けがあることは事実だから、まるっきり的外れということはないであろう。ということで、素人の民俗学的考察により、花見は山の神が田の神に変身する春祭りが一人歩きをして変貌したものだということにしておく。たとえ細部が間違っていても、花に何らかの神聖さを感じていたことだけは間違いないと断言できるだろう。卯月八日(うづきようか)に拘らないまでも、日本人の花見好きが遠い昔の土俗信仰により育まれたと推察することには少なからぬ妥当性があると断言して差し支えないだろう。
 それにしては、今時の花見は余りに神様を蔑(ないがし)ろにし過ぎているようだ。上野のお山の狂乱振りは春の定番ニュースソースになっているが、その有様は見ているだけで恥ずかしくなる。香具師の遣いっ走りでもあるまいに、仕事をおっ放り出して縄張りの確保に狂奔するビジネスマンがいる。花は二の次で、周りの迷惑など顧みずカセットコンロでお飯事(ままごと)に興ずるOLがいる。カラオケセットを持ち込んで騒音を振りまく不届き者までいる。たまに花に執着する者がいると思えば、ただの酔っ払いが桜の枝を力尽くでへし折ろうとしているだけだったりする。「お花は神の憑座(よりまし)、即ち、神様が宿っているものなのだぞ」と叱り付けてやらなければなるまい。神様など実在する筈は無い。だが、大昔とはいえ、私たちの先人たちがそう信じていたという事実は尊重しなくてはならない。そういう意味で、存在しないとはいえ、神というものは尊重されなければならないのだ。
 無神論者の私が忘れ去られようとしている神々を擁護するのは実に奇妙だが、神を信じているという人に限って伝統的な神々の真の姿を知ろうとしない現状では、これも致し方ないことなのかもしれない。無神論者は伝統的な神を文化の一部として尊重する。神や霊を信じる人々は己の現世利益のために神の姿を恣意的に変貌せしめて憚らない。だから、伝統的な神を擁護できるのは無神論者のみなのであろう。やれやれ、兎に角、神様とはやっかいな存在には違いない。

   さて、良い子ちゃん振って“花より団子”の無頼者を非難している私だが、その私も実のところは“花より団子”の部類に属していると白状しなくてはならない。はっきりと申し上げるが、花見は嫌いなのだ。特に飲食をともなう伝統的な花見は大嫌いである。それというのも、都市部育ちの私が知っているのは窮屈な人混みの中での花見だけだからなのである。屋外での食事の醍醐味は雄大な景色と澄んだ空気が醸し出すのだと思っている私にとって、ゴミと埃と喧騒に包まれて食べる花見弁当は最悪のアウトドア食なのだ。食事中の情景に花があること自体は素直に受け入れられるが、無理やり花を視野に押し込むために食事に適さない場所へと連れ出されるのはご免蒙るということである。
 それに、私の興味はそもそもが食べられるものやその他の実用に供される植物に向いている。観賞用の植物を嫌悪している訳ではないし美しい花は美しいと感じるが、食べられる植物を見ている方がより豊かな気持ちになれるのである。桜なら花よりサクランボ、梅でも花より梅酒、桃も当然のこと花より水蜜桃がいい。花壇より田圃や野菜畑を眺めているの方が心が和む。バラ園より薬用植物園の方に心引かれる。花屋より八百屋の方が輝いて見える。そんな私は異常なのだろうか。
 私の祖母は敬虔なる仏教徒で、ことある毎に「法然様はの・・・」という語り口で始まる法話を聞かせてくれた。そんな祖母が墓参りをする際、花屋に立ち寄ることなどなかった。道端に咲く野の花を摘みながら歩き、それらを墓に手向けていた。私が幼稚園に上がる前のことだが、その光景は目に焼きついている。私たちにとって観賞用として栽培された花は極めて手近なものだが、考えてみれば、その昔には、観賞のためだけに育てられる“お花”というものは途轍もない贅沢品だったのではないかと思う。
 今でこそ、記録的な不作と報道される年でも餓死者が出たという話は聞かないが、この日本でも、ひとたび飢饉に見舞われれば夥しい数の人が餓死する時代が長く続いていた。そんな時代だったら、人は観賞用の花を栽培する土地があるなら、迷うことなく食べられない花ではなく食料となる芋か豆を植えたことだろう。花を育てるなど殿様かとんでもない分限者の道楽でしかなかったと推察する。私の祖母が物心ついた時代には、花を愛でる心はあっても花を買うという発想はなかったのだろう。
 山野に咲く野生の花は美しい。豪華ではないが正しく自然の彩りが映えている。山陰(やまかげ)でミズヒキの花を目にしたり疎林一面を埋めるカタクリなどに遭遇したときの心持を花屋で味わうことは絶対にできない。サトイモの花を不気味に色取ったようなマムシグサの花でさえ、一瞬はギョッとするものの、屹立した孤高の人に似たその姿を見れば健気な生命の息遣いを感じて心が落ち着く。“お花”を育てる余裕のなかった昔の人たちは、そんな野草の花の美しさしか知らず、また、その自然の美しさをこそ尊んだに違いない。
 私は母親が作る花壇のある家で育った。だが、その花壇の様子は記憶にない。祖母が手折った野の花の記憶は鮮明なのに、それより新しい記憶であるはずの自宅の花壇の記憶は消えてしまっているのだ。私はやはり少々異常なのかもしれないと思わないでもない。ある種の遺伝子のマスキングがちょいと外れて、飢餓に怯える大昔の人類の記憶が無意識の中に甦っているのかもしれない。もしそうであったら、私はそれを異常だとは思わず、むしろ、自然に忠実であったヒトという種族の末裔としての誇りと考えたい。
 現在私たちが浸っている先進国における“飽食の時代”を維持するということは、取りも直さず、人類の破滅への近道を選択するということだ。二酸化炭素の排出量の削減を謳った京都議定書に最終的に異議を唱えたのは発展途上国ではなく先進国の中の超大国であった。現在の経済水準を維持するには二酸化炭素を吐き出し続けなければならないと公言しているのだ。そんな大国の指導者たちは遠大な子孫への義務より卑近な有権者たちへのサービスを優先させているということになる。私はそうではありたくない。もしも私が人類の遠い過去の飢餓の記憶を無意識のうちに持っているのであれば、同時に、子孫が太陽系(当時の人にとっては“この世”)の存続する限り生きながらえて欲しいと願う先人たちの想いをも受け継いでいるとも期待できる。だから私は、私特有の“花より団子”の感覚を異常とは捉えず誇りと理解するのだ。
 生物種に存在目的はない。だが、擬人的な表現を採れば、どんな生物種でも存在する以上は我が種を維持しようとするものだ。それが本能というものである。有権者へのサービスに腐心する超大国の指導者もその生物たるの本能を失っているとは思えない。ただ、小賢しいヒトの知恵がヒトには大自然を捩(ね)じ伏せる強大な力があるという幻想を抱かせているのだと思う。超大国が宇宙開発に熱心なのは宇宙植民地を狙ってのことかもしれない。地球が駄目になったら新天地を宇宙の何処かに求めようとしているということだ。不可能ではないだろうが60億、いや近い将来100億を突破すると推計されている地球上の全人類を宇宙の彼方へ送ることは不可能だろう。地球自体とともに多くの一般人を遺棄してエリートのみを避難させるということになるのは必至である。これが単なる妄想だとは思っていない。飽食の時代にあっては、地球までをも使い捨てにしたとしても、ちっともおかしくはないからである。

 花見に話を戻すが、花見客が大騒ぎをした後に残されているのは大量のゴミの山である。食べ残しの食品、使い捨ての容器、空き缶に空き瓶の類などなど、ありとあらゆる種類のゴミが散乱している。世界の中には徹底的な資源リサイクルを目指している国もあるが、そのような国の人々が花見客のゴミの山を見てどう感じるのだろうか。そのゴミの山の前で、花見が日本の民族宗教に根差した伝統あるいは花鳥風月を愛でる伝統の一つだと説明したら、彼らは日本人をどのように理解するのであろうか。その結果が恐ろしくて、とても外国人とは話し合いたくないことだ。
 昨今、“国際的貢献”などという美辞が声高に唱えられているが、その言葉の理解には余りに大きな幅があり、従って、見解の相違も大きい。金をばら撒き軍隊を送ることもその一つかもしれない。しかし、二酸化炭素の排出削減には努めないと宣言したような国のエゴで始まった紛争の後始末に協力することには大きな疑問が残る。一から十までご立派な個人も国も存在はしないだろうが、ご立派でないことの方が目立つ側にわざわざ我が身を置く必要はないだろう。
 外交施策は“国益”が基本なのだから、その時の“国益”を優先させた判断こそが正しいというのが専らの判断らしいが、地球自体が危うくなれば国も地域もへったくれもありはしない。“国益”など糞食らえである。地球の滅亡を早める方向に向いている者に協力するのが“国益”だなどという論理は断じて成立しない。真にグローバルな発想で“国益”を語らなければ国際社会の理解を得ることはできないだろう。向日葵(ひまわり)が太陽を追うが如くに特定の大国に笑顔を向け続けてどうしようというのだろうか。
 こんな大問題を語る以前に、大量のゴミのみを残す無作法な花見客を放置しているようでは、如何なる問題についても論じる資格はなさそうだ。私は20年も前に亡くなった祖母を未だに敬愛して止まない。彼女は花屋で求めた花束の包み紙の処置を案ずる必要のない生活を送っていた。ましてや、美しい花を神仏と共に愛でる行いにおいては塵一つ残すものではあるまい。彼女は常に大昔の僧である法然や親鸞と共にあった。そうなのだ、人は時を越えた思念の世界に生きることもできるのだ。それを単なる古臭い信仰と片付けてはならない。私自身は如何なる信仰も持ち合わせていないが、遠い祖先の自然への畏れを今の世において分かち合うことはできる。
 花より団子。だが、観賞用の花木を愛でることを私は否定することはない。そのような余裕を持つことを理想の一つとしてもいいだろう。しかし、私自身は先ずもって命を繋ぐことの大切さと難しさを考えたい。私は危機感を持っている。今の世は“飽食の時代”などではない。“食い潰しの時代”と表現すべき末期的な状況にあるのだと。一方では、これが単なる私個人の思い過ごしであればよいと願っている。だが、どうしても人類が危うい状況にあるとしか考えられないのだ。花より団子、充分な農作物を収穫できる地球であり続けますように。花より団子、その昔には神々が宿ると信じられ畏怖されていた花木が無頼漢に荒らされることなく野の片隅で咲き続けますように・・・願いは尽きない。

 私が敬愛し真の仏教徒であった祖母に育てられた私の父もまた敬虔な仏教徒であった。だが、その父に育てられた私は仏教を含め如何なる宗教をも信じていない。その理由はここで述べる主題からは懸け離れているので割愛する。ただ、信仰心とは別に、宗教に根差した行事はその本筋なり伝統を重んじなければならないことを弁(わきま)えるべきだと考えていることだけは表明しておきたい。私の“花より団子”というのは、山野の片隅に咲く花をこそ愛でる気持ちの表れなのだと、心静かにそれらを振り仰ぐ心根の表現なのだということを理解していただきたい。

(2004年4月3日)


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日の出に四季を感じて大袈裟に物思う

 物心付いてから大学を卒業するまでの間は、四季の変化の全てを身体全体で感じていたように思う。ところが、社会に出てからは、ほんの一部の事象で、それも五感の一部のみを使ってでしか季節感をることできなくなった。無理もないことで、早朝から深夜あるいは明け方まで実験室やオフィスに籠っていたのでは、外界のことはほんの短時間の通勤時間内にしか感じることはないのである。具体的には日の出の時刻と外気温と車窓から眺める少しばかりの景色だけということになる。それも、殆どのものが分厚いフィルターを通しての体感に過ぎない。
 外気温の変化は否が応でも感じるが、自動車による通勤では、暑さ寒さを感じるのは瞬時のことになる。外気に曝されるのは建物と自動車の間を移動する間に限られるからだ。冬になれば寒くなったとは認識したものの、若い頃には真冬でもコートが必要だとは思いもしなかった。それほど短時間しか外気に触れなかったということになる。景色も然りである。朝日除けのサングラス越しでは若葉の緑も紅葉も鮮やかには映えない。サングラスを必要としないのは日の出前の薄暗闇の時間帯だけだから、景色など薄墨色の墨絵かクロッキーの様にしか見えない。端的に季節による違いを感じられるのは唯一日の出の時刻である。一年を通して同じ早朝の時間帯に通勤していると、ヘッドライトを点灯しなければならない季節とスモールランプのみでよい季節とすっかり太陽が昇っている季節の違いは極めて明確に感じることができる。
 私はアメリカ資本のコングロマリットに勤めていたので、アメリカ本社の人たちとの電子メールの遣り取りなどのためにアメリカ時間を常に気にしなければならなかった。そういうことで、彼らが採用しているサマータイム制の時刻変更時期には、日本に居ながら自分の腕時計のワールドタイムの設定を切り替えることを怠ることができないという奇妙な生活をしていた。その当時は現実に流されていたので深く考えもしなかったが、その会社を辞めた今では、サマータイムの制度なんて実につまらないものだとつくづく思っている。理由は極めて単純だ。先ほど述べたように、忙しい社会人が掛け値なしで四季を認識できる唯一の指標である日の出の時刻の感覚をぼかしてしまうからである。日の出に合わせて時刻そのものを繰り上げたり繰り下げたりして季節に係わりなく日の出の時刻をほぼ同じにしてしまえというのは、余りに情緒を無視した乱暴な遣り方だと思う。
 それを、時間を有効に使うための妙法だという。その言い分に一理も無いとは言わないが、季節感を大事にしたい者としては「そんなのは愚の骨頂だ」と大いに剥(むく)れたいものだ。日の出が早まると同時に日の入りは遅くなる。即ち、サマータイムの採用で日の出の時刻が季節による変動を受け難くなるとともに、太陽の下で活動する時間は大幅に長くなる。が、それは、取りも直さず、その分だけ日の入りの時刻が極端に遅くなってしまうことをも意味する。その遅れたるや季節の変化を感じるといった程度ではない。極地の白夜ほどではないが、誰もが面食らうほどに大きな違いなのである。その反映として、私の嘗ての同僚であったアメリカ人たちの愚痴の一つに面白いものがあった。それは、「夏場は家事労働で疲れる」というものであった。具体的には、会社が退けてから日が暮れるまでの時間が途轍もなく長いということで、その長ぁい時間を利用して芝生刈りや家屋整備作業などに精を出さなければ奥方に許してもらえないということである。アメリカでは職人の賃金がべらぼうに高いため、中流程度の家庭では外壁のペンキ塗りなどは家族労働で片付けるのが普通なのである。
 勿論、家事労働から解放された日にはゴルフコースをフルに廻ることができるという利点もあったらしいが、ゴルフを嗜(たしな)まない私としてはそれを利点とは理解できなかった。「仕事で草臥(くたび)れた後でゴルフ場をテクテク一廻りするなんて嫌なこった」と思っただけだ。そうは思いつつ、価値観の違いだからゴルフ好きに文句は言わない。また、お天道様が顔を見せているあいだ目一杯活動するという点では時間を有効に使っていると認めない訳でもない。だが、散々動き廻って「おやまぁ、もうこんな時間だ」と大慌てで明日に備えて眠るなんて、忙(せわ)しなくていけないというのが本音である。先ほども言ったが、日が長くなったことで季節感に浸っている余裕が全くなくなるのは戴けないのである。
 仕事をサボることはどの道できないし、時刻を繰り上げなくても日の入りは遅くなって活動時間は放っておいても増えるのだから、夏場も冬場と同じ時間制にしておいて、通勤時間帯に季節感を束の間ながらしみじみと感じていた方がいいと私は思うのだが・・・読者諸氏にはどのように思われることであろうか。あなたは“日照時間目一杯セコセコ派”? それとも、“束の間だけでもシミジミ派”?

 さて、農耕民として文化を育んできた日本人は、古来、四季とは恵みをもたらすものと理解してきたと思う。また、国土のかなりの部分が照葉樹林帯に属するわが国では、農耕が始まるずっと以前の狩猟採集時代であっても、やはり四季を恵みの源と捉えていたに違いない。しかし、世界の中には、そんな風には思っていない人たちもいるようだ。ギリシャ神話によれば、ゼウスにより創られた女パンドーラとティターン神族の一人であるエピメーテウスとが最初の人類の始祖だということになっている。エピメーテウスというのはカウカソス山に繋がれゼウスの鷲に肝臓を突かれ続けているかの有名なるプロメーテウスの弟である。この人類第一号は、しかし、軽率なパンドーラの行為のために堕落してゆくことが運命付けられたのだった。
 尤も、最初の時期は人類も善良にして穏やかであり、自然も乱されることがなかったので、世界は常春の楽園であったそうだ。この時期は“黄金の時代”と呼ばれている。しかし、やがて堕落への動きが見え始めて“銀の時代”になったため、ゼウスは春をぐっと短くして四季を作ったという。四季とは、言ってみれば、悪の本性を顕し始めた人類への罰だということらしいのだ。そのお蔭で、人類は暑さ寒さに耐えなければならなくなり、また食料も農作業に汗を流さなければ得られなくなったという訳である。牧畜で文化を育んだ民族特有の考え方なのだろうと推察している。
 ことのついでに、ギリシャ神話の人類第一号のその後について述べておこう。“銀の時代”の次には“青銅の時代”、更にその次には“鉄の時代”へと進み、人類は手の施しようが無いほどに堕落してしまった。そこで、遂にはゼウスが起こした大洪水で滅ぼされてしまうのだそうだ。何とまぁ気紛れな神様であることか。自ら災いの種を蒔いておきながら、知らん顔でジェノサイドに及んだのだ。まぁ、神様は気紛れであって神様らしいのだから仕方ないとして、生き残ったのはプロメーテウスの息子とエピメーテウスの娘だけだった。而(しか)して、この二人が改めて新たな人類を創り出したということになっている。早い話が、現在地球上で右往左往している私たちは出来損ないの二番煎じらしいのだ。
 さて、余分な説明が長くなったが、要するに、ギリシャ神話では、四季とは実りを与えてくれる有り難いものではなく、人をして実りを得るために労苦を厭わず働かしめる苦痛の根源だということになる。こういう理解なら季節感など煩わしいだけだろうから、私のように通勤時に束の間の季節感に浸っていたいと思う感情は「馬鹿馬鹿しい限り」だと軽くあしらわれてしまっても仕方なかろう。季節によって時刻を操作することなどお茶の子さいさいに違いない。だが、農耕民の末裔たる私の立場から言えば、「ギリシャ・ローマ文化圏に生まれてこなくてよかった」ということになる。決して西欧文明を嫌っているのではない。ただ季節の捉え方についてのみ比較すれば、単純にプラス志向である日本的な感じ方を好ましく思っているだけなのだ。
 何事であれ、物事は情緒的に楽しくなる方向に考えた方がいいに決まっている。季節の移ろいを神の与えた試練のように考えるのは嫌だし、もし本当にそんな意地悪な神様がいるのならそんな神様には隠れてアッカンベーでもしてやりたいものだ。隠れて反抗的態度をとる理由は、あからさまに反抗の意思を示すと、意地悪な神様のことだからどんな仕返しを企てるか分からないからである。尤も、ゼウスのような神を想定するなら、全知全能なのだから、隠れてアッカンベーをしてもすぐさま悟られてしまうのであろうが・・・
 冗談はさて置き、季節の変化とは実に多彩で美しいものだ。それを通勤時間帯の束の間にしか味わえない日本の勤め人の生活は惨めなのかもしれない(私が知っている勤め人に限ったことかもしれないが。) 季節についてのギリシャ神話を扱(こ)き下ろしたが、こんな余裕のない生活を送っているようでは、とてもとても、そんな資格はないのではないかとも思う。かと言って、サマータイムを採用して、お日様がいつまでも照りつける夜などという“夜”という言葉の定義に反する時間帯を創り出すことで“余裕”を得ることにも大いなる抵抗を感じる。「サマータイムは日本人にとっては異質な文化でのみ成り立つ」とまでは言っても差し支えないのではなかろうか。兎に角、私個人としては、あるがままの自然とあるがままの時間の推移の中で作為無くノホホンと暮らすことが一番だと思っているのだ。何もわざわざ異質な文化を持ち込んで混乱を招く必要はないし、それはサマータイムに限ったことではないと思っている。

 然しながら、最近の為政者の態度を観察していると、胴長短足の農耕民の子孫でありながら、牧畜民の末裔が多いアメリカの真似を滅多矢鱈したがっているように見える。資本主義体制も“遅れた”日本型から“進んだ”アメリカ型にしようと目論んでいるようだし、国際的な立場もアメリカ流の独善を好しとしているようだ。司法制度のみならず国政を司る基本的な制度からしてアメリカ風にしたがっているように見える。大統領選挙を真似た総裁選挙方式にしたいのではないかと思える動きもあるし、手っ取り早く首相を大統領にしてしまいたいのではないかとすら感じられる。二大政党化への大掛かりな根回しもアメリカ型社会への憧れが大きな動機のように感じられる。とにかく、モーニングあるいは紋付羽織袴姿での靖国神社参拝に固執しつつ、ジャンパー姿でのアメリカ大統領とのキャッチボールにも御執心といった奇妙な様子ではある。
 私は心から願っている。アメリカ資本主義の真似事で貧富の差を拡大し、落ち零れ国民の切捨てに走らなければ日本経済が成り立たないと言うのならそれでもいい。どの道、経済的には下の部類に篩い落とされることは目に見えているのだから今更ジタバタはしない。アメリカ型の正義の押し付けが好きなら、手を携えて何処へでも軍隊を送ればいい。聖戦だと信じて攻撃してくる敵兵に対して、単純にテロリストを誅罰するのだといって自分の側の正義の旗印を振り翳しても噛み合わないが、独り善がりでも自分の主張する正義こそ真の正義だと信じるのが正義の正義たるところなのだから仕方が無い。その結果、近隣諸国から猜疑の目で見られようが何人の兵士が死のうが、切り捨て御免の下の部類にランク付けされた国民層にはさ程のインパクトもないことだろう。どんな選挙で誰が頭目に選ばれても、少数意見を抹殺して予め定められたストーリーを展開させるだけの二大政党政治では、そんなものは単なるお飾りに過ぎない。ニュースカメラの前でのパフォーマンスさえできれば誰が首相でも大統領でも構いはしないのだ。大統領だと通常は国家元首になるが、さてパフォーマンスだけなら端(はな)から役者を雇えばいいのではないのだろうか。
 とにかく、それらのことなら何をどうしても無駄な文句は言うまい。しかし、ただ一つ我を張らせてもらいたいことがある。アメリカを真似てサマータイムを導入することだけは止めてもらいたいのだ。私は切にそれのみを望む。大袈裟なようだが、これだけは譲りたくない。太平洋戦争後のその昔、GHQの支配下にあった時分に、日本でもサマータイムが実施されたそうだ。だが、私が物心ついたころには既に廃止されていた。先ほど来申し述べている通り、日本の国民性に合わないということなのだと解釈している。それは、大昔から、自然宗教が発生するよりもっともっと以前の太古から、日本人(そんな大昔でも日本人と呼んでよいものならだが)に備わった感性に違いないと私は信じている。ヒトは自然の一部だ。ヒトの群はその群が存在した自然環境に素直に従っていてこそ、それこそ自然なのである。小難しい議論など必要ない。束の間であろうが季節感に浸る機会は護らなければならないのだ。

 西欧文明の流れの一つであるアメリカの制度を槍玉に挙げているが、私は決して国粋主義者ではない。古事記や日本書紀など単なる辻褄合わせの作文に過ぎないと思っているぐらいだから、勤皇の志士では有り得ないのだ。むしろ、敗戦前なら神聖なる歴史を学ぼうとしない“非国民”と呼ばれて迫害されていた部類なのである。だが、同時に、それら記紀に収載された神話はそれなりに尊重したいとも思っている。オオクニヌシノミコトと共に国造りに従事したというスクナビコナノカミは、遠い昔に環太平洋芋文化を日本列島にもたらした縄文時代の担い手である古モンゴロイドとその後に稲作文化をもたらした弥生時代の担い手たる別のモンゴロイドの記憶が交じり合ったものではないかなどと空想を巡らせているのだ。奇妙な態(なり)で海から現れ、言葉を喋らず事を成し終えた後には常世の国へと帰って行ったなんて謎めいたところが如何にもそれらしいではないか。こんな風な想像が本筋で間違っていないとすれば、稲作文化をもたらした異民族の流入からしても随分と長い時を経た七世紀末から八世紀初頭にまで、更に更に古(いにしえ)の記憶が保持されていたということになり、記紀の神話から日本人あるいは日本文化のルーツについてもっと多くのことを知ることができるのではないかと期待すらしている。
 別の観点からも記紀の重要性は認めている。日本語や朝鮮語のルーツは未だに不明だそうだ。それがアルタイ語であれミクロネシア語であれタミール語であれ、それを証明するのはいみじくも、古事記の編纂者である太安万侶が言っている通り無理に無理を重ねた、漢字と万葉仮名で表記された古文献とそれらについての古(いにしえ)の研究書のみなのである。比較言語学では、対象言語のできる限り古い姿を把握していることが謎解きの鍵になる。万葉集やそれより古い記紀のこの分野における重要性は明らかだ。
 端的に表現すれば、私は教条的に日本国を神聖視する態度には断乎として反対するが、自然史的な推移の中に醸し出された日本固有の文化とその源については重く受け止めたいと思っているということなのである。それこそが私たち現代日本人の感性を形作ったものだからである。そして、そんな大袈裟な民族の感性の問題の一つとしてサマータイムを捉えているということなのだ。「なんと大仰な」と非難し給うことなかれ。気軽に外来の考え方を導入して100%の利益を得ることなど有り得ないのだから。
 平安時代に、外来宗教である仏教を古来の神々と融合して国教化するために案出された本地垂迹説が如何に当時の神教者を動揺せしめ、且つ、仏教を低劣化せしめたかは説明の必要もない事実である。神社には本来の祀り神とは縁もゆかりも無い仏・菩薩が本地として祀られるようになった。現在では、大乗仏教諸宗派のみならず禅宗ですら仏教寺院は旦那寺となり葬式および先祖供養を専らとしている。日本の宗教思想は原初の神教者あるいは仏教者から見れば信じがたい程の奇妙な変貌を遂げてしまっているのだ。
 これらはその昔の恣意的にして無批判な外来文化の摂取に起因していると私は思っている。実際に起こった過去の出来事を否定的に捉えるのは、その過去を土台にしている現在を否定することになるから実りの無い議論だとの意見もあることだろう。また、どこの国でも似たり寄ったりの現象が起こっているのも承知している。仏教発祥の地であるインドですら、仏教はヒンズー教と融合している。だが、反論として言いたい。日本における現象は専ら政治的な意図に基づいた強権的な力が関与していた点を忘れてはならないのだ。現状を否定することは無意味だし、私も現在のあるがままの日本の民俗宗教を現実として全面的に受け入れている。いや、それも私たちの感性の要素の一つだと尊重すらしていると言った方が適切だ。だが、そんな現状を肯定する態度と現状に至ったきっかけを批判することを撞着と非難してはいけないと思う。将来へ向けての教訓を得るために過去を批判することは許されて当然だ。
 そんな議論より、先ず、未だ具体的に取沙汰されていないサマータイムの問題について云々するのが馬鹿げていると指摘されそうだ。だが、無批判とも思える為政者のアメリカへの追従姿勢をこれほど見せ付けられると、問題を先取りして予防線を張っておきたいと考えても不思議ではない。それで、暗闇の通勤から朝日の直撃を受けながらの通勤へ、更にすっかり明け渡った穏やかな通勤へと変わって心がやや和んでいるこの時期に、サマータイムの問題をついつい考えてしまっただけなのだ。
 それに、何といっても、年に二回も時計を進ませたり遅らせたりするのは面倒だ。私は三種類の時計を使い分けているが、機械的な日付表示の時計にはうんざりしている。放っておけば嫌でも31日まで進んでしまうから “西向く士”の月末毎に日付を進めなければならないからである。年に二度とは言え、サマータイム制のために時計を弄り回して進めたり遅らせたりするのは誰にとっても面倒なことだ。デジタル時計でも、ボタンを何度か押さないとサマータイムには切り替えられない。左様、単なる無精者としてもサマータイムには同意しかねるということなのだ。話を小難しく捏ね回した挙句に白状するが、ややこしいことは後回しでもいいから、時計を弄っている暇を惜しんで束の間の季節感に浸っていたいのだ、この私は。

(2004年3月23日)


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何処を向いても先生だらけ、結構けだらけ猫灰だらけ

 子供の頃、私は学校の先生が嫌いだった。理由もなくいちゃもんをつけられたり身に覚えのないことで叱られたりすることが多かったからだ。そう言うと、「それはお前さんが生意気だったからじゃないのかね」と揶揄する人が多いのではないかと思う。そうだったのかもしれない。しかし、掃除当番で大人しく掃除をしている最中に、私が気付いてもいない通りすがりの教師にいきなり胸座を掴まれて「何か文句があるのか?」と凄まれるほど生意気だったとは思っていない。
 私の兄は俗にいう“できる子”で小学校の先生たちもチヤホヤしていた。現に、日本国中にその名が知れ渡っている有名私立中高一貫校に行った。私はいつもぼけっとした無口で目立たない子だった。母親や先生が兄と同じように「名門中学に挑戦してみないか」と水を向けても、素っ気なく「電車で行かなあかんとこへは行かへん」と言い、意志通りに地元の公立中学へ進んだ。勿論のこと、母親や先生が言うところの勉強はあまりしなかった。そのくせ、所謂“できない子”でもなかったようで、そのことが却って先生たちの癇に障ったように思う。
 中学では“帰宅部”に属し、同じように部活に参加していない少数の“変わり者たち”と古い時計を幾つも分解したり、煙ばかり出てちっとも飛ばないロケットなどを作って黙々と遊んでいた。運動が嫌いだったのではない。他校の野球部の連中と中学では禁止されていた硬球を使っての“非公式練習”にも精を出していた。音楽の教師に合唱コンクールに出るメンバーにならないかと誘われても、にべも無く断った。大阪で最も進学率の高い府立高校を受験しろと勧められても、自宅から歩いて通える府立高校にした。勿論、先生たちからは白い目で見られた。私はただ通学に余計な時間を使わず、学校では充足されない自分の好奇心を満たすための時間をなるべく多くしたかっただけなのだが、彼らにはただの反逆児の気紛れに思えたようだ。高校でもまた、多くの先生と反りが合わなかった。大学受験の妨げになるから運動部は二年生で止めろと言われても、頑として剣道部の活動を続けたし、ちゃらちゃらした生徒会や文化祭は完全に無視した。
 考えてみれば、計らずも、教師の言うことに悉(ことごと)く逆らってきたということになる。その辺りが教師から目の敵にされた原因かもしれないとは思っている。この分析が当たっているかどうかは分からないが、兎にも角にも、学校生活の総体的結果として私は教師が嫌いになり、その所為で“先生”という言葉自体からして嫌悪するようになったのである。 ところが、私にとって実に不幸なことに、周りを見渡すと、この世の中には矢鱈と“先生”が沢山いるのだ。教師の他にも、議員、弁護士、医者を筆頭として、お茶にお花に着付けに大正琴、習字に絵画に手芸の数々、何でも彼でも先生がいる。「そりゃぁ、どんな分野でもエリートや上級者は皆“先生”でいい」という意見もあるだろう。ところが、私は大の先生嫌いときている。周囲に先生がうじゃうじゃ居ると虫唾(むしず)が走って我慢ならないのだ。

   先ずもって分からないのが、各種議員を先生と呼ぶ理由である。広辞苑に拠れば、“先生”とは@先に生まれた人、A学徳の優れた人または自分が師事する人、B学校の教師のことだと書いてある。議員が押し並べてこれらの範疇に入るとは思えない。確かに、複雑怪奇な政治の世界を泳ぎ回る技術を特殊な能力だと評価してもいいだろう。ある程度の良識と学識も要求されることだろう。しかし、何らかの技能や知識に優れた人材は民間企業にだって掃いて捨てるほどいる。それに、皮肉を込めて言わせていただくなら、さほどの学識はおろか普通の良識すら持ち合わせていなさそうな議員がそれこそ佃煮に出来るほど大勢いるではないか。これは根拠のない誹謗中傷ではない。収賄や詐欺や詐称や諸々の選挙違反で摘発されたり槍玉に挙げられている議員についてひっきりなしに報道されているのだから。
 弁護士や医者も先生と呼ばれるが、彼らが特定の分野について膨大な知識あるいは特殊な技能を有していることを否定はしない。だが、それが即“学徳”とはならないところが人生の奥深さだ。議員も含めて、彼らの中に有徳の士が居ないとは言わない。とは言え、猫も杓子も“先生”と呼べるほどの数ではない。猫が毛だらけなのは当然として、どんな種類の人の集団であれ“先生”だらけである筈がない。どんな分野でも有徳の士は数えるほどしか居ないのが悲しいかな現実なのだ。広辞苑で教師を“先生”の一つとして数え上げているのは、教師には未来を背負って立つ子供たちが“学徳”を身に付けるプロセスをコントロールするという役割があるからである。そんな教師の集団でも有徳の士を見つけ出すのはかなり難しい。
 その他の“先生”に至っては論評の価値もない。カラオケでも折り紙でも他人に教えれば“教師”たる“先生”かもしれない。しかし、子供の頃を思い返してみると、色んなことを色んな子供たちから教わった。凧揚げの上手い子、独楽回しの上手い子、ベッタン(メンコの関西での呼び名)の上手い子、逆上がりの上手い子・・・数え上げれば切りがない。そんな仲間からそれぞれの遊び方を教わってきたのだ。年嵩(としかさ)の子もいたし、同年輩の子もいた。ごく稀には年下の子からも教わったものだ。でも、彼らを“先生”とは思わなかった。教わる者としてそれなりに礼を失しないように気配りはしたが、“先生”だとは思いもしなかった。大人の世界では、何故、短絡的に“特定のことを教える者=先生”という図式が出来上がるのだろうか。不思議でならない。

   “先生”と呼ばれている連中の間には奇妙な習慣がある。それはお互い同士を“先生”と呼び合うことである。医者同士あるいは教師同士は双方ともに相手を“先生”と呼ぶ。子持ちの夫婦間で、妻が夫を“お父さん”、夫が妻を“お母さん”と呼ぶような軽い現象なのかもしれないとも思う。が、“先生”嫌いの私としては些か別の匂いを感じてしまう。彼らは、私とは違って、そもそもが“先生”という言葉が好きなのに違いないと思うのだ。意地悪く表現すれば、“先生”と呼ばれることによって快感に浸っているのだと言っていい。
 ことの真偽は定かでないが、そのような理屈以外で私には彼らの心理が理解できない。「先生と呼ばれる程の・・・」という言い回しがあるが、先生嫌いの人間には実感を伴って理解できる言葉である。単純に言うなら「“先生”なんて呼ばれたくない」ということなのだ。そんな感覚の私にはお互いを“先生”と呼び交わす人々の心の内は遥かに理解の範囲を超えている。とはいえ、斯く言う私も嫌々ながら先生と呼ばれたことがある。大学で非常勤講師をしていたときには、学生たちは私のことを“先生”と呼んだ。幾つかの医学分野の学会に所属していたが、それらの会合や通信の中では否が応でも“先生”にされてしまうのだ。
 私は、極力、「私には****という名前があります」と名前で呼んで貰うように仕向けたが効果は殆どなかった。ともあれ、“先生”と呼ばれた時の感覚は今でも思い出せる。はっきり言って、耳障りではあるが、慣れればただの符号だと聞き流せるようにはなった。だが、もう一つはっきりしていることは決して快感はなかったということである。どんなに慣れても、心の中では常に「“先生”なんて呼ばないでくれ」と叫んでいたのだ。
 あるとき、「“先生”って呼んでれば全て片が付くから“先生”って便利な言葉よね」という発言を耳にしたことがある。それに対する反応は「って言うか、他にどう呼べばいいか分からないわよね」というものであった。なるほど、“先生”という呼称はどう呼んでいいか分からない相手に使っておけば無難な呼び名という側面があったらしい。一理は認める。だが、先生嫌いの私は反論したい。人には全て名前がある。名前で呼ぶことこそが最も適切な呼び掛けなのだと。
 ちょっと違ったシチュエーションで考えれば理解しやすいと思う。日本の夫婦間では極めて怪しからぬ風習が未だに残っている。夫が妻に、「お前」とか、酷い場合には、「おい」とか呼び掛ける(最近では、妻が夫に対して言う場合もあるやに聞くが。) 今では、警官ですら「おい」とか「こら」という言葉は使わなくなった。しかし、多くの家庭内では未だにこんな前近代的な会話が生きているようなのだ。「これっておかしいよね?」って、賛成者を獲得するために敢えて猫なで声で訊きたい。名前がある者にはその名前で呼び掛けるのが普通でなければおかしいと思うし、そういう風潮を定着させたいからだ。
 「“先生”は尊称なのだから、名前で呼ぶより丁寧なのだ」という反論が聞こえてきそうだ。しかし、どう呼んでいいのやら分からぬ相手に意味の無い尊称は不要だろう。「**さん」で充分だ。今や不明確になったとはいえ、謙譲語と尊敬語は異なった言い回しである。その流れとして、単に遜(へりくだ)った呼び掛けと尊敬の念を込めた呼び掛けとが異なっていることこそ自然といえる。教わる者としての謙譲の意思は必要だろうが、如何なる恩恵を得ようとも単なるインストラクターに対して尊敬の念を無条件に抱く理由などない。人として対等な立場でご教授願えばそれでいいことだ。私自身、自分の得意分野について人に講釈する場合には、相手が自分と対等の位置を主張することをこそ好ましく思っている。だから、この言い分は単なる虚勢ではない。心からそのように信じていることなのである。

   私がここで気に病んでいるのは、単に私が嫌う“先生”という言葉の氾濫のことではない。その現象の陰に隠れた見せ掛けの尊敬、あるいはそれを利用した“偽者”の横行である。時流に乗れば誰でも大家だし、大家にかかれば何でも彼でも立派な意見であり作品になってしまう。残念ながら、凡人の集まりたる大衆に瞬時にして本物を見極める“眼”はない。取り敢えず周りの評価に流されておけば無難なりという付和雷同の精神が全てを支配する。それで、偽者の横行を許してしまうのだ。
 また、真の“本物”も偽者の“成功”に刺激されて偽者が得たと同様の利益を安易に欲するようになってしまい、その結果、“偽者”に成り下がってしまう。こんな混沌とした玉石混淆の状態こそ憂うべきことだと思っている。私は、マスコミが取り上げるずっと以前から、とある近年の大発明に対して密かな敬意を払っていた。実験機器の自家製作に当たってその発明の対象である電子部品に制約があることに不便を感じていただけでなく。その制約を乗り越えることの困難さを知っていたからである。ところが、その制約を見事に乗り越えた発明者たる田舎の企業にいた技術者が渡米し大学教授になった後に、自身の発明に対して正当な対価を支払えと訴訟に及んだと聞いて、これまたひっそりと失望したのであった。彼は本物にして偉大な研究者であり発明家だ。しかし、研究の成果にのみ誇りを抱いていた当初の姿勢を翻し巨額の対価を求めるに至ってしまった。私には本物が偽物に堕落してしまったかのように思われたのだった。
 会社員が会社の業績に対する自己の貢献をアピールするのは至極当然のことだろう。それが巨額に及ぶ分配金の要求であっても、額が正当であれば誰しも納得するだろう。だが、過去に遡ってまで自分の取り分に固執するとなれば評価は異なる。私は、過去の如何なる局面においても、そのときの自分を最も大切なものと感じる。そのとき金銭に執着していなかったのなら、いや、たとえ執着していても要求を貫かなかったのなら、今更その折の利益を求めることは自ら自身に対する恥辱と感じるだろうと思う。ご本人には私とは異なる考えや言い分があるであろう。後輩たちへの配慮かもしれない。会社の不誠実な態度への怒りが時を経るに従って募ったのかもしれない。何であれ、私には理解できない。カネ絡みの訴訟以外にも打つ手がありそうに思えるからである。私は世紀の大発明の主を尊敬しているが故にこの裁判沙汰を残念に思っているのである。最終的にどのように決着しようが残念でならない。
 彼も、アメリカの大学になど行かず、一生涯を市井の研究者として生きて行く道を選んでいれば、訴訟に係わる膨大な時間を利用してもう一つの大きな発明を成し遂げていたかもしれない。人は無心に自分の好奇心を満たそうとするときにこそ底力を発揮する。“先生、大先生”などと持ち上げられていたのでは腹の底から力が抜けてしまうのではないかと心配する。ただ鼻を高くすることにのみ関心と時間を取られてしまうかもしれないからだ。特にアメリカの大学では“金集め”で教授の力が評価される。どれ程のグラントを獲得するかで、良いスタッフを得ることができるかが決まり、スタッフの質次第で研究成果は左右される。日本にいた当時の冷や飯食いの民間研究者では碌な施設・設備はなかったと思う。研究費も高が知れていただろう。優秀な同僚も居なかったことだろう。そんな環境下で、彼が“先生”と呼ばれたことなどなかったに違いない。
 改めて確言しておくが、私にこの発明者の人格を傷付けようとの意図は全く無いし、偉大なる発明家として敬意を抱き続けている。ただ、ひたすらに残念に思っているだけなのだ。“先生嫌い”独特の論理かもしれないが、彼が“先生”と呼ばれる立場になってしまったからこんなことになってしまったのだと勝手に思い込み、寂しさを噛み締めているだけなのである。人は、何であれ“先生”になった或いはされた途端に尊大になる傾向にある。しかも、本人がそうとは気付かぬうちにである。このことは事実だから、私の思い込みもあながち的外れではないのではあるまいかと心を傷めているのだ。

 ところで、我が家宛の電話には「**先生いらっしゃいますか」というのがとても多い。今では自分自身では絶対に受話器を取り上げないが、その昔、何気なく電話の呼び出しに応対して「**先生いらっしゃいますか」と問われたときには、意地悪く「何先生ですか? **先生? それとも***先生か****先生? 誰に御用でいらっしゃいますか?」と訊いてやったものだ。他人の家に電話しているのだ、家族が何人もいるかもしれないのだから「何の何兵衛」と指定するのが本筋だろう。まぁ、選りに選って大の“先生嫌い”が巣くう家に電話してきた人の災難だが、その人は大層面食らったに相違ない。が、私の言い分に間違いはないと信じている。どうしても“先生”付けで呼びたいのなら、せめてもの配慮として、姓+“先生”ではなく姓名+“先生”にすべきだ。
 こんなことを言っていると、世の中に無数に居る先生方から総スカンを食らいそうだが、たとえそうでも、私自身は痛くも痒くも無い。子供の頃から先生にいちゃもんを付けられ続けたのだから、今更、先生に何を言われても気にもしない。それより、世の先生方にもう一言余計なことを申し上げたい。「もしも貴方自身が人をして自らを先生と呼ばせたいのならば、それなりの学徳を身にお付けなさい」と。「そうすれば、私のような“先生嫌い”でも心からの敬意をもって貴方のことを“先生”と呼ばせていただくことでしょう」と。
 これは断じて皮肉ではない。学徳を身に付けた人は決して驕(おご)り高ぶらない。学徳とはそういうものなのだ。そのような人に接すれば、私のように屁理屈を捏ねることを常としている臍曲がりでも自ずと頭を下げる。しかし、真に残念なことに、現在の世の中では学徳どころか学だけでも究めることは困難だ。学問分野を玉葱の微塵切りのように細分化し重箱の隅をつつくような研究が主流になっていたのでは、専門馬鹿は量産できても個人として総合的に学を積んだ真の知識人は生まれてこないからである。
 「人類の知識や技術が膨大になってきたのだからそういう現象も已むを得ない」という意見を聞く。だが、私は些か異なる見解を有している。各人がそれぞれの専門分野について他の分野より深い学識を有していることは当然のことだ。だが、ある専門分野を修めるために他の非常に多くの分野の初歩的な知識さえ放棄しなければならないとしたら、人類が獲得した知識範囲は人類の能力を超えてしまっていると考えるべきだと思っている。ヒトは個人個人として各々が総合的な学識や良識を獲得しなければならない。そうでなければ、人類は単細胞生物の集合体と変わりなくなってしまうからだ。そんな情けない羽目に陥るぐらいなら、知識の広がりと蓄積を一時的に止めてでも、個人個人の総合的能力アップに努めるべきだ。
 極端な例を示した方が理解し易いかもしれない。世界の中でただ一ヶ国自分だけの独自路線を歩む国があるが、その国の優秀さを示すのに利用されている“天才少年たち”は一つの芸にのみ集中するあまり他のことは読み書きすらまともにできないと聞く。同様に、特殊な層を歌舞音曲で接待をするために組織された美人集団のメンバーは家事どころか普通の市民生活を送るための素養すら欠如しているとも聞く。今や、日本でも所謂“英才教育”が大流行だが、一歩踏み止まって考え直してはどうだろうか。一芸に秀でていることは素晴らしいことだ。しかし、その裏で一般常識すら欠如しているようでは困ったことではあるまいか。

 空想を巡らせてみよう。この調子で学問や文芸やその他のあらゆる文化的なことの細分化が進むと、各人がたった一つの分野の専門家になりその他のことは全然分からないという事態になりかねない。別の見方をすると、世界中の全ての人がある分野については完璧でありながら他の分野ではただのお馬鹿ちゃんだという奇妙な世界が出来上がるかもしれないのだ。そうなったら、私のような先生嫌いには地獄だろう。人類の全てが落ちこぼれの先生なのだ。自分自身が他の誰も理解できない特定の小さな分野の先生であり、且つ、自分の専門以外のことについては星の数ほどいる他の先生から教えてもらわなければ何もできないということなのである。先生に雁字搦めにされるなんて考えただけで吐き気と目眩で倒れそうになる。
 空想は飽くまで空想だが、現実は既にこの空想の突端(とっぱし)に及んでいるように思う。「“先生”だらけも大いに結構」などと笑ってはいられないと憂えているのだ。「結構けだらけ猫灰だらけ」なんて訳の分からない状況になってしまう前に何とかしなければならないと独りで焦っている。私は願う。私同様の先生嫌いが増えて、SF映画に出てきそうな恐怖に満ちた専門馬鹿先生が溢れる世界の到来が阻止されることを心から祈念しているのだ。そうでなければ、いずれは覚悟せねばならぬ人類の破滅の到来ではあるが、それを極端に早めてしまうと危惧しているからである。
 たかが“先生”が沢山いるというだけのからこんな大袈裟な考えに及ぶのは異常だろうか? 否。具体的に形ある財貨を生産しない第三次産業に偏った“成長”が先進国を堕落させる一因になっているように、何事であれ極端な偏(かたよ)りは社会を崩壊させる可能性があると警戒すべきである。現に、偏った価値観を押し付けようとする“正義”が、実際には、その“正義”が槍玉に挙げる“不正義”と同レベルの行動しかとっていないという現実を我々は目にしているではないか。落ち着いて本物を見分ける態度が備わっていれば、如何なる偏向も起きはしない。何であれ偏向現象が認められる場合には、人類は自身の態度を点検し直すべきなのである。

(2004年3月6日)


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目的と目標

 子供の頃、一種のお愛想のつもりであろうか、初対面の大人たちは「僕、大きくなったら何になるの?」と必ず訊ねてきた。幼い頃は、はにかみながらも「電車の運転手」とか「飛行機のパイロット」とか単なる憧れを至極簡単に答えていた。だが、高校卒業が間近に迫ってきた頃からは、その手の質問に答えることができなくなった。理由は極めて明白だった。“大人の世界”が間近に迫ってきていることは理解できるのに、その見知らぬ世界での自分をイメージすることが全くできなかったからである。
 しかも、その時期には、周りの大人たちは「人間たるもの“人生の目的”を明確に持っていなければならない」といった意味合いのことを盛んに口にし始めたのであった。“人生の目的”など晩生(おくて)の高校生には理解を超えた概念だった。「ヒトの生には目的があるものらしい・・・ということは、生き物たるライオンやカバにも目的があってもおかしくはないが・・・彼らに訊いても答えは返ってくるはずもない」なんて本気で考えたものであった。今にして思えば、私に“人生の目的”なるものの重要性をひけらかした当の大人たちに逆に訊ね返せばよかったのだ。だが、押し付けがましい問いを発する大人たちは「その答えを持っていない方がおかしいのだ」と言わんばかりの傲慢な態度であったので、純真なる高校生は彼らにそんな素朴な問いを投げ掛けることを躊躇してしまったのだった。
 大学に進学したのも、何か大きな目的があってのことではなかった。高校を卒業してすぐさま社会人になれと言われても、何をどうしていいか分からなかったというのが本音である。それに、幸いにも(と私は思っているが、「不幸にも」だと仰る向きもあることだろう)私は勉強が好きだった。勿論、母親が頻繁に口にした「勉強しろ」という言葉で表される勉強のことではない。答案用紙の点数を上げる勉強ではなく、母親にはどんなに懇切丁寧に説明しても理解してもらえない知的好奇心を満たすための勉強のことである。だから、もう少し好きな勉強をして実社会に出る時期を遅らせようと考えたということに過ぎなかったのだ。
 高校生当時、私は数学に凝っていた。図書館に行っては群論だの体論だのについての本を読んでは「いつか、自分でも何かしらの数学的空間を創造できればな」と空想していたものだった。しかし、「数学の研究が究極の目的か?」と訊かれたら即座に「否」と答えたであろう。私が数学に興味を持った最大の理由は、実在しないことが明らかな数学的空間での論理的な帰結が実世界の事実に合致するという点にあったからだ。数学に興味のない人のために簡単な実例を示すと、実世界には二乗すると−1になるという虚数など存在しないのに、虚数空間での計算結果は実社会での現象に適合するのである。
 即ち、人間の頭脳内の概念は、たとえそれが非現実的であっても、自然界の現象と矛盾しないという点に興味があったのである。「観念論だの唯物論だのと論争するまでもなく、人間の脳は自然の一部そのままなのではないのだろうか」と考えていたということである。数空間を思惟する脳の活動は特殊な天才の妄想などではなく、単に自然の一部に過ぎないのだ。その様に考えていたため、興味の対象は数学的概念を創造するヒトの脳自体であり、その脳の活動結果である人文科学や社会科学の領野にまでも広がっていた。特に、心理学や社会学には興味をそそられたが、その前に、神経科学や大脳生理学といったライフサイエンスの基盤も押さえておきたかった。
 そんな多種多様な方面に向いた好奇心を満足させるのはそう簡単ではないし、そのための勉学の“目的”を一言で説明することなどできる筈もなかった。ましてや、そんな勉学を続けている人生の“目的”など輪郭すら分からないほど曖昧模糊たる概念だ。大学に進学した私は、ますます「人間たるもの人生の目的を明確に持っていなければならない」という大人たちの押し付けが理解できなくなっていたのである。

 “目的”という言葉の裏には人の意志を感じる。一方よく似た“目標”という言葉には必ずしも人の意志は関係しない。H公園までデモ行進する場合、行進の目標地点はH公園だが、デモ行進の目的はH公園まで歩くことではなく、何らかの意思表示なのである。だが、“目標”も人の意志を背景にすることが多い。販売目標や交渉目標などは人の意志なくしては語れない。また、販売目的という言葉には怪しい匂いが漂うが、交渉目的という表現に違和感はない。“目的”と“目標”は極めて似ていながら微妙に異なる意味合いがあるのである。
 突然、目的と目標という言葉について論じ始めたのは次のような理由がある。大学生になった私が「“人生の目的”を明確にせよ」という周囲の大人たちの無理強いをかわすために思いついた逃げ口上が“目標”という言葉だったからである。“目標”には到達点という意味があるが、それは必ずしも“目的”ではない。到達点を英語でいうと“goal”で、“goal”の日本語訳の一つには“目的”が上げられるが、日本語の“到達点”は必ずしも“目的”ではないということである。具体的にイメージできる“当面の目標”を論じれば全く不可解な“人生の目的”の話は棚上げにできるのである。そして、案の定、こんな苦し紛れの逃げ口上に更なる追求の矛先が向けられることはなかった。ということは、大人たちが言う“人生の目的”にはさほど大きな意味を有する重い概念が伴っていた訳ではなかったのである。
 事実、多くの大人たちが掲げる目的とは、“自立する”とか“妻子を養う”とか“功遂げ名を成す”とか“一国一城の主になる”とかいった極めて陳腐にしてつまらない標語の類に過ぎない。もしも、こんな事が人生の目的だったら、人類は滅亡への道を自らの“目的”としていることになってしまう。何故なら、地球という資源をスポイルし使い果たそうとしている人類にとって大切なことは“自立した個人が助け合う”ことであり“妻子のみならず人類総体を維持する”ことでありそのために“功名心を捨てて事にあたること”であり、それは即ち“名もなき一人の働き手になる”ことでなければならないからだ。
 だが、“名もなき一人の働き手になる”ことほど難しい課題はない。“己を捨てて意志を貫徹する”などということは言葉上矛盾した行為なのだ。数学の世界とは異なり、社会通念で通じる言葉において矛盾した人の行為は実世界の現象とは馴染まないのである。ここで、私は、私自身が学生時代に考え付いた逃げ口上を利用することを提唱したいのだ。「人類や人生に目的など存在しなくていいではないか、先ずは、当面の目標を設定しようではないか」と言いたいのである。  そもそも人には、生まれ出でた折に、特別な意識などありはしない。誰も自分が生まれた時のことを覚えてはいないのである。そんな人間に、たとえそれが存在すると無理に仮定したとして、その目的などというものを認識できる道理がないのである。従って、「ヒトに持って生まれた“目的”などありはしない」と断言して差し支えないはずだ。勿論、特殊な宗教思想の持ち主でない限り、人が自らの意識外で他者から目的を与えられることなど有り得ない。人類の目的など存在しなくていいし、存在しないと断定して間違いないのである。
 人は、人が人として自らを認識した時に初めて、「何かをしたい、何かを成したい」と望むに過ぎないのだ。生きている以上無為に過ごしたくはない。だから必死で考える「自分に何ができるだろうか?」と。これは“人生の目的”などではない。飽くまで“当面の目標”なのだ。刻々と変化する意識を持つ人間が歩む道に自ら立てたマイル・ストーンの一つに過ぎないのだ。だから、堂々巡りであっても、または、糸の切れた凧の動きのように不確かなものであってもいい。また、その目標がめまぐるしく変化しても構いはしない。目的などありはしないヒトにとって、何らかの目標を持っていること自体に意味があるのだから。人は成長し、刻々その意識を変化させていく。春に恋をし秋に失恋するが如くにその心は遷(うつ)ろうのだ。そんな人の当面の目標が秋の空の如き変化を遂げても不思議でも何でもないのだ。

 私の“移ろい”の場合は少し劇的だった。学生時代が丁度“大学紛争”の時期であったからだ。私が当面興味を持っていた数学科教室は閉鎖状態だった。私の同級生で数学家志望だった者の殆どは小説じみた文章を書いて暇を潰していた。私はそんな気にはなれなかったので、当初の予定の順番を変えて生物学を専攻することにした。大脳生理学の研究の素地を作るつもりであった。ところが、生物学は想像以上に奥が深かった。ヒトがヒトと成り得た進化の過程を考察するには生物学の領分のみならず宇宙物理学、地球物理学、鉱物学、古生物学、生化学、等々の分野での知見を承知していなければならなかったのである。
 チャールズ・ダーウィンのビーグル号での航海で得たフィンチの観察だけで進化は語れない。しかも、彼の“種の起源”ですら未だに完全には邦訳されていないほど日本の進化学は世間に普及していないのである(勿論、訳本は出版されているが、原著と読み比べると些か趣の異なる部分があって満足できないということである。) 私が気楽に選んだ“当面の目標”の到達点は遥か彼方にあったのである。
 私は一つの学問分野にしがみつくことを放棄した。興味ある複数の学問分野の全てを極めることなど到底不可能だと思い知ったからである。ある分野で一区切りがついたらまったく別の分野に鞍替えしてもよしとした。全く異なった分野とはいえ、同一の人間の興味あるいは好奇心の対象なのである。その分野で得られた成果は、私の意識の中で、他の分野で得られた成果と無理なく融合する筈だ。完結することはなくても、無駄になることは絶対にないと信じたのだ。「たった一度の人生だから、遣り直しはきかない」との意見も耳にするが、私はそんなことはないと思ったし、後ほどその理由を申し述べることになるが、未だにそう信じている。必要が生じれば、何度でも遣り直せばいい。私は既に五十歳を超えたが、大学で一旦諦めた数学を遣り直す機会を未だに待っているのである。
 さて、多方面に亘る興味対象を渡り歩くとなると、そのつど変化を遂げる“当面の目標”の収束点を定めておく必要が生じてきた。別に、そうしなければならないということではない。必要が生じたのは単に自分自身が納得するためなのである。同一人の興味対象なのだからあらゆる分野で得られた成果は自己の意識の中で無理なく一つに融合する筈だとは信じるものの、どういったものが浮き上がってくるのか予測しておきたかったと言ってもいい。
 数学、心理学、社会学、大脳生理学、神経生理学などの学問への単純な興味だけなら言い古された“真理の探究”という麗句だけでも良さそうだが、人間の興味は学問の範囲だけに限定できるほど単純ではない。「何故、ご婦人方の電話は長いのか」とか「何故、最近の若者の日本語がだらしなく聞こえるのか」とか「何故、多くの人が他人の噂話に異常なほど旺盛な好奇心を持つのか」といった問題をただ心理学的に考えたのでは面白くもなんともない。実際にやってみれば分かるが、ヒトの奇妙な行動を分析するのではなくただ博物学的に収集し比較分類するだけの方が圧倒的に面白いことに気付く。
 そのような非学問的な興味まで含めて考えたとき、あるとき、はっと思い当たったことがあった。「個々の学問の深遠さに惑わされて見失っていたが、自分が知りたかったのはヒトそのものだったのだ」ということがようやく分かったのである。よくよく考えてみると、所謂“実用学問”以外のアカデミックな学問分野は多岐に亘るが、何れもその究極にはヒトという存在があると言えるのだ。研究者の全てが私と同じ考え方だとは思ってもいない。しかし、私が数学的真理から自然界に存在するヒトを強く感じたように、素粒子や天体の研究からヒトをより深く知ることができると思う。歴史や文学や哲学などは尚一層ヒトに近い。説明の必要もなくターゲットはヒトなのである。
 このことに気付いてから、私は物凄く気分が軽くなった。全ての学問的興味あるいは知的好奇心が日常的行動の対象に向かっていたのだ。学究の徒でなくても、会社員やご隠居さんになっても、ヒトと接している限り常に自分の好奇心を満たす材料を見つけることができるということになるのである。焦る必要はない。ご隠居さんになって熊さんや八っつぁんを相手に馬鹿話をしていても目標は追求しつつあるし、ひょんなことで大学に通い直すことになったらまた数学を始めてもいい。出発点で確認したとおり、対象は変わらないのだから、さほどの混乱も困惑もないだろう。どんなことにせよ、機会があれば何度でも遣り直せばいいのだ。

 最近の若者の多くは無気力に見える。落ちこぼれも、我々が生徒・学生であった時代に較べて圧倒的に多いように思う。考え方も機械的に思える。何事も他人から習わなければ習得できないといった態度を平気でとる。だから、いつまで経っても自立どころか自律もできない。あたかも自らを律し独り立ちしてはいけないと考えているかのようにへたっているのだ。無理も無いかもしれない。偏差値が全てを支配し、センター試験が、篩分器が粉体を粒子径で分別するように、全国の高校生の行き先を篩い分ける。こんな機械的なシステムでは子供たちも機械的に思考することしかできなくなって当然なのかもしれない。出来の悪い部類と篩い分けられた子供たちが、自分たちの人生では如何なる目標をも達成できないのだと思い込まされても仕方ないかもしれないのだ。
 しかも、こんな状況に対処する手段として、国は大学の上に大学院大学などを作って“優秀な人材”を得ようとする。その反動なのだろうか、普通の大学には中学生並みの国語力しかない大学生が全体の10%も居るという調査結果が出ているそうだ。為政者にとって、最早、ただの大学などは中学校程度でも構わないということなのだろう。
 私は素朴にこう考える。勿論、昨今に特有の時代的背景と相俟(あいま)って醸し出された世相だという側面も考えなければならないだろうが、これは、大人たちがありもしない人生の目的を振りかざして若者を恫喝し続けた結果なのだと思うのだ。大昔の価値観を認めなくなった若者に新たな方向性を与えることを怠り、力を失った古い規範を無理やり押し付けようとした結果だということである。従って、この我が国の将来に係わる問題を解決するための方策は、昔ながらの古典的な“人生の目的”を疑いも無く追求できる高度なエリートを作り上げることではなく、全ての若者がそれぞれ小さくてもいいから何らかの独自の目標を持って毎日を送れるように仕向けることなのだと思っている。 お笑い界から出た議員さんのキャッチフレーズに「小さなことからコツコツと」というのがあるが、これをギャグと考えてはいけないと思う。当のご本人はその言葉通りコツコツと地味ながら着実な成果を上げた。それで、腐り切った政界を浄化することはできなくても、何人かの少なからぬ人々には勇気と確信を与えることができた。
 今こそヒトは、若者に限らず、ありもしない目的ではなく実現可能な小さな目標をこそ大事にしなければならないのではあるまいか。私が単なる逃げ口上として考え付いた“目標”というものが斯くも重要なことであることに私自身が気付いたのはかなり歳を食ってからだった。有為なる若人が貴重な時間を無駄に過ごさぬ環境を整備することが、遠回りに時間を費やしてしまった我々の如き嘗て青年であった者の使命かもしれないと、近頃になって、ようやく思い始めている。

 行きがかり上、本題とは関係ないことについて一言申し述べたい。「小さなことからコツコツと」の議員さんが政界から引退するそうだ。議員としての報酬ではお年寄りを充分に介護しつつ家族自身も余裕のある生活を維持することができないのがその理由だと聞く。一般国民の収入に比して議員報酬は決して少なくないが、それを以ってしてもお年寄りの介護を充分に行うには家族の大いなる負担が要求されるということなのだ。私は本文中で「“己を捨てて意志を貫徹する”などということは言葉上矛盾した行為なのだ」と言った。悲しいかな、または、皮肉にもと言うべきか、政治家の活動にその実例を見ていることになる。彼は“人生の目的”などという大袈裟にしてインチキなものを目指したのではない。ささやかな目標を追及したに過ぎない。その小さな目標すら断念させなければならないとは・・・他の議員諸氏にあっては慙愧に堪えないとすべきであろう。願うらくは、彼に代わって食うに困らない善意の議員さんたちが国会の議事席の多くを占めて、それぞれが小さな目標をコツコツと実現する姿を若者たちに示してくれることである。

(2004年2月23日)


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我が好き友、オバケ

 私は霊魂や幽霊の存在など信じていない。だが、所謂オバケについてはその存在を信じたいと思っている。いや、正直に言うなら、その存在を信じていると白状しなければならない。というのも、大きな声では言えないが、オバケの幾つかと出遭ったことがあるからである。それらを“化け物”というべきなのか、それとも“妖怪”と呼べばいいのか、はたまた“架空のモノ”と表現するのが正しいのかさっぱり分からないが、とにかく、誰にも信じてもらえない“モノ”を見たり、“モノ”ではないが摩訶不思議な状況に遭遇したことがあるのは事実である。

 兎に角、私の不可思議な体験をご紹介しよう。それらの体験は、当然のこととして、ただでさえ空想に耽りがちな私が空想の世界に引き摺り込まれるきっかけの一つになっており、従って、私が創作した物語の中にちらほらと出てくる。ここでは、そんな私の作品で触れているものに限ってお話しすることにする。そうでなければ、途轍もなく長ぁーい話になってしまうからである。
 記憶している最も古い“モノ”はただの気配である。三歳か四歳の頃ではないかと思うが、母親に連れられて近所のお寺の境内を散歩することが度々あった。ところが、その寺の仁王さんがとても恐ろしく、私は母親の背中に顔を押し付けて左右から睨み付けてくる阿吽の金剛力士像を見ないようにしなければ寺の山門をくぐることができなかった。従って、その寺に連れられて行ったときには、私の神経は非常に敏感になっていた。その所為かもしれないが、訪れる度にその寺に漂う気配が違って感じられた。
 時には、穏やかな空気に包まれ、何者か分からないが何やら楽しげにお喋りしているような声が聞こえた。声の主は境内の木々のようにも思えたし、その木々に身を寄せる未知の存在のようにも思えた。いずれにせよ、言葉としては認識できず、ただ楽しげな声としか感じられなかった。しかし、別の時には、明らかに仁王が怒っていた。地面を振るわせるような重い圧迫感に私は怯え、母親が私の手を引いても梃子でも動かず、散歩を中断してそのまま家に帰ったこともあった。そんな時には、普段は楽しげにさざめいている何者か知れない者たちも息を潜め、時折、早口の小声で何かを囁くのだ。家に帰り着いて寺の方を眺めると、小さな森のように見える寺の上空の色が周りと違っているのに気付いてぎょっとしたことを覚えている。
 その時分のことは断片的にしか覚えていないが、川の魚や蟹を見ていても、何やら得体の知れない“モノ”の声を聞いたという記憶だけは実に鮮明に残っている。幼児に特有のものの感じ方に過ぎないと分析されそうだが、まとまった記憶が無い時分のこととしては余りに鮮明に覚えていることからして、自分自身では何らかの“モノ”の存在を仮定したくなる。この頃の記憶は「ブナの森にて」という Brief Fantasy の出発点になっているが、その物語の通り、訳知り顔の大人の世界に埋没しそうになったとき、ふと自分を取り戻すきっかけに今でもなっている。大昔に出遭った我が好き友、オバケの余韻は今でもなお私の心をそっと揺さぶっているのだと感じる。

 やや長じて小学校四年生のころ、私は大阪の衛星都市の一つに住んでいた。大きな新興住宅地もそこここに拓けていたが、手付かずの自然もまた多く残されており、腕白坊主共が遊び場所に困ることは全くなかった。そういった環境では、子供たちはそれぞれ自分だけの“秘密の場所”というものを持っており、そういったものを探しに一人で探検に出掛けることも稀ではなかった。と言うのも、自分だけの“秘密の場所”もいずれは仲間たちに明かして秘密を共有することになるため、常に新しい“自分だけの秘密”を開拓しなければならなかったからである。
 そんな探検の最中に、私はとんでもないものに遭遇してしまった。当時は何だか分からなかったが、大人になってから、それがツチノコだと思い当たった。ススキの株基に幾分細めの丸太のように転がっていたのだが、両端に頭と短い尻尾らしきものが見て取れた。しかも、体には大きめの亀甲模様がくっきりとついている。私は大きな蛇だと直感して後ろへと走り逃げた。だが、20mばかり離れてから落ち着いて考えてみると、実に奇妙な“蛇”だったことに気付いた。地色はピンク掛かった薄い紫色で、亀甲模様は黒に近い濃い紫なのだ。頭は蛇といって差し支えなかったが、胴の長さと太さのバランスが悪くてずんぐりしている。しかも、尻尾はハツカネズミのものほどの長さしかなかった。蛇ではなかったのかもしれないと思い、恐る恐る戻ってみたが、既にその奇妙なモノの姿は消えていた。
 短時間のうちに誰もいないところで姿をくらませたのだから、それは自分自身で移動できるもの、即ち自動機械か生物に違いない。とはいえ、荒野ともいえる丘陵地帯に自動機械が落ちている筈がない。従って、あれが生き物だったことに疑問の余地は無いのだ。子供の頃はただ妙なものを見てしまったと軽く考えていただけだったが、大人になってからは俄然その奇妙奇天烈な生物が気になりだした。大学時代、私は理学部で過ごし主に生物学を学んでいた。だから、並みの人たちよりは生物についての知識は豊富なのだが、未だ嘗て、その奇妙なものに当て嵌(は)まる生物種にお目に掛かったことはない。
 アカデミックな探究心に溢れた学者なら「すわっ新種か!」とやっきになって探すのだろうが、オバケ大好き人間である私はいとも簡単に「あれは噂に聞くツチノコに違いない」と信じてしまっている。ツチノコは単なる生物ではない。魑魅魍魎すなわち化け物の一種だ。ならば、遭えるときが来ればまた遭える。そう気楽に考えているから血眼になって探そうとも思わない。ことのついでに論評しておくが、いろんな地方でツチノコ発見者に懸賞金を出すと言っているが、そんな企ては失敗に終わること必定である。オバケはオバケの存在を信じている者の前にしか現れないし、多くのオバケが示しているように、また私自身が経験した通りに、後になって「ああ、あれはオバケだったんだ」と気付くに過ぎない。従って、化け物を化け物と知って捕まえることはできないのだ。
 「剛の者が化け物退治をやってのけたという昔話が多くあるではないか」との反論が聞こえてきそうだが、私は動じない。柳田國男も言っているように、昔話に出てくるオバケは既に力を失ったがために昔話にしか出てこないのである。未だに説話として伝承されているオバケとは違って、何らかのきっかけで復活しない限り、今となっては誰も出くわすことなどないのである。そんな状況に収まりをつけるために、どこかの豪傑が退治したことにして過去の遺物にされているだけのことなのだ。今の時代にも存在が信じられており説話の中で現役として活躍している頼もしいバケモノがそこら辺の賞金稼ぎに退治されるなんてことは、化け物の定義にそもそも反しているのである。だから、遭えるときが来ればまた遭えるだけであって、しかも、実際に遭った後になってそのことに気付くだけなのだと断言するのだ。
 さて、話があらぬ方向に向いたので、軌道修正しよう。“自分だけの秘密”を開拓するための探検には危険が伴う。何故なら、一度も行ったことのない地域に踏み込まなければならないし、そんな場所は家から遠く離れた何処とも知れぬ処だからである。で、しばしば道に迷って途方に暮れることになる。それでも、私は親に捜索願を出されたことも、消防団の山狩りで救い出されたこともない。不思議なことに、さほど苦労することなく家に辿り着くことができたのである。
 ボーイスカウトの一員であった私には大自然の中で身を処する術の幾つかは心得ていた。しかし、道に迷っても常に家路を見つけられた理由はそれだけではなかった。一人の謎めいた子供が道を教えてくれたのだった。名前も知らない。男の子なのか女の子なのかもはっきりしない。実のところ、どんな顔をしているのかも定かではないのだ。勿論、話をしたこともない。道に迷って困ると誰しも周りを隈なく見渡すが、そんな時にその子の姿をちらっと見掛けるのである。当然、困っているときだから、「おぉい」と叫んでその子を追う。だが、決して追いつくことはなかった。その子を見失ってがっかりしていると、またもや先の方にその子がいる。また追うが、またもや見失う。という繰り返しをしているうちに、見覚えのある景色が目に飛び込んできて帰り道が見つかるのだった。
 これだけでも充分に謎めいた子供だが、もっと謎めいていたのはその子の態(なり)だった。今では大昔になってしまった1950年代の末でも、着物に草履履きなんて子供を見掛けることはなくなっていた。でも、私ははっきりと覚えている。その子は確かに短い着物に兵児帯を締め、赤い鼻緒の草履を履いていた。あれこれ屁理屈を捏ねてみても、その子が尋常な子供であったとは思えない。何故か私に好意を持った一種のオバケなのだろうと思わざるを得ない。大阪近郊のその地方にそんな子供の姿をした化け物伝承があるのやら無いのやら調べたことはないが、妖怪の類としか考えられないのである。
 この謎めいた子供は、私の「千里の千太郎」という物語の主軸をなす存在で、ツチノコも重要な脇役になっている。子供時代の心に焼き付いた風景から湧き出る空想の世界で、私はふと「人は護られているのだ」と直感した。それが「千里の千太郎」という物語へと発展したのだった。自然科学を信奉していながら論理も理屈も無視した滅茶苦茶な感覚だと自ら笑ってしまうが、実際にそんな風に考えてしまったのだ。だが、それにはそれなりの根拠があると思う。男の子というのは乱暴で、死んでいてもおかしくないような無茶をやってきたが、不思議なことに未だに生きている。大人になると、周りに理不尽で嫌なことや辛いことが充満するが、それでも腐りきることなく自らを保つことができた。我が好き友、オバケの助けなしでは不可能だったと考えてもいいのではあるまいか。

 大人になってからも不思議な出来事が続いた。私は大学を卒業する直前の二月になって大学院に進むことを止めて、とある老舗だが小規模な製薬会社の研究所に勤めることにした。尤も、勤めた途端に母校の医学部に出向させられて会社には殆ど行かなかった。そんな状況下で嫌な問題が起こった。会社の仕事もそろそろ受け持てということで或る新薬の承認申請書類のチェックを命じられたのであるが、それがきっかけで会社を辞めざるを得なくなったのだ。
 医薬品の製造、輸入、販売等には厚生労働省(当時は未だ厚生省だったが)の許可が必要であり、当時はイソミンの催奇形性の問題を端緒とした既存医薬品の洗い直しの最中だった。即ち、ようやく医薬品の承認に当たって科学的な評価が伴い始めた時期だったのだ。時期はともあれ、その新薬の承認申請書類はひどいものだった。不完全な実験だけではない、非科学的な実験まで混ざっていた。もっと怪しからんことには見え見えの捏造データさえ見つかったのである。
 私は、その承認申請書類は評価の対象外であると結論し、まともな承認申請を行うために必要な行動計画を提案書にして提出した。すると、そのプロジェクトの責任者が怒鳴り込んできた。「使い物にならないデータを使えるようにするのが勤め人たるお前の役目だ」と凄んだのであった。私は「相手がお役所であれ何処であれ、科学の世界で嘘はつけません」とあっさりその会社を辞めた。
 当然、一月も経てば食うに困ることになる。あちこち就職斡旋を頼みに行かねばならないが面倒なことだと思っていたら、全く知らない人から電話が入った。「アメリカの某製薬会社が日本に研究所を作ることになったが来ないか」と言うではないか。仕事が必要だと思ったら向こうから転がり込んできたのだった。半信半疑ながらその人物に会ってみると、歴とした大会社の管理職で、電話の話も事実であった。勿論、極めて簡単に「OK」と言った。
 その会社に入って間もなく、急いである薬物について実験しなければならなくなった時のことだった。出入りし始めていた動物業者に数種の実験動物を発注したが、食用蛙だけは扱っていないという。田舎に突然できた研究所なので、手近に他の動物業者はいない。最も近い大都市の業者に声を掛けるしかないが、取引を開始するに当たってはそれなりの経理上の手続きが必要だから、「今日にも蛙を持って来い」とは言えない。「一匹でいいからパイロット・スタディー用の食用蛙が手に入らないかなぁ」と思いつつ車で自宅に帰る途中、なんと、なんと、大きな食用蛙が私の車の前に飛び出してきて真正面を向いて道路上に鎮座したではないか。当然、私はそれを捕らえ、早速ながら翌日その蛙を犠牲にして貴重なデータを得ることができた。
 これらは印象的な例に過ぎない。その当時には、自分が欲しいと思ったものが目の前に現れるという現象が続いたのである。もう一つだけ漫画みたいな例を紹介しよう。ある休日に本屋へ行った。あれやこれや金額を計算しながら手に取っていったのだが、所持金の限度を超えそうなときに、もう一冊面白そうな本が目に留まった。だが、それを含めると所持金では買えなくなってしまう。私は手にした数冊の本の内どれを諦めようかと散々迷った挙句に一冊を書棚に戻した。
 「あと千円あればみんな買えたのになぁ」と未練がましく考えながら駐車場で車に乗ろうとしたら、嘘みたいに千円札が一枚ヒラヒラ目の前を舞って足元に落ちたのだ。周りを見回したが、札を風に煽られて慌てている様子の人はいない。真にもって不可思議なことだった。名誉のために一言申し添えるが、私はその千円札を拾得物として店の人に預けた。決してネコババはしなかったので念のため。
 大人になってからの奇怪な目撃談も話しておこう。見たものは龍である。今から十年ちょっと前のことだった。同業大手数社の人たちとの泊りがけのミーティングに参加したことがあった。好んで行ったのではなく、義理でついて行ったに過ぎない。人付き合いや酒の席が苦手な私は、ミーティングの後の宴会に疲れ果てて却って眠れずにいた。関東最北の太平洋岸の宿だったが、潮騒がうるさかったことも影響していたかもしれない。眠るのを諦めた私はベランダに出て真夜中の海のうねりを眺めていた。仄かな月明かりの黒い海も結構美しいものだと思っていたら、岸からさほど離れていない二つの塔のように細長い小島というか大岩の間に藪から棒に龍が姿を現したのだ。普通オバケは薄暗闇に出てくるものだが、その龍は幽霊のように真夜中に出てきた。察するに、図体がでかいので暮れ時に現れると不特定多数の人の目に触れるため、それを憚って丑三つ時に出てきたのだろう。
 多少酔ってはいたが、ふと目覚めたのではなくずっと起きていてのことだから、寝惚けていたとも夢だとも思えない。龍は私を見つめていたように思えた。勿論、何も語りはしなかった。ただ、耳鳴りがしたことだけを覚えている。姿かたちは細部までしっかりしていたが色はなかった。ところどころが月明かりで鉛のような銀灰色に鈍く光っていただけだ。ものの数秒だったと思う。龍は出てきたときと同様に唐突に身を翻して海に潜っていった。ただそれだけのことだった。ツチノコの件は、殆どの人が単なる子供の空想だったと片付けることだろうが、大人が目撃したとあっては、この龍のことを信じてくださる方もおいでになるであろうと期待する。尤も、酔眼のため海に突き出た小島が一時的に二重に見えただけだと嗤(わら)う人の方が圧倒的に多いとは思うが・・・
 ところで、望みのものが目の前に降ってくるという奇妙な体験は、形を変えて「明日の日記」という物語になった。書いたことが翌日には事実になってしまうという出所不明の“日記”を手に入れた青年の話なのだが、書きつつ「若い頃には“明日”はただ単に物理的な時間の経過の結果としか考えていなかった」と反省させられたことを思い出す。時の流れとは人の意識の推移であり、明日の自分は今日の自分ではないことなどには気付きもしなかったことに初めて思い当たったということだ。我が好き友、オバケは単に物質的に私の欲求を満たしてくれただけではなかったのである。
 龍を見たときの印象は「盟約」という物語の元になった。無言だった龍が何を思って私を見つめていたのか空想を巡らせた所産である。龍もまた我が好き友、オバケの一員として私を見守ってくれている筈だとしか思えない。それで、龍から守護を約束された若いカップルの物語になってしまった。オバケは年寄りには似合わない。それに、子供や若者と一緒の方がオバケだって嬉しいに違いない。そんな風に思うから、つい登場人物が若者になってしまったのだろう。

 そう言えば、龍を最後にしてこのところ大好きなオバケに遭遇していない。歳をとりすぎてオバケに嫌われたのであろうか。それとも、世の中の変化を嫌ってオバケが数を減らしたために出逢うチャンスが極端に減っただけなのだろうか。いずれにせよ、寂しいことである。ともあれ、私が何故オバケに好かれたのか少々考えてみたい。柳田國男の表現によると、オバケとは“前代信仰の零落した末期現象”だという。即ち、より古い非体系的な民間信仰の名残らしいのだ。それは事実に違いない。しかし、私には一貫して信仰心はない。如何なる宗教も信じてはいないのだ。そんな私に信仰心の結果たるオバケが好き友として姿を見せるのはいかにも不思議なことだと思う。
 ただ、“信仰心”というものを拡大解釈することは可能だと考えている。先に「千里の千太郎」を書いたときの話の折に「私はふと『人は護られているのだ』と直感した」と述べた。これは怪しげな霊力のようなものを言ったのではない。“霊能力者”を自称する人たちがもっともらしく言うところの“守護霊”などというモノを信ずる根拠などありはしないのである。私の直感とは、ヒトは自然の一部として自然が進むが通りに進んでいるという思いに過ぎないのである。勿論、俗に言う“運命論”でもない。ヒトは自然の一部として存続すべきときには存続し滅却すべきときには滅却する。自然の一部として宇宙の一隅に保持されているといった感じに捉えていただきたい。原緒的宗教よりもっと以前の、自然との一体感そのものだと思うが、これを“信仰心”に似た一つの確信だと表現してもおかしくはないと考えている。そう解釈すれば、自然への畏怖を基調とする前代信仰の一つの対象である自然の権化たるオバケが無宗教の私の前に姿を現しても不思議はないのかもしれない。
 だが、このように考えると、困った事態に陥ってしまう。ヒトを完全に自然の一部として捉えると、オバケと仲良くなれるという利点とは裏腹に、ヒトの活動の結果もまた自然なのだと考えなければならないという悲しい現実に曝されなければならないのである。“人工”もまた自然の一部とせざるを得ないということであり、それはヒトの恣意的な“自然破壊”もまた自然な成り行きと理解しなければならないという自分と一体の自然を愛する感情と矛盾する論理を認めなければならなくなるのだ。
 私は子供の頃からオバケに好かれていたらしいことを嬉しく思うべきなのであろうか? それとも、歳をとってオバケに煙たがられているかもしれないことを喜ぶべきなのであろうか? 答えは容易に見つかりそうに無い。だが、ただ単純に、もう一度ツチノコや帰り道を教えてくれた不思議な子供に逢いたいとは思うし、できることならあの馬鹿でかくて人前を憚る龍と話をしてみたいと念じていることだけは事実である。また、ただのオバケ好きの戯言(たわごと)と言われそうだが、その願いがいつか実現するだろうという予感がある。きっと我が好き友と再会できると本気で信じているのである。

(2004年2月12日)


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第一回川柳特集

 何かしらの創作意欲はあるものの教養の不足により呻吟している凡庸なる人間にとって、川柳というものは実に有り難いものである。何が嬉しいといって、五・七・五の文字数以外には取り立てて規則らしい規則が無いことほど嬉しいことは無い。リズムさえ好ければ文字数だって多少の融通は利く。その寛大さは小難しい俳句にすら見られるのだから、戯言に等しい川柳にとって当然といえば至極当然のことだ。ということは、川柳には殆んど制約が無いと言っても過言ではない。
 常識の無い私などが俳句を作ろうとすれば歳時記を手放すことができない。字引は勿論のこと文法書が必要になることすらある。ところが、川柳に季語は必要ない。文法を多少無視した話し言葉が許されるどころか、むしろ、そんな話し言葉が推奨されることすらある。深く人生を見つめる崇高なる意識も必要ない。ただ、感じたままを律動的に言えばいいだけなのだ。それが下手でも誰からも文句は言われない。人をしてムフッと小さく笑わせたり、ニヤッと口の端を歪めさせることができれば大成功で、それが未遂に終わっても謗(そし)られることを心配することはないのである。ということで、恥らうことなく即席で川柳集を作ることにした。
 誰ですかな、「これは随想のコーナーだろうに」ってぼやいているのは? 川柳だって立派な随想でござんすよ。おっと、突然、文体が変わって恐縮です。ですが、川柳に “である調”は似合わないので、これ以降はざっくばらんな話し言葉にさせていただくことにしますです、はい。で、話を戻しますが、何かをテーマにして個人的な視点で徒然に考えた結果を書くのが随想でしょう? それが極端に短くなったのが川柳だと思えば、川柳を随想のコーナーで発表してもおかしかありません。ええ、ちっとも変じゃありませんともさ。
   川柳も 随想のうちと ケツ捲(まく)り
と、裾を絡げて大胡座をかいたつもりで始めやしょう・・・ガタガタ言ってないで、さぁ貴方もご一緒にお付き合いくださいな。


<お題その1:ペット・ブームー=犬の巻=>

小犬引き 荒い息吐く 老婆かな・・・犬が居眠りするほど長い休憩を取りながら散歩させているご老人がいらっしゃるのですよ、うちの近所にも。犬にとっては喜ばしいことなんですかね? それとも有難迷惑? 飼い主たるそのご老人にとって心地好いことなら、犬君にも結構なことだと私は信じているんですがね・・・

犬の糞 アスファルトには 埋められず・・・愛犬家ご愛用の長柄のスコップを持ってすましてリードを引くマダム、舗装道路でお連れの犬にウンチされて考え込んでました。で、結局どうしたかって? 答えは私の川柳からご想像くださいな・・・

いつ見ても 我が家の犬が 一等賞・・・うちにも犬がいるんですがね、犬の場合、芝生とは違ってお隣どころかご近所のどの犬より可愛く見えるんですよ。いつも「うちの馬鹿犬」なんて言ってるのにですよ。まぁ、一種の“親馬鹿根性”ですな、こりゃぁ・・・

散歩だろ どうして抱っこ してるかな・・・毎日チワワを2匹散歩させているご婦人に出会うんですが、いつ見ても必ず1匹は抱っこしてるんです。いいんですかネェ、犬の散歩って歩かせて運動させるのが目的なんでしょうに・・・

お前もか LLサイズの ペット服・・・娘が「ヒメちゃん(うちの馬鹿パグの名前です)にもお洋服買いましょう」と呟きながらサイズを測ってたんですが、やっぱ普通サイズじゃなかったんですな、これが。ええ、採寸してた人と同じで・・・

よく観れば 瓜二つなり 犬と人・・・大学時代に講義を受けたサルを研究していた教授がボンネットザルそっくりでした。蚕を研究してた名物教授はまるでお蚕さんでしたな。どうも、動物と仲良しさんになると、その動物に似てくるみたいですぞ。てぇことは、ゲゲッ、パグを飼ってるあっしぁ絵で見る達磨禅師みたいな感じなんでやんすかい?・・・

大嵐 びびる犬引く 剛の者・・・「雨が降っても槍が降っても、私ぁ犬の散歩は欠かしません」とでも言いたそうな毅然とした態度で嵐の中で犬を引っ張ってました、誰だか知りませんがね。犬に飼い主は選べないのですが、不運な犬ですなぁ、真にもって。ご同情申し上げますです・・・

親馬鹿か 5秒の“待て”を 褒めそやし・・・芸とは言えない“パフォーマンス”で大喜びするのが飼い主ってぇものなんです。可愛いというか、お目出度いというか、斯く言う私もそうなんですがね、ははははは。うちの馬鹿パグ“待て”と“お座り”だけはできるんです・・・・

シーズーは 鬘(かつら)被(かぶ)った パグならむ・・・ご近所にシーズーが2匹もいるんです。きゃつらの顔と我が家のパグを見比べてつくづく似てると思いました。同じ中国犬だから似ててもおかしかないけれど、シーズーって本当はパグに全身鬘を被せてるんじゃないかなって勘繰っちゃいました・・・

これが犬? 豚と見紛う ひしゃげ鼻・・・うちの馬鹿パグ、庭に放していると、散歩中の通りすがりの人に「これ何? ブタ?」って訊かれちゃいます。そのうちに攫(さら)われて食われちゃうんじゃないかって心配してますです・・・

おつまみと 思い開ければ ペット食・・・一杯やろうと、台所からおつまみらしい袋を手当たり次第に持ち出したのはいいのですが、なんと、それらは全部ペットフードだったんです。ヒトの餌も少しは置いといてくださいな、いくら亭主より犬が大事だからっていってもさぁ・・・

ぎょぎょぎょのぎょ 闇夜の美人 犬の供・・・夜に、ちょいと野暮用があって車で出掛けたんですがね、ヘッドライトの明かりの中に、道端で佇むゾクッとするような美女の顔がボッと浮かんで見えたのですよ。ギョッとして良く見ると、傍らの草陰で犬がおしっこしてましたです。興醒めでしたな、これは・・・

 まとめは番外編の狂歌で;
朝も夜も 犬に出逢わぬ時はなし 犬はいろいろ 連れもいろいろ・・・夜明け前から夜更けまで犬の散歩に出くわさないことはありません。犬種が実に豊富になりましたが、モングレルの方は逆に見掛けることが稀になりましたな。犬のお供の人間の方も真にバラエティーに富んでおります。怖い顔して前方を見据えるようにスタスタ行く人、あくび半分でノラクラ行く人、「面倒だなぁ」と言いたげな不愉快な顔をして行く人、「今日は」と愛想よく挨拶しながら楽しげに行く人。全てを含めて正しく世はペット・ブームなのでありますよ・・・


<お題その2:耳に胼胝(たこ)ができるほど聞かされたデフレに不況にリストラ>

リストラで 利益上がれど 買い手減り
客欲しい 会社が買い手の 首を切り
・・・失業率が5%台で高止まりだそうです。7%なら暴動が起こってもおかしくないなんて聞いたことがあるんですが、これで景気が上昇傾向だなんて、よくもまぁ恥ずかしげも無く言いますよ。“経済情勢が良くなる”ってぇのは、簡単な話が“金が動く”ことなんでしょう? 失業者はあらゆるものを買い控えます。リストラで購買層を薄くしてどうしようってんでしょうかしらん。人件費節減で会社が黒字になっても意味無いじゃん。あっしにゃぁそんな風にしか思えないんですがねぇ・・・

やれ切るな 社員手を擦る 首縮め・・・そうです。一茶の“パクリ”、いや“パロディー”ですとも。リエンジニアリングだかリストラクチャリングだか知りませんが、いつまで続けるつもりなんでしょうね、こんなことを。社員を大切にする会社が伸びるってのが今や世界共通の認識なんですがねぇ。ところで、一茶の句って俳句? 川柳じゃないの?・・・

ドッと出た 札は何処(いずこ)で 眠るやら・・・デフレ対策で日本銀行が札束ばら撒いた筈なんですが、こち徒らの目には一向に札束が入ってきやせんぜ。いったい何処へ行っちまったんですかねぇ、あの札束。まぁ、元々金に縁の無いこち徒がいくら考えても分かりゃぁしませんやね・・・

インフレの 方が増しだと 駄々を捏ね・・・「バブルでも何でもいい。不当なマージンが更に不当なマージンを呼んでインフレーションになってもいい。どうでもいいから兎に角カネを動かしてくれ。デフレじゃやってけないんだから」って陰で叫んでいる経営者もいるみたいですよ。市場経済、動き出しゃ大なり小なりバブル景気になっちゃいますよ、わざわざお願いしなくたってね。そん時ゃそん時で、またぞろ「大問題だ」って大騒ぎするんでしょうねぇ・・・

覚悟した 痛みも限度を 越えにけり
我慢した 揚句に あちこち痛み飛び
・・・「改革には痛みを伴う」なんちゃって、健康保険も年金も国民負担は増える一方だわさ。華岡清洲の時代じゃありますまいに、今じゃ本当に痛い医学的外科手術もいい麻酔剤や鎮痛剤で楽になってますよ。ただひたすらに「痛みを我慢しろ」なんて押し付けは時代錯誤じゃありませんかしら、ねぇ大臣・・・

良薬も 無いに苦味の 増すばかり・・・為政者の口先とは裏腹に、デフレや不況に打つ妙手はないようですな。良薬は口に苦しですから、良薬が処方されたのなら多少の苦さは我慢するつもりなのです。でも、処方箋を書いてくれる名医は一向に現れません。良薬も飲んでないのに苦い毎日が続くのは何故なんざんしょ?・・・

長生きの 秘訣は粗食と 言い包(くる)め・・・健康ブームで、テレビでも盛んにその手の番組を出してます。苦しい家計をあずかる主婦の皆さんには是非ともこの風潮に便乗して、食費の切り詰めに利用していただきたいと思う次第であります。如何ですかな? 亭主族としては、早死にしてでも旨いものを食べたいんですがね・・・

リスクなき 融資に新芽も 萎(しお)れけり・・・銀行の貸し渋りには怒りさえ覚えますですよ、まったく。廃業数より創業数の方が大きくならなきゃ日本経済は元気になりません。構造改革だの不良債権一掃も結構でござんすが、新しい動きにゃもちっと金を出さないと、本末転倒ってことになりかねやせんぜ、専門家の旦那方・・・

世が世なら 罷(まか)り通った 良債権・・・地価が大幅に下がってるんだから、土地が担保になってる債権はみーんな不良債権じゃぁあーりませんか。青少年を不良化するのは社会の責任だって言いますよ。債権も同じなんでないかい?・・・

好景気 とんと昔の ことじゃった・・・バブル崩壊って騒ぎ始めてもう10年を遥かに超えてしまいました。こんなに長く不況が続くと好景気がどんなものだったか忘れちゃいましたよ。いや、本当の話。好況の感覚を覚えてる人なんていませんよ、きっと。確かめてみましょうか? じゃぁ、覚えてる人は手を挙げてくださいな。ほら、誰も手を上げないじゃありませんか・・・

傾城(けいせい)は 色香ばかりじゃ ないと知り・・・その昔は、やんごとない王様が絶世の美女の色香に狂って国を滅ぼしたそうで、そんな美人を傾城というんだとか。でも、今この国を駄目にしようとしているのは美人じゃぁなさそうでやんす。そうですとも、国を滅ぼすのは美人に限ったことじゃござんせんのです、はい・・・

木枯らしも 不況の風に 隠れけり
春の香の 気配すらなし 不況風
不況風 明日も今日の 風が吹く
・・・不況は風に喩(たと)えることができそうですが、この風は木枯らしよりも強く、春を呼ぶ素振りも見せません。「明日は明日の風が吹く」と悠然と構えていたいのですが、昨日も今日も明日も明後日もずっと同じ風じゃぁ嫌になっちゃいますよ、ぶっちゃけたところが・・・

 日本経済への応援歌はやはり番外編の狂歌にさせていただきます; がむしゃらに 日本経済 甦れ ゾンビ、キョンシー、バンパイヤの如(ごと)・・・“経済”って魑魅魍魎(ちみもうりょう)みたいに訳の分かんないもんです。だから、逆に、化け物みたいに蘇ってもおかしくないと思ってます。それ、がんばれ、お化け。お化け、チャチャチャ・・・


<お題その3:BSE、SARS、エト・セテラ>

ウィルスは 撲滅しても 新手(あらて)あり・・・WHOが誇らしげに天然痘の撲滅を宣言したのを昨日のことのように覚えていますが、今度ぁ貴方、HIVだけじゃなくSARSだの鯉ヘルペスだの鳥インフルエンザだのが続々と登場して来るじゃありませんか。ウィルスあるいは英語読みしてヴァイラスとの戦には到底勝てそうもありませんやね・・・

SARS風邪 不気味や患者 ちらほらと・・・SARSの流行を抑止したと言っちゃぁいますが、ニュースでは今年も中国や台湾で患者が見つかってるってことです。気味が悪いですねぇ。怖いですねぇ。患者が爆発的に出たときにはお手上げですからねぇ。なんたって「はい、さよなら、さよなら、さよなら」ですからね・・・

SARS減る されど二の太刀 鶏の風邪・・・SARSに初めて犯されたベトナムで今度は鳥インフルエンザによる死者が出たんだそうで、実にお気の毒なことであります。SARSのときには自らも犠牲になったWHO職員の医師の献身的努力でいち早く封じ込めに成功しました。長く厳しいベトナム戦争に打ち勝った国ですから、鳥インフルエンザにも負けてはいないと信じていますが・・・

あら怖や 牛に羊に 鯉に鶏
牛に鶏 お次は豚か 馬だんべぇー
・・・BSEに続く鯉ヘルペスや鳥インフルエンザ騒ぎで食品業界は大混乱。なぁーに、こんなのは序の口で、最後にゃ肉や魚が食卓から消えるに違いありませんぜ。SF作家なら絶対にこう言うと思いますなぁ・・・

草を食う 牛に共食い させた罰・・・牛の飼料に斃死牛の骨肉粉を混ぜていたのがBSEを広げる原因の一つだそうですな。牛は草食動物なんだから、機嫌よく草だけ食べさせておけば良かったんですよ。人間の都合で自然界に生き物の在り様に手をつけるのは、そもそもがいけないことなんです・・・

追従(ついしょう)の 兵は送れど 牛買わず・・・日本政府、イラクへは唯々諾々と派兵しちゃいましたが、さすがに、ちっとやそっとの対策ではBSEが見つかったアメリカからの牛の輸入再開には踏み切れないようです。アメリカ政府は日本の遣り方が非科学的だと噛み付いてますが、またぞろ妙な経済摩擦にならなきゃいいんですがねぇ・・・

牛丼に 別れを告げて カレー丼
長々と 世話になったが 逝く牛丼
・・・アメリカ牛に頼っていた牛丼屋さんの肉の在庫がそろそろ切れるんだそうです。新メニューでこの事態を乗り越えたいようですが、牛丼ファンには寂しいことでしょう。斯く言う私ぁ牛丼は滅多に食べません。牛肉なら、ブフ・ア・ラ・ブルギョニョンとかポ・ト・フーなんかの方が好きなものでして、はぁ・・・

太平洋 睨み「ざま見ろ」 国産牛・・・日本で初めてBSEが見つかったときには、国産牛とその生産者は酷い目に遭いました。そのときはアメリカ牛様様だったのですが、アメリカでBSEが見つかった今や形勢は逆転であります。「あのときの恨み晴らさでおくものか」と国産牛さんたちは思っているのではありますまいか・・・

英語では 怖さも薄らぐ BSE・・・“狂牛病”って“狂犬病”をイメージして物凄く怖いけど、BSE(Bovine Spongiform Encephalopathy)なんて言われてもちっとも怖くないって人がいます。曰く「だって、“ボヴァイン・スポンジフォーム・エンセファロパシー”って言われてもチンプンカンプンなんですもの。」 まことに、仰る通りであります。尤も、日本語訳の“牛海綿状脳症”だってピンと来ませんし、“変異型クロイツ・フェルト・ヤコブ病(vCJD)”だともっと訳が分かりませんがね・・・

我社のは オージービーフと 米(べい)企業・・・アメリカの巨大ファーストフード会社が日本で使っているパテの原料はオーストラリア産牛肉だって宣伝してました。嘘だとは思いませんが、なんだか釈然とはしませんな。アメリカで地元の牛を使って大量生産したものを日本に運び込んだ方が安く上がりそうなんですものね。そう思いません、貴方も?・・・

新型病 経済界にぞ ヤマイダレ・・・SARSでの海外旅行の減少。アメリカ牛に続いてタイの鶏肉の輸入禁止。食の安全の問題というより、産業あるいは経済に与える衝撃の方が大きそうですぞ。ヤマイダレの中には“食”ではなく“銭”が入りそうでやんす・・・

 締めは恒例となった(?)狂歌で;
「あれも駄目」 「これも駄目よと」 指示が飛ぶ 右往左往の 買い物付き合い・・・母親の買い物のお付き合いを仰せつかってやすが、魚はダイオキシン、中国野菜は農薬、牛肉は狂牛病、鶏肉はインフルエンザ、あれもこれも怖いって言うもんで、あたしゃもうウンザリでやんす。心配しなくっても、何を食べたってそう簡単にくたばりゃしませんよ。「XXXXxX世に憚(はばか)る」って言うじゃありませんか・・・


<お題定めず>

戦(いくさ)止(や)め 五輪で騎馬戦 やらないか?・・・今年はオリンピックの年でがす。オリンピックでも、運動会みたいに、パン食い競争とか大玉転がしとか玉入れをやればいいと思いやせんか? 盛り上がるんじゃぁありやせんかねぇ。それで、考えついたんでがすがね、戦争をおっぱじめるのを止めたり既にドンパチやってるのを止めさせるために、オリンピックで騎馬戦とか棒倒しをやって勝敗を決するってのはどうでがしょう? 戦好きも熱くなって取り組むんじゃありやせんか。馬鹿馬鹿しくても、それで戦争の犠牲者が減れば万々歳でがしょう?・・・

兵送る この道どこへ 続くやら
通せん坊 しなきゃこの道 いつか来た道
・・・色んな理屈があるんでしょうが、戦場にゃぁ近づかない方がよござんしょうねぇ。「“復興支援”に人を送らないと国際的評価が得られない」なんてことはないと思いますよ。だって、イラクに軍隊送ってるのは30カ国ほどで国際的には少数派ですからね。首謀者たるアメリカ国内ですら反対意見が高まってるってのにさ。その昔のことがあるもんで、日本の軍国主義復活には色んな筋が警戒してるんだから、今は「もう戦場には行きません」って尻込みしてた方が歓迎されるんじゃありませんかねぇ・・・

閏(うるう)年 得した気分の 春休み・・・閏年だと2月が1日多いから春休みも1日多くなるっていう計算、間違ってますか? 私ぁ子供の頃からそう思い続けてるんですが、お目出度い奴だって思います? あっそう・・・

英会話 先ず覚えたは 肩すくめ・・・最近は三つ四つのガキンチョに英会話教えてます。そいつらがまたおしゃまなんですわ。肩をすくめて「オゥー」とか「アッハーン」とか言っちゃってさぁ。まぁ、形から入るのも一つの方法なんでしょうが、手前ぇのガキなら「なんだその態度は」って頭をパチンと叩(はた)いてやるところだぁね・・・

今様(いまよう)は 薪も背負わず メール打ち・・・二宮金次郎は薪を運びながら読書したそうです。ナガラ族の走りとも言えますが、家計を助けるだけでなく勤勉であるってぇことで、その昔は随分と持て囃されたものでした。今時の高校生は暇そうな顔してケイタイでメールうちながら歩いてます。時には自転車に乗ってるのにケイタイいじってる馬鹿もいますが、交通事故で死にたいんでしょうかね? 時は流れ人は変わるものなんでござんすねぇ・・・

呼び出し音 挙(こぞ)ってケイタイ 確認し
発信者 音で聞き分け 知らんぷり
・・・何人か人が集まってるところでケイタイの地味な呼び出し音が聞こえたら、必ず複数の人たちがケイタイを取り出します。自分宛かもしれないと思うんでしょうなぁ。尤も、最近では呼び出し音も自由自在に変えられるもんで、自分宛かどうか直ぐに分かるように設定してる人が多いようです。更に、相手によって呼び出し音が変えられるので、呼び出し音の種類によってどうでもいい相手からだと分かったら応答せずに放っておく輩が増えましたがね・・・

パトカーが 対向車線に 見え渋滞・・・なんで突然に道路が混み始めたのかと不思議に思っていると、暫くしてパトカーと擦れ違うことがままあります。対向車線のパトカーが「御用だ」ってスピード違反を取り締まりに来る訳ぁないのに、みんなスローダウンするんですよ、これが。まぁ、事故は減るでしょうから文句は言いませんが、人の心理って妙なもんですな・・・

国技館 旗を出すなら 万国旗・・・最近の力士は色んな国の出身者がいるんですね。このところ大相撲への興味が薄れていた私はハワイとモンゴルしか頭になかったのですが、認識を新たにした次第でありますよ。で、相撲協会も認識を変えるべきじゃありませんか? 白地に赤丸の旗だけじゃ外国人力士に失礼です。国技館には是非とも万国旗を張り巡らせていただきたいものです。ええ、何処から誰がやって来ても対応できるように、予め全世界の旗を掲げておくんですよ。合理的でしょ? 丁髷結って褌しめてても感覚はグローバルでなくっちゃね・・・

 これにて第一回川柳特集はおしまい。またの機会にも駄作を笑ってやってくださいませ。えっ、「やっぱり最後は狂歌で締めろ」ですって? しょうがないなぁ。じゃあ今回最後の駄歌を一つ;
戯言(ざれごと)も 半分本音が 混じってる 浮かれてもおり ニヒルにもなり
 はい、お粗末様でございました。

(2004年1月26日)


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褻(け)にも晴れにも

 昔の人には“晴れ”と“褻(け)”という概念があった。“褻(け)”というのは日常普段のことであり、“晴れ”とは非日常的なこと、即ち、公の場に出たり何らかの行事が執り行われたりする特別なことを指す。節日(せちにち)の一つである正月は勿論のこと“晴れ”であり、従って、晴れ着をまとい節日の饗応としてお節料理を卓に並べる。
 しかし、今ではもうそんな概念はすっかりなくなった。「正月が“晴れ”だ」などと言ったら、「正月に雪が降ったり雨が降ることだってあるよ」とたしなめられることだろう。半世紀以上昔の1949年に生まれた私にすら“晴れ”と“褻(け)”を感覚的に理解することは既に困難になっている。ただ、知識として頭の片隅に存在しているだけである。増してや、現代の若人たちにはただの知識としてすらも“晴れ”と“褻(け)”という概念はないだろうと思う。
 実際、正月に街に出ても晴れ着に出くわすことが珍しくなってしまっている。コンビニもスーパーマーケットも開店している。年末も年始もほとんど変わりはないのだ。長引く不況の所為ではないだろう。第二次世界大戦後初めて戦場に軍隊を送るという重苦しい状況の所為でもないだろう。SARSやインフルエンザへの危惧のためでもないだろう。単純に“晴れ”と“褻(け)”という概念がなくなったからに過ぎないと思う。平たく言えば、正月を特別な日として認識する人が極めて少なくなったということなのだ。
 “晴れ”の方は言葉としては未だ生きている。“晴れの門出”だとか“晴れがましい”といった表現は頻繁に耳にする。だが、それらは最早、一種の慣用句として用いられているだけであって、“褻(け)”に対する“晴れ”という風には理解されていない。“褻(け)”にいたっては言葉としてすら口にする人はいなくなった。標題として掲げた“褻(け)にも晴れにも”という慣用句を私ですら実際に聞いたことはないのである。

 その昔、庶民の日常とは辛い労働の連続に他ならなかった。週休二日などとんでもないことだ。日曜日もなければ有給休暇もないのだ。商家等の奉公人には年に二回の“薮入”という休暇があったが、さて、農民にそんな制度化された休日があったのであろうか。いずれにせよ、気持ちをリフレッシュさせる何らかの口実がなければ精神的に参ってしまうような人生であっただろうことは容易に推察できる。そのような社会に減り張り(めりはり)をつけるという役割を“晴れ”と“褻(け)”の区別に求めたのであろう。
 そのように考えれば、現代に至っては“晴れ”も“褻(け)”もどうでもよくなって然るべきだと言える。俗に言う“リストラ”による失業率の上昇や過労死、サービス残業といった前近代的な問題もあるが、丁髷を結っていた時代に較べれば庶民の労働環境は比較にならないほど向上している。年間の就業日数が210日そこそこという会社も決して珍しくはないのだ。そんな時代に国中が挙ってめでたく休む必要などない。七草叩きで歌われているような雪のように白いまま(飯)も油のようにまったりした酒も日常的に飲食している。正月を特別に有り難がる必要はないのだ。
 更に現在の世相を振り返ってみれば、キリスト教とは無縁の者が「メリー・クリスマス!」と叫んでバカ騒ぎをする時代である。そんな大騒ぎからたったの一週間後に紋付、羽織、袴で正装して新春を寿ぎ奉るのはなんとなく間が抜けている。お祭り騒ぎが廃れることはないが、伝統的な行事は意味を失っただけでなく煩わしくさえ思われているようだ。今や、正月に関して盛り上がっているのは、大晦日のカウントダウンのみかもしれない。
 正月に付き物だった遊びや風習も大いに変わった。羽子板、独楽回し、福笑い、双六などとはとんと疎遠になってしまった。凧揚げはたまに目にするが、大抵の場合、西洋凧で子供たちはそれを“カイト”と呼ぶ。「多くの子供たちは何をして時間を潰しているのだろうか?」と考え込んでしまうのは私だけなのだろうか?。そんな中にあって、廃れない、と言うより、むしろ昔に比べ格段に派手になったのはお年玉ぐらいだろうか。私たちの年代の者には信じられないほどの金額を手にする子供もいると聞く。対象が誰であれ何らかの実利が絡む風習は廃れないということなのかもしれない。
 実利に結びつくのかどうかははっきりしないが、私が住まっている地方では“どんど焼き”に熱心である。地域により若干の時間差はあるが、成人の日の日の出前から8時頃にかけて、そこここで大きな火柱が立ち昇る。若竹を円錐状に立て掛け、去年の願掛けに用いた達磨や取り払ったばかりの松飾あるいは七五三飾り(しめかざり)などを一緒に燃やしている。無病息災のお呪いらしいが、笹竹にいっぱい刺した繭玉のような餅をその火で焼いて食べる。尤も、中年の男性諸氏はするめを焼き、それを肴に一升瓶を傾けることの方に熱中しているように見えるのだが・・・
 この“どんど焼き”、地方によっては“道祖土焼き(さいとやき)とか“鬼火”とか様々な呼び名があるらしいが、そもそもは“三毬杖(さぎちょう)”という小正月の火祭りである。普通は“左義長”と書くようだが、宮中行事としては青竹の束に毬杖(ぎっちょう)を三本結わえ付けたものに吉書などを添えて燃やすそうなので、“三毬杖”の方が分かり易いように思う。とは言え、“ぎっちょう”そのものを知っていなければ何の事やらさっぱり分かるまい。現在ではすっかり消えてしまった木製の毬を長い木槌で打つ正月遊びを“ぎっちょう”といい、“毬打”あるいは“毬杖”と書く。また、その遊びの道具である木槌そのものも“ぎっちょう”と呼ぶ。一部のお年寄りがのめり込んでいるゲートボールを思い浮かべればイメージが湧くのではないだろうか。そう言えば、ゲートボールは日本で発明されたスポーツ(それとも遊び?)だと聞いたが、“毬杖(ぎっちょう)”がモデルになっているのかもしれない。
 “三毬杖(さぎちょう)”に触れるに当たって「実利に結びつくのかどうかははっきりしないが」と述べたが、これは本音なのであって、我が家のご近所さんたちが何故この行事に斯くも熱心なのか理解に苦しんでいるのである。朝は早いし準備も結構大変だ。また、火事を出さないように気を配らなければならず、後始末も大事だ。物臭にして不信心な私にはこんな行事に執着する理由がとんと分からない。無闇に廃棄する訳にもいかず始末が面倒な縁起達磨や大きな松飾を処分するのに便利だからだろうか? はたまた、この一年の無病息災を本気で信じているのであろうか? それとも、餅目当て? するめ或いは酒目当て? あれこれ考えてはみたが未だに答えを得られず首を傾げている。

 いつものことながら、話が横道に逸れてしまった。 さて、上で述べたように、私が居住する地域において、“どんど焼き”という行事は廃れてこそいないが、さりとて本来の意義がどれほど残っているのかは疑問だ。本来小正月に行うべき行事を、休日だということで簡単に成人の日即ち第二月曜日に執り行っていることだけでもけちを付ける材料になる。こんなことを言うと、「誰しも忙しくしているのだから休日に行事を行うのは当然だ」とお叱りを受けそうだが、私が言わんとしているのは、特別なこと即ち“晴れ”の行事より日常生活即ち“褻(け)”の都合が優先されているということなのである。決してそれが悪いと言っているのではない。今や“晴れ”も“晴れ”ではなくなったこと、言葉を変えれば、現代人には“褻(け)”のみで充分であり、従って、“褻(け)”という概念そのものが必要なくなったことを示す例として取り上げただけなのだ。
 現代人の生活から“晴れ”と“褻(け)”の区別がなくなったことは確かなのだが、そこで、ふと考え込んでしまうことがある。「日常が全て均一となった私たちはどのようにして日常生活に減り張り(めりはり)をつけているのだろうか?」という素朴な自問である。確かに、現代人は自分のための自由な時間を多く持っており、気持ちをリフレッシュさせる機会には困らないだろう。誕生日だの、結婚記念日だの、個人個人が気に入った口実に則って勝手に祝杯を挙げればよさそうだ。だが、機会がふんだんにあっても、生まれ変わったかのように気力を充実させるには具体的にどのような方法があるのだろうか? このところしばしば耳にする“ストレスの発散法”がそれに当たるのだろうか?
 そうだとすると、「酒を飲んでくだを巻く」、「旨いものを食べ歩いて充足感を味わう」、「カラオケで歌いまくって頭を空っぽにする」、「スポーツで汗を流して爽快感を得る」、「音楽を聴いてリラックスする」、「本を読んで空想の世界を浮遊する」などの答えが予想されるが、それで本当に気力が漲(みなぎ)ってくるのだろうか? それらが気分転換になることに疑いはないが、気分転換だけでは萎えた気力を呼び戻すことはできないと思う。単純な気分転換だけだと、日常生活に戻った途端直ぐにまたもやぐったりと疲れ果ててしまうという経験は私だけのものではないだろう。
 私の個人的な体験に過ぎないが、気力を完全に取り戻すほどにリフレッシュできるのは、新たに目標を見出した場合とか見失っていた目標を再確認できた場合などだと思う。具体的には、徒然に考えるともなくあれやこれやが心に去来している時に忽然と前触れもなくそれらがある脈絡をもった一つの考えとしてまとまった場合とか、ぼんやりと公園を歩いていて落葉が視界を過ぎった瞬間に「あ、そうだった」と大切なことを忘れていたことに気付いた場合などである。とにかく、ポイントは意識的に遊びまわるようなことではなく偶然に恵まれてでも自分を見直すことができることではないかと思うのである。
 昔の人は“晴れ”を“褻(け)”から際立たせることによってそんな風な前向きの自省的態度を促したのかもしれない。科学も発達しておらず窮屈な身分制の枠に填(は)め込まれた社会では考え方も制約されてしまう。自分という存在も既に与えられたものであり、自由気儘な自己発現など望めなかったに違いない。そんな状況では、自ずと発展的な考えを抑制し考えること自体を抑圧する方向に向かうことだろう。そういった制約内で自己を取り戻す方便として様々な“晴れ”の場を利用したのだと思う。「正月には新たな年が始まる」とか「正月になると歳をとる」とかいった自然科学の立場では意味のないことを重要視する理由はそこにあるのだと思うのだが、これは余りに穿った考え方だろうか?
 答えはどうであれ、重ねて言うが、現代人には“晴れ”も“褻(け)”もなくなったことだけは事実なのである。そんな全てが日常化した状況下では、次のようなありふれた言い条で自戒することにも多少の意味があるように思う;「褻(け)にも晴れにも一度きりの人生である。褻(け)にも晴れにも自分自身を見つめることあるいは見つめようとすることが重要だ。」 正月らしくなくなった正月をのんべんだらりと過ごすうちに考えたことなのだから、まずはこの程度のことだと自ら納得しつつ筆を置く。

(2004年1月14日)


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OTCの販売自由化の問題からあれこれ考える

 医師の処方箋なしで購入できる医薬品のことをOTCと呼ぶ。OTCというのはOver-the-counterの略だが、はて、日本語では何と言うのだろう? このOTCをコンビニなどの薬剤師が常駐していない店舗で販売することの可否について議論されつつあるということはテレビのニュースでも耳にしているのだが、アナウンサーがこの種の医薬品をどのように表現しているのかは明確に記憶していない。人間というのはいい加減なもので、意味さえ理解できれば言葉そのものには余り注意を払わないものらしい。
 まぁ、日本語の正式名称はそのうち調べるとして、その販売自由化を巡る議論について話を進めよう。報道を聞いていると、どうも「あんな物はどこで売ってもいいじゃないか」という意見が台頭してきているのに対して、「薬剤師の助言なしで医薬品を販売するのは危険だ」という声も根強いようである。やはり、この規制緩和を保守的な態度で渋っているのは薬務行政の当事者たる厚生労働省のようである。それはそうだろう。薬剤師の資格制度も含めての薬務行政の音頭取りが、自ら推進してきた一連の制度を俄かに翻すことには抵抗があるであろう。
 だが、一般人たる私から見ると、この問題はさほど大きな問題だとは思えない。私には、薬屋でOTCを購入するに当たって白衣を着た薬剤師に相談した経験が一度もないからである。読者諸氏の中にも「私もそうだ」と仰る方が多いのではないかと思う。最近のインサート(製品についている添付文書)は懇切丁寧で、医薬品について詳しくない人でもそれを読めば買ってきた医薬品を何等の危惧もなく使うことができる。それに、大抵の人には、風邪薬ならこれ、傷薬ならこれと使い慣れた薬があるものである。
 訳の分からない薬を必要とするような症状に見舞われたら直ぐに医者に駆け込むのが普通で、売薬で済ませようとする程度の軽い問題なら、専門家と言わず他人に訊くまでもなく製品の謳い文句を見るだけで使用すべき薬の選別は可能だと思う。勿論、医薬品について多少の知識を有する場合には、成分を比較吟味して選ぶだろうが、OTCについては、成分が異なっていても有効性に大差は無い。薬物過敏症の人でも、自分の意思で薬を買う大人ならそのことはわきまえていて、自分にとって不都合な成分は他人に聞くまでもなく承知しているであろう。それに、アナフィラキシーで死に至る可能性があるような抗原性を有する成分を含む医薬品がOTCとして承認されることはない(筈である。)

 上で、述べたように、どの角度から見ても、OTCを買うのに薬剤師の存在は必要ないと思えるのである。それどころではない、「こんなおこがましい薬剤師がいたのでは、全うな薬剤師が迷惑するだろうな」と考え込んでしまうようなヘボ薬剤師に妙なことを言われたことすらある。それも一度や二度ではないのだ。そんな時には、「むしろ、薬剤師などいない方が心穏やかに買い物ができるのに」と心中に不満が蟠る。以下に、いくつか実例をお話ししよう。
 出先で頭痛にみまわれ、とある薬屋で薬を探したが総合感冒薬しか見当たらない。仕方が無いので、「アスピリンは置いてないのですか?」と訊ねてみた。すると、その薬剤師と思しき白衣の主人は「アスピリンは危険な薬なので、製造中止になりましたよ」と言う。その言い条には呆れたが、兎に角アスピリンを扱っていないことは確からしいので、大人しく退散して別の薬屋を探し出し、無事に望みのものを手に入れた。ご承知の通り、現在でもアスピリンあるいはその他のアセチルサリチル酸製剤は薬屋の定番商品となっている。この薬剤師は何処でそんないい加減な情報を聞き込んだのであろうか。未だに不思議に思っている。
 アスピリンについてはこんなこともあった。母親の買い物に付き合って、彼女の行きつけの薬局へ行ったときのことである。私も自宅に常備しているアスピリンが残り少なになっていたことを思い出して、ついでのことにそれを買った。そのとき、その店の薬剤師は「貴方はピリン系の薬は大丈夫ですか?」と質問してきた。妙なことを訊くものだと思って、「薬物過敏症はありませんが、何故ですか?」と答えると同時に私からも訊きかえした。すると、「アスピリンはピリン系ですから念のためにお訊ねしたのです」と答えるではないか。放っておいても別に構わないのだが、その店から奇妙な誤解が広まるのも困りものだと思い、「アセチルサリチル酸の化学構造にピリン環はありませんよ」と指摘した。だが、その薬剤師はただポカンとしていた。
 私は薬剤師ではない。従って、大学の薬学部でどんな教育が行われているのか知らない。だが、ピリン系解熱性鎮痛剤の定義を知らない薬剤師がいるなんて信じたくない。どんな専門家でも専門領野の全てを知っている訳ではないだろう。しかし、実用を旨とした薬学の教育において、汎用されている薬剤を安全に使う上での基礎となる知識を叩き込まないとは考えられない。また、それらを薬剤師たる者が忘れることも有り得ないし、有ってはならないと思う。
 別の例をお話ししよう。ひょんなことから膝関節の古傷が痛み出したので薬を買いに行った。望みのものは或るムコ多糖類製剤であった。整形外科にかかっても処方されるもので、大きな薬局なら置いてあり処方箋なしでも購入できる。自宅の近くで最も大きな薬屋へ出掛けてザッと見渡したが初めて目にするヘパリン製剤しか見当たらない。他へ行くのも億劫なので訊ねることにした。話が早いだろうと思って、普通の服装の店員は避けて白衣を着た女性を探し出して訊いてみた。先ずは「*****はありませんか?」と商品名を出してみた。薬剤師は何かを思い出そうとしている風である。そこで、「ムコポリサッカライド製剤ですが・・・」と記憶の回復に協力しようとした。ところが、薬剤師はむしろ戸惑っている。「ヘパリノイドで、医者も・・・」と言葉を足したところ、「ヘパリンならこれです」と既に私も認知していたものを取り上げた。私は慌てて「ヘパリンではなくて、ヘパリノイド・・・ヘパリン類似物質の製剤なんですが・・・」まで言って、考えた。「どうも、この薬剤師にはムコポリサッカライドもヘパリノイドも解らないらしい」と。それで、そそくさと手間を取らせたことを謝して店を飛び出した。
 確かに特殊な医薬品かもしれない。だが、ヘパリン配合剤は店に出しているのだ。ならば、この種の薬については承知していなければ店の中で白衣を着ている甲斐がないだろうに。更に、薬剤師である限り大学を卒業している。英語は必修だ。加えて、薬学部なら化学も必修の筈だ。化学と英語の基礎があれば、初めて耳にしたとしてもムコポリサッカライドであれヘパリノイドであれ理解できなければおかしいだろう。この人は本当に薬剤師なのだろうか? 国家試験の合否の前に、本当に大学を卒業したのだろうか? そんな疑問を抱いても何の不思議もないと思うのだが、読者諸氏にはどの様に思われるであろうか。

 私は薬剤師をこき下ろそうとしているのではない。どんな分野にも落ちこぼれはいる。記憶に新しいところでは、宗教団体に所属し無差別大量殺人に係わった医師がいる。麻薬や覚醒剤に溺れた医師もいる。明確にハラスメントと判断され得る患者をいたぶるかのような発言を常としている医師の存在も耳にする。診療報酬等を水増し請求する医療機関など珍しくもない。ただの藪医者については推して知るべしであろう。私も大学の医学部に長期間出入りしていたが、医者が口にする耳を疑うような発言を何度となく聞いた。
 詐欺、横領をはたらいた弁護士のニュースも珍しくはない。医者の話で出てきた宗教集団のスポークスマンは弁護士だった。暴力団と呼ばれる犯罪者集団の顧問に納まっている弁護士もいる。国家権力を背負って犯罪を取り締まるべき警官の諸々の犯罪は日常茶飯事だし、放火犯を捕まえてみれば消防士だったなんてこともある。ワイセツ教師は年間何十人にも及ぶそうだし、その他の教師として不適格だと判定される者も十人や二十人ではない。
 選挙があれば必ず悪質で低劣な選挙違反者について報道される。総理大臣ですら賄賂を取って裁かれた。秘書給与を国庫から騙し取った国会議員のニュースを聞けば「またか」と思うだけで驚きもしない。料理のできない調理師免許保持者は無数にいるし、生理学も生化学も基礎的な化学ですら分かっていない栄養士には数多く出くわす。身近なところでは、交通法規を知らないあるいは知っていてもそれを守らない運転免許保持者は星の数ほどいるではないか。
 どんな分野にも、また、どんな処にも“不適格者”はいるが、それが特に目立つのは国家資格や公的な採用試験で選別される分野や職種であるような気がする。普通の会社の普通の仕事では成果でのみ評価される。不適格者は問題を起こす前に篩い落とされるのだ。ところが、資格や免許や登用試験で“保護された”職業や職種についた者はその資格や免許や登用試験結果でのみ評価され、且つそれらによって実力とは関係なく不当に保護される。必然、そんな世界に慣れ親しんだ者は“ぬるま湯”でふやけてしまう危険に曝されるのであろう。
 自動車運転免許ですら何年かに一度は“更新”という名に隠れた再審査を受けている。新卒者が会社に採用されても試用期間が設けてあって、“不適格”の烙印を押されれば容赦なく採用は取り消されてしまう。何故、医師免許や薬剤師免許や教員免許や弁護士資格には試用期間がないのだろう? また、再審査がないのだろうか? 私には不思議でならない。勿論のこと、免許あるいは資格に試用期間や再審査の制度を持ち込むと、それらが為政者の恣意的な人材選別に利用される危険性に気付いていない訳ではない。そのような思想的あるいは政治的差別に悪用されないように配慮しなくてはならないと思うが、どんな立場から評価しても不適格な者の免許や資格を公正に剥奪できる仕組みがなければ嘘だと思う。そうでなければ免許や資格は単なる駄目人間や怠け者の隠れ蓑という側面を持つことになってしまう。現在のように、重大な犯罪を犯さない限り永遠に特権を維持できる仕組みには納得できないのだ。
 不適格者を排除できないような片手落ちの制度では、免許保持者あるいは有資格者だといっても完全に信頼することなどできない。しかも、OTCについては、どんなボンクラな薬剤師が勤めている薬局でも重大な事故を起こした例はないと思う。少なくとも私の耳にそんなニュースが入ってきたためしは無い。OTCを売るのに全うであろうがボンクラであろうが薬剤師は不要だということなのだ。OTCというのはその程度のものでしかないのであって、保管等の取り扱いさえ適正であれば八百屋でも魚屋でも何処で売っても問題など無いと思う。

 ちょっと視点を変えるが、最近の薬屋はちっとも薬屋らしくない。調剤専門薬局や一部の個人経営の零細薬局を除けば、売り場の大半は日用品や食品で埋まっている。最早“薬屋”と呼ぶよりは薬売り場のある“スーパーマーケット”あるいは“コンビニエンスストア”と表現した方が実態に即している。そんな店でスナック菓子と風邪薬が一緒くたに然も無造作にレジ袋に放り込まれていく有様を目にすると、薬剤師の必要性など更に意識から薄れていく。
 スーパーマーケットの出現で小規模な小売店が激減して以来、私たちの“買い物”に対する意識は大きく変わった。私が子供だった頃は、買い物は「*****下さいな」という言葉で始まった。即ち、売り手と買い手のコミュニケーションが必須であった。例外は駄菓子屋で、コインを握り締めた子供たちは先ず品定めに夢中になった。だが、いざ選び抜いたターゲットを手にする段に達すると、店の小母さんや小父さんに「これ下さいな」と声を掛け、その後はしばしお喋りに興じるのが常だった。ところが今では、ものも言わず陳列棚から物を籠に放り込み、それをレジスターの前にデンと置くだけである。店員の側は喋るが、「いらっしゃいませ、こんにちは・・・***円になります・・・***円からお預かりします・・・」と少々背中がむず痒くなる決まり文句を機械的に口にするだけである。勿論、少々の遣り取りが必要になる場合もあるが、大抵の場合、客の側は言葉を必要としない。
 気楽と言えばそう言えないこともない。味気ないと言えばそう思えなくもない。だが、時代の流れは確実に多くの人が人と人との接触に倦んだり他人との関わりを嫌ったりする方向に向かっている。そんな趨勢に棹ささぬ者は極めて少数だ。当然、OTCの購入についても同じことだろう。どんなに優れた薬剤師が助言しようとしても、そんな会話ですら極力避けようとする傾向が強まっていくに違いないのだ。
 ましてや、自らスーパーマーケット化を選択した薬屋に薬剤師の出番があるとはとてもではないが考えられない。そんな店では薬剤師もただの店員と同じ作業に追われているだけだろう。経営者としては、そんな無駄な人材に高い人件費を費やしたくはない。名義借りなら謝礼だけだから出費は少なくですむ。ということで、公然の秘密となっている管理薬剤師の名義借りがそこここで行われている。ひょっとしたら、スーパーマーケット化した薬屋にいる白衣を着た人物は薬剤師ではないのかもしれないのだ。
 名義借りと言えば、このところ世人の耳目を集めている北海道での医師の名義貸しの件が思い起こされる。これも怪しからん話である。だが、医学部に長らく出入りしていた人間として明言するが、名義を借りた側にも貸した側にも罪悪感など欠片ほどもない。公になった以上、関係者は「遺憾に思います」とか「謝罪したいと思います」と言うが、私は断言する。「これで名義貸しの問題が決着することは無い」と。断言する理由は簡単だ。需要があり供給者がいれば取引は成立する。違法だろうが適法だろうが、それが市場経済の大原則ではなかったか。違法性が問題にされれば、見つからないように手口が更に巧妙になるだけのことであり、この種の不正が根絶されることはないのである。
 そのことの証というほど大袈裟な事柄ではないが、敢えて難癖をつけるなら、名義貸しで問題になった大学の責任者が「謝罪したいと思います」という不誠実な表現を用いていることも問題だと思う。何故はっきりと「謝罪します。ご免なさい」と言わないのだろう。「謝罪したいと思います」という表現を意地悪く解釈すれば、「謝罪したいと思います・・・が、差し障りがあるので、思うだけにさせていただきます」とも取れる。発言者の真意はともかく、問題が解決しないことだけは確実だと思う。

 読者諸氏には話が逸れたように思われるかもしれないが、筆者はそうは思っていない。この名義貸しの問題は国家試験等による業務独占者の質に大いに係わるからである。労せずして利益を得られる者が自らを律し責務に忠実になることはないからだ。小難しい試験に合格したことによりその地位が保証された者のみで構成されたエリート官僚社会の見本ともいえる中国の歴史を見れば一目瞭然であろう。全ての王朝が私欲を貪る奸臣たちとそれらを糺せなかった暗愚な皇帝自身によって崩壊したといっても過言ではないのだ。梁山泊に集った百八星の話を待つまでもなく、特権に保護されていることから私利私欲に走った怠け者たちは国家即ち庶民の拠り所を崩壊せしめるのである。
 現実問題として、OTCの販売にとって薬剤師は無用の長物だ。現在の社会情勢が薬剤師の存在価値の一部を既に否定しているのである。最早非現実的となった薬剤師の存在価値を楯にとってOTCの販売規制に固執すべきではない。歴史的な経緯や面子に拘ることなく、OTCの販売は自由化すべきなのだ。薬務行政担当官庁が考えるべき要点は薬剤師の業務独占特権を保護することではなく、薬剤師の質の向上と素人が手にしても絶対に安全な医薬品のみをOTCとして認可することである。
 信頼に足りない薬剤師が一人たりとも存在しないような制度を確立しなければ、OTCに限らず“薬剤師の助言”など誰も欲しない。OTCの全てが素人でも安全に使用できるものであれば、OTCの販売方法の議論に時間を費やす必要はなくなる。薬務行政の歴史は庶民の大きな犠牲の歴史に等しい。多くの犠牲者を見ることによって行政の怠慢が明らかになって初めて小さな前進が勝ち取られてきた。そんな繰り返しは最早、誰も望んでいないのだ。
 医薬品の承認制度にしても、完璧に近くなったと思われているが果たして事実であろうか? 発売元は自社製品との因果関係はないとしているが、OTCによる死亡事故ではないかと疑われている事例がいくつかある。因果関係の証明は困難だろうが、疑い得るということ自体が大問題だと思う。内服薬としてなら絶対にOTCとして承認されない物質がOTCとして販売されている外用薬の主成分となっている場合などには、本当に大丈夫なのかと心配になる。
 そんな例は珍しくないし気にするべきではないという反論もあるだろう。確かに、抗生物質が内服薬としてOTCに含まれることはないが、抗生物質の外用薬はOTCとして存在する。局所麻酔剤の注射薬は医家向けのみだが、塗布剤なら何処でも手に入れることができる。それらのOTCが危険だと言っているのではない。問題なのは、注意を要する成分の濃度と経皮吸収の度合い、他の薬剤との併用効果などが充分に吟味し尽くされ、且つ広く情報として行き渡っているかという点にある。
 OTCではないが、充分に吟味され情報が流布されたかどうかという問題を考える好例が一つある。かの有名なるバイアグラだが、日本では医薬品として承認される以前から個人輸入ということで導入され通信販売などで大量に流通していた。ところが、別の降圧薬との併用で死に至ることが有り得るという警告が一般人にもいき渡ったのは医薬品としての承認後のことであった。多少の薬理学の知識があればそんなことは予見可能なことではあるが、一般人が気付くようなことではない。にも拘らず、情報が一般にも流れ始めたのは犠牲者が出てからのことだったと記憶している。
 商品名を出す訳にはいかないが、私がその安全性について完全には納得できないでいるOTCの一つもその昔に降圧薬として開発された物質を主剤としている。私がまだ若かった頃に読んだ英文の薬理書に「血圧降下作用が強烈なので安易に使用しない方がよい」と記載されていた物質である。その物質を開発した会社では、結局お蔵入りになったその物質をバイアグラと同様の目的に使用できないか検討したとのことだが、局所へのインジェクション(注射)でのみ有効性が確認されたため実用に供することを断念したと聞いている。
 この情報が正しいとすれば、この物質は経皮吸収され難いということになる。しかし、経皮吸収というのは適用条件によって大きく変化する。例えば、通常では吸収されないが適用部位の皮膚温を上げれば吸収される物質もある。そんな薬は“ホットパック”という手法を用いると劇的に効果を顕すことが知られている。
 私が気に掛けている降圧剤を主剤とするOTCにもそんな現象があるかもしれない。適用部位の皮膚が損傷されていたり、皮下の血流量が増加するような副剤が配合されていれば、吸収量は一変するだろう。このOTCの製造者はどれほど緻密な実験を行ったのだろうか? 政府が薬価の切り下げに躍起になり、全ての薬メーカーが新薬の開発に行き詰まっている昨今、製薬会社も楽ではない。薬九層倍の時代は遠い過去に過ぎ去ってしまっている。製薬企業は新薬申請のガイドラインをクリアするぎりぎりのデータしか得ようとはしないのが普通だ。そんな状況下では、医薬品で不測の事態が生じる可能性を完全に否定し去ることはできないと思う。

 斯くの如く、OTCの販売自由化について考えるだけでこの件とは直接関係の無い複数の問題に思い当たってしまう。この世の中には問題や矛盾が多過ぎるのだろう。麻薬、覚醒剤、幻覚剤等は法で厳重に規制されている。マイナートランキライザー(精神安定剤と呼ばれているもの)ですら麻薬並みに扱われるようになった。なのに、強烈な薬理作用を有し依存症をも発症させるニコチンを含むタバコが年齢制限はあるものの野放図に販売されていることも不思議と言えば不思議なことだ。賭博は犯罪だが、公営ギャンブルやトトカルチョ、それにパチンコが市民権を与えられているのと同じことなのだろうが、様々な規制対象の線引きにはどの程度の根拠があるのだろうか?
 慢性中毒に陥れば脳細胞の死滅をもたらすエチルアルコール、即ち酒類にしても何処でも手に入る。そのことに異存は無い。二十世紀初頭、アメリカ合衆国で禁酒法が施行されていた当時、ウィスキーがマフィアの資金源になっていたことを考えれば、エチルアルコールですら非合法化されれば麻薬や覚醒剤に等しくなるということだ。安易な法規制は却って社会の為にならないことを示す実例と言える。酒の販売に限らず不要な規制や根拠が曖昧な規制は社会秩序を乱すだけだと思う。
 OTCの自由化はそんな大袈裟な問題ではないが、こんな些細なことをちょこっと考えるだけで、この世の中に納得できない問題点や奇妙な現象が満ち溢れていることに気付く。そういう意味で、どんなことについてでも議論を惜しむべきではないという教訓にはなるだろう。大多数の人々にはただただ退屈な話かもしれないとは思うが・・・・いや、兎に角、退屈な雑文に最後までお付き合いいただいたことに御礼申し上げる。

(2004年1月1日)


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国字について少々

 このところ、他のことはさて置き、何年かぶりに「三国志」を読み耽っていた。「三国志」といっても正史二十四史に数えられているものではない。かといって、明代に羅貫中が書いた小説「三国志演義」でもない。当然ながら、日本語で書かれた秀作、即ち、吉川英治の「三国志」である。自慢にはならないが、古文は勿論のこと現代文でも中国語は全く理解できないし、漢文の素養すら皆無に等しい私である。中国の古い書籍が読めよう筈もないのである。
 確かに漢文の授業は高校時代に受けたが、思えば、それは漢文の例文の解釈を幾つか耳にしたという程度のものだった。昔の“乎古止点(おことてん)”は言うに及ばず現在用いられている“反り点”と“送り仮名”がついていても、漢文を正しく読み下すことは困難だ。“かりがね点”とか“一・二点”や“上・中・下点”の意味は覚えている。だが、如何せん、知らぬ漢字が多過ぎるのである。漢字を多くは知らない私にとって、漢文はヒントなしのクロスワーズパズルに等しい。それに、たとえ字引片手に読み下せたにせよ、千八百年ほども昔のしかも他国の地理、風土、習俗、人情などを正しく理解するだけの豊富な知識もない。教養人というフィルターを一度通過したものでなければ手に負えないのである。
 吉川英治という大作家には頭が下がる。作品が秀逸であることのみではない。「三国志」の原典を理解できる素養と想像力を有しているという点に特に驚嘆するのである。歴史学や民俗学や地理学について論じるまでもない。最も基礎的な文字(この場合は漢字)についての素養を見るだけでその見識を語るには充分である。この世に幾つの漢字があるのか正確には知らないが、かの有名な諸橋轍次博士の大漢和辭典には約4万9千文字の漢字が収載されている(この辞典の編纂自体も驚異的な偉業だが、本日の主題とは直接関係ないので、この点については触れない。) その中で一般人たる私たちが知っているのはせいぜい千か二千だと思う。この程度では漢字だけで綴った中国語、しかも歴史的な事実を扱った歴史書や小説を読みこなすことは不可能だ。
 現に、日本語で書かれている吉川英治の「三国志」ですら、ルビがふってなければ人名や地名や官職名をすらすら読むことは難しい。読むだけではない。虫眼鏡で拡大して見ながらであっても、小難しいそれらの漢字を正確に書き写すのは骨が折れる作業である。筆順が想像できないような妙な文字も多いのである。そんな漢字を事も無げに理解し自分の作品にすいすい書き込めるなんて離れ業は、私のような無学な者には到底真似できない。だから、自然と頭が下がるのである。
 コンピューターが今ほど普及していなかった学生時代に、ふと「日本の電報はカタカナで打ってあるが、中国の電報はやはり漢字なのだろうか? だとすると、漢字をどうやって電信で送るのだろうか?」という疑問が募って、中国の事情に詳しい人に訊ねたことがあった。答えは単純で、「漢字にコード番号を付してそのコードを電信で送る」ということであった。「なるほど」とは思ったが、俄には信じられなかった。漢字を覚えるだけでも大変なのにそれらに付けられたコード番号まで正確に記憶していなければ電報局員にはなれないということだからである。しかも、中国語で通常使用される漢字数が約六千文字と聞かされては尚更である。しかし、日本にも吉川英治のような人がいることを思えば、たかが六千文字の漢字のコードを覚えることぐらい容易いことだろうと今では思える(なぁーんちゃって。私自身にそんな芸当ができるとはとても思えはしないのだが・・・)

 さて、そろそろ読者諸氏には「標題と関係ない話は止めろ」と言いたくなっておられるのではあるまいか。とは思うが、今暫く私の想いが標題に掲げた国字に及んだ経緯について語らせていただきたい。
 上に述べたように、「三国志」を楽しみつつ、漢字の難しさにも思いを馳せていたのだが、そこで十年ほど昔の出来事をふと思い出したのである。当時、私はさるコングロマリットに勤めていた。そこでは、専用回線による社内のWANでのE−メールがなければ仕事にならないほどコンピューターによる通信を盛んに行っていた。そんな私の通信相手の一人に殊の外日本の文化に興味を抱くアメリカ人女性がいた。仕事のついでにあれやこれやと質問してくるのである。例えば、「私はアイキドウをやっているが、聞くところによるとジャパニーズ・マーシャル・アーツの一つにナギナタというものがあるらしいが、それはどんな技なのか?」なんて他愛のないことである。そんな場合、格好の文化交流の機会なので、合気道の英文書籍とアメリカでは手に入り難いであろう薙刀の形のビデオテープを送ったりしていた。
 彼女の興味は尽きることなく、日本語ワードプロセッサーの漢字変換機能にまで広がっていき、遂には漢字を勉強したいとまで言い出した。仕方がないので、英文の漢字辞典を送った上で、日本語の基本的な特徴と漢字の基礎を簡単にまとめてメールで送ってやった。その後のことは推して知るべしで、次々と質問が舞い込んできた。そんな遣り取りの中で、私は「日本でいう漢字とは単純に“チャイニーズ・キャラクターズ”と表現すべきではない要素を含んでいる」と強調したのだった。国訓や国字の存在を含めて日本の漢字は成り立っていることを説明したのである。当然ながら、改めて自分自身で国訓や国字について整理し直したのだが、そのことを今回「三国志」を読み進み漢字について想いを巡らせているうちに唐突に思い出したということなのである。そこで、当時の記憶を引き摺り出しながら、それら日本独特の漢字についての無駄話を書き連ねようとしている次第である。大作家の秀作がほんの世間話程度の文章を書くきっかけになったことには恐縮するが、想いが巡ってしまったのだからしょうがない。お赦しを願って本題に移らせていただく。
 話を始める前にお断りしておくが、国訓については、数が多すぎるし漢字本来の意味を承知していないと面白くもなんともないので、ここでは積極的には取り上げない。また、国字であっても、別の漢字の略体や別体、人名、地名、動植物名、度量衡単位などは基本的には話の対象外とさせていただく。特に理由はない。私に興味がないものが多いからに過ぎない。

 さて、国字の中には、わざわざ創作しなくても元々存在する漢字で充分に事足りているものもある。例えば、“せがれ”には“倅”なり“悴”という漢字が当てはめられているのに、わざわざ“?”という国字が作られている。因みに、“倅”を“せがれ”の意味に用いるのは日本だけである。即ち、これは国訓である。また、“悴”は“倅”に似ているため誤用されているに過ぎない。もはや時代劇以外では殆ど耳にしなくなった“うつけ”も“空け”でも“虚け”でも通じるのに、“みへん”+“空”などという創作文字が存在する。
 どうも日本人は“みへん”が好きなようで、“みへん”の国字の代表格である“しつけ”には三種類もの国字が創られている。“躾”が最もよく使われるが、“美”を“花”あるいは“益”で置き換えた“しつけ”という国字も使われているのだ。ちょっと難しい字だが、“軈て(やがて)”というのも国字である。“臨機応変に身を処する”とでもいうことなのだろうか、“間髪いれず”という“やがて”本来の意味を表そうと工夫したように思え、この国字には何やら理屈抜きの共感を覚える。
 “みへん”の話で始まったので、以後、基本的には偏(へん)や旁(つくり)といった漢字の構成要素の共通項で分類して話を進めようと思う。だが、その前に、単純な造字例として、日本人の合理性というかしみったれた節約志向というか、音はそのままで二文字をまとめてしまった国字の例を幾つか挙げておこう。先ずは“麿”。元々は“麻呂”であったものを字数を節約して一字にしたのであろう。人名や地名に用いられる“粂”も同類だ。考えて見れば、通常は“鉈”と書かれる“屶(なた)”や大工を意味する“杢(もく)”も、音はそのままとは言えないものの、省スペースのための二字合体型新造文字に当たるかもしれない。
 単純に一字にしたという側面よりセンスの好さが光るのは“匁”であろう。ご承知の通り、現在の3.75gに相当する重さの単位あるいは江戸時代の銀目の一つで一両の1/60のことである。当然のこととして、“文目”と表記されていたものが、“目”が“メ”に略され、更に“文”と“メ”が一字に合体されたものだ。デザインのセンスがなければこんな文字は作れないだろう。誰だか知らないが、この文字を発明した人物あるいは一群の人々に敬意を表したい。
 “みへん”の国字が多いのなら“にんべん”の国字も多いかと思えば、実のところは然程でもない。“俤(おもかげ)”、“俥(くるま)”、“俣”、“働”ぐらいのものである。このうち、“俤(おもかげ)”と“俣”にはそれぞれ“面影”や“叉”という漢字表記が存在するから余り大きな意味はない。人力車を表す“俥(くるま)”も“くるま”が自動車を意味する現代ではその役割を終えたと言わざるを得ない。従って、“にんべん”で注目すべき国字には“働”しかない。しかも、この国字には“はたらく”という訓読みに加えて“ドウ”という音読みまである。そもそも国字に音読みは馴染まないが、幾つかの国字には音読みもついているし、音読みしかない国字すらある。
 音読みを持つ国字の好例は“にくづき”の文字である。“腺”と“膵”があるが、この二文字とも訓読みはない。何れも医学用語であり、漢方になかった概念であったため創られたようである。創作者が江戸時代末期の蘭医、宇田川榛斎だということまで分かっている。なぜ訓読みがないのかは深く考えなくても理解できる。臓器名(解剖名)で訓読みのものは無いのである(と言うか、和語には臓器名がないのだ。) 従って、新造語も音読みの方がしっくりと馴染むということなのだろう。因みに、漢方では膵臓という概念はなく、膵臓機能は胆の働きの一部と考えられていたそうである。また、現在では、“腺”と“膵”は中国でも用いられているそうだ。
 医学に関係し、しかも音読みしかない国字として、もう一つ“やまいだれ”の“癪(シャク)”がある。俗に言うところの“差込み”あるいは“癇癪”のことを意味するが、私には不思議に思える文字である。中国に移入されていないところをみると、この国字の概念を表す漢字あるいは漢語は昔から存在していたようだ。にも拘らず、わざわざ文字を創ったのには何らかの意味がある筈である。単純に考えれば、“しゃく”という和語が存在し、その音を持つ漢字を“やまいだれ”の中にはめ込んだだけのことだと思える。それなら、“シャク”という音読みではなく“しゃく”という訓読みだということになるが、漢和辞典によれば“癪”の読みは音読みということになっている。兎に角、よく分からない文字なのである。
 ことのついでに音読みのみの国字について片付けておこう。饂飩(ウドン)の“饂”も国字だが読みは“ウン”のみである。“ウドン”は“ウントン”が訛ったものなのだ。その“ウントン”だが、中国語の“コン飩(コントン)”(コンの字は“しょくへん”に“昆”)の江南地方の方言としての発音だそうである。ところが、呉音、漢音、唐音に慣れ親しんだ日本人には“食”+“昆”を“ウン”と読むことに抵抗があったようで、その“ウン”に見合う文字として“饂”という創作文字が考案されたというのが有力な説らしい。だが、臍曲がりの私としてはこの定説に疑問を差し挟みたい。何故、ウドンに限って江南地方の方言で日本に紹介され、しかも全国に広まったのだろう? その点についての合理的な説明がない限り、この説をすんなり受け入れることはできない。
 しかも、“コン飩(コントン)”というのはウドンのことではない。ワンタンのことなのだ。即ち、“ウントン”は中国人が現物をもって日本に紹介したものではないということになる。小麦粉を使った“コン飩”なる食物があると知った日本人が、見たことの無いワンタンを想像してウドンを作ってしまったと考えるべきなのである。話として聞いたのか書物で見たのかは分からないが、何れにせよ、“コン飩”という文字は知っていたということになる。ならば、聞き慣れた呉音、漢音あるいは唐音で発音するのではないだろうか。広大な中国の一地方の方言が漢字の読みとして日本に定着するなんて考えられない。ことの真相はどうであれ、たった一つの食品のためだけに文字が作られたなど、くそ忙しい現代では考えられないことだ。
 これに似たものとして“炬燵”の“燵”の字がある。この国字もある道具のためだけに発明されたものである。その道具も元々は中国のもので、足を載せて暖をとる“火踏子”である。その音が日本人には“コタツ”と聞こえ、それを表記するために音にそぐう“燵”という文字を創った上で“火燵”とし、更にそれが“炬燵”と記されるようになったようである。“篝火(かがりび)”を表す“炬”が炎を出さない“コタツ”の表記に用いられるようになった理由は定かではないが、想像するに、“火”を“コ”と読むことに抵抗があったことと、“燵”とのバランスの上で“炬”の方が納まりが好いからではないかと思う。
 一方、音読みのみの国字の中でも、絞り染めを意味する“纐纈(コウケツ)”の“纐”の字はちょいと趣を異にするようだ。“纈”だけで絞り染めの意味を表しているのだが、それでは満足できなかったのだろう。“ケツ”では日本語として美しくない。さりとて、昔の日本人には漢語の方が文化的な匂いが強いので、どうしても“絞り染め”という和語ではなく漢語風に言いたい。そこで、“絞る”の“絞”に“纈”の一部でもある糸で縛ってできた頭の形を意味する“頁”をつけて“纐”という文字を創作し、漢語風の“纐纈(コウケツ)”という新造語を創り出したというところではないかと推察する。何れにせよ、現代人から見れば必要のない文字に思えるのだが、それらを考案した人たちにとっては重要なことだったのであろう。

 部首による分類に戻るが、“つくえ”には粋な国字が幾つかある。どれも風に因んだもので、“凧”、“凩”、“凪”である。風を受ける布(巾)で“たこ”、木を枯らせる風で“こがらし”、ハタと止んだ風で“なぎ”、何れをとっても如何にもそれらしく、何故中国製文字として作られなかったのか不思議に思うものばかりである。部首としては“つくえ”ではなく“かぜ”に分類されるが、風の括りとして“颪(おろし)”についても触れておこう。この国字には捻りも妙味も何にも無いが、「なるほど、“おろし”とは山から下りてくる風に違いない」と納得できる。実に素朴な発想である。
 先に述べた“匁”は“つつみがまえ”に分類されているが、この部首には“匂”という国字がある。元々は“ととのう”という意味を有する“堰iキン、イン)”に“におい”の意味を当てはめて用いていたが、文字中の“二”を“ニホヒ(におい)”の“ヒ”で置き換えて“堰hとは別の文字にしたらしい。平安時代から使われている古い国字だそうだが、古の日本人は“好ましい匂い”と“嫌な臭い”をどうしても区別したかったのだろう。日本人の感性がもたらした発明として注目に値する。
 “くちへん”も意外に少ない。“噺”、“哘(さそう)”、“叺(かます)”がある。“はなし”には広い範囲の意味合いをカバーする“話”や深みのある話を指す“譚”という漢字があるが、“噺”は当然のこととして耳新しい話を特に意識して作られた国字だと考えなければならないだろう。ということは、その昔には、耳に胼胝(たこ)ができるほど古臭い話を繰り返し聞かされることが多かったのだろうか? 考えてみれば、私の耳にもかなり多くの胼胝ができているから、あながち的外れの推察でもなさそうであるが・・・
“叺(かます)”というのは筵(むしろ)で作った袋のことなのだが、若い人たちは知らないだろう。口を開けて何かを入れるから“叺”なのだそうだが、“かます”を知らない若人たちなら別の読みを考えるかもしれない。“郵便受け”、“レジ袋”、“ゴミ袋”、“トート・バッグ”などなど何にでも使えそうな文字ではある。
 “おんなへん”にも幾つかの国字があるが、ここでは“嬶(かかあ)”だけを取り上げたい。“おかみさん”でも“おないぎさん”でもなく“かかあ”に対してこの文字を作り上げたのは絶対に男性だと断言できる。“鼻に付く女”なんて女性が自ら言う筈がないからである。“おんなへん”ではなく“くちへん”の“嚊”(鼻息を表す)を国訓として“かかあ”と読ませることもあるが、これだと、“鼻に付く上に口うるさい女”ということになるのであろうか? ご婦人方には不愉快な文字だと思うが、これら小気味好い国字や国訓が差別用語として禁止されないことを切に願う次第である。
 趣を変えて、偏(へん)ではなく旁(つくり)が同じものを拾ってみよう。“かせ”(“きへん”+“上下”)、“峠”、“裃(かみしも)”、“鞐(こはぜ)”がある。この“上”と“下”を組み合わせた旁(つくり)は国字以外に無いと思っているのだが、もし存在していたら是非ご教示いただきたい。ところで、この四つの国字の“上下”はそれぞれ意味合いが異なっているようである。“かせ”というのは紡いだ糸を巻き取る工の字形の道具であり、糸を上から下へと巻いていくものである。“峠”は山道を上り詰めて下るところで、“裃(かみしも)”は武士の礼装の上下の揃いだ。また、“鞐(こはぜ)”は何かの上下を革紐の先につけた小鉤で閉じることから来ているようである。これら“上下”のように、同じ組み合わせで複数の異なる意味を表そうとするのは合理性の故であろうか、はたまた、無精の結果であろうか。日本人の一人として多少気になることではある。
 “ころもへん”と“かわへん”が出て来たので、それらに話を移す。“ころもへん”の国字は、やはり、日本に特有の着物に関するものばかりだ。“裄(ゆき)”、“褄(つま)”、“襷(たすき)”などである。多分、“襷(たすき)”を除けば若い人たちにはチンプンカンプンであろう。解説しても面白くないだろうから意味については省略する。一方、衣になる前の糸、即ち“いとへん”については結構多くの国字が創られている。だが、その殆どが先に触れた“纐”と同様に紡績や染色に関係した文字である。例外として、“縅(おどし)”と“ほろ”(“いとへん”+“晃”)があるが、この二つは鎧(よろい)に関係したものである。鎧は札(さね)と呼ばれる小板を紐で綴って作るが、その紐で綴ることを“縅(おどし)”という。“ほろ”は鎧の背に付ける飾りを兼ねた矢避けの布のことである。ともあれ、これらも日本に特有のものに関する文字であることに変わりない。
 “かわへん”の国字は、“鞐(こはぜ)”を除けば、武具ばかりである。“鞆(とも)”は弓道の心得のある人なら知っていると思うが、弓手の内側に着ける弓の弦から手を守る一種の保護具である。残念ながらワープロの辞書に入っておらず打ち出せないが、“かわへん”に“毎”で“しころ”と読ませる国字がある。“しころ”というのは兜(かぶと)の鉢から垂れている首周りを防御するものであり、“錏”という漢字もあるのだが、わざわざ国字も創っているのだ。さて、どんな拘りがあったのだろうか? また、大相撲の親方名である“錣山(しころやま)”の“錣”も使われるが、これはれっきとした漢字で、“針”とか“算木”を意味する。中国語では“しころ”という意味はないのである。従って、この“錣(しころ)”は国訓の一例ということになる。

 “りっしんべん”には複雑な心の動きを表す国字が沢山ありそうだが、意外にも一つしか見つけ出すことができなかった。“怺える(こらえる)”である。普通は、“堪える”と表記されるが、元々の意味が“竈(かまど)の煙突”である“堪”より“りっしんべん”に“永”の方が気長に忍ぶ心情がより直接的に伝わるような気がする。“てへん”も案に相違して数少ない。“はめる”(“てへん”+“入”)などは実に単純な発想で論評の仕様もないが、“むしる”は少々捻ってあるのでまずまずの面白さを感じる。“抄”の“少”の下に“力”を足したもので、力尽くで抄め取る(かすめとる)という意味合いになる。部首は違うが、“むしる”にはもう一つ国字がある。“毟る”である。
 最初にこの“毟”という字を見たときの衝撃は忘れられない。「“毛を少なくする”とは取りも直さず“むしる”ことである」と完全に納得してしまったのである。納得しただけではない。「誰がこんな文字を考案したのだろうか」と有らぬ空想に耽る程であった。口をへの字に結んだ如何にも学者らしい高士が墨痕鮮やかに“毟”と書き付けた紙を手にして満足気に頷いている様子を想像すると、思わず吹き出してしまう。また、腰を屈めてへらへらしているちょっと禿げた幇間が作者だったらどうだろう。お大尽の慰みにと、「こんな新字は如何なものでげしょう?」と“毟”と大書した白扇をかざして一差し舞っている場面もなかなか滑稽だ。
 部首からは外れるが、この“毟”のような組み合わせによる国字を幾つか見ておこう。“あさる”は通常“漁る”と書くが、国字としては“求”の下に“食”を組み合わせたものがある。野良犬がゴミ箱をあさる場合には、“漁”より“求”+“食”の方が見合っていると思う。“確かに”という意味の“しかと”は普通ならそのまま“確”という字を用いて“確と(しかと)”とする。だが、殿様に何かを言いつけられた家来が平伏して「しかと承ってござる」なんて言っているときには、“聢と(しかと)”という国字がぴったりであろう。
 既に触れた“颪(おろし)”も同類の組み合わせ文字だし、“雫(しずく)”もそうである。“男”を三つ山形に配置した国字もあり、“たばかる”と読ませる。普通は“謀る”と書き、“考える”とか“談合する”とか“騙す”とかいう意味である。“女”を同じように積み重ねた“姦”は“かしましい”と読ませるのだから、女が集まるとただ騒々しいだけだが男が集まると何やら相談するということになってしまう。現代では男の子の集団も姦しいから、この文字は嘗て男尊女卑であった頃の名残りと考えるべきであろう。因みに、“姦”という漢字に元々は“かしましい”という意味はない。左様、“かしましい”というのは国訓なのである。
 再び部首別の話に戻る。“きへん”の国字として既に“かせ”を紹介したが、もっと注目すべきは“枠”であろう。私自身この字が国字だということを長らく知らなかった。十年ほど前に国字について調べた折に初めて承知したことであった。だが、気付いてみれば、確かに“枠”に音読みはない。然らば、中国語で“枠”を表すのはどういう文字なのか気になるので調べてみた。どうも“框(キョウ)”がそれに当るらしい。日本語では“かまち”と読ませ、窓や障子などの特定のものの枠のみを指すようになってしまっている。“きへん”の国字は多いがその他は面白くないので割愛する。
 同様に“くさかんむり”にも多くの国字が存在するが、ここでは二つだけ紹介しよう。一つは“すさ”(“くさかんむり”+“切”)である。強度を出すために塗り壁に混ぜる繊維質のことで、今はどうだかしらないが、私の子供の頃は、土壁の下塗りには切り藁(わら)が用いられていた。だから、“くさかんむり”に“切”なのだと思う。もう一つは些か風雅な文字である。非常に残念なことにワープロでは打ち出せないが、“くさかんむり”に“枕”で“くたびれる”と読ませる国字である。当て字ながら、通常は“草臥れる”と書く。疲れ果てて路傍の草の上に倒れ伏すといった感じで、この当て字も結構いけるが、草枕を新字に仕立てた“くさかんむり”に“枕”を“くたびれる”とする発想もなかなかのものではあるまいか。
 “た”の部には興味深い国字がある。“畑”は至極単純で、焼畑農法から発した文字だと直ぐに察しがつく(乾いた田を表すとの説もあるが。) 一方、同じ“はたけ”でも“畠”の字源を理解するにはちょっとした知識が必要になる。“はたけ”を表す元々の漢字としては“圃”もあるが、中国語では水田も畑も“田”という。そこで、区別するために水を引いた“水田”に対して乾いた畑を“白田”と表現するのだそうである。その“白田”を一字に約めたのが“畠”なのである。漢字の本家である中国の熟語をまとめて一字にしてしまうなんて、日本人は強かな民族だと感じ入る。もう一つ、ちょっと難しいが、“あらきはり”という言葉がある。辞書を引くと“新墾治”となっているが、この開墾を表す“あらきはり”にも国字が創られている。“つめかんむり”に“田”を組み合わせた文字だが、“我が手で掴み取った田圃”という気迫が滲み出ているように感じるのは私だけだろうか。
 まだまだ一杯あるが、切りが無いので“しんにゅう”を最後にしようと思う。“辷る(すべる)”がユーモラスだと評するのはいけないことであろうか。私はこの字をみると、なんとなく可笑しくなるのだ。“辻”と“込”も国字なのだが、そうとは知らぬ人も多いのではないかと推察する。先に告白したように、私が“枠”が国字だと長らく知らなかったように、あまりに頻繁に用いられる文字だし、如何にもそれらしい組み合わせだから音読みが無いことに気付きもしないだろうと思うのである。
 さて、“しんにゅう”には妙な国字が二つある。先ずは“迚も(とても)”という文字だが、冗談みたいに奇妙な発想から創られたもののようなのだ。「とてもじゃないが最後までは行けない。途中までで勘弁してくれ」ということらしいのだが、さても、頓智較べの判じ物に等しい。もう一つの“遖(あっぱれ)”に至ってはどう考えても訳が分からない。最後の手段として諸橋辭典を開いてみると、“遖”の項には一七一二年に刊行された「和漢三才圖會(わかんさんさいずえ)」からの引用文が載っていた。それを読んでみると、「近頃、“遖”を“天晴れ(あっぱれ)”と読ませるが、その拠るところは分からない」というような内容であった。江戸時代、それも新井白石や大岡忠相が活躍していた三百年ほども昔ですら分からなかったことなのだから、私ごときが考えて分かる代物ではないと諦めて、“奇妙な文字”のままで置いておくことにしよう。

国字の一部について観察しただけでも、言わずもがなの事実に改めて感じ入る。日本語における漢字の大部分は、元は中国文字に違いないとはいえ、既に中国文字ではなく日本の文字になりきっている。私は決して国粋主義者ではないが、文化を大切に思う者として、この点を強調し続けていきたいと思っている。英語でも、“Chinese characters”と“Japanese KANJI characters”とが明確に区別されるようになることを心から期待する次第である。

(2003年12月16日)


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食品業界に対して改めて感じる不信の念と失望

 11月22日の新聞を読んでいて、その内容に納得できない記事があったので早速キーボードを叩くことにした。その記事とは、私が住んでいる地方にある二つの生乳処理施設で製造された牛乳から大腸菌群が検出され県から回収命令が下されたというものである。それらの施設の一つはある町の酪農業協同組合であり、もう一つは、自ら乳牛を飼育しそれらから得られた生乳のみを処理し販売する個人営業に近い小規模な施設である。以降、前者をS協同組合と呼び、後者をK牛乳と呼ぶことにする。
 日本の食品行政では大腸菌群を目の敵にしているが、それは日本人の潔癖症を反映してのことである。大腸菌は哺乳類の大腸内に巣くっているものだから、大腸菌による汚染とは即ち糞便による汚染を意味するのである。糞便汚染よりもっと怖い微生物汚染は沢山あるが、古来より厠という水洗トイレのシステムを持っていた日本人は殊の外この糞便汚染を忌み嫌っているようなのだ。牛乳やその他の乳製品は“乳及び乳製品の成分規格等に関する省令”(以下、“乳等省令”と略す)で馬鹿馬鹿しいほど細かく規制されているが、全ての規制対象について共通しているのは「大腸菌群は陰性でなければならない」という点である。

 さて、ここで新聞記事に話を戻すが、私が納得できないのは当事者の汚染原因についての釈明である。新聞記者は取材内容をそのまま書くのが使命であろうから、その釈明内容の是非に責任はない。全ては奇妙な言い訳をした施設側の問題である。 先ず、S協同組合だが、新聞記事を原文のまま紹介すると「汚染の原因は特定できていないが、牛乳をパック詰めする際、機械に生じた結露が混入した可能性が高いという。パック詰めのクリーンブースでは、殺菌水を流して塩素水でふき取り、さらにアルコールを吹き付ける殺菌作業を行っているが、同組合では、この作業に問題があったと見て、今日二十二日、殺菌方法の改善計画をT保健福祉事務所(原文では実名で報道されている)に提出。了承された時点で製造を再開する」ということらしい。
 ここで考えていただきたい。私は先ほど、「大腸菌は哺乳類の大腸内に巣くっているものだから、大腸菌による汚染とは即ち糞便による汚染を意味する」と説明した。大腸菌は糞便で汚染された液体を霧状に噴霧した場合はいざ知らず、通常は空気中をフラフラ飛び回ったり浮遊するものではないのだ。糞便でかなり酷く汚染された人や物体が接触しなければ、大量の製品の中の一つから更にたったの1mlしかサンプリングしない微生物検査に引っ掛かるほどの汚染は絶対に起こらないと断言できる。
 結露が混入して汚染された可能性が高いと言うが、充填機の結露が壊れた蛇口から滴り落ちる水滴のように大量に垂れてくるだろうか? もし、万一そうであったとしても、大量の結露水を高濃度に汚染するほど充填機自体が大規模に糞便で汚染されるなどということが有り得るのだろうか? 私にはとても信じられない。しかも、殺菌水、塩素水(多分、次亜塩素酸Na水溶液のことであろう)に加えてアルコール(消毒用エチルアルコールまたは食品添加物として許可されたエチルアルコール製剤のことであろう)で殺菌しているという。それで、その殺菌作業に問題があったと言いたいらしいが、はて如何なる問題だと言うつもりなのだろう?
 殺菌水の精製装置が故障した訳ではなさそうである。それなら関係者は大喜びで汚染を機械の所為にするはずだ。塩素水の濃度が低かったとも思えない。水道水の残存塩素濃度は2ppmと定められていたと記憶している。私の記憶が正確ではないかもかもしれないが、数値は一桁で、単位はppmであったことには自信がある。こんな低濃度でも有効なのだから、使い物にならないほど薄い水溶液を作るほうが困難だろう(勿論、後で述べるように、塩素水に触れている時間が短ければ消毒効果はさほど期待できないが。) 消毒用アルコールの場合はエチルアルコールの濃度が問題で、薄くても濃くても効果は弱くなってしまう。べたべたに濡れたところに少々の消毒用アルコールを吹き付けても全く無効であることは考えられる。だが、この問題の場合は、べたべたに濡れていたとしても、それは塩素系の消毒液なのである。たとえ消毒用アルコールの効果が発揮されなかったとしても、べたべた塗りたくられた塩素水の消毒効果は期待できる。従って、このアルコール濃度の問題を大規模な汚染の原因にすることには無理がある。
 私は汚染原因はこんなことではなく別のところにあると考えなければならないと主張する。より率直に表現すれば、私は、この言い訳は人為的なミスをなるべく消費者に印象付けたくないという善からぬ意図があってのことだと指摘したいのである。現場の状況も知らぬ私が関係者の発言を完璧に否定することに不快感を持つという意見もあろうかと思うが、私には私なりの自信があってのことである。
 先ずもって腑に落ちないのはクリーンブース内に設置された充填機の殺菌方法自体である。報道に拠れば、“殺菌水で流す”→“塩素水で拭く”→“アルコールを吹き付ける”という順序だそうだ。殺菌水で流しただけで消毒できないことは誰にでも理解できる。殺菌作業の前には通常の洗浄作業を行うだろうが、通常、洗浄作業の締め括りは水道水によるリンスだ。水道水は法による基準をクリアしており、そのまま飲用に供しても安全な水である。無菌ではないが不潔な水ではない。そんな水道水によるリンスの後にわざわざ殺菌水でリンスする必要があるだろうか? 洗浄という面での意義はないし、先ほど述べたように消毒という面でも何の意味もないのに。
 次の塩素水で拭く作業については消毒効果が期待できるだろう。とは言え、ブリーチング剤による殺菌に極度の即効性はない。塩素水にジャボンと浸けた布やスポンジでサッと拭いただけでは殺菌としては不完全である。それに、拭くという作業は却って対象を汚染する可能性を含んでいる。たとえば、消毒液に浸けた布やスポンジが不潔な場合は消毒どころかわざわざ汚染してしまうことになる。それより怖いのは、拭いている作業者の手や作業衣が汚染されていて、それらが殺菌対象に触れてしまうことである。一般的に、微生物による汚染の一番の原因は作業者及び作業者が身に付けている衣服等なのだ。
 しかし、最後には消毒用アルコールを噴霧しているのだ。噴霧作業で機械に触れることはないだろう。従って、塩素水での拭き取り作業で多少の汚染が生じても、アルコール消毒でかなり軽減されている筈ではなかろうか。再び言うが、報道された消毒方法は決して合理的ではないが、その不備によって消費者に大腸菌で汚染された牛乳をばら撒く結果になるとはとても考えられない。機械の殺菌方法を改善することだけで幕を引こうとする態度は消費者に対して不誠実だ。
 このS協同組合の殺菌法に見られる不合理な点を整理すると次のようになる。
@極めて普通に考えると、薬剤を用いて殺菌する場合は、その薬剤を洗い流すために殺菌水でリンスするのではないだろうか? ところが、S協同組合の場合は順序が逆である。
Aまた、クリーンブース内にある機械が埃まみれになっていることは考えられない。クリーンブースとはその中の設備を正常な空気にのみ触れるようにするための仕切りなのだから。よって、クリーンブース内の機器は、合理的に洗浄されている限り拭き取り作業は必要ない。おまけに、先に述べたように、消毒剤を用いていても却って汚染の原因になり得るのだから、そんなことはすべきでない。
 S協同組合ではこんな無用なことをわざわざ行っているのだろうか? しかも、本当にこんな不合理な順序で殺菌作業を行っているのだろうか? 軽微なミスを犯し得る状況を敢えて演出しているのではないかと疑ってしまうのは、私の邪悪な猜疑心の為せる業であろうか。

 真の汚染原因についての私の推理を申し述べる前に、もう一件のK牛乳についての報道を見てみよう。新聞記事は「保健所の定期検査に備えて機械を分解洗浄した際、冷却水のパイプを締めたままにしていたため、熱処理した牛乳の温度が十分に下がらなかったことが原因と見られる」と伝えている。人を馬鹿にするにも程がある。“乳等省令”の定めでは「大腸菌群は陰性でなければならない」のである。確かに“陰性”とは“検査で反応を示さない”ことに過ぎない。「大腸菌群陰性」とは「大腸菌群が皆無だ」ということではなく、「検査で大腸菌群が検出されない」ということではある。だが、法の精神は「見つからなければそれでいい」ということではない筈だ。「大腸菌群に分類される細菌が一個でも混入するようなことがあってはならない」と理解すべきだろう。
 法解釈はさて置き、K牛乳の言い訳には怒りを禁じえない。「温度が充分に下がらなかったから汚染が起きた」といいたいらしいが、もしそうなら、それは論理的におかしいだろう。牛乳の温度が高くても、無から大腸菌群は生じない。汚染がなければ温度が高くても大腸菌群が検出されることなどないのだ。言わずと知れたことながら、殺菌乳であっても細菌は皆無ではない。“乳等省令”によれば、普通の牛乳では細菌数が50,000個/ml以下であれば合格なのだ。しかし、どんなに温度が高くても大腸菌群以外の細菌が大腸菌群に変身することは有り得ない。他の細菌の増殖で牛乳が変敗しても、大腸菌群が検出されることはないのだ。K牛乳は、「温度が高かったため大腸菌群で汚染されていた牛乳中で菌が繁殖し、汚染が露見してしまった」と正確に表現すべきだろう。
 それに、K牛乳の言い訳には嘘の匂いがする。「冷却水のパイプを閉めたままにしていた」だけでは詳しい状況は分からないが、冷却水が止まっていることを見逃すとはとても考えられないからである。ラジエターのような構造の高温殺菌機の場合、殺菌する高温部分に続いて冷却部分が設けられており、その冷却部分に供給される冷却水が止まっていたら機械が異常を感知して警報を鳴らす筈だ。
 牛乳は殺菌機から充填機に送られて直ちに容器に小分けされるのだが、通常、その間にサージタンクと呼ばれる緩衝タンクが設置してある。殺菌機と充填機の処理スピードが同じであっても、何らかの理由で充填機を止めなければならなくなった場合、一時的に殺菌済みの牛乳を溜めておくためである。このタンクも殺菌された上で常に冷却水で冷やされているが、この冷却水が止まっていて中の牛乳が温まってしまうほど長く殺菌乳をサージタンクに入れたままにすることは常識的に有り得ない。
 更に、殺菌機ではなく、業界で“バッチ殺菌”と呼ばれているタンク内での殺菌作業を行っていたと仮定しても、やはり筋が通らない。何故なら、殺菌後、牛乳の温度が10℃以下になったことを確認しない限り充填作業には取り掛からないからである。殺菌済みの牛乳の温度が下がらないことには直ぐに気付くし、その原因が冷却水の停止にあることにも直ぐに気付かなければ嘘なのである。
 充填機にもその内部に冷却水が引き込まれているものが多い。これらは成形された容器を冷やすと同時に、容器の溶着部分を完全にするためにも使われている(熱でポリエチレンコーティングを溶かしてくっつけるのだが、そのとき、圧迫と冷却により密着・固化させるのである。)従って、充填機の冷却水が止まっていると、容器のシール不良が起こって直ぐに気付くと思う。
 最後に、言い訳が嘘っぽい理由として決定的なことは、出来上がった製品の温度が高いことに気付かないなんてことはまず考えられないということである。完全に自動で、箱詰めからトラックへの積み込みまで人手を介さないシステムもあるだろうが、失礼ながら、K牛乳のような零細な処理施設がそんな立派な設備を備えていることなどないだろう。製品は人が取り扱っている筈である。その作業者が製品の温度異常に気付かないほど鈍感だとは思えない。それに、たとえ全自動のシステムを導入していたとしても、当然のこととしてそれには品質確保のためのセンサー&アラーム網が張り巡らしてある。高温のまま製造された製品を出荷してしまうことなど常識的に考えられないのである。それに、どんなシステムで製造しても、製品検査特に官能検査は人間にしかできない。どうしても製造直後の製品は人手に渡るのである

 さて、いよいよ、汚染原因についての私の推理を述べよう。と大袈裟に言ったが、推理というほど知的なものではない。極めて常識的なものの見方による推論に過ぎない。結論は単純だ。大腸菌群による汚染原因はヒト即ち作業者である。作業者が作業衣、作業帽、作業靴などを常に清潔にしており、手洗いや手指の消毒等の常識的な衛生管理手順を励行していれば大腸菌群による汚染など絶対に起きない。起きる筈がないのだ。何度も書いた通り、大腸菌群による汚染は糞便による汚染と同義なのである。糞尿で汚染された井戸水を使っていれば作業者を介さずに汚染が起きるだろう。また多数の鼠や昆虫類がトイレと作業場を頻繁にうろちょろすればこれも深刻な汚染原因になる。だが、今時そんな施設はないであろう。もし、そんな施設が営業許可を得られるのなら、それは保険福祉事務所(つい先ごろまで保健所と呼ばれていたお役所)の大いなる怠慢である。糞便による汚れを作業場に撒き散らすのは作業者以外にはないのである。
 最も可能性が高い被汚染物は小分け容器であろう。牛乳にはカートンと呼ばれる上部が切妻の屋根のようになった方柱の紙容器かブリックと呼ばれる煉瓦形の小さな紙容器が用いられる。勿論、ガラス瓶やプラスティック容器もあるが、殆どがポリエチレンでコーティングされた紙容器である。カートンを充填機にセットするのは作業者である。色んなタイプがあるが、基本的にはカートンの束を手で掴んで充填機にセットする。その補充を繰り返し行うことになる。
 ブリックの場合はバカ長いロール紙が使われる。紙の帯が筒状に溶着され、底部が溶着されるや牛乳が流し込まれ、直ちに上部が溶着されると同時に切り離される。その溶着部分が次の底部になって同じ工程が繰り返されるのだ。こう説明すると、作業者がそのロール紙を汚染する機会がないように聞こえるかもしれないが、決してそうではない。機械にロール紙をセットするのは、映写技師が映画のフィルムを映写機にセットするのによく似ている。つまり、最初のかなり長い部分を両手で触らなければセットできないのだ。更に、ロール紙が尽き次のロール紙をセットするときには、前のロールの最後の部分を新しいロールの部分と接合しなければならない。勿論、手作業である。ロール紙の場合も汚染の可能性は高いのである。
 ロール紙の場合、人が触った部分を捨てれば問題はないのだが、中小・零細企業では捨てる部分をケチる。捨てるべき部分にも牛乳は充填されてしまうのである。紙だけでなく牛乳もかなりの量を捨てなければならないということなのだ。利の薄い牛乳のことである。歩留まりがちょっと下がると忽ち赤字をも覚悟しなければならない状況に追い込まれる。カートンの場合はもっと始末が難しい。作業者はカートンの外側だけを触っているから汚染はないと思っているが、実際に作業を見ているとそんなに甘い状況ではない。カートンの束を揃えるために手で上下左右をポンポン叩いたり撫でたりしている。それに、カートンが入った段ボール箱に手を突っ込まなければカートンは取り出せない。手や作業衣の袖口は段ボール箱の内部を触りまくっているのだ。

 私の推理が当たっていようがいまいが、上で議論した通り、S共同組合とK牛乳の汚染原因についての説明がいい加減なものであることは見え透いている。何故、こんな人を食った態度をとって平然としていられるのだろうか? 私は、食品業界に蔓延している基本的なモラルの欠如がその原因だと思っている。以下に述べる話は食品業界に関係している私の友人から聞き取ったものであるが、消費者としては信じたくないことばかりである。勿論、全うな業者もいると信じたいが、「高が食い物だ。食中毒で人が死ぬなんて滅多にありはしない」と考えている輩が多いことも事実であるようだ。
 食品会社には多くのクレームが寄せられる。多くの業者は腰を低くしてクレームを寄せた主に謝るが、その裏ではとんでもなくいい加減な対応をしているらしい。「何やら黒い異物がある」といったクレームには端から「殺菌機の焦げが剥がれたものだ」と答えることにしている営業マンがいるらしい。そう言っておけば、安全性に問題はないと言い切れるし、人為的なミスではないと開き直ることもできるからである。殺菌機を通していない製品でもお構いなしに紋切り型の対応をする。「相手は素人だ」と平然と嘘をつくのである。品質管理の担当者が精査してみると、実は全く別の施設の根本に関わる問題が原因であっても、咽喉元過ぎれば何とやらで、品質管理の担当者の報告は無視され、根本的な対策は一向に講じられない。
 設備が整った工場なら安全かというと、そうでもないらしい。立派な工場で作られた不良品は全て機械の所為にされてしまう。「機械が不調で作業途中で整備し直したが、その折、不良品の選別に見逃しがあった」などともっともらしいことを言って相手を煙に巻くのである。たとえ機械の不調があっても不良品を市場に出してしまった責任は人間にある。その人間の責任をぼかすために機械の不調を事細かに説明して誤魔化すのだ。勿論、表面的には恐縮しきった態度で応ずるのだが、実はその詫び言葉あるいは詫び状は常に準備されている多数の“文例”の一つに過ぎないのである。
 品質というのは同一ロット製品なら全て均一でなければならないが、実際にはそうではないらしい。牛乳を例にとると、作り始めの製品は水っぽいそうだ。製造時にタンクや配管や充填機を蒸気殺菌するのだが、配管や機械の中に蒸気が冷えて凝結した水が溜まっているのがその原因である。時には、“乳等省令”の成分規格をクリアしてないものが出荷されてしまうこともあるそうである。おまけに、先ほど言及した汚染源についての推理に関係したことだが、牛乳の作り始めの製品から自家試験で大腸菌群が検出されることは決して稀ではないとのことである。私の危惧通り、作業者が操業準備で触りまくった小分け容器には大腸菌群が振り撒かれているのだ。
 より大きな問題は、それが分かった時の対応である。通常の大腸菌群の法定検査法では結果を得るのに20時間ほどかかる。即ち、自家試験で大腸菌群が検出されたころには殆ど全ての製品が出荷されてしまっているのである。当然のこと、そんな製品は全品リコールしなければならない筈だ。ところが、出荷担当者は決して慌てない。そんなことだろうと予め予想して、製造開始直後の製品のみは出荷を遅らせているのである。大腸菌群が検出されれば、それは捨てる。検出されなければそれも何処かへ売ってしまうだけのことなのだ。だが、どこまでが汚染されていたたのかは誰にも分からないことだ。言い換えれば、製造開始直後の製品を押さえておくのは、消費者への責任感からではなく、汚染が露見した場合の言い訳に使うためなのである。
 最近、業界団体が迅速に大腸菌群を検出する方法を法定法と併用するよう働き掛けているようだが、検査結果が早く分かっても結果は同じだろう。誤魔化しが利くとなれば、怪しい製品でも平気で出荷することは想像に難くない。要は、食品業界の姿勢を糺さなければ問題は解決しないということなのだ。
 私自身がよく目撃する端的な例を挙げよう。私は大手食品メーカーの傘下にある会社の工場近くをしばしば通るのであるが、その敷地内で明らかに作業衣姿と思われる人が行き来しているのを目にする。頭部は顔だけが出ており、髪の毛は勿論顎から喉まですっぽり包み込まれたフードを被り、全身をぴっちり包み込むような揃いのいでたちである。実に気配りの利いた作業衣だと感心する人もいるようだが、私にはそうは思えない。決して作業衣そのものにケチをつけようというのではない。私が不快に思うのは、クリーンである筈の製造現場で作業する姿のままで屋外をうろついていることなのである。
 そこでは「作業場に入る時にはエアシャワーで埃を全て吹き飛ばすから問題ない」と説明されているようだが、医薬品に関係した仕事をしていた私にとって、そんな説明は戯言に過ぎない。作業現場に入る直前に清潔に保管された作業衣に着替え、更にエアシャワー等の汚染防止処置を施すのが常識というものだ。「医薬品と食品は違う」との意見が聞こえてきそうだが、そんな意見こそが食品業界のモラル低下の元凶なのだ。安全対策や衛生対策の基本はどんな業種であっても同じだ。多少のレベルの違いは有り得るだろう。微生物等を用いる実験施設での安全確保要件にも四つのレベルが設けられている。だが、もう一度強調するが、基本は同じでなければならないのである。クリーンブース内で着用すべき作業衣で屋外をうろつくことなど論外なのだ。
 上で述べたように、「食品なのだから医薬品ほどに厳密な衛生管理は必要ないだろう」と考える人は多い。確かに、その通りである。だが、恐ろしいのはそんな安易な考え方がエスカレートしていくことなのだ。「レストランの厨房を見てみろ。コックは素手で食品を扱っているじゃないか」、「そんな不潔な飲食店でも食中毒は滅多に起きないものさ」、「賞味期限を設けているのだから、その期間だけ品質がもてばいいだけさ」、「食品に無菌なんて有り得ないんだから、めくじら立てることはないよ」などと甘いことを考え始めると切りがない。安全対策はどんどん後退していく。際限なく食品衛生に対する意識は低くなっていくのである。監督官庁と消費者の手前、設備や管理基準等は一応整備するだろうが、それらを厳密に運用する意志はティッシュペーパーよりも薄くなってしまう。

 食品業界のモラルがこれほどに低い理由はこれだけではないようだ。一般の消費者にも「食べ物なんて何処の家庭でも特別の注意を払うことなく取り扱っているものだ。少々腐ったものを食べても人間死にはしないよ」といった安易な考え方があるのも問題だ。このような考え方もある一面では正しいと認めなければならないだろう。家庭なら、2〜3日前の残り物を平気で食べる。スーパーマーケットで賞味期限ぎりぎりの投売り品を買ってきて、それを一週間ほど後で食べたからといって別に死人の山ができる訳でもない。だが、それは自分の家族という限定された狭い社会でのみ通用することである。不特定多数の消費者に多量の食品を提供することを生業とする者がこんな考え方では、それこそ国中に病人・死人の山が築かれてしまう可能性があるのだ。
 食品の価格が安く、中小あるいは零細食品業者に充分な安全・衛生対策を講じる資金がないということも大きな問題である。消費者から見ると、安全な食品は欲しいが、食品が医薬品のように高価であっては暮らしが成り立たず困ってしまうのである。だから、食品が安価なのは致し方ないことなのかもしれない。しかし、この矛盾は単純な食の安全の脅威以上に恐ろしい結果をもたらすことになりそうだ。それは巨大企業による食品市場でのシェアの独占である。国中何処へ行っても同じ大量生産食品にしかお目に掛かれないなんて不幸な時代がやってくるかもしれないのである。
 自然な食品には旬があり食べ頃がある。素朴な加工品には旬という概念はないかもしれないが、やはり食べ頃はある。それを逃すと、腐ったり不味くなったりする。それが食品の当然の在り様なのだ。何処かの大工場で作られたものが国中にばら撒かれ、何週間かに亘って品質に変化がないなんてことの方が不自然なのだ。
 地方の中小・零細業者は自分たちが地方の弱小業者であることに誇りを持つべきである。大企業の真似をして競争したって勝ち目はない。地域の消費者が大企業の製品より優れていると認める高い品質の製品を作る以外に生き残る術はない。価格を抑えなければならない食品にとっては困難な課題かもしれないが、地域の関係者のネットワ−クを構築することができれば不可能ではないと考える。地域の食材を地域の業者が加工し地域の住民が消費する。最も安全で最も美味しい食品の製造・流通形態を作り上げれば第一次産業から第三次産業に至る地域の活性化が達成できるのではないだろうか。
 わざわざ消費者が応援しなくても、マスメディアでの宣伝合戦に参加できるほどの大企業なら貪欲に市場を拡大していくことだろう。私はそんな全国規模で事業活動を展開している会社には興味ない。私は地域に密着した善良な食品業者をこそ支持したい。然るに、今回の大腸菌騒ぎでの地域業者の対応は呆れるばかりの破廉恥さである。こんなことでは、地域業者を応援すべきと唱える私の主張に根拠がなくなってしまう。私は声を大にして訴えたい。「企業には嫌でも社会的な役割がある。それを全うできなければ、会社経営者の基本的な義務である資本提供者の利益を確保することもできなくなる。消費者の支持を得られず、製品が売れないからだ」と。

私は本当に怒っている。甚く失望している。平然と嘘をつく者を徹底的に軽蔑している。地域の弱小企業を応援したいと思っているが故に、なおさら腹が立つ。「事を丸く収めることを考えず、自らの姿勢を糺すことに徹せよ」と大声で怒鳴りたい。地域住民の一人として心を傷めながら叫ばずにはいられないのだ。

(2003年11月22日)


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挨拶について

 先に、機械的な挨拶運動やボランティア活動への強制が子供にとっては却って悪い影響を与えるのではないかと述べたことがあった(「仄日のヒーロー」、2003年10月17日)。この点について若干の考察を付け加えたい。

 私の子供時代、私を含めて多くの子供たちがシャイであったように思う。家族以外の大人たちにどう接すれば好いのか分からずモジモジするのが常であった。挨拶一つ取っても、親に促されてようやく「今日は」と俯いて呟くのが関の山ということも決して少なくなかった。先生もそんな子供たちに「はっきり挨拶しましょう」とは言ったが、さほどくどくはなかった。圧倒的に親の方が小うるさかったように記憶している。それでも、学校で初めて会った先生や同級生とも、互いに慣れ親しむにつれて自然に「お早う」とか「有難う」とか「さようなら」とか言い合えるようになったものだ。それは親にしつこく挨拶を仕付けられたからではない。人間関係が確立したことによる自然な成り行きであった。だから、友達と喧嘩をした時などはお互いにそっぽを向いて挨拶などしない日が二、三日続くこともあった。即ち、挨拶行動とその基底にある感情とが一致していたのだ。
 ところが、今の子供たちの殆んどはその昔とは全く違っている。誰にでも大人がびっくりするほど歯切れ良く且つ明朗に挨拶する。一例を紹介しよう。知り合いの家を訪問していたとき、私とは面識のない別の訪問者が子供を連れてやって来た。その子供が、まるでホームドラマの子役のように、初対面の私に対しても臆することなく挨拶したのにはびっくりさせられた。しかし、その子の様子を観察していて徐々に奇異な感じを持ち始めた。何が奇怪かというと、その子はまるではにかむことがないのだが、ただそれだけではなく、大人の存在そのものを気に掛けていないように見えたからであった。勝手に遊び始めたのだが、大人たちが話をしていることに対して遠慮する風もない。断ることなくテレビをつけて見始めるは、勧められてもいないお菓子を勝手に食べ始めるは、傍若無人とはこのことであろうと感心するほど訪問先の人間を無視していたのである。あの役者顔負けの上等な挨拶には相手に対する敬意も親しみの感情もなかったのである。
 ちらほら入ってくる情報から推察するに、最近は学校でしつこいほど挨拶するよう仕付けるらしい。それも、挨拶さえできれば社会性が全て身に付くと思っているかのようであるらしいのだ。しかし、先に紹介した知人宅での子供の様子を見ていると、挨拶できることと社会性を具えている事とは必ずしも平行していないとしか考えられない。むしろ、挨拶することがその他の無礼なあるいは気遣いの無い行動の免罪符になっているのではないかとすら感ぜられる。
 子供を教育するに当たって最も肝要なのは社会性を養うことだと私は信じている。社会性が身に付けばどんなにシャイな子供でも自ずと挨拶するようになってしまう。これは、冒頭で述べたように、実体験として断言できる。また、その挨拶も相手により様々であることの方が自然だ。先生でも自分の親でも近所の小母さんでも親友でもただの同級生でも、誰に対してでも紋切り型の挨拶をすることは有り得ない。親友とは目や手振りだけで挨拶することだってある。それでも良いではないか。大親友に向かって、わざとらしく「***君、お早うございます」なんて言ってはいられない。くどいようだが、もう一度強調しておきたい。社会の一員としての自覚が挨拶を違和感のない行動にしているのであって、その逆は必ずしも真ではない。

 ごく最近、私はある職業の人たちが形成する社会をその内側からじっくり観察する機会に恵まれたのであるが、その社会では正に挨拶が全てであった。勿論、その職業に就くための技量がなければ、たとえ上手に挨拶できても高く評価されることはない。しかし、逆に、いくら腕が良くても挨拶できないと最低の評価を与えられるのである。当然、若い人たちの教育の中心は挨拶になってしまう。先輩の顔を見たら、大声で「お早うございまぁす」と叫ばなければならない。因みに、その社会では朝でも昼でも夜でも夜中でも「お早うございまぁす」でなければならない。夜だからといって「今晩は」なんて言おうものなら、挨拶しなかった時と同様に張り倒されてしまう。目礼も駄目だし、声を出してもその声が小さいとこれまた駄目なのである。
 中にはこのような教育から立派な人材が育成されることもあるようだが、そうでもない場合もまた多そうである。表面だけ愛想が好くて爽やか、その実、腹の中では悪態を吐きたい放題吐いている、そんな連中もうじゃうじゃいる。私ならそんな表裏のある人材を部下に持つことはご免蒙りたいところであるが、その社会の人たちはそんなことなどどうでもいいらしい。飽くまで表面に見える挨拶行動のみに関心があるのだ。そんな様子を観察しつつ考えてみたのだが、その社会では序列が秩序の基盤になっていることがその理由であるとの結論を得た。秩序さえ保てれば、人間性も腹の中もどうでもいいということなのである。
 例に上げたこの社会は挨拶に拘るという点において特異な社会であるが、よくよく考えてみると、他にも似たような社会があるようだ。これにそっくりな社会としてすぐさま思い付くのは軍隊である。軍隊では、序列と命令とそれへの服従が秩序の全てである。しかも、この社会の序列は国家権力あるいはそれに匹敵する強力な権力によって裏打ちされているのだ。命令を下す側には何も気にすることはない。自分より序列が低い者が自分のことを嫌っていようが軽蔑していようが、そんなことは恐れるに足りない。命令に服従しない者は組織、即ち国家権力が始末してくれるのだから。そんな軍隊で重視されるのはやはり敬礼(これも挨拶の一つである)と行軍あるいは行進である。敬礼はお互いの上下関係を顔を合わせる度に確認するために不可欠だし、行進は個人的な思考を阻害し服従の下地を確立するのに有効だからであろう。
 軍隊ほどではないにせよ、普通の社会でも似たような側面が多少はあるものだ。ここで普通の社会と呼んだのは、会社組織や地域社会のことである。このような社会は偶然に集まった人々から形成されたものだ。会社などの一つの目標を共有する社会ではある程度親密な人間関係が出来上がる可能性もあるが、それでもやはり個々の利益が優先されるのだから秩序を保つのは容易ではない。序列と賃金が秩序の基盤になっているのである。このような社会では当然のこととして形式的に良好な人間関係が確立されればそれ以上を望まなくても良い。即ち、“社交術”が幅を利かせる社会なのだ。現在の地域社会に至っては、構成員には殆ど共通の関心事はない。皆がてんでんばらばらで、大抵の人が犯罪と諍いさえ起こらなければ後はどうでもいいと思っているに違いない。よって、頼るのは警察力とこれまた社交術なのである。

 ここで例に挙げた社会に限らず、人が寄り集まる場では社交術は大事であろう。だが、上辺だけを虚像で飾り立てたものはいずれメッキが剥れて醜い本質を露呈することになる。どんな社会であっても、より大切なことは本質に基づいた信頼関係の構築だと信じている。確かに、複雑に入り組んだ複数の社会に属さざるを得ない現代人が、全ての社会において本音で事にぶつかっていては疲れ果ててしまうことだろう。どうでもいい場面では社交的に事をあしらっていた方が精神衛生上も得策だろう。
 しかしながら、そうした上辺だけの人間関係を一義的であるとは言いたくない。ましてや、未だ充分な批判精神が培われていない子供たちにそんな考えを教え込むことには憤りを禁じえない。決して子供に挨拶を教えることを否定しているのではないのだ。ただ、人間はサルやその他の群れをなす動物たちとは若干異なっていることを意識すべきだと言いたいのである。系統発生学的に下等な動物の挨拶行動は序列の確認そのものである。序列さえ乱れなければ秩序は維持できるのである。類人猿の挨拶行動には、秩序の維持に加えて乱れた秩序の回復という意義がある。非常に初歩的ではあるが情動を整えるあるいは激しい感情を宥める機能があるのだ。従って、挨拶行動偏重主義はこれらヒトより系統発生学的に下等な動物に対しては極めて有用にして適切な考え方だと言える。
 ヒト、即ちホモ・サピエンスも自分たち自身が希望的に評価しているほどに優れているわけではなさそうだが、それでも他の動物種には備わっていない自らの感情をコントロールするという能力がある。恐怖や個人的打算だけではなく社会を構築しようとする意志によってコントロールできるのである(最近ではその能力が失われつつあるように思えるが、本来的にヒトに備わった能力であることに疑いはない。)類人猿のように挨拶行動で慰撫されなくても社会秩序を維持できる筈なのである。子供たちにはこっちの方をこそ教えたいものである。嫌いな相手には挨拶などしなくてもいいではないか。ただ、嫌いな者がいるということから社会についてあるいは社会の中にいる自分について考えるように仕向ければいいのではなかろうか。「何故、彼または彼女が嫌いなのか深く考えてみよう。誤解に基づいた感情ではなかったか静かに自省してみよう。どう考えても嫌いな場合は、その相手にも大切な家族や親しい友人がいることを考えてみよう。それら全ての人々を貴方は嫌っていますか?」
 これは一例に過ぎないが、このような問いかけで社会生活の重要な要素を考えさせれば、挨拶そのものを教えなくても自然に他者からの挨拶に応えるようになり、更には自分から声を掛けるようになるのではあるまいか。
 私にも多少の教師経験はあるが、相手は既に成人した大学生であった。従って、幼い子供たちが私の想像通りに社会性を学んでくれるかどうかには自信は持てない。しかし、現在の挨拶至上主義というか形式至上主義が良い結果を得ていないのだから、試してみる価値はあるように思う。最近の若者は直ぐに“切れる”そうである。原因については種々に取り沙汰されているようであるが、私は極めて単純に考えている。類人猿並みの教育しか与えなければ類人猿並みの情操しか育ちはしない。人をヒトとして尊重した教育をしなければ、人の情操は更に退行進化の一途を辿ることであろう。そう捉えているのである。

 私の意見に感情を害されたと仰る先生方や若者たちがおられることと思うので、最後に言い訳とお願いを一言申し述べておく。本論は、私が一人で見ることのできる狭い範囲での観察に基づいて書かれたものに過ぎないことをご諒解いただきたい。と同時に、私が広い世間には本文で述べた危惧の対象にならない先生や子供たちそれに若者が大勢おられる筈だと信じていることをご理解いただきたい。また、そのような諸氏、諸君には次のことをお願いしたいと思っている。あなた方の良い経験を日本中に広めていただきたいと。為政者や評論家や教育界のお偉方に任せるのではなく、社会あるいは教育界の最も末端に位置する私やあなた方こそが社会を変え子供たちの教育を改善できるのだと信じていただきたいのである。

(2003年11月12日)


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習い性

 他人様から煙たがられている私の性分と言うか癖と言うか習性と言うか、兎に角、そうでなければ気が済まないということについて書こうと思う。というのが、つい最近も、その習性のお蔭で「まだ懲りずにやってるよ」と言わんばかりの冷たいあしらいを受けたばかりだからである。私はただ単に雑談の輪に加わって話をしただけなのだが、その話の内容がその座に居合わせた人達の多くには鬱陶しいことだったようなのである。
 その習い性というのは私が大学で専攻していた学問分野に多少関係している。私は古典的生物学を学んだ。古典的と言ったが、それは“古臭い”とか“時代遅れの”といった自嘲的な意味合いではない。生物物理学だとか分子生物学だとか遺伝子工学といった“華やかで浮かれた”分野に比べて“重厚で落ち着いた”分野だというつもりで用いた身贔屓の表現である。
 そんな古典的生物学では、系統発生学や個体発生学や遺伝学や生態学や分類学といった馴染み深い学問区分とその基礎となる生理学や解剖学などが重要視される。勿論、生物物理学だとか分子生物学だとか遺伝子工学といった“華やかで浮かれた”学問における知見も重要で疎かにすべからざるものだと承知した上でのことである。さて、たとえ同じ学問を専攻していてもそのゴールは人により様々だろう。私の場合は博物学を基盤とした生物進化論の構築にあった。尤も、そのゴールに到達していたら今時こんな雑文を書いてはおらず論文を多数著している筈なのだから、それは未だに達し得ない目標ということになる。まぁ、そんなことは今から書こうとしている主題とは直接関係ないので、具体的に他人様から煙たがられている私の習性について申し述べた方が話が早いと思う。
 私は子供の頃から料理が好きなのだが、それに用いる素材の本体や生物学的な分類がはっきりしていないと落ち着かないのだ。私の周りの者は「旨けりゃ何でもいいさ」と言うのだが、素材を理解していなければ料理に使ってもその物を使い切っていないような不安な感じに襲われるのである。なにもリンネの二名法で学名まで知っていなければ我慢できないとまでは言わない。特別な場合を除き、属名、種名まで拘りはしないが、せめてファミリー位は知っておきたいのだ。“ファミリー(Family)”というのは“科”のことである。細かなことはどうでもいいが、何の仲間なのか位は知っておきたいというだけのことなのだ。実際にどの程度のレベルの分類なのかはこの先を読み進んでいただければご理解いただけるであろう。

 冒頭で、「つい最近も、その習性のお蔭で『まだ懲りずにやってるよ』と言わんばかりの冷たいあしらいを受けたばかりだ」と述べたが、具体的にはこういうことであったのだ。ある人が「大根と人参は色が違うだけで同じものだろう」と許しがたくも浅はかなことを言ったので、暇に任せてつい一席打ってしまったのだった。「大根はアブラナ科で人参はセリ科だから全く異なる」と言っただけでも嫌われそうなのに、アブラナ科とセリ科についての分類学的な講釈までしてしまったのである。そんな私の発言に対する反応は「何科だか知らないけど、私ゃ“か”が付くものじゃ“艶歌”にしか興味ないねぇ。食い物に“か”なんてどうでもいいんじゃないの」という素っ気無く且つ侮蔑的なものであった。
 アブラナ科の多くの植物は主に食べる野菜として用いられている。大根、蕪、キャベツ、白菜、ブロッコリー、カリフラワー、コールラビ、小松菜、壬生菜あるいは水菜、高菜、芥子菜、クレソンなど数え上げればきりがない。あんなに不味いのに多数の愛好家を抱える青汁の原料であるケールもまたアブラナ科だ。そんな中で香辛料あるいは薬味として用いられるものは存外に少ない。代表的なものでは山葵(ワサビ)、ホースラディッシュ、マスタードがあるが、その他では辛味大根ぐらいではあるまいか。
一方、セリ科の多くの植物はハーブや刺身のツマのようなあしらいに使われている。浜防風、三つ葉、パセリ、チャービル(耳慣れたセルフィーユはフランス語)、フェンネル、ディル、アニス、コリアンダー(香菜またはパクチー)、などなどである。それでも、野菜として扱われているものも幾つかはある。セロリ、セルリアック、人参、アシタバ、フェニッキオ(イタリアの野菜でフェンネルの株を肥厚させたもの)、などである。芹も野菜と言えるが、むしろ山菜と呼んだ方が適切だと思う。
 いずれにせよ、大根は専ら食べる野菜の代表格としてのアブラナ科の中では珍しく薬味として扱われ、人参は殆どがハーブ類であるセリ科の中で食べる野菜として扱われている(尤も、セロリや人参は香味野菜と呼ばれていて単純に食べる野菜とは考えられていないが。)そういう点、即ち、癖があるという意味では、大根と人参は似通っていないでもない。だが、やはり、セリ科とアブラナ科とは全く別物である。互換性がないことからもこのことは頷ける。ブリ大根は旨いがブリ人参なんて想像するだにおぞましい。フランス料理に欠かせないミルポア及びイタリア料理の基本であるソッフリットは玉葱、セロリ、人参が土台になっているが、その人参を大根で置き換えることは不可能なのだ。
 ついでのことに言及するが、大根の仲間だと誤解されているものとしてはビートも忘れてはならないだろう。ロシア料理には欠かせない根菜だが、日本では野菜だと思っていない人の方が圧倒的に多い。砂糖大根と呼ばれており、蔗糖の原料だとしか考えられていないのだ。この砂糖大根という呼び名が災いしているのだろうが、ビートは短絡的にに大根の類だと思われてしまっている。このような取り違えを避けるために、正しくビートあるいは甜菜(テンサイ)と呼ぶようにしたいものである。 ところで、ビートはアカザ科なのだが、アカザ科と言ってもピンと来る人は少ないであろう。だが、ホウレン草やフダン草もその仲間だと言えば「ハァそうなのか」と理解してもらえる筈だ。最近ではオカヒジキとかマツナなどという野菜も出回っている。ちょっとローカルな食べ物ではトンブリがある。正しく箒の材料となる箒木(ホウキギ)の実であるが、この箒木(ホウキギ)もアカザ科なのである。ファミリーの親分であるアカザあるいはシロザ自体は何処にでも生えてくる雑草だが、新芽は意外に旨く野菜と言っても恥ずかしくはないほどだ。

 大根と人参あるいは大根とビートのように、形が似ているというだけで味音痴から同種だと思われているものに結球する野菜とその仲間がある。キャベツやレタスのことである。一口食べれば分かるように、レタスやその同属であるチコリ、トレビス、ベローナ、エンダイブは先ほど言及したアブラナ科のキャベツや白菜とは異なる種類だ。キク科チコリウム属の植物なのである。ほんのりした苦味がキクの仲間であることを主張しているのだが、それを理解できないのはチコリウム属の野菜に対して申し訳ないことだと思う。念のため申し添えておくが、チコリ、エンダイブは英語であり、日本語ではそれぞれキクニガナとキクチシャである。これがフランス語では逆になるので注意を要する。フランス語ではシコレがキクチシャでアンディーブがキクニガナのことなのである。
 キク科の話が出たので、レタスの仲間以外の食べられるキク科植物についても触れておこうと思う。ゴボウやフキがキク科であることを知らない人が多いことにも驚ろかされる。ダン・ディ・リオン即ち西洋タンポポの若葉がサラダに利用でき、また、その根っこを乾燥して煎じるとコーヒーのような飲み物になることを知っている人は多く、同時に、そのタンポポがキク科であることを多くの人は承知している。なのに、日本人が伝統的に食しているゴボウやフキがキク科なのだということを知らないのだ。実に寂しい話ではあるまいか。近年西洋から紹介されたものはその本態まで承知しているのに、ご先祖様も食べていた食材のことは知らないなんて考えられないことである。
 ゴボウについてもう一言。その昔、同じ会社にいた人物で、白人の知り合いが多く且つ彼らと対等に付き合っているということをひけらかしたがる変人がいた。彼の一つ話に「外人にゴボウを食わせた後で種明かしをすると、『こいつ、草の根っこを食わせた』と怒るから面白い」という笑えないものがあった。ゴボウは日本だけの食材だと誤解してのことだと思うし、彼の知り合いの外国人は全て食文化では後進国のアメリカ人であったらしいということも分かる。南ヨーロッパ、特に地中海地方ではフランス語でサルシフィというゴボウの仲間が昔から食用に供されている。英語ではオイスター・プラントというから、英語圏内でも決して珍しいものではないようである。つまり、ゴボウは日本独自の食文化ではないのである。
 その他のキク科の野菜では、春菊や花だけを食べる食用菊がポピュラーであろう。黄色い阿房宮(アボウキュウ)やピンクの延命楽(エンメイラク)かモッテノホカが庭に一株ずつ植えてあると、花の季節には食卓にちょっとした風情を添えることができる。また、日本では馴染みがなく料理法を知っている人も少ないが、アーティチョークもまた食卓に彩を添える。筍と芋を足して二で割ったような食感は日本の伝統的な食材にはないものである。ハーブとしてはタラゴン(耳慣れたエストラゴンはフランス語)とステビアを忘れる訳にはいかない。タラゴンはアニス臭を有するが、本家本元のセリ科のアニスやセルフィーユとは異なった存在感があり、フランス料理のフィーヌ・ゼルブ(各種ハーブを細かく刻んで合わせたもの)に欠かすことはできない。ステビアは近年とみに注目を集めている天然甘味料である。甘草(カンゾウ)、羅漢果(ラカンカ)とともに愛好家は多く、最近ではその甘味成分が食品工業の素材としても出回っている。
 偶然ながら羅漢果(ラカンカ)に話が及んだので、その仲間についてもお話ししておこう。羅漢果(ラカンカ)はウリ科ツルレイシ属の植物で、私たちが目にするのはその果実を乾燥させたものである。このツルレイシ属には羅漢果(ラカンカ)以上に有名な食材がある。?枝(レイシ)である。?枝(レイシ)と言うと、かの楊貴妃が愛したクロモジ科の果物が第一に頭に浮かぶだろうが、私が言っているのは勿論これのことではない。ニガウリのことである。最近では沖縄地方での呼び名であるゴーヤーの方が通りが良いかもしれない。
 羅漢果(ラカンカ)のような甘いものとゴーヤーのように苦いものが同属だと言うと、大抵の人がそんな馬鹿なといった表情になる。当然、「そんなこたぁどうでもいい」とそっぽを向いて興味を示さない人の方が多い。確かに植物学者以外の者にはどうでもいいことかもしれないが、羅漢果(ラカンカ)を煎じ損なって途轍もなく苦くなったという経験を有する者(つまり、私のことであるが)にとっては、ゴーヤーと同属の植物ならそんなことも有り得るだろうと納得できるのだから、こんなつまらないことも重要な情報といえるのである。
 ついでに、上で述べた天然の甘味成分について簡単に触れておこう。甘草(カンゾウ)はマメ科の植物で、生薬に配合されていることから知っている人は多いと思う。ハーブの愛好家にはリコリスと言った方が分かり易いかもしれないが、その主要な甘味成分はグリチルリジンである。このグリチルリジンはグルクロン酸抱合による解毒効果を高めるから、薬としての効果も充分に期待できる。この甘味料はアスパルテームのようにスーパーマーケットで売っているほどポピュラーではないが、生薬流行の昨今のことだから多くの人にとって馴染み深いのはないかと思う。一方、ステビアの成分であるステビオサイドについては左程には知られていないようだ。タイプが複数あり、酵素処理されたものが食品添加物として甘味料あるいは苦味や酸味のマスキング剤として結構出回っていることを知る人は意外に少ない。

 さて、野菜といえば、なんと言ってもナス科とユリ科であろう。アブラナ科ほど種類が豊富ではないが食卓を賑わす確率はかなり高いと思う。先ずはナスの類であるが、ナス、トマト、ピーマン、獅子唐辛子、オランダパプリカ(イタリア語ではペペローネ・ドルチェつまり“甘いピーマン”で俗に赤ピーマンとか黄ピーマンとか呼ばれている肉厚のもの)、それに、極め付けは馬鈴薯であろう。色んな国で飢饉から民衆を救った南米はアンデス生まれの世界的な食材である。こんな重要な食べ物がナスの仲間であることを知らないなんて信じたくないが、馬鈴薯がナス科であることを知らない人は非常に多い。人類の救世主たるジャガイモに敬意を払う意味合いからもその氏素性は知っておきたいものである。
 ところで、ナス科の植物には生理活性物質あるいは生理的に有用な物質を含むものが少なくない。気軽に食べているジャガイモはソラニンという毒素を生成する。緑変した部分や幼芽を食べると酷く苦しまなければならないのだ。トマトには今流行のリコピンが含まれている。テレビジョンの“健康番組”で頻繁に耳にするので、説明の必要はないと思う。トマトに似ていて薬膳料理に欠かせないクコもナス科だが、これにもアミノ酸やビタミン類や多糖類といった有用成分が豊富に含まれている。最も身近なものとしては唐辛子の辛味成分であるカプサイシンを上げることができるだろう。
 もしも、創造主たる神様が居たとして、気紛れで唐辛子を人類から取り上げたら世界各地でパニックが起こるであろうと思われるほどに重用されている香辛料なのだ。アブラナ科である山葵(ワサビ)、マスタード、大根の辛味の素はシニグリンで、酵素反応やその他の化学反応でそれぞれに特有の辛味を生じるが、シニグリンがこの世から消えてもパニックは起こらないだろう。勿論、寿司屋やホッとドック屋は非常に困るとは思うが、国民挙って目を吊り上げて右往左往するとは考えられない。しかし、カプサイシンを含む唐辛子については幾つかの民族の食文化においてその根幹を成している。そんなカプサイシンがなくなったら、暴動が起こるとは断言できないが、兎に角、国民全員が大騒ぎに巻き込まれることだけは疑う余地がない。
 余談であるが、唐辛子はアメリカ大陸の熱帯地域が原産地らしい。ところが、世界的にみて唐辛子を多用することで有名になった国はハンガリーだと思える。事実、カプサイシンについての医学的な論文の初報はハンガリー人によるものでハンガリー語で書かれている。そのため、私は英語の抄録を見てそのコピーを取り寄せたものの全く読むことができなかったのである。30年以上も前のことだが、このことは鮮明に記憶している。最近ではメキシコのハラペーニョ料理やチリソースも有名だが、私が若かった頃には唐辛子あるいはパプリカと言えばハンガリーを連想するのが普通であった。
 また、アジアにおける唐辛子の広がりも面白い。インド、インドネシア、インドシナ諸国といった暑い国がアジアにおける唐辛子の主要な消費国であるが、より北方で例外的に唐辛子を多用するのは朝鮮半島と中国の極一部である四川料理圏内だけだと思う。しかも、朝鮮半島でこれほど唐辛子が利用されるようになったのは豊臣秀吉による朝鮮侵略がきっかけだというのは有名な話である。即ち、朝鮮に居残った秀吉軍の一部の武士あるいは足軽が朝鮮半島に唐辛子文化を広めたのだ。ところが、彼らの母国である日本ではそれほど唐辛子は多用されていなかった(辛い物好きが増えた現在でさえ、唐辛子は決して日本料理の基礎ではない。)これは私の想像に過ぎないが、見知らぬ外国で食料や飲料水を調達しなければならなかった秀吉軍は、殺菌効果がある唐辛子を沢山使わないと安心できなかったに違いない。
 さて、やっと余談の主題に入るが、唐辛子はいつどのようにしてアメリカ大陸からユーラシア大陸に伝えられ、ユーラシア大陸内をどんなルートで伝播したのであろうか? 更に、唐辛子を初めて手にし食したそれぞれの地域の人々はそれをどのように受け取り自分たちの文化に取り入れていったのだろうか? ヨーロッパでは何故ハンガリーが唐辛子国なのだろう? 中国は広大だが、何故四川に限って唐辛子や山椒といった刺激物が好まれるのだろうか? ハンガリーを興したマジャール人は9世紀頃にウラル山脈の辺りから西に移住したのだそうだが、そのころ既に唐辛子を栽培していたのだろうか? もしそうなら、コロンブス以前にアメリカ大陸からアジアに唐辛子が伝えられていなければ理屈に合わないが、そんなことが有り得たのだろうか? 秀吉の朝鮮侵略は西暦1592年から1598年にかけてのことだから、コロンブスがアメリカ大陸に到達してから僅か100年しか経っていない。それなのに、唐辛子が遠く極東の地にまで到達していたのは驚愕に値する。本題とは異なるが、興味を甚くそそられるテーマではある。
 つまらない余談は切り上げて本題に戻ろう。ナス科の次はユリ科である。玉葱、葱、浅葱(アサツキ)、分葱(ワケギ)、ラッキョウ、大蒜(ニンニク)、韮(ニラ)、エシャロット、リーキ(耳慣れたポアロはフランス語)、チャイブ(耳慣れたシブールまたはシブレットはフランス語)などのネギの類が圧倒的に多いが、百合根は勿論のことアスパラガスもユリ科の植物である。アスパラガスの形状を見れば誰でも百合の花茎に似ていると感じるだろうと思っていたが、残念なことに、今までそんな風に感じたと言っている人に出会ったことはない。
 ネギ以外のユリ科食用植物として外せないのは萱草(カンゾウ)である。日本では野草あるいは山菜の類に分類されているが、中国ではこの花の蕾を乾燥させたものを金針菜と呼び一般的な食材として取り扱っている。日本でも、旨いものとして万葉の昔から好んで食べられている。私などはわざわざ自宅で栽培しているぐらいなのだ。それほど旨いのだから、野菜に分類してもいいと私は思っている。
 代表的な野菜について述べていながらハーブの親玉について語らない訳にはいくまい。人参の話の折に、セリ科をハーブの代表格のように扱ったが、実際にハーブの親玉と言えるのはシソか科だと思う。紫蘇、荏胡麻(エゴマ)、セージ、タイム、ローズマリー、セイボリー、バジル、オレガノ、スウィート・マジョラム、ヒソップ、ラベンダー、レモンバーム、ミント類、キャットニップ、などなど、これほど数え上げてもまだ頭の中に幾つかのハーブの名が浮かんでくる。そんなシソ科の仲間でボリボリ食べるものがある。正月になると、何故か姿を現す草石蚕(チョロギ)である。巻貝のような塊茎しか目に触れないのでシソ科だと俄かには信じがたいかもしれないが、その茎を見れば納得する。シソ科に特有の四角い茎だからである。この草石蚕(チョロギ)の酢漬けと紫蘇の葉の天婦羅と韓国風焼肉で生食する荏胡麻(エゴマ)を除けば他は全てハーブとして用いるものだと思う。

 上で述べたような食材の生物学的な分類を知っていたからといって誰も褒めてはくれない。また、料理の腕が上がる訳でもない。しかし、全く役に立たないということでもないと信じている。あまり高級ではないレストランでは高価なサフランを使うべきところをターメリック(ウコン)で誤魔化すことがあるようだ。だが、そんなことをしても、姑息なインチキは直ぐに見破ることができる。何故なら、ターメリックはショウガ科であり、微かな生姜風の匂いを感じ取ることができるからである。ターメリックが生姜の仲間であることを知らない人は「変わった香付けをする店だなぁ」と思うだけであろう。私はサフランライスやパエリヤに生姜に似た香は合わないと信じている。“変わった香付け”ではなく“許しがたいミスマッチ”だと思う。同じ誤魔化すならサフラワー(紅花)を使ってもらった方がまだましではないだろうか。
 アラブ料理でよく使われるカルダモンもショウガ科である。生姜とは思えない変わった風味ではあるが、じっくり噛みしめてみるとやはり生姜の仲間だと感じ入る。滅多に使わないため料理を始めてからカルダモンを切らしていることに気付いた場合、極めて微量の生姜を放り込むとなんとなくそれらしく仕上がるから不思議だ。要するに、一般的に同じ仲間の食材でならお定まりの食材と置き換えることが可能な場合が多いのである。即ち、食材の分類を知っていると、初めて使う食材であっても試してみるまでもなく料理の出来上がりが予測できるとも言えるのだ。これは料理人としては極めて重要なことではなかろうか。こんな重要な情報をどうでもいいなどと一蹴りに捨ててしまう者には旨いものを食す資格はない(と私は声を大にして言いたい。)
 勿論、ファミリーが異なる食材でも代用品に成り得るものもある。例えば、フランスにデュクセル・ド・シャンピニオンというものがある。エシャロットとシャンピニオン(マッシュルーム)をみじん切りにしてバターでソテーし倒したものである。マッシュルームの旨味成分であるグルタミン酸のお蔭であろうか、複雑にアミノ酸の旨味が絡み合った醤油あるいは味噌に匹敵する旨みを醸し出す物で、魚にでも肉にでも合う調理素材である。ところが、マッシュルームは高価である。元はと言えばそこらの堆肥に自然に生えてくるハラタケの改良品種であるツクリタケなのだが、光が遮られた室で養殖されたこの白い栽培品は矢鱈と高い。しかし、ハラタケ科ではなくキシメジ科のエノキダケでも味に引けを取らないデュクセルを作ることができるのだ。しかも、大量に栽培されているエノキダケは驚くほどに安価なのである。
しかし、こんな例は極めて珍しく、かなりの近縁種でなければ料理の材料としての互換性は期待できないのが常である。上に例外として挙げた茸のデュクセルにしても、茸というものがかなり特殊な食材だからだとも言える。食用茸は全て担子菌門で、更に大多数が真正担子菌類の亜綱である帽菌類、しかもマツタケ亜目に属している。例外は、異型担子菌類のキクラゲと真正担子菌類の亜綱である腹菌類のショウロやトリュフぐらいではなかっただろうか。要するに、キクラゲとショウロ類を除いた食用茸は似たり寄ったりだから別ファミリーのものでも代用可能な場合が有り得るのであろう。

 論としての体裁を整えるために一応実利的な面を述べたが、実はそんなことはどうでもいい程に些細なことなのである。食材の生物学的側面を知っているということは単純にそのものをより深く理解していることになる。役に立つかどうかより、その理解しているということ自体が重要なのだと私は思っているのだ。学生の頃、山に入っていて何よりのご馳走は川魚とタラノメであった。タラノメはどのように調理しても少量の塩か醤油だけで思わずにこやかになるほど旨かった。その折、「?(タラ)というのはウコギ科でウコギ科といえば高麗人参もその仲間だったなぁ。そういえば昨日採って食べた独活(ウド)だってウコギ科じゃないか。ウコギ科の植物にはちょっとしたクセがあるが、こいつが旨さの源かもしれないなぁ」なんて考えながら頬張ると、なんだかタラノメの味が一段と好くなったように感じたものだ。知的好奇心から行動を起こす唯一の生物であるヒトにとって、ものをより深く理解するということは満足度を高めることと同等なのだと思う。
 最後に、その知的好奇心に任せていつの間にやら得た知識を、読者諸氏の知的好奇心を満足させることを願いつつ、幾つか列記しよう。 マタタビの実は生食したり、虫食いのものを選って乾燥させてマタタビ酒の材料にする。疲れた旅人がまた旅を続けられるほど元気になるそうで、それがマタタビと名付けられた理由だと聞いたことがある。日本に昔からあるマタタビ科の食用植物には猿梨(サルナシ)があるが、ニュージーランドから移入されたキウイフルーツもまたマタタビ科である。確かに、蔓の様子や実の形態はマタタビによく似ている。また、キウイフルーツにはビタミンCが豊富だから、徒歩旅行の酷い疲れには有効かもしれない。ついでながら、キウイフルーツの原産地はニュージーランドではない。中国は長江の流域なのであるが、そんなことを口にすると「キウイはニュージーランドの鳥の名前でその鳥に似ているからそう命名されたのだ。だから、キウイは絶対にニュージーランドのものだ」という軽蔑を込めた反応に苛まれることになる(現実に、私はそういう目に遭っている。)
 中途半端な知識を押し付けられた嫌な思い出は忘れて(こんなことを言うと、中途半端な知識に拘っているのはお前さんじゃないかと詰られそうだが)、こんなファミリーの食用植物もあるのかという変り種を上げてみよう。オクラはアオイ科である。アオイ科のハーブティーならコモン・マローが直ぐに思いつく。また、マシュマロはもともとアオイ科のマーシュマローの根を原料にしていたことからそのように呼ばれるようになったものである。しかし、オクラ以外のアオイ科の野菜は記憶にない。
 蓼(タデ)は勿論タデ科だが、タデ科の食用植物はそう多くない。野草、山菜の類ならイタドリやギシギシがあるが、栽培種ではルバーブ位しか思い当たらない(とはいえ、これももともとはシベリアの野草に過ぎなかったが。)このルバーブ、日本では食用大黄(ショクヨウダイオウ)といい、その名の通り生薬の大黄(ダイオウ)の近縁種である。従って、食べ過ぎると下痢をする。ジャムやパイにするとその酸味が爽やかで旨いのだが、くれぐれも食べ過ぎぬようご注意を。
 オモダカ科の慈姑(クワイ)は最近では正月ぐらいにしかお目に掛からないが、大黒慈姑(オオグロクワイ)は中国料理で頻繁に口にする。しかし、この大黒慈姑(オオグロクワイ)はオモダカ科ではなくカヤツリグサ科である。どちらもクワイと呼ばれながら全く異なる植物なのだ。コンフリーはムラサキ科。同じ科のボリジの花は食べられるが、旨くはない。森のバターと言われるアボカドはクスノキ科でオリーブはモクセイ科。マンゴーはウルシ科で、カシューナッツやピスタッチオも同じくウルシの仲間である。

 やれやれ、人間は何でも食べる。ここでは植物しか取り扱わなかったが(しかも、穀物、馬鈴薯を除くイモ類、海藻および殆どの果物には触れていない)、動物まで範囲を広げれば、うんざりするほど多種多様な生物をヒトは食べているのだ。「旨けりゃ何でもいいのさ」なんて言っていていいのだろうか。これほどに貪欲な人間がこれら幅広い食材が“自然の恵み”なのだということを忘れてしまったら、地球上の生物は瞬く間に人間に食い尽くされてしまうことだろう。
 これは決して単なる思い過ごしではない。私が現在住んでいる照葉樹林帯に位置する田舎に越して来た頃には近場でタラノメなどは豊富に採れたものであった。しかし、住宅数が増え、手近に山菜を豊富に入手できることが知れ渡ると、?(タラ)の群生地は2年も経たないうちにただの草地になってしまった。私が若い頃には茸や山菜の取り方のルールがきちんと守られていた。どんなに欲しくても、先客が然るべく摘み残した?(タラ)の芽は採らなかったものである。来年もまた自然の恵みに浴するためには資源としての自然を不自然に踏みにじってはならないというルールが守られていたのである。
 そんなルールを遵守する意識の基礎には自然についての知識があった。体系だった学問的な知識だけでなく年寄りの経験的な知識も尊重されていた。そんな知恵から得られた自然の恵みを絶やさぬための方法を同年輩の自然愛好家や先人たちは実践してきたのだ。特に、茸の採り方や木の芽の摘み方には注意を払ったものだ。だが、今や最低限の知識も持たぬ似非自然愛好家が余りに増え過ぎてしまったようである。山や海辺で小汚く放置された“バーベキュー”のための焚き火跡を頻繁に目にするようになった。西インド諸島の丸焼き料理の道具が“barbecue”の語源だとも知らず、日本で何故か大流行の韓国風焼肉の野外版が“バーベキュー”だと思い込んでいる人達に資源たる自然についての知識を求めること自体が虚しいことだ。
 また、知識があってもそれを有効に利用しない輩も多くなった。自分だけがルールを守っても焼け石に水だ。正直者が馬鹿を見るご時世にルールなんて無意味だ。どうせ人類は破滅に向かって突進しているのだから、自分が生きている間だけ困らなければいいのさ。そのうち宇宙旅行や宇宙ステーションの技術が進歩して地球が滅んでも困りはしない。こんな屁理屈を捏ねるのは極めて簡単だ。だが、自分だけは破滅から免れると思っているとしたら、それはとんでもない思い違いだ。地球の崩壊は明日かもしれないのだから。宇宙に逃れるとしても、それが許されるのは権力者の中でも一部の者に限られるのだから。

 しかし、こんな絶望的な情勢下にあっても、私は尚信じている。一見無駄な知識から人の意識は変わるに違いないと信じているのだ。拗ねてしまった知識人であっても、新たな知識は刺激になる。知識などとは無縁の生活を送っているつもりの人達でも何かに興味を持っている筈だし、その興味の対象について何らかのアプローチを試みるに違いない。行動を持続するには知識が欠かせないのだから、当然、無意識にでも何らかの知識を得ようと努力する。どんな人間にも知識は必要とされる筈なのだ。先ほど述べたように、人間のみが知的好奇心から行動を起こせる生物種なのである。人間であるある限り、持続的に行動する限り、知的好奇心は程度の差こそあれ、必ず人の心に宿るものだと私は心から信じている。
 そういう意味で、私の習い性も単なる偏執的なものではなく、多少の意味はあるのではないかと希望的に考えている次第である。「多少の意味はある」と言いながらこんな告白をすると叱られるかもしれないが、本文を書くに当たって、度忘れした漢字については二つ三っつ辞書で調べたが、その他の生物学的な事柄については図鑑や書籍での確認は一切行っていない。従って、私の記憶違いで事実と異なる記載が見つかるかもしれない。もしも、そんな箇所があったとしても、「年を取ると記憶も怪しくなるものだ」と笑って見過ごしていただきたい。兎にも角にも、自由に使える時間が少ない私にとっては自分自身で決めた締め切りに間に合わせて随想を綴るのが精一杯で記憶を確認する余裕などないのである(と言いつつ、結局、目標とした締め切りには間に合わなかったが。)
 言い訳を済ませた最後の最後に、ねた切れの際いずれ本論の動物版を書く布石として一声叫ばせていただきたい。「雲丹と海鼠とヒトデが同じ仲間だって知らない人がいるなんて信じたくなーい!」

(2003年11月1日)


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仄日のヒーロー

― 悲しむべきことにヒーローは今や仄日の如く遥か彼方へと沈みつつある ―

 子供のころから多くのヒ−ロ−たちが私の心を支配していった。“心を支配していった”というのは即ち、多くのヒ−ロ−たちが入れ替わり立ち替わり心の中にやって来ては去って行ったということである。ヒ−ロ−たちは私の心の中できらびやかな雄姿を競っていたが、やがてはそれらの殆どが地平線に消えていく仄日のようにその輝きを失ってしまったということなのである。
 月光仮面が颯爽と乗っていたのが実はトタタタタという間抜けな音で走る50ccのバイクだということに気付いたときの落胆は今でも忘れられない。少年ジェットが“ウ−ヤ−タ−”と叫んでブラックデビルをやっつけるのに拍手喝采を送っていたのに、あるとき「そんな訳がないだろう」という疑念が渦巻き始めたのだった。白馬童子も風小僧もゾクゾクするほど恰好良かったが、それを演じた役者さんが歳を取って関西弁で可笑しなことを言ってもちっともがっかりはしない。何故なら、白馬童子や風小僧はとっくの昔に私にとってのヒ−ロ−ではなくなっていたからだ。
 だが、いくつかの例外もあるようだ。少年剣士赤胴鈴之助の輝きは未だに私の心の中に残っているように思う。記憶は定かでないが私と赤胴鈴之助の出会いは漫画ではなくラジオだったように思う。従って、私の赤胴鈴之助には視覚的な像がないのだ。私の頭に描かれたイメ−ジがどういう物であったのかは既に忘れてしまった。しかし、心には憧れという抽象的な感覚が焼き付いている。その抽象性が永遠の輝きの源であるように思える。赤胴鈴之助の“真空斬り”は少年ジェットの“ウ−ヤ−タ−”と同じぐらいに荒唐無稽だが、固定的な概念がないために既に懐疑的な大人になってしまった筈の私にも“あっても不思議ではない物”として受け入れることができるのだろう。
 これとはちょっと違う例としてはス−パ−マンをあげることができる。私のス−パ−マンはモノクロのテレビ映画の中で活躍していた。最近の映画で見るようなハンサムボ−イではなくやや小太りの“おっさん”で、黒縁眼鏡のクラ−ク・ケントになったときにはそこらの通行人と区別がつかないほど地味だった。それでも私のス−パ−マンはまだ色褪せてはいない。その訳は多分、ス−パ−マンが宇宙人だという設定にあると思う。宇宙人がいても不思議ではないし、宇宙人ならどんな姿態であっても、機関車より強くても、弾よりも速くても、また高いビルディングを一っ跳びで越えても奇怪しくはない。映像からは離れたス−パ−マンのイメ−ジの部分だけが私の心にこびりついているに違いないのだ。

 ヒ−ロ−はもっと身近にもいた。小学校の低学年のころ同級生たちはベッタンで遊んでいた。私は関西育ちなのでベッタンというが関東ではメンコという物である。旧家の出であることを過剰に意識していた私の母親はベッタンを私には買ってくれなかった。ベッタンは下賤の玩具だし賭け事のように取ったり取られたりする。そんな下品な遊びを子供に許すことなど夢にもあり得なかったのだろう。
 だから、私はいつも友人たちがベッタンで遊ぶのを脇で見ていた。いろんな遊び方があったようだが、特に印象に残っているのは何枚も重ねたベッタンを一度で全部引っ繰り返すというものである。勿論のこと、成功すれば引っ繰り返したベッタンを全て自分の物にできる。だが、これがなかなか難しいのだ。自分ではやったことがないのにこう断言するにはそれなりの理由がある。それは、誰でも彼でも成功するのではなく、名人とも呼べる限られた連中にしかできない技であることを目撃しているからである。
 そういう技術を持っている子供はベッタンの世界ではヒ−ロ−である。ベッタンがぎっしり詰まった大きな紙箱を小脇に挟んで横町に現れる彼らはオ−ラに包まれていた。どれほどの時間を掛けて磨き上げたのだろう、蝋を塗り込められた彼らのベッタンは燻銀の光を放っていた。それらを皆で検分するときには、そのベッタンの持ち主はベッタンに印刷されたヒ−ロ−たちよりも強そうに見えたものである。だが、ヒ−ロ−の座を維持するのは極めて困難なことであったし、複数の世界でヒ−ロ−になることも容易ではなかった。ベッタンのヒ−ロ−も独楽回しの世界では注目されなかったし、ベッタンの世界ですら遂にはライバルに打ち負かされる日を迎えたのだった。
 かく言う私もヒ−ロ−と独活の大木の間を何度も行き来した。勿論、ヒ−ロ−であったことの方が少ないことは言うまでもない。冬場の長距離走では常に最後尾にいたし、鉄棒や縄登りでも駄目な子のグル−プに入っていた。しかし、中学生になると少し状況が変わってきた。当時は近所の同級生たちと毎日のように野球遊びをしていたのだがそこで私は初めてヒ−ロ−の気分を味わうことができたのだ。
 中学のクラブ活動では硬球は禁じられており準硬式球しか使っていなかった。それでは面白くないので私たちはこっそりと硬球で遊んでいた。近所には宅地造成のためにできた広大な空き地がそこここにあったのでわざわざ公共の野球場に出掛ける必要もなかった。誰に邪魔されることもなく禁止されていた硬球を使うことができたのだ。そんな悪餓鬼の中で私の打球は一際遠くに飛んでいった。誰がピッチャー役になろうとも、一直線に空き地から彼方へと飛んで行ったのである。ボ−ルを遠くへ打ち込んでなくした場合にはその当人がボ−ルを補充しなければならないル−ルであったが、最も多くのボ−ルを買わなければならなかったのが私であった。レフトの頭上を越して林の中に入ってしまったボ−ルを捜し出すのは至難の技だったのである。小遣いを叩いて高価な硬球を買うのは痛かったが、それはまたヒ−ロ−としての誇りでもあった。思い返してみると、痛し痒しのヒ−ロ−初体験だったように思う。
 その次にヒ−ロ−になれたのは高校に入ってからだった。別に取り立てた理由もなく剣道部に入ったのだが、同級生の中で最初に段位を取ってしまったのだ。全員で昇段試験を受けたが私独りだけが合格したという訳である。当然のこととしてクラブの仲間からは一目置かれることとなった。だが、このヒ−ロ−の座は私の方から直ぐに放棄することになった。理由は単純である。自分が下手っぴ−であることを思い知ったからだ。最初に出場した地区大会でその地域の強豪と当たりコテンパンに打ち負かされてしまったのである。受験校の軟弱剣道部の中では強い方だったが、他校とは比較の対象にもならないことを知ってしまっては自分をヒ−ロ−だとはとても思えない。
 その後しばらくして、少し変わったヒ−ロ−経験を大学ですることができた。私はとある大学の理学部に入学したのだが、教養部のときに風変わりな数学の試験を受けたことがある。私たち一人一人には答案用紙を配らず、教授は講義室の黒板に二問だけ問題を書き付けたのだ。例の“〜を証明せよ”という問題だった。ちらっと見ただけで物凄く難しい問題だということが分かった。教授は、「皆で相談して解答を黒板に書いておけ」とだけ言い残してスタスタと去ってしまった。二問とも正解しなければ単位は取れない。しかもクラス全員が必修単位を落としてしまうことになるのだ。
 私たちはしばらくその問題について話し合ったが、無秩序に騒いだところで解答の糸口が出て来る訳がなかった。これではが開かないので私はある提案をした。とにかく三十分間それぞれが個別に考え、その上で解答できそうだと思った者が名乗りを上げることにしようではないか。そう提案したのだ。反対者がいるはずもなく三十分間のシンキング・タイムが過ぎた。「できた者は手を挙げてくれ」と声を掛けたが、挙手したのは私といつもネクタイを締めていた飛びっ切りの秀才の二人だけだった。秀才に野次を飛ばす者はいなかったが、講義をサボってばかりいた私には、「お前本気か」という懐疑的な声が上がった。
 私は多少むっとしたがいつものことなのでそれは無視して解答を黒板に書いていった。秀才ももう一つの問題の解答をサラサラと書き付けていく。その音とともに、私の後ろでフムフムという二、三人の呟きが聞こえて来るが、残りの者は解答を見ても訳が分からないようだった。自分のを書き終わってから秀才の解答を見て驚いた。私は書いたり消したりしながら小汚く書いたのだが、彼のは一点の淀みも感じさせないほど美しく数式が並んでいたのだ。
 読んでも理解できない連中が解説しろというのでワイワイガヤガヤやっていると、教授が現れて黒板の解答を解説しながらチェックし始めた。予想通り、秀才の綺麗な方から手を付けて、「完璧です」と評価した。次は私の解答である。最後の評価は、「文字が汚いことを除けば見事な出来栄えです」というものだった。これで私は一躍ヒ−ロ−である。必ずしも超難問を解いたからヒ−ロ−だという訳ではなさそうであった。クラス全員が必須教科の単位を取ることができたからではなかったかと思われた。それに、ここでは秀才の影が薄く圧倒的に私への評価が高かった。彼はできて当たり前だという考えが働いたからなのだろう。ヒーローとは完璧であればよいというものでもなさそうである。

 大学を出てからはヒ−ロ−ともすっかり縁遠くなってしまった。自分の心の中にもまた自分の周りにもヒ−ロ−はいなくなったし、自分もヒ−ロ−になることなどなくなってしまったからだ。勿論、マスコミに載った子供染みたヒ−ロ−を面白いとは思うが、幼かった時分のように心が踊るほどではない。超人的とも思えるスポ−ツ選手に感動することはあっても彼らをヒ−ロ−と呼ぼうとは思いもしなくなった。もはや私にヒ−ロ−は必要なくなったのだろうか。それともどんな素晴らしいヒ−ロ−にもときめかなくなってしまっただけなのだろうか。心の中にヒ−ロ−がデンと居座っていた頃のことを思い出してみるとその答を得ることができるのではないだろうか。
 考えてみるに、先ずヒ−ロ−と呼ぶべき対象には感動しなければいけない。「なんて強いんだ」とか、「なんて見事なんだ」とか感じ入るところから始まるのだ。だが、感動しただけでその対象をヒ−ロ−にすることは有り得ない。そのヒ−ロ−との一体感がなければならないのだと思う。一体感というのは単にあんな風になりたいと思うことではない。そのヒ−ロ−の活躍を目の前にしたとき、あたかも自分自身が主人公そのものになっているかのような感覚を得ることができなければならないのだ。即ち、現実も虚像もヒーローの存在で一つにまとまってしまうという点が肝腎なのである。
 大人の世界で無闇やたらに他者との一体感を感じるのは危険である。ビジネスの世界でも学問の世界でも大人が係わっている世界は文字通り現実的なのだ。他人の成果を自分自身の成果であるかのように錯覚していては大混乱が起こってしまうだろう。だから、大人の心にヒ−ロ−は入り込み難いに違いない。人類の社会の安定を保つための摂理の一種なのかもしれない。こう言いつつも、そうでない部分が大人になった自分にもあることに既に気付いている。極めて控え目ではあるがヒ−ロ−を心に宿しているのである。先に述べたが、赤胴鈴之助やス−パ−マンは依然としてヒ−ロ−として認めている。また、趣味の世界に埋没しているときにはヒ−ロ−の存在をうっすらとではあるが感じているように思うのである。
 自分の趣味に没頭しているときの感覚は実体験そのものである。決してヒ−ロ−の活躍に触発された疑似的な感覚ではない。なのに何故ヒ−ロ−の存在を感じてしまうのだろうか。仕事(英語で言う“occupation”即ち方便としての活動)をしているときには、意識は自分の肉体的活動と常に共にあると感じる。しかし、趣味に現を抜かしている場合には、私は意識だけが遊離したもう一人の私を感じてしまう。夢中になって活動している自分自身に心を弾ませている意識だけの自分である。冷静に分析するなら、実際には手慣れた行動を無意識にこなしているだけであって飽くまで意識は一つであるという結論に達するに違いない。だが、感覚的には別の意識が自分の行動を追体験しているような感覚なのである。即ち、自分自身をヒ−ロ−に見立てているのだ。
 趣味の世界での競争相手は自分自身である。趣味の世界に失敗はなく、より高い目標があるのみである。趣味の世界ではそのときの自分が最高なのである。別の意識が自分自身の活躍に酔い痴れてもちっとも奇怪しくないのだ。それに、趣味の世界でどのような錯覚に陥っても、それを実社会に持ち込まなければ世間に害悪を流す心配はない。人類の社会の安定を保つためのヒ−ロ−に関する摂理は、大人がヒ−ロ−に鈍感になることではないと思う。大人には実社会とは懸け離れた世界を誰の助けを借りることなく心の中に持つことができるだけなのだ。逆に考えれば、子供の心は全て一まとめになっていると言えるのかもしれない。子供たちの心には現実も空想も、愛も憎しみも、喜びも哀しみも、憧れも嫌悪感も全てが混在していて、しかもそれが不思議なハーモニーを醸し出しているのだ。そして、その摩訶不思議な統一性を作り出しているのがその時の子供の心を支配しているヒーローなのではないだろうか。
 そうだとすると、私はこの社会を愛すべきヒ−ロ−たちで埋め尽くしておくべきだと思う。放っておいてもヒ−ロ−たちは直ぐに仄日の如くに傾いてしまうのだ。次々に子供たちの心を奪うヒ−ロ−を準備しておかなければ追いつかない。大昔からそうだったのかもしれないが、昨今特に目立つように、大人たちの心が善からぬ方向に向かうことが多くなっては堪らない。ちょっとヒ−ロ−が留守になった子供たちの心に邪悪な大人の在り様がもろに入り込んでしまうであろうと思われるからである。

 少年犯罪が増加し凶暴化してきているという。だから少年法を改正して犯罪を犯した少年を大人並みに処罰するという。それも一つの在り方だろう。犯罪は年齢に関係なく処罰されてしかるべきだ。私は「少年が犯罪を犯すのは環境が悪いからであって当人を処罰するには当たらない」というアメリカはシカゴ生まれの考え方には共感できない。環境の所為で悪くなった者なら教育的な処置のみで矯正できるという立場だと、殆どの成人犯罪者についても、元はと言えば環境が悪かったのだから罰するには及ばないと言い逃れるを認めなければならなくなってしまうのではないだろうか。また、少年には未来があるから安易には罪に問わないという考えにも反対している。どんな人にだって未来はある。明日死んでしまうかもしれない老人でも、死ぬ直前まで新たな成長を遂げる可能性を否定することはできない。どんな罪人でも罪を償った後で人生をやり直す権利がありその能力が有り得る。少年だけを特別扱いする必要などないのだ。
 かと言って、少年法の枠を外して罰しさえすればいいとも思えない。その前に、社会の根本的な問題として考えるべきことがあるように思う。それは青少年の育成に熱心に取り組むということである。しかし、それは評論家が安易に口にする在り来りの“教育”などというものではないと思っている。「挨拶を徹底的に叩き込もう」、「ボランティア活動を義務付けよう」等いろんな声を聞くが、それら多くの推奨されている教育法は、ただ単に子供の演技力を高める役にしか立っていないように感じられるからである。
 大人の前では大人が良い子と認めるように演技する。苛めの現場では苛めっ子睨まれないように演技する。現実として、こんな小狡い行動を躊躇なく取れる子供が多くなっているように思う。また、その陰で心のバランスを崩して引き籠もったり自虐的な行動に走ったりする子供や青年が増えていると聞く。長い社会生活の末に社交的演技を処世の術として身に付けてしまった大人が自らを省みることなく形式的に“社会人としての心得”を教えれば、たとえ子供たちが挨拶出来るようになっても挨拶する真摯な心が養われることはない。たとえボランティア活動を指揮通りにやらせることはできても、子供たち自身からボランティア活動をしたいという気持ちを導き出すことはできない。子供たちの教育の前に、大人たちが自分たちの社会の在り様について整理し直す必要があるように思えるのだ。
 私にも苦い記憶が残っている。その昔エリートサラリ−マンであったころのことである。一九八〇年代ではなかったかと思うが、やたらめったら“社員教育”の重要性が叫ばれ始めた時期があった。社員教育を請け負う会社も乱立した。私もそんな部類の“管理職者教育”に参加させられたことがあるのだが、それは実に不愉快なものだった。何日間かホテルに缶詰にされてあれやこれやの盛り沢山のプログラムをグループでこなすというものだったが、タスクそのものは極めて簡単なもので能力の啓発とは程遠いお遊びだった。結局、全ての課題の主要な部分を表現してみると、“管理職たるものは上手く演技せよ”という一言で終わってしまうお粗末なものだった。講師は“自己改造”などと表現していたと思うが、私には“役者以上の名演技”を望んでいるようにしか聞こえなかった。上司にも部下にも気に入られるように演技せよ。集団を維持するためには演技せよ。仕事よりも演技力の方が重要なのだ。私にはそう言っているとしか思えなかったのである。
 プログラム終了後に感想を求められたので思ったままを述べた。教育会社の講師連中と人事部の担当者は明らかに面白くなさそうであったが、適当な返事で私の意見は軽くあしらわれてしまった。勿論、その場にいた俄クラスメートたちの中にも私への同調者は一人としていなかった。私は複数の自分を時と場合とによって使い分けるなどという器用な真似はできないと思っていたのだが、通常の大人の世界ではそんなことは至極当然のことだと皆が考えているようであった。

 確かに、社会を混乱から救うとともに社会の不条理から自らをも守るためにも、大人はそうと自覚しつつ実際とは懸け離れた自分をいくつでも心の中に持つことができるようだ。しかし、子供たちはそうはいかない。そうするには先ず自分の心を幾つかの部分に分断しなければならないからだ。子供の心はまだまだ未成熟である。単一の人格を形作ろうとしている未成熟な心がそんなことをしようとしたら大混乱が起きるはずである。大人の感覚で形だけを押し付ける“教育”は、子供たちにそんな無茶なことをしろと言うことなのだ。大嫌いな相手にもにこやかに挨拶しなければならない。未だその意味さえ分からないのに“善行”だといい含められてボランティア活動なるものをやらなければならない。そんな自分の正直な感想を述べたら、適切な説明抜きで「これが社会のルールなのだ」と頭ごなしに無理強いされる。既に大人になってはいても子供じみたところが多少残っている私などは分裂症気味になってしまうに違いない。
 未完成な子供の心の中で光り輝くヒ−ロ−は、現実とか夢とか欲求とか挫折とかのぶつかり合いでぐちゃぐちゃになりそうな心全体をがっちりと受け止めてくれている。そんなヒーローを自ら否定して、未成熟なまま大人っぽい部分を持った心にしなければならなくなってしまったら、自己嫌悪から極度の人間不信に陥ったとしても不思議ではない。こんな状況が脳組織に基質的な損傷を与えるか、または精神に致命的な異常をもたらすかどうかは知らないが、子供の脳が正常な状態で複数のしかも互いに矛盾した自己を受け入れることができないことだけは経験的に断言できる。

 ヒ−ロ−の輝きは脆弱で子供たちの心の中での寿命は短いと指摘した。だからこそヒ−ロ−で世界を埋め尽くしておきたいとも言った。そうでなければ、子供のたちの心は未成熟なままで千千に引きちぎられてしまいそうだからだ。現在もヒ−ロ−は大勢いる。しかし、最近は非人間的なサイバネティックなものや暴力的なものが多いように思う。また、スポ−ツの世界にもヒ−ロ−やヒロインは沢山いる。だが、今や彼らの輝きを富の輝きだと感じる人の方が多そうである。アマチュアとプロの区別がなくなり、あらゆるスポ−ツが見せ物となり、更により端的な見世物の世界である芸能界へのステップになってしまったのだから、これも仕方ないことだろう。
 だが、ヒ−ロ−が掃いて捨てるほどいても、純粋に子供の心を満たすものでなければ私は納得できない。そうでなければ未熟な子供の心を救う手立てとはならないからだ。風呂敷を肩になびかせて自転車で走り回っている子供が長じて暴走族になるとは思わない。同じく風呂敷で覆面をしてチャンバラ遊びに興じていても殺し屋になるとは考えもしない。しかし、残虐な格闘ゲ−ムや戦闘ゲームの登場人物を気取る子供がいずれは些細なことから人を殴り殺すのではないかと心配するのには充分な根拠がある。残虐なゲームによってすぐさま残虐な心になるなどと短絡的なことは言わない。だが、少なくともヴァーチャルゲームによって情操の発達が阻害されることは確かなことだし、その結果として情動行動に異常性が見られても不思議ではないからだ。
 ヒーローは仄日の如く子供たちの心を巡った後に消え去るものだ。だが、今や、ヒ−ロ−の存在そのものが仄日のように危ういものになってしまったようにすら思える。確かに、実社会で残虐な独裁者がヒ−ロ−として持て囃されていたこともあった。即ち、ヒ−ロ−という概念そのものにそもそも危険な匂いが秘められているということである。従って、陳腐で曖昧な表現しかできないことを恥じつつも、私は“愛すべきヒ−ロ−”でこの世界を満たしたいと願っているのでである。

(2003年10月17日)


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続・不勉強者の呟き

 二ヶ月ほど前、いくつかの“新しい”日本語表現にどうしても違和感を拭い去れないことについて述べた(「不勉強者の呟き」2003年8月13日付。)その折にはまだ薄らぼんやりしていて、自分でも明確には認識していなかったことがあったのだが、つい最近、それがどういうことであったのかはっきりと自覚するに到った。そこで、不勉強者には荷の重いテーマではあるが、昨今の日本語表現について再び論じたいと思う。即ち、「不勉強者の呟き」の続編を書こうと思うのである。また「若者語を理解できない年寄りのぼやきか」と言わず、是非ご一読いただきたい。読者諸氏も私と同じ感じ方をなさるかもしれませんからね。

 さて、その薄らぼんやりしたこととはちょっとした知り合いから感じていたことであった。その知り合いはどこといって毛嫌いされるような要素など見当たらない人なのだが、彼と話をする時、私は何故だか和やかな気分になれなかったのである。頻繁に言葉を交わす相手ではないので気にも留めていなかったのだが、最近、テレビジョンの所謂トーク番組を見ていて、はたとその理由に思い当たった。トーク番組にゲストとして出演していた何人かの芸能人あるいは現役を引退したスポーツ選手に全く好感が持てなかった理由が正にその知り合いと和やかに接することができなかった理由に等しいのだと気付いたのである。その理由とは、ゲスト出演者たちが例外なく「〜じゃないですか」あるいは「〜ではないですか」という表現を口にすることであった。その後、注意深く聞いていると、この妙な表現が様々な場面で、しかも不必要と思われるほど頻繁に用いられていることにも気付いた。
 例えば、「その狭い路地を入っていくと煙草屋があるじゃないですか」というのは「その狭い路地を入っていくと煙草屋がありますよね」という極めて軽い意味らしい。「親というものはやはり子供のことを心配するじゃないですか」というのは「親というものはやはり子供のことを心配するじゃありませんか」という馴染み深い表現に等しいと考えられる。「そんなことをすると危ないじゃないですか」も「そんなことをすると危ないじゃありませんか」のことらしい。
 私は関西育ちだから関東弁のことはよく分からない。従って、これから述べる意見が関東でも通じるのかどうかについては自信がない。だが、少なくとも私が子供であった頃の大阪近辺では確かに以下の通りであったことは断言できる。先ず、軽い意味合いの表現方法として「その狭い路地を入っていくと煙草屋があるじゃないですか」などという持って回った言い方をすることはなかった。ストレートに「その路地入ったら煙草屋があるでしょ」と言っていた。もっと身近な連中になら「その路地入ったら煙草屋があるやん」になる。それを強調する場合でも、語気の強い否定を意味する言葉は用いなかった。終助詞を添えて「その路地入ったら煙草屋があるやんか」あるいは「その路地入ったら煙草屋があるやんかいさ」なんて言い回しまでであった。
 相手が頑なに「煙草屋なんかない」と言い張った場合には、「おでこに膏薬貼った婆さんが店番してる煙草屋があるやないか!」と声を荒げることは確かにあった。だが、これは喧嘩も辞さないという覚悟があっての発言だったと思う。「〜じゃはないか」あるいは「〜ではないか」というのはそれほど強烈で相手に対して威圧感を与える表現だということになる。矢鱈に気安く用いる表現ではないのだ。こんな感覚を持っている私が、穏やかな表情で「煙草屋があるじゃないですか」と言っているのを耳にすると、その発言者の真意を測りかねるのである。当然、発言者の人格を疑ってかかることにもなる。「“です”が付いていて丁寧じゃないか」と反論しようと思っている方々はもう少し先まで読んでからにしていただきたい。
 「親というものはやはり子供のことを心配するじゃないですか」あるいは「そんなことをすると危ないじゃないですか」という言い方についても同様である。大阪にチャーリー某という芸人がいるのだが、読者諸氏はご存知だろうか。「〜ではアーリマセンカ」というギャグを売り物にしている一風変わった御仁である(関西で名の売れた芸人は全て一風変わっているが。) 彼の売り物である「〜ではアーリマセンカ」がギャグとして成立しているのは、関西では「〜ではありませんか」という言い回しがごく普通だからに他ならない。そんな有り触れた表現に妙な節をつけて不意に言ったり連発したりするから可笑しいのだ。
 関西では(少なくとも私が住んでいた頃の1975年までの関西では)決して「〜じゃないですか」あるいは「〜ではないですかと」いう表現を耳にすることはなかったのである。勿論、「〜ではないか」という表現はあった。だが、次に述べるように頻繁に耳にするものではなかった。私の周りの大人たちは、必ず、「親というものはやはり子供のことを心配するではありませんか」あるいは「そんなことをすると危ないではありませんか」と言っていた。勿論、それは大人同士の話の中でのことであり、子供を叱るときには「親いうもんは子供のことを心配するもんなんや」とか「そんなことしたら危ないやんか」と直球で子供たちに投げ掛けられたものである。
 「心配するやないか」なり「危ないやないか」と言われる時には、ゴツンと一発食らうことになるのが常であった。即ち、「〜じゃないか」、あるいはそれに無理やり“です”をくっ付けて丁寧ぶった「〜じゃないですか」であっても、その表現は関西育ちの私には喧嘩腰の人間が口にする表現にしか聞こえないのである。たとえ手が出てこなくても、かなり厳しい追及の姿勢が感じられる。他人様に対して決して軽々しく口にする言葉ではないと反発してしまうのである。

 「〜じゃないですか」も「〜じゃありませんか」も同じだという意見が聞こえてきそうであるが、私には同じだと思えない。軽く言う「〜じゃありませんか」という表現は言外に「私はそう思うのですが、貴方はどう思いますか?」という気持ちが込められている。当然、膨れっ面で不満そうに「〜じゃありませんか」という場合も有り得る。その場合は相手をなじる表現になるが、見境なく口にする言葉ではない。目下のものや気の置けない同輩に対してしか使わない表現なのである。それに比べて「〜じゃないですか」は相手構わず頻繁に用いられているようだ。しかも、「〜じゃないですか」からは一方的に主張している態度しか感じられない。それに、なんと言っても、「〜じゃないですか」という日本語は耳に馴染まない。はっきりと言えば奇異なのだ。この表現は文法的におかしいように思われるのだがどうであろうか?
 不勉強者である私には文法の話は荷が重いが、自論を主張するために遠い記憶を辿って考えてみようと思う。手始めに「〜じゃないですか」あるいは「〜ではないですか」の最初の部分、即ち“じゃ”と“では”について分析してみる。“じゃ”は“である”が短縮され音が転じたものだと承知している。従って、断定を表す助動詞なのである。この助動詞は体言及び用言の連体形に続くことが多いが、それだけではなく色んな種類の語にもくっつけることができる。尤も、殆どの場合は、後述する助動詞“だ”と同様に体言及び用言の連体形+“の”に接続する。
 “では”はちょっと難しい。すっと思い浮かぶのは、断定の助動詞“だ”の連用形“で”+係助詞の“は”ではないかという考え方である。しかし、“で”と“は”という二つの助詞の連語とも理解できる。どちらとも自信を持って断定できない不勉強者はここで書物に頼ることにした。すると、格助詞“で”は「“ある”または“ない”を伴って指定の意を表す」と書いてあった。指定も断定も似たようなものだから、助詞説をとっても意味合いとしては問題ないようだ。しかも、続けて説明を読んでいくと、「口語では断定の助動詞“だ”の連用形とする」と書いてある。なんのことはない。助動詞でも助詞でもどうでもいいということらしいのだ。ただ、断定あるいは指定の意味があるという点は忘れてはならない。
 因みに、これらの他の語との連結だが、助詞の場合は主として体言に連なる。また、助動詞の場合もやはり主として体言に続くが、活用語に続くこともあり、その場合は“の”を挿むのが普通である。、但し、前の活用語が未然形や仮定形なら直接くっつくことも多いようだ。ただ、こういった規則も屁理屈を捏ねればある程度無視できることも認めなければならない。動詞でも形容詞でも形容動詞でも、たとえそれが連体形であっても、その後に助詞“で”をくっつけても構わないとも言えるのだ。単純に「〜の状態」という語が省略されていると考えれば“で”の前は“状態”という体言だと開き直ることができるからである。飽くまで屁理屈ではあるが口語ではそんなことを言ってもおかしくない。要は通じればいいのである。勿論、話し手も聞き手も違和感なく共通の認識を持てるならという条件を満たしていなければならないが。
 少々疲れてきたので、さっさと文法の話を片付けてしまおう。“じゃ”あるいは“では”に続く“ないですか”が尚一層難しい。“ない”は形容詞で、形容詞または助動詞の連用形(勿論、それに助詞の“は”あるいは“も”が続くこともある)に続いて“否定”あるいは“同意の問い掛け”を意味すると解釈できる。後者の場合は“ないか”の形になることはご承知の通りである。 “〜ではないか”という表現は正に文法書のお手本通りの表現なのである。“ないですか”は“ないか”の途中に“です”を入れただけだと推察できるから、これも当然“同意の問い掛け”を表わそうとしているということになる。
 さて、そこまではすらすら進むが、ここで、接続が正しいのかについて悩まなければならない。“ないですか”の“です”は上で述べた“だ”と同じく断定の助動詞である。接続も基本的には“だ”と同じだと考えていい。前の段落での説明を思い出していただきたい。断定の助動詞は主として体言に続き、活用語に続く場合は“の”を挿むのが普通である。、但し、前の語が未然形や仮定形なら直接くっつくこともある。で、“ないですか”の“ない”は形容詞“ない”の終止形あるいは連体形なのだ。この様な場合、文法に適った接続は、“ないのですか”でければならないのである。
 そこで、「煙草屋があるではないですか」を伝統的に正しい日本語に直すと、「煙草屋があるのではないのですか」になる。かなりくどい表現だが、これならばハナマルが貰える日本語だ。しかし、これではどうも昨今に蔓延している「煙草屋があるではないですか」とは雰囲気が大いに異なってるようである。「煙草屋があるのではないのですか」は「記憶違いかもしれませんが、煙草屋があったように思うのです・・・違いますか?」というような意味合いになると思う。一方、「煙草屋があるではないですか」では「私の記憶に間違いはありません。煙草屋があるんですが、貴方も知っているでしょう?」という感じである。実際にこの言い回しを繁用している人たちはもっと軽い意味合いだと主張するだろうが、私にはそうは思えない。
 結論として、「〜じゃないですか」あるいは「〜ではないですか」という日本語は伝統的な文法では解釈できない新造表現だと結論付けなければならない。先に私も認めたように、“ない”の次に「〜の状態」という語が省略されていると考えれば“です”の前は“状態”という体言だから正しい接続だと開き直ることもできるかもしれない。しかし、“ないか”という成句が大昔から定着していることを考えると、この屁理屈には同意しかねる。勿論、この表現が意味するところは話の前後関係から理解できなくもないが、文法的にしっくりしない表現にはやはり不快感を感じてしまう。特に、関西育ちの古い人間は、上に述べたように、これに似た否定の言葉を用いた表現には激しい感情の動き、即ち、“同意の問い掛け”などという穏やかなものではなく“詰問”あるいは“叱責”の意味を感じ取ってしまう。当然ながら、このことからも「〜じゃないですか」あるいは「〜ではないですか」という表現には自ずと不愉快な感じを持ってしまうのである。

 こんなうっとうしい物言いが何故これほどに蔓延してしまったのであろうか。私は、あれこれ考えた挙句、これは単純に世相の反映だと結論付けた。いまや、謙譲の美徳など彼方の過去へと吹き飛ばされてしまった。慮りの美風など溝に蹴り込まれてしまったのだ。西洋の諺に「ギーギー音を立てて軋む車はグリースを塗ってもらえる」といった意味の諺がある。古いタイプの日本人には馴染めない考え方だが、今では、多くの日本人が共感を持ってその諺通りの行動をとり始めている。リエンジニアリングだリストラクチャリングだ、年功序列はナンセンスだ能力給だ、無能な奴は去れデブもブスも去れ、中身よりプリゼンテーションの美しさだ、見た目が派手なら誤魔化しが利く、こんな風潮では大声で主張した者の勝ちである。彼らの言い分とは裏腹に、どんな馬鹿でも声が大きく押しが強ければ大きな顔ができるのだ。
 こんな時代に「〜ではありませんか」などと「私が間違っているかもしれませんが」といった遜った表現は歓迎されない。「〜じゃないか」といった真正面から相手を威嚇する表現で自己主張しなければ生き残れないのだろう。私はそんなあつかましい態度は嫌いだ。そんな無遠慮な表現は、喧嘩の時を除いて、曖昧さ仄かに感情を表す日本語に相応しくないと信じている。同じ押し付けるなら、「〜じゃないですか」などと文法を無視して丁寧ぶった妙な発言をするよりは、「〜じゃないか」と文法的に正しく真正面から厳しく押し付ける方がすっきりすると思う。猛獣は猛獣らしく振舞えばいいのである。ライオンやトラが“ミャオ”と猫の真似をしてもちっとも可愛らしくない。所詮、猛獣は猛獣でしかないのであるから。

 冒頭部分で“「また年寄りのぼやきか」と言わず、ご一読いただきたい。読者諸氏も同じ感じ方をなさるかもしれませんからね”と言った。確かにそう言ったが、私と同じ感覚の人がどれ程いるのだろうかと気弱に考えてしまう。何故なら、語感というのは文法や理屈で形成されるものではないからだ。各人が日常的に耳にする言葉で形作られ、また、日々に変化していくものなのである。「〜じゃないですか」あるいは「〜ではないですか」という表現が、テレビジョンの画面で、にこやかな表情の人たちからのべつ幕無く発せられているうちに、いつしか私が感じているような特別なニュアンスを感じなくなってしまう人たちがいても全然不思議ではない。むしろ、そうなる方が自然とも考えらる。
 例えば、「鳥肌が立つ」というのは恐ろしい思いをしたりおぞましいものを見たりしたときの表現であった。しかし、驚くべきことに、現在では「感動して鳥肌が立つ」と言われて奇異に感じない人の方が多いのだそうである。私のように“古い”感覚の者には「鳥肌が立つ」というのは“悪いイメージ”でしかないので、実に不思議な変化である。確かに、素晴らしい芸術作品に遭遇して総毛立つことはある。だが、それを感動を表す喩えには使いたくない。単純な発想だが、私は“鳥肌”からは“皮付きのカシワ(鶏肉)”しか連想できないのだ。“皮付きのカシワ(鶏肉)”は感動とは程遠いと思うのだ。尤も、「軍鶏鍋が旨かった」という感動は別かもしれないが・・・
 話が若干横道に逸れてしまったが、「〜じゃないですか」なんて言い回しを何の違和感もなく受け入れるのが普通になったら、あるいは既にそうなっているのなら、不勉強者の私はまた一人呟かなければならない。「もっと国語を勉強しておいて、曖昧さ仄かに感情を表す日本語を擁護したかったなぁ」と。

(2003年10月4日)


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身の毛も弥立つ怖い話

 予めお断りしておくが、これは怪談話ではなく自動車の運転マナーの話である。私は自動車を運転し始めてから31年になるのだが、この間に自動車を運転しなかった日数は極めて少ない。そもそも運転免許を取ったのは通勤のためであったし、勤務地に関わり無く公共交通機関での通勤経験が皆無に等しいからである。これほど長期間に亘って車に乗っていると、信じられないような光景に少なからずでくわした。勿論、その殆どは一歩間違えば事故を起こしかねない危険な運転振りを示すものである。極端に表現すれば、日常の通勤や外出の際に身の毛も弥立つような怖い思いをし続けてきたということなのだ。そんな話にお付き合い願おうというのである。

 つい最近も「そんな馬鹿な」と呆れ返ってしまう場面に遭遇した。しかも、立て続けに二人の運転者が同じ交差点で同じ行為をしたのである。その交差点というのがY字路で、“Y”の上部の二股になった右側の道路から交差点に入る場合は一旦停止しなければならない。その道は片側一車線だが、交差点近辺のみで道幅が広く、両側5mほどに亘ってゼブラゾーンが設定されている。私がその一旦停止の場所で左方からの車をやり過ごそうとしていた時であった。走って来た車が1mほで手前で突然方向指示器を点滅させ始めたかと思うと私から見て左側のゼブラゾーンに突っ込んで来たのである。幸い私の後ろには後続車が一台もいなかったので、その無謀運転車はゼブラゾーンから私が走って来た車線を突っ切って反対車線へと入っていくことができた。
 私は一瞬ひやりとした。どこの国でも対向車はセンターラインの向こう側を走っているものだからである。私には神風特攻隊が体当たりを食らわせてきたようにしか思えなかったのだ。暫く身を硬くしつつその車がリアビューミラーの左から右へと移動していくのをただポカンと見ていた。
 私は日本国内ではステアリングホィールが左についている車には乗らないことにしている。逆に、アメリカのようなキープライトの国では普段慣れているにも拘わらず右側に運転席がある車には絶対に乗らない。理由は単純で、自分は道路のセンターライン側にいるという認識を持っていると、左側通行でも右側通行でも混乱しないからである。キープライトの場合は車の左側にセンターラインがありキープレフとの場合は右がセンターライン側にあるのだから、そのセンターライン側に運転席がある方がしっくりするということなのだ。
 私は殆どの運転者が同じように認識していると思い込んでいた。だが、上で述べた信じられない運転振りを目撃した二日後に全く同じ現象を再び目の当たりにしてからは、自分の感覚が全ての人に共通している訳ではないことを思い知った。だが、私とは異なる意識を持って車を運転している人たちは運転動作の統一性をどうやって保っているのだろうか。私にはとても不思議に思えるのだ。交差点での左右の安全確認の順序は最初にセンターライン側、次にその反対側、更に発信直前にセンターライン側というのが普通である。これは左側通行でも右側通行でも共通している。これを単純に“右−左−右”と思い込んでいたのでは右側通行の国では絶対に安全に自動車を運転できない。
 日本国内だけなら“右−左−右”でも何ら支障は生じないとの反論が聞こえてきそうである。御尤もなことである。私がこれほどセンターラインに対しての相対的な位置関係に拘るのは、私が国外でも運転しなければならないことがしばしばあったからに過ぎない。だが、議論を蒸し返すことになるが敢えて私はこう言いたい、「物事は出来る限り普遍的に認識したり理解したりすべきである」と。それにしても、たとえ私が紹介した無謀運転者二人が右左だけで運転動作を制御していたとしても、二人ともが右側通行の国で運転免許を取得し「対向車は自分の左側を走るものだ」と認識していない限り、私を左側に見ながら交差点を右折することは有り得ない。
 彼らから見ると、交差点までは緩い登りで交差点を右折すると緩い下りになっているため、見通しはやや悪い。とは言え、私の車が停車線を越えて停まっていて彼らの視界を塞いでいた訳ではない。それに決定的なことは、彼らが平気な顔をしてゼブラゾーンへ進入してきたことである。私の左側のスペースは自動車が通行すべき場所ではないとして斜線で表示されていたのだ。もし万が一にも彼ら二人が右側通行の国で運転免許を取得していて、しかもちょっとした勘違いで昔の癖が出たのだとしても、ゼブラゾーンを見ればハッと我に返るのが普通ではあるまいか。どのように屁理屈を捏ねまわしても彼らの行為を理解するのは無理だと思う。
 そうなると、彼らが極めて非常識で交通ルールなど遵守する意思はまるっきり無く、ただ自分たちの都合の好いように運転しているのだと結論付けなければならない。こんな恐ろしい結論なのに私にはそれを否定することができない。理由は簡単である。安全など眼中にない連中を多数見ているからである。その幾つかの例を書き連ねてみよう。

 10年近く前のこと、荒地を切り開いて大きな国立研究施設をいくつも建設した地域に私はいた。片田舎に片側4車線の立派な道路が突如として出来た所為かどうかは知らないが、その地域の運転マナーは最低だった(現在どうなっているかは知らないが。)町の外れの片側2車線の道路でも、車の流れに乗ってしまうと軽く時速80kmは超えていた。街中の飲み屋には大きな駐車場があり、年末の夜ともなれば蛇行運転の車にしょっちゅう出くわした。誰の眼にも明らかに酒酔い運転だと分かる。まるで治外法権を有しているかのようにそんな運転者がのさばる地域であったのだ。
 ある朝、まだ擦れ違う車も殆ど見当たらない出勤途上に信号待ちで停まっていると、キキッというブレーキ音が聞こえたので隣の追い越し車線を何気なく見遣った。小型車が停まったのだが、私は思わずエッと声を出してしまった。当時、私はワンボックスカーに乗っており、運転席からは隣の小型車の内部が丸見えであったのである。小型車の運転席には化粧の濃い若い女性が座っていたのだが、なんと、その太腿も露わなミニスカートのお姐さんは脚を組んでいたのである。左様、右腿の上に左足を載っけていたのだ。よほど脚が短くなければできない芸当である。
 それだけではない。そのお姐さんは運転席の開け放たれた窓に右肘を載せて首を不自然に傾けて頬杖をついていた。即ち、片手で運転しているということなのだ。更に、銜えタバコという極めつけのお負け付きだった。信号が青に変わるか変わらないかというタイミングで、またもやキュキュッというタイヤ音を残して、その車は唖然としている私の視界の中で見る間に小豆粒ほどの大きさになっていった。即ち、とんでもないスピード違反でもあったということである。
 私にはそのお姐さんがまだ生きているとは思えないし、たとえ生きていたとしても、業務上過失致死罪かなんかで刑務所に入っているのではないかと思っている。いくらオートマティックミッションで片足だけで運転できるからといって、脚を組んでいたのではブレーキ操作はかなり難しい。少なくともブレーキを踏み込む反応時間がかなり長くなることは間違いない。加えて、タバコを吸いながら運転するのは携帯電話を扱いながら運転することと同じぐらいに危険な行為なのである。タバコに火を点ける瞬間の事故はかなり多いと聞く。また、その昔の喫煙経験から言えることとして、自分が吸っているタバコの煙に目が染みたり噎せ込んだりすることは珍しいことではない。また、タバコの種類によっては火がポロリと落ちることがある。運転中に銜えタバコから火が落ちたら・・・嗚呼、考えるだけで恐ろしいことではないか。
 早朝の出勤と思しき車で多く見られるのは、男性では“髭剃り運転”で、女性では“化粧運転”である。髭剃りはともかくいくらなんでも化粧はないだろうと疑問を呈する向きがありそうだが、私は複数回はっきりと確認したことがある。信号待ちの度にパフで粉を叩いたり口紅を塗っているご婦人の後ろで苛々したことがあるのだ。何故苛立ったかと言うと、化粧ずることに忙しいご婦人は信号が青になったことには気付かず、私が致し方なく警笛を鳴らすまで化粧の手を休めることがなかったからである。他人の迷惑を顧みない行為というだけでなく、上の空で運転するという危険な行為でもあるその化粧の甲斐があったことを私は心から願う次第である。何故なら、もしも、その様なご婦人方が化粧をしても却っておどろおどろしくなるだけのご面相であらせられた場合には、全く以って救いがなくなるからである。

 出勤途中に限らず、テレビジョンを見ながらの運転や雑誌あるいは新聞を読みながらの運転は多く見かける。当人たちは信号待ちの間だけのことだと言い訳するのであろうが、そんなことは信じられない。そういう車は走行速度が一定せず突然スローダウンしたり、居眠り運転のようにテイルをクイッと振ったりする。居眠りではなくこの様な現象が起きるのは何かに気をとられていて前方への注意が疎かになっているからに他ならない。いくら口角泡を飛ばして主張しても駄目である。運転中もテレビジョンの画面や雑誌あるいは新聞の紙面に視線と意識が向いていることは車の動きが物語ってしまっているのだから。
 中には、最初から言い訳するつもりなどなさそうな運転者もいる。ある時、小刻みな蛇行運転をしている車の後ろについたことがある。最初のうちはその理由が分からなかったのだが、信号で停まった折に観察してその理由が理解できた。その運転者はステアリングホィールの上に新聞を広げ、新聞紙ごとステアリングホィールを握っていたのだ。勿論、新聞を広げて握っているだけなんて馬鹿なことがある訳がない。当然のこととして、新聞を読んでいたのである。直線道路でもステアリングホィールを固定してはいられないのに、そんな状況でよくぞ新聞を読めたものである。その特殊技能には拍手を送ってもいいが、それが途轍もなく危険な行為であることから、やはりその運転者は軽蔑されて或いは非難されて然るべきであろう。
 ことのついでに疑問を一つ提示したい。まだつい最近と言っていいと思うが、運転中の携帯電話の使用が禁止された。私は当然のことだと思うが、そうは思わない人も多いようで、運転中たまさか私の前を走るという偶然に遭遇した運転者のうちの少なからざる者たちがおおっぴらに携帯電話で談笑しながら運転している。法で禁じられてもこんな有様なのである。ましてや、法で明確に指摘されていないこと、即ち携帯電話と大差ない無線通信でもテレビジョンや雑誌や新聞などでも平気の平左なのだ。何故これらも禁止されないのであろうか。私の疑問とはこんな素朴なことなのである。それらは一絡げで“安全運転義務違反”で片が付くという返事が聞こえてきそうであるが、私には納得できない。ならばどうして携帯電話だけが禁止されたのか返答ねがいたい。携帯電話の使用も“安全運転義務違反”で取り締まればいいではないか。
 私の目撃談の通り、喫煙やテレビジョンや雑誌や新聞といったものも、運転中には携帯電話と同様に危険なのだ。携帯電話だけを特別扱いする理由など考え付かない。私の憤懣はこれに止まらない。カーナビと呼ばれる画像を用いたナビゲーションシステムを用いることもやはり運転中には危険な行為である。音声案内が強化されてきたので安全だという意見を聞いたことがある。だが、私はその意見に賛成しかねる。映像が表示されている限り、人はその映像を確認しようとする。カーナビは一旦停車させてから利用するものだから良いのだとのカーナビ支持者には自信を持って反論する。同じことは携帯電話でも言われたが、車を停めてから携帯電話を利用するマナーの良い人は少数派だったではないか。それ故に運転中の携帯電話の使用がわざわざ禁止されたのではなかったか。カーナビの危険性について声が上がらないことは私にとって大いなる疑問なのである。
 「まさか、同乗者との会話もラジオや音楽だって危険だと言うつもりではないだろうな?」と質問されそうなので、自分からその答えを先に言ってしまおうと思う。「然り」である。私は同乗者とのお喋りもラジオやCDを聞くことも危険だと思っている。但し、それが度を越していなければある程度なら許されるとも思っている。「“度を越す”などという程度を曖昧にしか表現できない言葉を使うべきではない」と叱られそうだが、ここは一番この曖昧な表現をお赦し願いたい。その代わりという訳ではないが、実例をもってその危険性を指摘させていただくことにする。
 先ずは、度を越したお喋りの例から話そう。最近のことだが、中年女性二人が乗った車に出合った。二人がかなり賑やかにお喋りをしていることは座席で殆ど遮られた二人の様子からでも直ぐに分かった。小母ちゃんたちは話に熱が入ってくると、空を叩くように手を振る動作や笑うときには口を覆うような動作を盛んにし始める。私の前を行く車の二人もそんな状態であることがはっきりと見て取れたのである。しかも、助手席の方の小母ちゃんだけでなく、運転者も左手で空を叩き右手では口を押さえ、「よくまぁステアリングホィールから両手が離れないことよ」と感心するほど激しく手を振っていたからだ。しかも、お互いの顔を見合わせなければ話ができない性質のようで、ピラーからはみ出た二人の横顔が見えている時間の方が長かった。即ち、運転者は前方をよく見ていないということになるのである。
 当然、全体としてはのろのろ運転でありながら、速くなったり遅くなったり右にはみ出たり左に外れたりを繰り返しており、私は少々苛付き始めていた。やや大きな交差点の直前で右折の合図を出したので、「やれやれやっと開放される」と思って通り過ぎようと思ったその刹那、方向指示器が突如として左折に変わったと思ったらその車は私の進路へと入り込んできた。ABSのブレーキでなければ不可能だったと思うが、私は間一髪のところで停車することができた。その車は対向車線の右折車が交差店内に入れず横断歩道上で立ち往生するほど大回りをして左の方向へと去って行った。乗員二人のシルエットは二人が大笑いしていることを私に知らせていた。お喋りに夢中になって進行方向を間違えたことを笑っていたのだろうが、後続車に乗った私がドッと冷や汗をかいていることや対向車線の右折者の運転者が魂消ていることなどまるで気に掛ける様子も無いことに呆れるというよりは恐怖を感じてしまった。あの二人は紙一重で回避された事故が起きてしまっていたとしてもやはり笑い転げたのだろうか。あの小母ちゃんたちの感性は私にとって永遠に解けない謎になりそうある。
 次は度を越した音楽鑑賞の例をあげよう。ある時、信号待ちで停車していると、なんだか地中に杭を打ち込んでいるようなズンズンという振動を感じた。近くで工事でもやっているのだろうと軽く考えたが、次の信号待ちの時も同じ振動を感じたのである。不況にも拘わらず工事現場が多いものだとまだまだ気楽に考えていた。しかし、さすがに三度目ともなると不審に思い始めた。
 まさかとは思ったが、窓を開けてみて驚いた。薄ぼんやりした予想の通り、その振動にぴったり合う音楽が聞こえたからである。なんと、その振動は私の後ろを走っていた車のオーディオ装置から発せられる音楽の一部、具体的にはベースの音だったのだ。あんな大音響に包まれているのだから、運転席で体を揺すっている若い運転者に周囲の音が何一つ聞こえていないことを疑う余地は全くない。聾唖者も健常者同様に車を安全に運転することはできる。だが、健常者の場合は音も安全確認の重要な要素なのである。わざわざ周囲の音を聞こえなくするなんて愚の骨頂である。
 あの大音響は安全運転に支障を来たすのみならず、健康維持にも悪影響がありそうだ。まぁ、その音楽をかけている連中が難聴になったとしてもそれは自業自得で、誰しもが「ざまぁみろ」と思うだろう。それと同時に、誰しもが訳の分からない大きな音なり振動なりを振り撒かれることが傍迷惑なことであることにも賛同するであろう。ひょっとしたら、その若者の聴力は既に低下しているのかもしれない。また、同様に心の感受性もかなり鈍になっているに違いない。
 如何であろうか。私が言う“度を越す”という表現に納得していただけたであろうか。これほどひどくはなくても、注意力や集中力を殺ぐようなことを運転中に行うことは犯罪に等しい。交通事故を起こしてもちっともおかしくないからである。だからと言って、私は何でも彼でも取締りの対象にせよと主張しているのではない。警察による取締りだけで交通マナーが向上するとは思っていないのだ。

 いとも容易く交通ルールが無視されている理由を皮肉を込めて纏めると、以下に述べる三つに集約できると考える。これらを解決しなければ、いくら取り締まりを強化しても交通マナーの向上は望めないと考えているのである。一つ目は、多くの運転者が交通ルールをしっかりと覚えていないということだろう。最近ではほぼ全ての運転免許取得者がドライバーズスクールの出身者である。懇切丁寧に交通ルールと運転技術を学んだ筈である。にも拘わらずそれを忘れているとすれば、悲しむべきことに、世の中には記憶力が劣るお馬鹿ちゃんが無数に存在すると考えなければならない。私が言っているのは傍若無人なお馬鹿ちゃんのことだけではない。残念なことに、非常に慎み深いお馬鹿ちゃんもいるのだ。
 例えば、マナー優良なドライバーでも、交差点での優先順位を忘れている人は極めて多いように思う。先方に優先権があるため待っているのに一向に発進しないドライバーに出会うと苛々する。天地が引っ繰り返っても相手に譲ると決めているかのように動かないのだ。そんな場合は、根負けして遂に先に発進するのだが、気分は好くない。第三の車が現れたら混乱は激しくなり事故が起こってしまうかもしれないのだ。「譲ればいいということでもないだろうに」と愚痴をこぼしながら走ることになってしまう。「残念なことに、非常に慎み深いお馬鹿ちゃんもいるのだ」と言ったのはこんな事例に度々遭遇するからである。
 次に考えられるのは、端からルールを軽視していて覚える意思も守る意思もないということである。方向指示の合図を出さずに右左折したり車線変更をする運転者には無数に遭遇する。黄色い車線分離線を平気で超えてくる不届き者にひやりとすることも稀ではない。こういう連中はルールを知らないと考えるよりはルールを無視していると考える方が自然であろう。何故なら、それらの行為はルールがあろうがなかろうが危険な行為だからである。ルールとして定められていなくても、自衛のためにもそんなことはしないのが普通だという行為なのだ。
 最後に、他人のことを慮るという社会人として当然の姿勢に欠けているということが指摘できるであろう。“自転車を追い抜くときには75cm以上の間隔がなければならない”なんてルールを作らなければならないこと自体が馬鹿馬鹿しい限りである。自転車での走行が不安定なものだということは言わずと知れたことである。75cm離れていればいいという問題ではない。距離に関わらず、狭い道路で軽車輌を追い抜く時には誰だって速度を落とす。時によっては徐行しなければならないことだってある。もし、猛スピードで自転車を追い抜けば、たとえ75cm離れていても、物理的に自転車は車に吸い寄せられてしまうに違いない。そんな物理学の知識がなくても、自転車に乗っている人が如何に不安に苛まれつつ車道を走っているかを考えれば自然に右足はブレーキペダルを踏むに違いない。そんな極めて自然な感覚が人の心から消え去りつつあるのではないだろうか。
 ここに掲げた三つの“いとも容易く交通ルールが無視されている理由”が的を得ているかどうかは定かではない。だが、待ち伏せによる速度違反と一旦停止違反の摘発に血道を上げるよりはもっと効果的な対処法がありそうだとは思う。どんなお馬鹿ちゃんでも覚えられるよう、ルールを簡素に体系化することはそれほど困難なことではない。当局は、反則金や罰金を徴収することにのみ熱心にならず、もっと細かなマナー違反を緻密に指摘し注意していく姿勢を持てないものだろうか。
 最近になって実証されつつあることだが、重大犯罪を抑止するには重大犯罪をのみ取り締まるより軽犯罪を徹底的に取り締まることの方が有効なのである。昔から「嘘は泥棒の始まり」と言うが、これはある意味において真理を衝いている。犯罪はエスカレートしていくものなのである。無視が嫌がらせに、嫌がらせが虐めに、虐めが名誉毀損や強請に、強請が傷害に、傷害が殺人にと、犯罪者自信が自覚することなく同じ軽い気持ちでより重大な犯罪を簡単に犯すようになっていくのだ。犯罪者の資質を持った人物でも、周りが軽微な犯罪すら起こらない環境であれば、犯罪者としてのかカミングアウトあるいはステップアップの機会を失してしまうということになるであろう。
 運転マナー、運転ルールについても然りだと考える。たとえ反則金を取れなくても、軽微なマナー違反をこそしつこく追及してみてはどうだろうか。当局の方々はそうは思っていないようだが、無謀運転は激減すると確信している。それと同時に、道路交通法が及ばない場所(例えば駐車場のような場所のことだが)ではその管理者が積極的にマナー向上に取り組むべきだとも思う。折角、障害者用の駐車スペースが出入り口近辺に設けられていても、対象外の車がそれを占拠していたのでは何の意味もないのだ。駐車場の管理者はそのような不心得者を放置せず厳重に抗議すべきである。
 駐車場などではキープレフトの原則や方向指示器での合図は完全に無視されている。公道上でなくても安全確保のために必要なルールは守らなければならないのだ。警官に取締りの権限がないのなら、施設の管理者に権限を与えればいい。法律など簡単に作り変えることができるでえはないか。消費税率はあっと言う間に3%から5%になってしまった。次は一気に二桁になりそうな雰囲気だ。公共施設であれ民間の施設であれ施設管理者に取締りの権限を与えることは容易なことだろうに。それより、道路交通法の提要範囲を広げる方が簡単なのならそれでもいいが・・・

 「偉そうなことを言うお前さんの運転はどうなんだい?」と訊かれると多少勢いが殺がれる。私も31年間で反則金を4度納付した。時速5kmでの走行中だったが人身事故も1度だけだが起こしたことがある。無事故無違反の聖人君子ではないからだ。だが、身の毛も弥立つような事態の原因にはなっていないと確信している。ともあれ、日常的に上で述べたような危険に曝されていながら今なお生き永らえていることを不思議に思ったり、自らの幸運に感謝したりしないでいい状況の到来を心から願っている。

(2003年9月25日)


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思い掛けない試食販売に出くわして

 私が住んでいる地域は、片田舎というほどではないが間違いなく田舎で、絶対に都会ではないし都市部でもない。当然、買い物にもサンダル履きでふらっと商店街に出かけるというわけにはいかない。買うべきものによって、東西南北あらゆる方向に散らばって点在する大型店舗へと車を走らせなければならないのだ。勿論のこと、ちょいとばかり気が利いていて洒落たものを地元で手に入れようなどとは夢にも考えてはいけない。そういった物は日本が誇る高速鉄道でも約1時間はかかる大都会へと赴かなければ調達できないのである。
 そんな地域でも、大型店舗ではデパ地下でよく見かける試食販売にはちょくちょく出くわす。とは言え、それに携わっているのはエプロン姿のおばちゃんか白衣姿のおっさんと相場は決まっていた。それもかなりの年配者というのが定番であった。勘のいい人には説明するまでもないことだが、ここで“決まっていた”あるいは“定番であった”と過去形で表現したということは、現在では必ずしもそうではないということを言い表しているのである。
 二月ほど前のことだが、とあるスーパーマーケットで、なんとなんと、うら若き白人女性二人が手に丸盆を載せて通り掛かりの買い物客に盛んに声を掛けていたのである。前代未聞、天変地異かはたまた神の悪戯か、それともただの間違えか・・・私は必死で考えたがその答えを特定することは遂にできなかった。だが、折角の機会だからゆっくり見物させていただくことにした。いやいや、そうではありませんぞ。私が観察したのは二人の白人女性ではなく、声を掛けられた方の私が田舎と評した地域の住人たちの方なのですぞ。お間違えの無いよう願いたい。これは本当のところであって、何よりの証拠として、私はその白人女性の服装はおろか何を売っていたのかもしっかりとは覚えてはいないのである。確か・・・白いブラウスに紅いロングスカート姿ではなかったかと薄っすら覚えている程度なのだ。
 さて、早速ながら私の観察対象の行動について報告しよう。と言っても、報告は極めて簡単に終わってしまう。殆んどの人たちがその外国人を無視するかあるいは積極的に避けて行ったのである。ごく少数の人は爪楊枝で串刺しにされた試食品を受け取ったが、言葉を発した人は皆無であった。言うまでもなく、日がな一日そこに突っ立っていたわけではないので、白人女性と言葉を交わした者が本当にいなかったのかどうかは分からない。しかし、短時間の観察からでもはっきりと言えるのは、エプロン姿のおばちゃんや白衣姿のおっさんに対する態度とは全く異なる態度を殆んどの買い物客がとっていたということである。
 あれでは折角のイベントが台無しである。私はその二人の白人女性とお店の支配人と試食品を作っている会社の人たちとその他の関係者の全てに同情した。それと同時に、「日本人ってまだまだ国際社会には馴染めないのかなぁ」と少々物悲しくも感じたのであった。その昔、私は時々アメリカ本土に行かなければならなかった。そんな折には、必ずレンタカーを借りて日本人など居そうにない処へと出掛けたものであった。すると、土地の人からしばしば声を掛けられた。時には道を訊ねられたことさえあったのである。私は外国人旅行者でこの辺りのことは知らないと答えると、表現方法は異なるものの、必ず「あんたアメリカ人じゃなかったの?」と言われた。「こんな下手な英語を喋るアメリカ人はいないでしょう?」と応えると、「あら、スペイン語しか話せないアメリカ人は沢山いますよ」と言われてしまう。多くのアメリカ人は、言葉が通じようが通じまいが、必要があれば誰にでも平気で話し掛けてくるのだ。

 私には父の仕事の関係で小学生の頃から外国人(と言っても殆んどがアメリカ人だったが)との交流の機会があった。今になって思えば、1950年代としては極めて珍しいことだった。当然のこと、当時は英語など聞いても理解できなかったし喋ることもできなかった。それでも意思の疎通が可能であったことをはっきりと記憶している。
 外国人一家と初めて顔を合わせた時の父のアドバイスは「黙っていないで、何でも日本語で言えばいい」ということだった。はにかみ屋の私は最初のうちは借りてきた猫のように静かにしていたが、同年輩の向こうの子供たちが英語で話しかけてきてはキャッキャと騒いでいるのに乗せられて、いつしか日本語で大騒ぎながら遊び始めていた。鬼ごっこも隠れん坊も微妙にルールが違うのに、そんなことに戸惑うことなく遊び興じていた。父は正しかった。小難しい政治や商取引の話をしているわけではない。言葉など理解できなくても、楽しく遊び興じることは実に簡単なことであったのだ。
 長じて大人となった今にして思うに、人と人との関わりにおいて最も大切なことは表面的な意思の疎通ではない。隣に住んでいるだけというどうでもいい小母ちゃんと顔を合わせる機会は少なくないが、意思の疎通を必要としたことはただの一度もない。お互いに日本語を母語としていながら、その日本語を駆使しなければならない状況に置かれたことなどないのである。無理やり天気の話をして愛想を振り撒いているだけに過ぎない。「それは近所付合いを全てカミさんに押し付けているからだろう」ですと? 確かにその通りではある。ではあるが、ここで言いたいのは、そんな低次元の問題ではないのだ。
 私は既に亡くなった父とその生前に殆んど話らしい話をしたことがない。彼が忙しく働いていて滅多に家に居なかったこともその一因ではある。だが、決してそれだけが理由ではない。彼がたまたま家に居るときなどは一緒に散歩に出掛けたこともあるのだ。そんな折に道路工事や建築現場に通り掛ると、父は一時間でも二時間でもその様子を観察していたものだった。当然、私もそれに付き合うことになる。でも、私はちっとも退屈しなかった。時折、父は無言のまま「あれを見てみろ」と言うかのように工事現場のある箇所を指差したものだった。私にはそれで充分だった。彼が何に興味を持って見続けていたのかその訳が直ぐに理解できたし、そのことは私にとっても興味深いことだったからである。
 言葉など不要な世界がある。意思の疎通とは言葉をくどくどしく交わすことではない。相手の心を理解することなのである。言葉や風習の違いを超えたホモ・サピエンスに共通の感性さえあれば怖いものはない。基礎的な心の交流はどんな場合であっても可能なのだ。むしろ言葉に頼ろうとした時にこそ大きな落とし穴が待っているのかもしれないと思う。
 かなり以前のことだが、現在ではあのイチロウのお蔭で親しみ深いシアトル近郊のタコマ空港で面白い経験をした。自分の荷物がキャラセルに載って現れるのを待っていたのだが、待てど暮らせどスーツケースが出て来ないのだ。困っていると、“May I help you?”という声が聞こえた。振り返ると、明らかに日本人と思しき女性がにこやかに立っていた。服装から空港の職員だと分かる。しかも、胸にバッジを着けている。“私は***語が話せます」というバッジである。私は短絡的に彼女は日本語ができると思い込んでしまった。すると、私の口から発せられる言葉は全て日本語になってしまったのだ。機内アナウンスやフライトアテンダントとの遣り取り、それに続いての空港での入国手続きなどで英語で発想することに切り替えられ始めていた私の脳が、一瞬にして完璧に日本語モードに逆戻りしてしまったということである。
 既にお分かりだと思うが、結果は落語の世界のように滑稽なものであった。彼女は私の訴えを困り切った顔付きで聞き、私は「この人は何のために私に声を掛けたのだろうか」と訝っていた。暫くの間、私は日本語でまた彼女は英語で、トンチンカンな遣り取りを続けた後に私ははっと気付いたのだった。彼女の胸のバッジには漢字ばかりが書き連ねられており、その文字列は「私は中国語が話せる」と読み取れたのである。私は慌てて事情を拙い英語で説明した。彼女はにっこり笑って、“Oh, you can speak in English. But I should show you this.”と言うと、持っていた厚紙でできた冊子の1ページを開いて私に見せた。そこには、日本語で「貴方の荷物はどんな形ですか? 下の絵から選んで指し示してください。」と書かれていた。

 言葉というのは実に奇妙なものである。タコマでの出来事とは全く異なるが、やはり言葉が絡んだ冗談みたいな出来事にも遭遇したことがある。冗談みたいとは言ったが、一歩間違えば事件に巻き込まれていたかもしれない危ない出来事でもあった。アメリカ中西部のとある地方都市でのことである。地方都市とはいってもその地域の郡都なのでさほど小さな町ではなかった。その地域の詳しい地図が欲しかったのだが、生憎ホテルの売店には私の要望通りのものがなかった。それで、ネクタイを着用したスーツ姿のままで外に出て行ったのだが、手近な本屋にもこれならと思える地図はなかった。他に地図を扱っていそうな店はないかとうろついているうちに、土地の人から「あそこは危険だよ」と注意されていた地域に入り込んでいることに気付いた。が、その時は既に遅かった。大男の黒人がすっと現れて、私に寄り添うように歩きながら「金がなくて困っている」というようなことをぼそぼそと喋り始めたのだ。
 私は立ち止まることなく安全そうな方向へと歩きながら、先ずは、日本語で「悪いが英語がまるっきり出来ないもので、君の言っていることが分からないんだ」と何度か繰り返した。相手は明らかに私が日本語しか話さないことに戸惑っていた。これで大分安全な地域に近づくことができたのだが、そのうちその大男は単純な言葉しか喋らなくなってきた。“Money. Money. You know?”といったことを繰り返し始めたのである。いよいよヤバくなってはきたものの、安全な通りまではもう少し距離がある。私は一か八かの賭けにでた。少し大きめの声で一言“Sorry, but I cannot understand English at all.”と言った。勿論、少しでも外国人らしく見せるために英国風の発音を心掛けた。それを聞いた大男はスタスタ歩き続ける私に付いて来る意思をなくしたらしく、黙って立ち止まってしまった。私には英語が理解できないという私の説明に納得したのだと私は思った。但し、それは極めて短時間のことで、直ぐに、英語の出来ない者が英語でそれを説明できる訳がないことに気付いたとも思うのだが・・・
 そんな馬鹿なと仰る向きもおられることだろう。だが、人間の納得などいい加減なものだ。ずっと耳慣れない外国語を聞かされた挙句に、英語で「英語が分からない」と言われれば「そうだったんだ」と納得することだって有り得ると私は思う。何故なら、自分自身にもそれに等しい経験があるからだ。後から考え直してみれば内実のない空疎な言葉で感覚的に納得させられて議論を打ち切ってしまったことは一度や二度ではない。冷静に考えれば「そんな馬鹿な」と思うようなことをちっとも不思議に感じないことは珍しいことではないと思うのだ。
 逆の現象だが、もっと身近な観察としては、何かの事故で電車が動かなくなったとき、充分に状況説明を受けたにも拘わらず駅員に食って掛かっている人がある。文句を言っても電車は動かないのである。理性はそれを受け入れても、駅員の説明には感情的に納得できないのであろう。ただ単に自分の逆立った感情を慰撫するためだけに文句を言っているとしか考えられない。駅員の困惑にも思いは至らないに違いない。付随的な感想だが、そんな利益が全く無い文句を感情に任せて言う人は、特に容易く屁理屈に丸め込まれることだろうと推察している。
 納得というのは結果的に“言葉による意思の疎通”の結果であることが多く、従って、言葉のすれ違いで漫画みたいな滑稽なことが起きるように、納得にも(また、納得しないことにも)冗談のように奇妙なことが起こり得るのだと言える。だから、英語で「英語が分からない」と言われて納得することだってさほど奇妙なことではないと考える次第である。

 「意思の疎通とは言葉をくどくどしく交わすことではない。相手の心を理解することなのである。言葉や風習の違いを超えたホモ・サピエンスに共通の感性さえあれば怖いものはない」と先ほど述べた。そう言ってしまうと簡単に問題が片付いてしまいそうだが、どっこいそうは問屋が卸してくれそうにない。お互いに“ホモ・サピエンスに共通の感性”を持っているのだという確信がなければ、ホモ・サピエンス同士であっても相手の心を理解しようとする姿勢を持つことができないからである。
 先ずは、お互いにホモ・サピエンスであることを認識しなければ事は始まらない。そんなことは今更確認する必要などないと叱られそうだが、本当にそうだろうか。全ての人が地球上の人類は生物学的に単一の“種”なのだとはっきりと認識しているのだろうか。私は疑問に思っているのだ。例えば、生物学的には全く意味のない“人種”という表現が未だに使われている。こんな不用意な言葉が普通に使われることによって、人種はそれぞれ別の種類の生物なのだと思っている人も少なくはない筈だ。「そんな人は特殊な存在で、殆どの人たちは人種とは人間の身体的な特徴によるただの分類に過ぎないことを知っている」との反論もあるだろう。だが、私はただの分類だとしても大きな問題があるように思うのである。
 例えば、金魚はその姿形や色や模様によって様々に分類され、その分類されたグループにはそれぞれ名称がつけられている。しかし、それだけでは終わらない。それぞれのグループ間に価値の差、即ち値段の違いがあるのだ。ストレートに表現すれば、“品種”によって価値が異なるということである。食用の飼育動物も全く同じである。金魚や犬それに牛や豚などの場合は愛玩、観賞あるいは食用生物だからそんなランク付けも大きな問題にはならないが、人間の場合はそうはいかない。コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド、オーストラロイド、カポイドといった“ただの分類”に優劣をつけたがる人たちは驚くほど多いのである。いつまで経っても “人種差別”がなくならないことがその事実を如実に示している。そんな差別主義者は劣った人種と自分たち優れた人種が同一生物種であることを認めることには頑強に抵抗する。たとえ生物学的に証明されていることであっても感情的にその事実を否定するのである。端的に言うなら、“人種”とは“人間の品種”を表す言葉として使用されているのである。
 その他にも人間同士が差別意識を持ち諍いを起こすタネは多い。ある国と別の国、ある民族と他の民族、ある宗教と異質な宗教、合理的理由のない階層間のいがみ合いなど数え上げれば切りがない。それらのタネを根絶しなければ、お互いに“ホモ・サピエンスに共通の感性”を持っているのだという確信を持つことなどできっこない。全てを一気に片付けることは無理だろうが、一つずつ地道にやっつけていけばいずれは人間同士が差別意識を持ち諍いを起こすことなどなくなるに違いない。
 国や宗教の問題は一朝一夕には片付きそうにないが、先ほど槍玉に挙げた“人種”という言葉を撲滅するのは簡単だと思うのだが、如何だろうか。最近は“差別用語”だとか“放送禁止用語”というのが矢鱈に増えて日本語の語彙が激減したようにすら感じられる。そんな状況なのだから、“人種”という言葉の一つぐらい抹殺しても不便はないと思うのだがどんなものであろうか。私はこの言葉の弊害は看過できない程に大きいと思っている。これをやっつけるだけでも人の意識は大きく変わると信じているのだ。

 白人女性二人による試食販売の話からやけに小難しい話になってしまった。小難しい話はこの辺で打ち切り、試食販売のその後について報告しておこう。あれ以来、真に残念なことながら魅力的な外国人女性による試食販売には一度も出くわさない。一度だけ、チマ・チョゴリ姿の女性が矢鱈めったら辛い物を売っていたが、その人は日本人であった。この田舎町で、外国人試食販売員を買い物客が取り囲み日本語と外国語が飛び交う光景を目にするのは一体いつのことになるのだろうか。スーパーマーケットへ行く度に、淡い期待を抱きつつ試食販売員が陣取っていそうなコーナーを覗いて廻るのが癖になってしまったこの頃である。

(2003年9月15日)


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スーパーマーケットの暇人、暇にまかせて物申す

 年寄りのアッシー君として毎週スーパーマーケットに行っている。ところが、私には買うべきものが何にもないので暇を持て余して困ってしまう。 「年寄りの買い物を手伝ってやればいいじゃないか」と仰る向きもあるだろう。ところが、年寄りの買い物にうっかり関与すると、とんでもない不幸に見舞われることがあるのだ。誤解を招かないようにはっきりと言っておくが、全てのお年寄りについてそうだと言っているのではない。私がアッシー君を勤める私の身内のある年寄りに限ってのことだと理解していただきたい。
 何と言っても、最も困るのは訊かれても返答できない質問が多過ぎることである。複数ある似たり寄ったりの商品の内でどれが最良なのか訊ねられると、先ずは商品表示から判断材料として明確な事項について解説することになる。主材料の産地、添加物の有無あるいは添加物の種類、賞味期限あるいは品質保持期限、冷蔵物か解凍物か、エト・セテラ、エト・セテラ。おまけに、表示を解釈するときの注意事項まで毎回説明しなければならない。
 すると、そういった私の労力には全く関心を払わずに、次に必ず「どれか選んでおくれ」とくる。真面目に最も安全で本物に近いものを選び出すと、「これは美味しいのか」と二の太刀が襲ってくる。そんなこと知るか。自分では食べたことがないのだ、美味しいか不味いか訊ねられても返事が出来る訳がないだろう。そう言いたいところをグッと我慢して、最初の内は「判断材料を総合的に分析した結果としてこれを推奨する」とか何とか言っていた。しかし、何度か学習を重ねた結果、「それは食べてみなければ分からない」と答えるようになった。どんな学習かというと、「この間お前が買ったあれは不味かった」という文句をしばしば聞かされるということである。
 自分で選べなかったくせに文句を言うとは言語道断である。そうではあるが、そんなことを言っても通じる相手ではない。しかも、学習の結果「それは食べてみなければ分からない」と答えるようになると、「お前は優しくない」とくる。何や彼や理由をでっち上げて、そそくさと遠く離れた売り場に逃げて行く私を非難できますかな? この自己防衛行動には根拠があると信じている私に喧嘩を売る気なら喜んで受けて立ちますよ。私を非難できる人なんか絶対に居ない、と私は断言する。だから、私は確信に満ちたこの胸を張って、すたこらさっさと遠く離れた売り場へと逃げて行くのだ。

 ということで、暇を持て余した私に出来ることといったら、事細かに商品の表示を見て廻ることぐらいなのである。その商品表示を見ていると、実に様々な疑問にぶつかる。単純なところでは、そろそろ統一しようという声が聞こえてくるのになかなかそれが実現しない例の“日付”である。あるものは“品質保持期限”で他のものは“賞味期限”と表示してある。字面から誤解して異なる意味合いだと思っている人がいるようだが、実際には意味の違いなどない。食品衛生法やJAS法などという所轄官庁が異なる法律が同じようなことをてんでに決めるからややこしくなっているだけなのだ。さっさと明日にでも一本化して欲しいものである。それとも、お役所を“厚生労働農林水産省”に統一しなければ駄目なのであろうか。
 ことのついでに“日付”についてもう一つ苦情を言いたい。今は製造日を表示しなくてもいいのだが、昔のように製造日表示を製造者の義務として復活させてもらえないものだろうか。“品質保持期限”あるいは“賞味期限”をどのように設定するかについて法では定められていない。飽くまで製造者の判断に任されているのだ。微生物学的検査、物理化学的検査及び官能検査を経時的に行って初めて品質がどれほど維持できるか確認できる。且つ、その確認作業を定期的に行わなければ自信を持って品質の保持期限を設定することはできない筈だ。そんな大変な作業を大手はともかく、中小あるいは零細企業の全てが行っているとは考えられない。それに、あらゆる食品には“食べ頃”というものがある。白カビチーズのようにちょいと押さえてみると熟成の程度が分かるというものはむしろ少ない。製造日からどのくらい時間が経っているかが大きな判断材料になる。そんな大事な製造年月日を表示しなくて良いとした法改正には大きな疑問を感じるのである。
 勿論、食品の表示には昔に比べて良くなってきている部分も多い。最近はチーズの表示も進化した。“ナチュラルチーズ”と“プロセスチーズ”もきっちりと区別してある(尤も、スーパーマーケットでナチュラルチーズが買えるようになったこと自体が最近のことではあるが。)だが、両者の概念の違いを明確に理解している主婦がどれほどいるのだろうかと心配になる。表示すればいいというものでもなかろうと思うのだ。意味を分かってもらえないことを表示しても何の役にも立たない。食品添加物についても然りである。食品の原材料の項目に目を通すと、“品質改良材”、“製造用剤”、“品質保持材”、“安定剤”、“pH調整剤”、“増粘多糖類”等々、実に多種多様な添加物が用いられている。表示してあるそれら全ての添加物の本態や使用目的を間違いなく理解できる人が本当にいるのだろうか。勿論、食品工業に関係した人なら知っているであろう。というより、知っていなければおかしい。だが、その他の“一般人”がそんなことを知っているとは思えない。
 知らないのは食の安全に対する意識が低いからだという意見もあるだろう。しかし、私は敢えてその意見に反対する。問題点は異なるが、最近面白い(“面白い”などと茶化すと顰蹙を買うかもしれないが・・・)事件があった。食の安全や消費者問題全般について先進的といわれている団体が高級地鶏と偽ったそこらのブロイラーを売り付けられていたという事件である。言うまでもなく、詐欺を働いた納入団体が悪いのだが、食にうるさい筈の団体がそれに気付かなかったという事実にも注目したいのである。
 納入される度にバイヤーがチェック出来る訳はない。しかし、納入時の検収は常識だし、それがお座なりでも、消費者の手に渡るまでには必ずその商品を扱い慣れた担当者によって取り扱われる筈だ。その担当者の目は節穴だったのだろうか。更に、それと指定して購入した消費者自身も気付かないなんて信じられない。売る側も買う側も食への関心が高いとはとても言えないと非難されても反論できないだろう。私も料理にはうるさい方だ。食材を見て調理法を変えるのは当然のことだと思っている。言葉を変えれば、食材の見極めができなければ旨いものは作れないし、その当然の帰結として旨いものを食べることはできないのだ。銘柄や宣伝文句ではない。食材その物を手に取ってみての判断こそが大事なのである。
 食材の見極めもできないで、あるいは納入業者の言葉を鵜呑みで信じてしまう態度で本当に食の安全が保てるとはとても思えない。とは言え、彼らの食の安全に対する思い入れだけは偽物ではないと信じたい。この事件は即ち、たとえ食に対する意識が高い人たちでも世間に流通している食品を正確に評価することができないということを示していると言うべきなのだ。そんな程度の消費者に対して、現在の食品の表示はこと細かそうでありながら実のところは極めて不親切なものだと言わざるを得ない。

 話は変わるが、日本でBSE(所謂、狂牛病)の発症例が確認されたときには国民挙って大騒ぎに加わった。だが、食品業界が巻き込まれた影の大騒ぎについて知っている人はそう多くないだろう。厚生労働省が、食品加工業者等に対して(勿論、業界団体を通じてであるが)、牛由来の原材料を使用している製品については全て保健所に届け出るよう通達を出したのだ。さぁ大変だ。食品業者は大慌てである。慌てただけではなく大いに困ってしまった。牛肉、牛脂、牛乳を使ったものなら事は簡単である。しかし、先ほども少し触れたが、加工食品にはとんでもなく多くの食品や食品添加物が用いられている。それらの中には牛由来のものが多くある。また、単なる化学物質だと思われているものにも牛由来の原材料を用いたものがある。対象になるのかどうか判断に苦しむ原材料が沢山あるのである。
 例をいくつか示そう。ゼラチンはゼリーの凝固剤としてのみ用いられているのではない(量産品のゼリーの多くは皮肉にもゼラチンではなく多糖類とガム類を配合した凝固剤を用いている。即ち、ゼリーではなく柔らかい寒天風のものなのである。) スーパーマーケットの暇人ことこの私が目にしたところでは、ゼラチンはヨーグルトの“安定剤”としても用いられている。嘘みたいにきっちり固まっているヨーグルトにはゼラチンあるいはその他の凝固剤が使われているのだ。ゼラチンとはコラーゲンの誘導蛋白質である。従って、その原料は多岐に渡っている。馬? 豚? 牛? 食品加工業者は原材料納入業者に問い合わせ、原材料納入業者は製造業者に問い合わせ、大混乱の末に一喜一憂の調査結果がもたらされたのであった。 「当社のゼラチンは豚皮のみを原料にしております。」 「弊社のゼラチンは牛を使用しておりますが、特に危険な中枢神経系、眼、骨髄は混入しておりません。しかも、長時間に及ぶ石灰処理によりBSEの原因物質である異常プリオンは完全に除去されております。」 この騒ぎのお蔭で、安定剤あるいは凝固剤をゼラチンから他の物質に変えた業者が多数あったらしい。ますます偽物のゼリーが増えたというである。
 ゼラチンなどは序の口で、食品添加物にはまだまだ困った物質が沢山ある。殆どの食品には香料が用いられているが、そのまた殆んどの香料にはエチルアルコールとグリセリンが多量に含まれている。そのグリセリンが曲者だったのだ。グリセリンの三つの水酸基に脂肪酸がエステル結合したものを中性脂肪という。動物性か植物性かを問わず油脂は全てこれである。逆に考えれば、安い油脂を加水分解すれば低コストでグリセリンが得られるということだ。事実、香料に用いられているグリセリンの殆んどはヘット(牛脂)を原料としたものである。そうなると、殆んどの加工食品が保健所への届出対象になってしまう。食品加工業者も香料会社も必死である。それで、どういう経緯かは闇の中だが、香料や乳化剤の原材料は届出対象外ということになった。
 大騒ぎを演出したこの“牛由来食品”の届出が如何様にしてBSE対策に用いられたのか私は知らない。“狂牛病の原因になりえる食品”が消費者に対して公表されたという記憶もないから、少なくとも消費者にとっては何の意味もない調査であったと言えるのではないだろうか。それとも、もしもヒトでBSEが発症したときに備えた疫学的調査資料だったのだろうか。そうだとすると、後手後手に廻り勝ちなお役所仕事も、時には、不必要なほど先走ることがあるということのようだ。

 色んな話を雑多に取り上げたので主題が不明確だと非難されそうだ。そこで、要点を一つ明らかにしておこうと思う。それは、厚生労働省や食品加工業者は消費者のためにあれこれ“努力”をしているらしいのだが、それは本当に消費者の利益に結び付いているのだろうか、もっと別にすべきことはないのだろうかという素朴な疑問の提示である。
 例えば、食品添加物の規格や決め事については“食品添加物公定書”という刊行物に全て収録されている。森永ヒ素ミルク事件をきっかけにして発行されたものである。これを悉に調べれば、小難しい食品添加物の表示も理解できる。だが、庶民と呼ばれる大多数の日本国民はこんな印刷物の存在すら知らない。“品質改良材”、“製造用剤”、“品質保持材”、“安定剤”、“pH調整剤”、“増粘多糖類”などといった食品添加物がどんな役割を果たしているのか、先ずそれを国民に知らしめることこそが肝要なのではないだろうか。そうでなければ、食品についての表示義務だけを定めても何の意味もないように思える。スーパーマーケットで暇つぶしに読み漁る“表示”が空疎な文字の羅列にしか見えないのである。
 動きの遅いお役所は脇に置いておいても、食品製造業者や販売業者は早めに考えを改めても良さそうである。お役人に媚び諂うだけなら、大昔の“悪代官と悪徳商人”の関係と変わりはしない。法で定められた表示さえしておけば文句は言わせないなんて態度はいい加減に止めて欲しいのだ。酸味のある果汁の場合、天然物である限り常に一定の酸度だとは限らない、だから、クエン酸とクエン酸ナトリウムのバッファアクションで人工的に常に一定の酸味にしたいと考える気持ちは分からないでもない。それなら、“pH調整剤”とはそういう目的で添加した化学物質であると明確に解説すべきである。法がそこまで求めてなくてもそうすべきである。何故なら、消費者は食べてみるまで甘いか酸っぱいか分からない果物でも、果物とはそうしたものだと承知の上で買っているのだ。天然物を材料にしているジュースやゼリーがいつでも同じ甘さであり酸っぱさであることの方が不自然なのだから、何故不自然なのかを説明すべきなのである。そういう姿勢が食品業者に定着すれば、食品添加物の意味を多くの庶民が理解するようになり、それらの必要性について考えるようになる筈である。
 一方、食品業者は時流に乗った宣伝になることなら書かなくてもいいようなことを、しかも、いい加減な表現で表示する。最近、“オリゴ糖使用”などと書いてある商品が増えてきた。私も、化学が専門ではないが、自然科学を学んだ者である。“オリゴ糖”という文字を見ると単純に“少糖類”と理解してしまう。蔗糖(普通の砂糖)だって麦芽糖だって乳糖だって“オリゴ糖”ではないか。何をわざわざ大書してあるのかと読んでみると、ビフィズス菌や乳酸菌がそれをエネルギー源として元気になり、その結果、整腸効果が期待できると書いてある。一時期マスコミで騒がれたフラクトオリゴ糖とかイソマルトオリゴ糖とかいったもののことを単純に“オリゴ糖”と表現しているのである。表記は正確にしないと、正しい概念を持った者(しかもマスコミの動きに疎い者という条件を付加すべきかもしれないが)には却って意味が分からなくなるということに全く注意は払われないようなのだ。
 もう一度強調したい。機械的に法に従うのではなく、どんな階層の消費者にとっても意味がはっきりと分かる表示や宣伝文句を表記するよう食品業者は留意すべきである。なまじ法がそれを阻害しているのであれば、そんな法律はさっさと廃止するなり改正するよう強く働きかけなければならない。60年以上前に滅んだ筈の全体主義の時代に染み込んだ“お上の意向には逆らわない”という態度から一刻も早く脱却してもらいたいと切望する次第である。

 次の論点は表示とかいった制度上の問題以前のもっと単純な事柄である。現在の食品が昔ながらの素朴なものに比べて複雑に過ぎるという点が気になるのである。例えば、カスタードプディングというものはカスタード(卵+牛乳+砂糖)をクリームやソースに仕立てるのではなく、型に流し込んで熱凝固させたものである。しかし、外見はカスタードプディングそっくりの“プリン”という大量生産品の表示を見ると、その多くのものは、原材料として卵、牛乳、砂糖、香料のみではなくその他の多種多様な物質が使用されている。極めつけは凝固剤の使用である。カスタードプディングは卵で固めたものである。ゼラチンで固めてあれば“ゼリー”だし寒天やカラゲニンあるいはその他の多糖類で固めれば“寄せ物”と呼ばれるべきものである(勿論、ゼリーも寄せ物の一つである。)少量のカスタードに多くの混ぜ物をして凝固剤で固めた“偽物”を“本物”と同じに扱って良しとする法や規格は絶対に間違っている。
 私が大好きなヨーグルトも然りである。ヨーグルトとは牛乳を乳酸菌あるいはそれに類似した微生物で乳酸発酵させて作る単純素朴なものである。それ以外は絶対にヨーグルトではないのだ。私は声を大にして言いたい。「スケートリンクのように固まったヨーグルトなんか有り得ないのだから、ゼラチン等の凝固剤をいれるな。」「ヨーグルト菌自体がそれぞれ独特の多糖類を作るのだから、ペクチン等の異質な多糖類を入れるな。」「ヨーグルトには乳酸とアセトアルデハイドが醸し出す独特の香りがあるのだから、香料は入れるな。」
 勿論、食品業界が工夫を凝らして商品開発することにけちをつけるつもりはない。だが、プディングでないものはプディングあるいはそれが訛ったプリンとは称さないでもらいたい。たとえ悪法があってそれが許されていても、文化の継承者としての良識をもって別種の食品であると宣言して欲しいのだ。大昔から葛で固めたものなのに“ゴマ豆腐”と呼んでいるものがあるではないかとの反論もあるだろう。その反論にも一理ありと認めるが、かと言って肯ずることはできない。ゴマ豆腐が豆腐の一種ではないことなど誰の眼にも明らかではないか。ゴマの葛寄せが豆腐の形状に作られているからそのように呼ばれているだけだということが、誰にでも容易に理解できるから許されるのである。“本物”と見分けが付かないように作られた“偽物”とは全く異なる事例なのだと言いたい。
  “本物”を消費者が挙って歓迎するかどうかは分からない。長いあいだ“偽物”に慣れ親しんだ舌は最早“本物”を受け付けなくなっているかもしれないからだ。例えば、手作りマヨネーズは生臭くて美味しくないが、量産品のマヨネーズは大好きだという人が多いように思う。確かに、卵黄、植物油、マスタード、塩、胡椒を混ぜて乳化させただけの“本物”はこれがなければ生きていけないというほど旨いものではない。だから、タルタル、チロリエンヌ、レムーランド、ムスクテール、グリヴィッシュ等々のマヨネーズからの派生ソースが多数工夫されたのである。しかし、経験に基づく私見ではあるが、量産品のマヨネーズはお好み焼きには合うが、本物の西洋料理には全く馴染まない。旨味が噛み合わないのだ。大袈裟に表現すると、フランス料理に生醤油をぶっ掛けているような感じなのである。やはり、本物には本物としての存在意義があるのである。日本の量産マヨネーズはそれなりに優れた食品であることは認めよう。だが、私のような厳密主義者(私の造語で、伝統を厳密に守りたがる者のこと)から見ると、あれをマヨネーズとは言い難い。フランス語で気取って“ソース・エムルッショネ・ア・ラ・ジャポネーゼ(日本風乳化ソース)”とでも命名して本場に殴り込みを掛けてみてはどうだろうか。多分、売れないとは思うが・・・

 また話が横道に逸れそうなので、主題について話を進めよう。“表示の改善”と“本物志向”という二つの問題点には大きな関係があると思う。“本物”の原材料は必要最小限の種類に限られるし、食品添加物の類は殆ど必要ない。即ち、原材料表示は極めて簡素にして分かり易くなるはずである。従って、大量生産のために致し方なく添加物を使用する必要が生じたとしても、その添加物について懇切丁寧に解説するだけの余裕が表示スペースにできると期待できる。左様、本物作りを推進することによって法に縛られた紋切り型の表示から脱却する可能性が生まれるかもしれないのである。
 そもそも食品業界には奇妙な思い込みが多数あるように思う。静置しておけばヨーグルトから乳清が分離するのは当然のことである。しかし、ヨーグルトの製造者はこう考える。「消費者は乳清の分離を品質の劣化と考えるであろうから、乳清が分離しないように“安定剤”を加えなければならない」と。そんな馬鹿な話はない。ヨーグルトとはそもそもそういったものであると明示しておけば済むことである。現に、量産品のソース・ビネグレット(油と酢で作る所謂ドレッシング)は陳列棚で分離しており、よく振り混ぜて使用すべし、と表示されている。ヨーグルトについても本物であるプレーンヨーグルトが先ず庶民に浸透していれば、ドレッシングと同じように扱われていたであろう。
 消費者は甘いものを好むという極め付けにも驚く。何でも彼でも甘くしなければ売れないと決めてかかっている。それも異性化液糖に特有の風味が強い。砂糖より安いから使うのだろうが、私のような臍曲がりは“大量生産品の味”という印象が染み付いてしまってとても嫌な風味だと感じる。特に、本来酸っぱい筈のヨーグルトにたっぷり糖分(たとえそれが異性化糖でなくても)を加えてあるのには閉口する。発酵乳には1x107個/ml以上の乳酸菌あるいは酵母がいなければならないと厚生労働省の省令で定めてある。実際には、これぞヨーグルトと言えるほどに発酵を進めると、乳酸菌数は1x108〜109個/mlにも及び、pHは確実に4.5以下になり、乳酸濃度は1%以上(重量/重量)になる。
 そもそもヨーグルトとはかなり酸っぱいものなのだ。それを甘く感じるなんて信じられない。発酵を法令すれすれにまで抑え、更に糖分を多量に添加しているに違いない。加糖ヨーグルトにしたければ消費者自身が自分の好みに合わせられるようにすべきである。プレーンヨーグルトに顆粒糖を添えた製品もあるが、本物のヨーグルトであるプレーンヨーグルト自体がまだまだマイナーな存在なのである。マスコミでヨーグルトの“健康効果”が盛んに取り上げられヨーグルト支持者は確実に増えているが、本物のヨーグルトはまだまだ日本文化には根付いていないと言わざるを得ない。
 今まで論じてきたように、ヨーグルトに限らず“本物”が文化的に根付かない原因の一つが機械的にして妥協的な法律と食品工業界の消極的な姿勢にあることは間違いない。そのお蔭で“偽物”が隆盛の一途を辿り、そのまたお蔭で食品表示が複雑怪奇で訳の分からないものになっているのだ。もうそろそろ、こんな風潮に終止符を打っても良いのではないだろうか。そう考え続けてきた私だが、ささやかながら、その兆候が見え初めたのではないかと思っている。最近、殆ど余分な混ぜ物のないカスタードプディングの量産品を数種見つけて「ほほぅ」と思っていたら、立て続けに新しい銘柄のプレーンヨーグルトと牛乳とヨーグルト菌だけで作った飲むヨーグルトを発見したのだ。
 量産メーカーが“本物”を作るということは、本物志向の消費者が確実に増えているということを示している。メーカーが売れないものを量産する訳がないからである。この方向性がそれこそ“本物”なら、先に述べたように、合理的な表示の実現も夢ではないかもしれない。ここでは取り上げなかった食に纏わる問題は、まだまだうんざりするほど多く残っている。特に、生鮮食品の取り扱いや表示については重大な課題が残されている。そういった問題の全てについて解決の方向性が見つからなければ楽観的にはなれないが、ほんの僅かでも先に進む可能性が見えるのだから悲観的になる必要もないだろう。
 また新たな変化が私の目に飛び込んでくることを楽しみにしつつ、私は年寄りのアッシー君とその年寄りから逃げているスーパーマーケットの暇人であり続けようと思っている。

(2003年9月2日)


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心配性の妄言

      アメリカのSF映画には時折というかしばしばというか巨大企業に支配された世界が登場する。これは私たちが実際の歴史の中で認知している独裁国家や全体主義国家からの安易な発想の結果だろうと想像できる。痛快アクションをでっち上げるには巨大な悪を設定するのが最も早手回しで、独裁者はその格好のモデルに成り得るからである。しかし、ただそれだけのことだと納得できないのが心配性の悪いところだ。私のような心配性の小心者は、何事であれ、これは何か悪い兆候ではないだろうかとついつい考えてしまう。そんな考えは一種の妄想でありそれを書き連ねようとしているこの文章は妄言と評価されることであろう。だが、それを承知の上でキ−ボ−ドを叩くことにする。

 現実に、世界には超巨大企業と呼ぶべきものが存在している。表に名前が出てくるのは傘下の個別の企業名だけでそれぞれが独立しているように見える。だが、実はそれらが一つの企業体に集約されているということが見えなくなっているだけだということもあるのだ。それに、昨今の急激で複雑な企業の再編成の中では大きな企業同士のアライアンスがややこしく絡み合っている。アライアンスと言うのは同盟関係のことを表すが、実は従属関係を隠すための単なる表現として用いられる場合も多い。ブランドは残るが経営の実権は何処かへ行ってしまうのだ。
 第二次世界大戦後の日本では財閥が解体された。自由競争を阻害する独占的な企業活動も禁止された。しかし、いつのまにやら旧財閥以上にばかでかい企業グル−プが出来上がっており、零細企業のみならず中小企業までも生き残れないような状況になっている。確かに独占禁止法は未だにある程度機能しているが、現実問題として律儀に頑張っている中小企業の経営が成り立たないのではその理念は既に消え去ったと言わざるを得ない。
 物事の解釈というのは如何様にも変化し得る。分かり易い例としては、ワイセツの概念の変化がある。私たちが若かったころには考えられないようなヌ−ド写真集が数え切れないほど書店に並んでいる。人々の認識は刻刻変化するのだから当然と言えば当然だ。そういう変化する社会状況に文句をつけるのは時代に取り残された戯け者だと一蹴されることであろう。だが、理解できないことは理解できないし危惧が頭の中を駆け回ることを止めることはできない。
 中小企業がドンドン潰れていき遂には巨大企業だけが残った場合、それは時代の流れなのだから仕方ないと人々は言い始めるだろう。法も独占的な企業活動を禁止している。国は飽くまで自由競争を擁護した。にも拘らず潰れてしまうのは経営者が救いようのない無能力者だったのだ。巨大企業だけとはいえそれらが複数で競争し合っているのだから自由競争の理念は守られている。そんな風な声が私たちの耳に響いてくるように思う。更に、もしも巨大企業がたった二つになったとしても、二つあれば競争はできるのだからこれが現実なら容認すべきではないかという意見が出てくるに違いない。
 心配性の妄想は止まるところを知らない。世界中に巨大企業が二つだけになったとすると、それは行き着くところまで来てしまったということに他ならない。それぞれが世界を二分して共存するか何方かが他者を食うかというのはもはや重大事件ではないのである。これらには何らの差異もないのだから。いずれもが世界中の需要に応じるだけの能力を持っているのである。両者に考え方の違いなどあるはずがない。二つが併存しても一つに合体しても何の違いもありはしない。超巨大企業内部での競争で自由競争の原理は実現されていると見なされるようになるだろう。学生が運動会のクラス対抗競技でも他校との対抗戦でも何方にも熱くなれるようなものである。
 現実の経済界の状況を出発点にしてこんな順序で考えていくと、単一の企業が世界を支配している世界も容易に想像できる。アメリカのSF映画に巨大企業に支配された世界が登場する理由はここにあると思う。アメリカにも私同様の心配性の妄想狂がいても奇怪しくはないではないか。いや、富に関する実権のほとんどを一握りの人々が握っているアメリカなら、私以上の妄想を見る人がいるはずだと思う。

 経済学者が呆れるであろう妄想の次は政治の世界についての心配事である。私たち団塊の世代の親たちはファシズムの中で育った。ファシズムなど私たちには遠い昔の話のように思える。しかし、冷静に見詰めてみるとそうではないことに気付く。父は死んだが母はまだ生きている。彼女と同世代の老人は大勢いる。私たちの周りにはファシズムを経験した人がまだ大勢生き残っているということなのだ。そんな彼らが昔は良かったと言うのを聞くことも稀ではない。昔は公徳心が行き渡っていた。倫理観が確立していて現在のように犯罪者で溢れてはいなかった。そんな風に“昔”を美化しているのである。
 私には“昔”がそんな理想郷だったとは思えない。私には特高警察とそうとは自覚することなくその手先となっている多数の“良民”がうろつく暗い世界としか思えないからだ。だが、ファシズムの成り立ちを考えてみれば、ファシズム体制下で育った人々がその時代を無批判に是認することも理解できる。彼らの多くにはファシズムという概念すらない。私を含めて戦後の教育を受けた者ですら正確にファシズムというものを理解している者は少ないであろう。こんなことを詳しく知っていても実生活の役には立たないからだ。私自身の経験でも、大学での一部の講義を除いてファシズムについて論じるところを見たことはない。最近ではネオ・ファシズムという言葉を聞くこともあるが、これも単純に新興のヒットラ−信奉者の言い分だと理解されているようである。
 既に遠い記憶となってしまった学生時代に得た知識によると、ファシズムのル−ツはイタリアだったと思う。政治的な動きとしてはイタリアに固有のものではなかったが、“ファシズム”という言葉が定着したのはイタリアでの政治運動があってのことだったのだ。イタリア語で“FASCIO”というのは“束”のことだ。更にイタリア語の母語であるラテン語には“FASCES”という言葉があり、古代ロ−マで用いた“儀式用の棒束”のことだと聞いたことがある。その“束”が転じて“団結”を表すようになったらしい。
 第一次世界大戦末期に参戦活動を繰り広げた“革命的参政行動ファッシ”という団体が大本にあった。“ファッシ”というのは“ファッショ”の複数形だ。それをムッソリ−ニが“戦闘ファッショ”に変革し最終的に“国民ファシスト党”を組織した。一九二一年のことであり翌年には政権を掌握している。ヒットラ−が首相になる十一年も前で、日本では大正十一年に当たる。治安維持法の制定が一九二五年だから、日本でもそろそろそれらしくなり始めたころである。
 ファシズムの定義はなんだろう。反政党、反議会、反民主主義、強権的、独裁的、排他的ナショナリズム、侵略的など様々な特性が思い浮かぶがこれがそのまま定義になるのだろうか。しっかり勉強していない私にはよく分からない。ただ、定義より何より、素人の直観としては次の二点の現象が重要であるように思える。その二点とは歴史上明確に認識されたファシズム即ち第一次世界大戦後の資本主義諸国で台頭した思想的・経済的・政治的な全体主義運動の背景の共通点とも言える。
 第一には経済的な困窮である。資本主義が未成熟あるいはその体制が脆弱であった国々でファシズムが持て囃されたことはこのことを如実に物語っている。代表格のイタリア、ドイツ、日本の他ではスペイン、ポルトガル、オ−ストリア、ル−マニア、ユ−ゴスラビア、ハンガリ−、ノルウェ−、スウェ−デン、アルゼンチン、チリ、ブラジルなどなどである。一言でヨ−ロッパと南米の経済的後進国と言える。勿論、一部の経済的先進国にもファシズムの支配が見られたが、それは稀なケ−スであり短命であった。
 二番目は付和雷同の風潮である。ファシストの政権は陰謀や弾圧といった裏技に支えられていたというのが実態ではあるが、それでもなお一般大衆がこぞって支持していたことも事実である。ムッソリ−ニは英雄だったしヒットラ−は救世主だった。当時の映像記録も彼らの宣伝手段であったから鵜呑みにはできない部分もあるが、それらを見ると熱狂的な信奉者が独裁者を支えていたことが分かる。
 付和雷同の心理を理解するのは簡単なことである。それでいいさと安易に尻馬に乗った経験を誰しも持っているであろうからだ。私も例外ではない。自分が中心人物になりたくないとき、投げ遣りになっているとき、面倒臭くてどうでもいいとき、抗し難い眠気に誘われたとき、自分にはアイデアがないが結論を出さなければならないとき、惚れた異性に嫌われたくないとき、恩を着せられてしまったとき、などなど。弱い人間、特に心配性の小心者には少なからず身に覚えがあると思う。
 社会全体が貧困に苛まれている時期には尚更である。市民一人が独自に何をやっても経済は回復しない。国家的な動きに頼るしかないのである。勢い、庶民はそれらしいことを自信たっぷりに言い且つ周りの者が褒める政治家に追随しようとする。八方塞がりの状況では簡単に付和雷同してしまう。やや高い支持率が更に高い支持率を産み最終的には圧倒的な支持を得るのだ。

 私は今、第一次世界大戦後の世界の話をしていた。決して現今の日本の話をしているのではない。だが、なんと状況が似通っていることか。暴動が起こってもおかしくないほどの酷いしかも十年以上の長期に亘る経済不況。アイドル並の嘘みたいに高い支持率で選ばれる為政者。何だ彼だ理屈を捏ねて海外派兵を既成事実にしてしまった為政者とそれに反対する声の余りに小さかったという事実。何も彼もが怖い。
 心配性の小心者には恐ろしい状況なのだ。日本は民主主義国家だから大丈夫、議会制民主主義が守られているから大丈夫。そういう呑気者もいるだろう。だが、あらゆる主義主張が変幻自在であることを忘れてはならない。本来は政党の存在そのものに反対していたファシストたちも自分たちの党を作った。ナチスは殺し屋の集団ではない。“国家社会主義ドイツ労働者党”という政党なのだ。反議会主義のファシズム国家にも議会はあった。統治のために役立つなら気に入らないものでも容認するのだ。勿論、実質的な機能は骨抜きにしてのことではあるが。即ち、形式的には議会制民主主義が守られているように見えてもファシズムに移行させることは可能なのである。
 もっと過激な妄想に走ってみよう。例えば二大政党制を最も進んだ政治制度だと言う者がいる。昨今では日本でもそれを目指す政治家が多くなった。政治家だけでなく政治意識の比較的高い一般大衆の中にも支持者は確実に増えている。だが、私には二大政党制も極めて恐ろしい。お手軽なマ−クシ−ト方式の問題でも二者択一は珍しい。四択かせめて三択である。ましてや複雑な政治方針をたった二つからしか選べないなんて信じられないことである。しかも似たり寄ったりの二つから選べというのだ。私は嫌だ。心配性の小心者である私にはそんな大胆なことはできない。
 先に、世界中に巨大企業が二つだけになったとすると、それは行き着くところまで来てしまったということに他ならないと述べた。経済界の問題として言ったのだが、これは政治の世界にも当てはまるのではないだろうか。二大政党制の二者択一でも選挙民には次の政治方針を自分が選択したように感じる。しかし、実はそうではないように私には思える。明らかな失政は誰でも糺す。政党の問題ではなく、単に細かな政策の問題に過ぎない。政権交代しなくても糺すべきは糺されるのである。極論を述べれば二つの政党は必要ない。一党独裁であっても毛色の変わった政治家がいればいいだけである。
 二大政党制の老舗であるイギリスは第一次世界大戦後の一時期ファシズムが支配していた。すぐに民主主義側に復帰し第二次世界大戦では連合国側の主要メンバ−と成り得た。しかし、私の妄想によればこれには大きな理由がある。先に述べたように、私の妄想では二大政党制は一党独裁と変わりない。ファシズムにとってはゴチャゴチャと沢山の政党がひしめき合っている中で競争するよりも初めから一党独裁の政権を乗っ取った方が楽だからである。イギリスではイタリアやドイツのように共産党との熾烈な争いを繰り広げなくてもよかったのだ。
 話が少し逸れたが、要はファシズムはいろんな変身能力を持っているということを言いたかったのだ。だから、一見議会制民主主義に則っているかのようなファシズムもあり得るに違いない。民主主義の守り神のような仮面を被ったファシズムがあってもおかしくないのである。いや、既に存在しているかもしれない。人を生かすためには社会を維持しなければならない。そのためには人が人を支配しなくてはならない。時には職を奪い人を破滅に追いやり死に至らしめる。社会を維持するためには人が人を裁かなければならない。時には死刑と称して殺してしまう。こんな矛盾を受け入れなければならない社会がどんな凶暴な姿になっても不思議はないからである。

 人は本来的に様々である。そんな人が画一的に人を支配するファシズムに参画すべきではない。自分が中心人物になりたくなくても、やる気を無くして投げ遣りになったとしても、面倒臭くてどうでもいいと思っても、抗し難い眠気に誘われたとしても、結論を出さなければならないときにアイデアを出せなくても、惚れた異性に嫌われたとしても、恩を着せられてしまっても、どんなときであってもファシズムにだけはしてはならない。何者にも付和雷同してはならないのだ。
 経済学者や政治学者に笑われるような私の妄言を信じてくれとは言わない。私はただみんなが心配性の小心者になってくれればいいと思っている。心配性の小心者はいろんなことを考える。あれやこれやとウジウジウジウジ考える。たとえ愚者の妄言であってもいろんな考えや意見が出てくることが肝要なのだ。それこそが民主主義の基盤であり、そんな声が理不尽に圧殺されるかされないかが社会の方向性の重要な指標になるのだから。

(2003年8月23日)


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不勉強者の呟き

   母国語は知らず知らずに覚えたものだから、これについてあまり突き詰めて考えたことはない。勿論、学校では古語も含めて日本語の仕組みや語法を学んだ。しかし、「ふぅん、そうだったんだ」程度のいい加減な学習しかしなかったように思う。私は理科や数学が好きでそれらに関係することには大いに興味をそそられたが、国語や社会については鈍感とも言えるほどに受け身であったのだ。お蔭でこの歳になってから文章についてあれこれ悩まなければならないし、気になる言葉や表現の時流に乗った変化を耳にしてもそれらを的確に評価できずに困っている。
 例えば、最近テレビ番組で「なにげに」と言っているのをよく耳にする。教養がないことを売り物にしているお笑い芸人のみならず民放とはいえ歴としたアナウンサ−までが口にしている。「何気無く」の意味で用いているらしいが背中がむずむずするほど気持ちが悪い。だが同時に、「何気無く」は「どうこういった特別な気持ちを持たずに」ということを文字通りに表現しているが、「なにげに」は「何といって特別な気持ちを持っていない状態にあって」という意味の「何気無しに」の一部を省略したものだと考えれば、それでもまぁいいかと思えなくもない。要するに、気持ちは悪いが明確に「駄目だ」と言うほどの自信がないのである。とても嫌なのに、元々「何気無く」という言葉があるのだから、わざわざ「なにげに」などという紛らわしい言い方を作る必要はないだろう、と消極的にぼやくのが関の山なのだ。こんなジレンマに陥るのならもっと熱心に国語を勉強しておけばよかったと思う。
 しかし、言葉というのは極めて難しいものだ。子供のころに少々勉強したからといって日本語については何でもござれと威張れるものだとも思えない。私の両親は広島生まれの広島育ちで、私自身も育ちは京阪神地域だが広島で生まれた。従って、あっちこっちの方言が入り混じっていて、「動く」のことを「いごく」と発音するし「拾う」は「ひらう」と言う。こんな方言は標準的な日本語から見れば間違いだと言う厳格な学識者もいるだろうし、方言に過ぎないのだから間違えとは言えないというおおらかな見識者もいるであろう。ともあれ、細かいことま気にし始めるとうっかり喋るのが怖くなってしまいそうである。
 では、こんな例はどうだろうか。関西では極普通に聞かれる表現に「八百屋で美味しそうなスイカが売ったぁる」というのがある。「八百屋に美味しそうなスイカが売り物として並んでいる」ということだ。関西育ちの私には何の違和感もないのだが、ちょっと言い回しが変わると事情がすっかり変わってしまう。標準語で言ってみてくれと頼むと、大概の人が「八百屋で美味しそうなスイカが売ってある」とは言わずに「八百屋で美味しそうなスイカが売っている」と言う。そんな風に言われると、「なんやて?」と叫んでしまう。艶やかなスイカが愛想好く「奥さん、安ぅしときまっせ」と客寄せをしている図が頭に浮かんで関西育ちの悪い血が騒ぐ。どうしても「スイカが何を売っとんのや?」と突っ込みたくなるのである。

私は「売ったぁる」に違和感は感じないが、それが文法的に正しいのか正しくないのかは残念ながら議論できない。この件についてどうのこうのと蘊蓄を傾けるだけの文法の知識がないのだ。とは言え、日常的によく耳にする表現の中には、理屈抜きで違和感を感じてしまうものが少なからずある。日本語文法に自信が無いと逃げ腰で言いつつも、私にはどうしても気色が悪くて、裁判所が受け付けてくれるなら訴え出たいと思っているほど嫌な表現があるのだ。視聴者参加番組かなんかで参加者が賞を取ったとき、司会者が「おめでとうございました」と言って舞台から送りだしているのを耳にしたことはないだろうか。また、金星をあげた平幕力士へのインタビューを「おめでとうございました」とぴしゃりと打ち切るレポーターに気付かないだろうか。私が特に気にしている所為かもしれなが、最近この表現が異常に多く使われているように感じられるのだ.
 「おめでとう」あるいはそれを丁寧にした「おめでとうございます」に過去あるいは完了の表現があるとは思えないから背筋がムズムズするのだ。めでたかった過去に言及することは現実にあるだろう。だが、そんな場合でも「その節はおめでとうございました」とは言わない。普通は「その節はおめでたいことでございました」という風に表現すると思う。「おめでとうございます」は飽くまで挨拶言葉である。自分の目の前で喜びに浸っている人に慶賀の意を伝えるための言葉なのだ。そんな言葉を過去表現で伝えるなんて信じられない。過去形だと、あたかも「さっきまではめでたかったが、今はもうどうでもいいや」と突き放しているようにしか感じられないからである。
 日本語で過去あるいは完了を表すには、動詞、形容詞、形容動詞に助動詞をつけることになっている。文語の場合は「き」、「けり」、「つ」、「ぬ」、「たり」、「り」と複数の助動詞があって、過去と完了が使い分けられている。接続も「り」以外は連用形につながるが、「り」は四段活用の命令形あるいはサ行変格活用の未然形に連なる。結構複雑なのである。しかし現代口語は単純明快だ。助動詞は「た」のみだし、どんな動詞、形容詞あるいは形容動詞でも連用形にしか接続しない。従って、文法に弱い私でも「おめでとうございました」は「おめでとうございます」の過去あるいは完了でしかあり得ないと断言できるのである。
 即ち、「おめでとうございました」というのは「おめでとうございます」が既に終わってしまったことだと言っていることになる。しかも「おめでとうございます」というのはそれを口にする主体の気持ちを表現しているのである。だから、「おめでとうございました」は「さっきまではめでたかったが、今はもうどうでもいいや」と言っているとしか考えられないのだ。こんな失礼な挨拶はない。誰だってそう思うのではないだろうか。こういう訳で、国語に対してさほどの見識もない私だがこの表現に対しては文句をつけるのである。
 単純に挨拶言葉に過去あるいは完了が似つかわしくないと言っているのではない。「只今帰りました」とか「御馳走さまでした」とかはちっとも奇怪しくない。帰宅するとか食事をするとかいう動作が完了したことをも表現したいからである。では、「有り難うございました」はどうだろう。有り難いと思う気持ちを伝える言葉であるから、「おめでとうございました」と同じ論法を適用すると、「ついさっきまでは有り難かったんだけどね、今ではそうでもないのさ」と言っているということになってしまう。英語で考えれば納得し易い。たった今のことでも昨日のことでも感謝の意の表現は「サンク・ユウ」であって、挨拶として「サンクト・ユウ」とは絶対に言わない。
 だが、私自身も平気で「有り難うございました」と言っている。例えば、満員電車である人が席を立って「どうぞ」と譲ってくれたとき、私は「有り難うございます」と声を掛けてから座る。電車が自分の降りるべき駅に到着したら、今度は「どうも有り難うございました」と会釈するのである。感謝の気持ちは変わらないのに表現は過去に変化させる。「座っている間は有り難かったんだけどね、席を立った今では感謝の気持ちは薄らぐのさ」なんて言うつもりはさらさらないのに何故か突き放した過去形にしてしまうのだ。これが理屈の上では奇怪しいということもやはり英語の例で考えればよく分かる。ディナ−に招待されてホストの家を訪れたときは“招待”に対して「サンク・ユウ」と言う。また、ホストの家を辞するときにも今度は素晴らしいディナ−と楽しい一時に「サンク・ユウ」と言うのである。この場合も決して「サンクト・ユウ」と過去形は使わない。
 日本語では現在の心情を過去表現で言い表すなどという不合理なことが何故あり得るのか不思議に感じられる。だが、よくよく考えてみるに、これには正当な理由があるように思う。法則性とか論理性とかとは異なった心情的な理由があると思うのである。自分が他人に何か親切を施した場合、いつまでもクドクドと礼を言われるのは気恥ずかしく且つ煩わしい。一つには、そんな感情が親切を受けた側にも働くのだと思われる。無意識のうちに善行の主の煩わしさを軽減したいと願っているのである。また、何か良くない出来事から救われた場合には、そんな良からぬ出来事はさっさと忘れてしまいたい、関係者の記憶から吹き飛ばしてしまいたいと思うに違いない。これが「有り難うございます」に過去形を持ち込理由だと思われる。
 「お疲れさまです」にも「お疲れさまでした」という過去表現を用いることがある。自分が人より先に仕事を切り上げて帰るときには、「お先に帰らせていただきます」に「お疲れさまです」という労いの言葉を付け足す。一方、そんな風に声を掛けられた側も「お疲れさまです」と言葉を返すのだが、これを「お疲れさまでした」と言うことが多くなってきているのである。これも、「有り難うございました」に似た心の動きが働いている。「君の仕事は終わった、仕事のことは忘れて家で寛いでくれ」という労りの気持ちがつい出てしまうのだ。「御馳走さまでした」と同じく単純に作業の完了を表現したいという側面もあるだろうが、やはりもっと積極的に人間的な心理が働くのだと私は考えたい。

 こんなことを考えていると、はたと思い当たることがある。そもそも日本語では“時制”という概念がぼんやりしていると思うのだ。日本人に馴染みの深いラテン系やゲルマン系の言葉には明確に法則化されたな現在、過去、未来を区別する表現がある。世界中の言葉を知っている訳ではないので日本語のように時制が曖昧な言語が他に有るのか無いのかは知らないが、少なくともラテン系やゲルマン系の言語の時制の表現は明確である。
 最も端的な例は未来表現だと思う。動詞、形容詞、形容動詞の未然形に助動詞をつなぐと未来、推量、否定を表すことができるということになっている。しかし、私には日本語に未来を表す助動詞はないように思えるのである。推量には「う」、「よう」、「らしい」があるし、否定には「ない」や「ぬ」がある。否定的な推量には「まい」があるし、未然形に続くことはない比況の「ようだ」や様態の「そうだ」も推量に近い意味合いを醸し出す。だが、はっきりと未来を表す助動詞は見当たらない。推測を表す助動詞は未来に関係することが多いので未来を表現すると説明されるのだろうが、これらの助動詞は純粋に未来を表すとは言えない。「雨が降りそうだ」は未来のことを気にしてはいるが明らかに主題は現在の様子である。「雨が降るようだ」や「雨が降るらしい」は予測には違いないが必ずしも未来の予想とは限らない。「この地域で南風が吹いたら雨が降るようだ」とか「こんな天気図の場合は雨が降るものらしい」という一般的な伝聞や推量を述べているだけかもしれないのだ。
 更に、日本語の未来表現には困惑することがある。「雨が降ったら明日の遠足は中止です」の「降ったら」は「降る」という動詞の連用形に過去あるいは完了の助動詞「た」の仮定形がくっついた表現である。こんな風に分析すると、思わず、明日のことを言っているのに過去表現なのかと驚いてしまう。じっくり考えればこの助動詞「た」は“過去”ではなく“完了”を表しており、「雨が降るという結果に終わってしまったら」という意味だと気付く。しかし、日本語では現在、過去、未来のいずれにも関係する“完了”を表す助動詞が“過去”を表す助動詞と同じなのだということには改めて驚いてしまう。
 日本人は時制の概念が曖昧でも構わないのだろうか。細かく考え始めると夜も眠れなくなりそうだ。遠足の案内プリントに「雨が降ったら明日の遠足は中止です」と単純に書いてあっても、それをどう理解すればいいのか悩む人は現実的には少ないであろう。だが、どの程度の雨のことを言っているのだろうとか、いつ雨が降ったら中止になるのだろうとか細かく考え始めると切りがない。まぁ、常識的に判断すれば大きな混乱はないはずだが、中には変わり者がいるかもしれない。夜中にザンザン降っていても朝になって雨が上がっていればいいのだろうか。出発予定時刻に雨が降っていなければ、川が氾濫しそうになっていても遠足に出掛けるのかね、と意地悪く揚げ足を取る者もいないとは限らないのである。
 遠足の場合はこんな想像も笑い話で済むが、貴重な時間を都合し必死の思いで球場を確保しなければならない草野球の試合などではそうはいかない。当日はかんかん照りでも前夜に大雨が降っていてグラウンドがグッチャグチャになった場合、楽しくプレー出来ないから中止にしようと言う者もいれば、せっかくグラウンドを借りたのだから敢行しようと主張する者がいて大論争が起きかねないからである。尤も、こんな場合は雨が降るか降らないかではなく「グラウンド・コンディションが悪ければ試合は中止です」ということにしておけば事は丸く納まるのだから、これも結局のところは大した問題ではない。
 ちょっと馬鹿げた余談に走ってしまったが、日本語では未来のことだということを主要な述語ではっきりさせなくても困らないということだけは明らかになったと思う。確かに、「明日の」だとか「○月○日の」だとかという説明を付け加えれば未来表現などなくても不自由はない。未来のことで過去を表す助動詞を使っても、それが同時に完了の意味を表すのなら混乱はないのである。しかし、現在と過去の区別はそうでもないようだ。「明日は雨が降ります」は未来表現としておかしくないが、「昨日は雨が降ります」はどう考えても意味を成さない。どうしても「昨日は雨が降りました」と言わなければならないのだ。私が「おめでとうございました」に寒けを感じていながら「有り難うございました」や「お疲れさまでした」にはそれなりの意味合いを感じることができるのも、現在表現と過去表現の差には大きな意味があるからなのであろう。
 日本語では何故未来と過去の扱いに違いがあるのだろう。過去は確定していて全てが明確だが、未来は全てが不確定だからだろうか? 日本人には不明確なことにはさほどの関心を払わなかいという属性が備わっているのだろうか? ホモ・サピエンスは好奇心の強い動物である。この種が地球上に溢れたのはそれが原因だと言っても過言ではないと思う。この事実は多少の人種の違いで変わることはない。好奇心の固まりであるホモ・サピエンスが不確定な未来に興味を示さない訳がない。過ぎ去ってしまっただけの過去を忘れることはあっても、未来のことは引いたクジの結果を待つように目を大きく見開いて注目するだろう。
 多分、日本語表現には情緒的な含みが生まれ易いという特性があるのだと思う。挨拶言葉として「有り難うございました」はあり得ても「サンクト・ユウ」はあり得ないという事実がこの考察を裏付けていると思う。同じ日本語でも「感謝します」と言った場合は別である。「感謝します」は挨拶言葉として成り立つが「感謝しました」では挨拶にならない。先に議論した相手の煩わしさを軽減するために過去表現で突き放すことは「感謝する」という表現では不可能なのである。英語では「サンク・ユウ」でも「アイ・アプリシエイト」でも「アイム・グレイトフル・トゥ・ユウ」でも挨拶言葉として過去形が用いられることはない。この様に考えを進めていくと、日本語表現の中には心情的な意味合いを醸し出すものがあると断言して良さそうである。
 もしそうだとすると、くじ引きの結果を待つようにワクワクしながら見つめている未来のことを機械的な方法で言い表したくはなくなるだろう。未来であることは自ずと分かるのだから、不確定なものを待っている複雑な心情をこそ表現したくなるのである。「雨天中止」や「雨の場合は中止」には感情の動きは含まれていないように思われる。一方、「雨が降ったら中止になってしまいます」なら「残念ながら」という含みを読み取る人も出て来るに違いない。逆に、「雨なら中止ですよ」には雨を待ち望んでいるようなニュアンスを感じることもできなくはない。
 伝達は正確であればいいのであって単純な通知に感情を入れるのは以ての外だとの意見もあるだろう。しかし、私は必ずしもそうは思わない。学校で配るの案内プリントには先生の子供たちへの思いやりの気持ちが込められていて欲しいと思うのだ。伝達は機械的である方がいい場合も多いだろう。だが、少なくとも子供たちには人の心が読み取れる表現を多く使ってやりたいものだと思う。日本語のこういった特性は多くの困った現象も引き起こすだろう。勝手な誤解から不必要な勘繰りや猜疑心を生じさるかもしれない。言いたいことが通じずに話がこじれてしまうこともあるだろう。
 たとえそうであっても、外国からは日本語は曖昧だと非難されても、私はこの日本語の特質を好む。人を小馬鹿にしたような微に入り細をうがつ操作手順書やいかにも非人間的な法律文書より、美しい物語の方が読んで楽しいに決まっている。外国語が無味乾燥な言葉だと言っているのではない。それぞれの言語はそれぞれの特性と歴史の中で美しい表現を磨いてきたのである。日本語もしかりであって、その特性を恥じるべきではないと言いたいのだ。日本人もグロ−バルな感覚を養わなければならないと言われる。その通りだろう。だが、だからと言って日本語の “曖昧な表現”を捨てるべきではない日本語から無批判に曖昧な表現を排斥すると残るのは“穴の開いた表現”のみであろう。想像するに、いくつかのヒントが読めなくなったクロスワードパズルみたいなものになってしまうのではあるまいか。そんな日本語にはあっかんべーをしてやろうと私は思う。本気でそう思うのである。

(2003年8月14日)


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今年もまた新しい8月

   8月になるとどうしても原爆のことを考えてしまう。ウラン235を潜ませてB-29(確か、“エノラ・ゲイ”というニックネームではなかったかと記憶してるが・・・)に積み込まれた“リトル・ボーイ”と2番目だったのでさほど詳しくは紹介されなかったプルトニウム239を飲み込んだ“ファット・マン”。子供の頃に見たこれらモノクロの映像が鮮明に思い出されるのだ。身内に被爆者がいるからということだけではない。大人になった今でもずっと分からずにいる“正義”という言葉の概念について大きな考察材料を提供してくれることもついつい考えてしまう原因の一つだと思っている。
 アメリカ人の知り合いは、「広島と長崎の人々にはこの上も無く不幸なことであったが、あのお蔭で戦争が早く終結し総計としては犠牲者数を減少させることができた。よって、あれは正義の行いであった」と言う。私の知り合いだけのことではなく、未だに多くのアメリカ人はそんな風に考えているようだ。スミソニアン博物館での被爆資料の展示を巡ってのスッタモンダは記憶に新しいが、それはアメリカでは原爆の投下が正当な行為であったと考えられていることを如実に裏付ける出来事であったと思う。

 “正義”という言葉の大本は古代中国のアフォリズムに求められ、字引によると単純に“人が行うべき正しい道”のことだということになっている。しかし、現在普通に用いられている“正義”という言葉は、ラテン語の“JUSTUS”あるいは“JUSTITIA”を語源とする西欧社会で確立した概念の訳語と考えた方がよい。その概念は当然ギリシャ哲学を源としており、古代ギリシャでは“国家内の調和”とか“社会における公平な分配”のことだと考えられていたらしい。即ち、漢語の“正義”には正邪や善悪の概念が直結しているのに対しラテン語の“JUSTUS”は必ずしも正邪、善悪とリンクしなくても良いのである(勿論のこと、現代においては、西欧の“正義”にも“正しい”という要素が組み込まれているが。)
 漢字文化で育った日本人が西欧文化を理解するのにはちょっとした障壁があるが、この“正義”の概念もその例なのかもしれない。“嘘も方便”というが、プラトンの学説を極端に解釈すれば“国家内の調和”を図るためなら嘘をついても正義を行ったことになるのだ。一般的には悪いことなのだが、この場合は嘘も正義になってしまう(政治家に嘘を奨励しているんだなんて解釈している人がいると困ったことだが・・・。)また、奴隷制度を有する社会では、当然のこととして奴隷は“公平な分配”の対象にはならない。現代人にとっては奴隷の存在そのものが邪悪なことだが、アリストテレスにとっては、奴隷がいても、また、奴隷に分け前がなくても正義は実現するのである。
 古代ギリシャでなくても、“正義”に関しては理解に苦しむことが多い。話を原爆に戻して考えてみよう。アメリカ人と違って、殆どの日本人は原爆の投下を正義の行動だとは理解していないだろう。私自身にもあれを正義だとはとても思えない(「そもそも正義がなんたるか分かっていないのだから評価するのはおこがましい」と叱られそうだが、歴史の流れからして、どの角度から評価しても共感できないという意味にご理解いただきたい。) 大多数の日本人の正義と大多数のアメリカ人の正義は完全に異なっているとしか考えられないのである。
 日本人の中だけを見ても然りであろう。未だに太平洋戦争を「正義の戦であった」と公言して憚らない者もいれば、「いやあれは正義に悖る単なる侵略であった」と評価する者とに分裂している。総理大臣が戦争当時の被害国に謝罪してもこの見解の相違は解消しないだろう。誰が何と言おうと各人は自分の正義こそ真の正義だと信じて疑わないのだから。
 アメリカ人にしても似たような現象が認められる。長期に亘ったベトナム戦争も最終段階では多くのアメリカ国民が「この戦は誤りであった」と思うようになってしまった。そうとは知らず、正義の戦いで大きな犠牲を払ってきたと胸を張って帰還してきた兵士の多くが、帰国後の冷たい扱いに精神を病んだと聞き及んでいる。今もイラク戦争を巡って同様の混乱が進行しつつある。ブッシュ政権は飽くまで正義は我が方にあると主張しているが、他国は勿論のこと国内からも疑問を呈する声が大きく聞こえてくる。

 様々な事例を考慮した上で皮肉を込めて概念規定を試みると、“正義”とは特定の価値観や考え方が頑なに自己の正当性を主張する時の“錦の御旗”または“黄門様の印籠”だと言って良いのではないだろうか。勿論、この皮肉半分の暫定的結論は昨今の混乱した世界的社会状況にあってのみ意味があることである。願わくば、何一つ悩むことなく「“正義”とは文字通りの“正義”だよ」と言える社会に、いや世界になることを願って止まない。しかし、正邪、善悪など人の在り様を評価する物差しは星の数ほどもあり、“正義”が文字通りの“正義”に一本化されることはとても期待できない。
 そこで、現在のところ、私はこんな風に考えている。それがたとえ自分一人だけであっても、自分の行動を評価するのに“正義”という概念は用いないでおこうと思っているのだ。核兵器の廃絶に賛成するのはそれが正義だからではない。テロリズムに反対するのも正義感に駆られてのことではない。そんな大袈裟なことではなく、ただ単に人々が不幸になる確率を減らしたいからに過ぎない。ただ単に悲しい思いをしている人を見たくないからに過ぎない。そんな素直な感情の方が、考えても考えても理解できない高尚な概念より力があるとも思えるのだが、ご賛同いただけるであろうか。

 小難しい話は抜きにしても、私はこの暑苦しい8月にはいつも考える。マンハッタン計画を立案し原爆を開発させた人たちのことを、その計画に従って核エネルギー兵器を開発した人たちのことを、それを投下することを栄誉と考えた飛行気乗りたちのことを、そして、きのこ雲の下であっと言う間に亡くなった人々、あるいはきのこ雲が消えた後の青空ので長く苦しんだ後に亡くなった人々のことを・・・どうしても考えてしまう。
 被爆資料がその生々しさを失いつつある今だからこそ、人々の心に宿る核兵器への憎悪だけでも毎年毎年新たに甦りますように、そう願いつつ考えているのだ。

(2003年8月6日)


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